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第30話 眠る旅人


 戦いが終わって三日後。サフィラは目を覚ました。目に飛び込んできたのは見慣れた天井だった。城の医務棟。身体を起こそうとして。全身に痛みが走る。


「ぐっ……」


「無理しないでください」


 聞き慣れた声だった。ミリアが椅子から立ち上がる。目の下には隈が出来ていた。


「どれくらい寝ていた?」


「三日です」


「そうか」


 サフィラは安堵する。思ったより短かった。だがすぐに周囲を見回した。


「アカネは?」


 ミリアの表情が少し曇る。


「まだ目を覚ましていません」


 サフィラの胸が嫌な音を立てた。


「命に別状はありません,ですが……起きないんです」


 その言葉にサフィラは黙った。戦いの最後を思い出す。アカネは限界だった。本来なら立っていることさえおかしい状態だった。それでも種を破壊した。だから今こうして世界は残っている。


「会えるか?」


「はい」


 ミリアは頷いた。サフィラは痛む身体を引きずるように病室へ向かった。部屋の中は静かだった。窓から柔らかな光が差し込んでいる。ベッドの上にはアカネ。白い髪が枕へ広がっている。呼吸は安定していた。ただ眠っている。まるで深い夢の中にいるように。


「起きないのか」


「はい」


 医師が答える。


「身体は回復しています、ですが正直なところ、いつ目を覚ますか分かりません」


 サフィラはベッドの横へ座った。アカネを見る。戦場ではあんなに無茶をするのに。今は驚くほど静かだった。


「馬鹿者」


 思わず呟く。


「少しは自分を大事にしろ」


 返事はない。当然だ。眠っているのだから。それでも。もう少しだけここにいたいと思った。その日から。サフィラは毎日この部屋へ来るようになった。軍務の前に。軍務の後に。時間を見つけては顔を出す。初は自分でも理由を考えなかった。戦友だから。命の恩人だから。世界を救った英雄だから。そう言い訳していた。だが。一週間が過ぎても。二週間が過ぎても。三週間が過ぎても。アカネは起きない。それなのに。サフィラは毎日ここへ来た。何を話すでもなく。ただ隣に座る。その時だった。


「少佐」


 レオンが言った。執務室だった。復興計画の報告を終えた後。


「何だ」


「最近、毎日行ってますよね」


 サフィラが眉をひそめる。


「どこへだ」


「病室です」


 レオンが即答した。ミリアが咳払いする。アーノルドが視線を逸らす。全員知っていたらしい。


「それがどうした」


「別に」


 レオンが肩を竦める。


「好きにすればいいと思います」


 サフィラが固まる。


「……何の話だ」


「え?」


 レオンが本気で驚いた顔をした。


「気付いてなかったんですか?」


「何をだ」


 サフィラは平然と返した。少なくとも本人は平然としているつもりだった。レオンとミリアが顔を見合わせる。アーノルドは頭を抱えた。


「少佐」


 レオンが真面目な顔で言う。


「毎日病室に行ってますよね」


「行っているな」


「一日に何回も」


「様子を見るのは当然だ」


「起きてもいないのに三十分以上いることもありますよね」


「それも当然だ」


「仕事中に急に窓の外を見て考え事してますよね」


「していない」


「してます」


 即答だった。ミリアまで頷いている。サフィラは眉をひそめた。


「何が言いたい」


「いや」


 レオンが苦笑する。


「本人だけ気付いてないんだなって」


「だから何の話だ」


 沈黙。そして。三人同時にため息を吐いた。サフィラは少しだけ嫌な予感がした。


「少佐」


「何だ」


「アカネさんの話になると顔が柔らかくなるんですよ」


「は?」


「病室から帰ってくる日は少し長く部屋にいますし」


「そんなことはない」


「あります」


 ミリアが断言した。


「毎日欠かさずお見舞いに行っています」


「それは当然だ」


「当然ですか?」


 ミリアが少しだけ笑った。


「ええ、当然ですね」


 サフィラは言葉を失う。そんなつもりはなかった。隠していた。少なくとも隠せていると思っていた。軍人として感情を表に出した覚えもない。なのに。


「バレているのか?」


 思わず漏れた言葉に。三人が揃って頷いた。


「バレバレです」


 レオンが言った。


「全員知ってます」


 ミリアが続ける。


「城中で有名だぞ」


 アーノルドが締めた。サフィラは固まった。


 顔が熱い。信じられない。本当にそんなに分かりやすかったのか。レオンは少しだけ笑う。


「まあ安心してください」


「何がだ」


「悪い意味じゃありませんから」


 急激に顔が熱くなるのを感じる。恥ずかしさでここからいなくなってしまいたくなった。


 アカネは旅人だ。世界を渡る、そんなことを言っていた。いつか必ず行く。そして。この世界に残る理由はない。なら私はどうする?サフィラは窓の外を見る。復興が進む街。守った国。家族。部下。民。責任。全部ここにある。


「私は……」


 答えはまだ出なかった。だが。


 その答えを出さなければならない日が近付いていることだけは分かっていた。



 答えが出ないまま数日が過ぎた。世界は少しずつ落ち着きを取り戻していた。ヴォイドの消失。。龍たちによる支援。そして軍による復興。忙しい日々だった。サフィラも軍務へ復帰している。報告書の山。

各地への指示。被害調査。避難民対応。やることはいくらでもあった。だから本来なら。考える暇などないはずだった。それなのに。気付けば考えている。アカネのことを。旅のことを。そして。自分がどうしたいのかを。


「少佐」


 ミリアが書類を置く。


「休憩してください」


「まだ終わっていない」


「三時間前にも同じことを言っていました」


 サフィラは黙った。反論できない。


「少し外へ行きましょう」


「……分かった」


 渋々席を立つ。城の中庭。春が近付いていた。雪はまだ残っている。だが以前とは違う。少しずつ溶け始めている。冬しか知らなかった世界に。変化が訪れていた。


「綺麗ですね」


 ミリアが言う。


「ああ」


 それは認める。守った価値はあった。そう思える景色だった。その時。


「お姉ちゃん!」


 元気な声が響く。リリアだった。勢いよく駆け寄ってくる。その後ろにはエレナもいた。


「仕事は終わったの?」


「休憩中だ」


「よかった」


 リリアは嬉しそうに笑う。そして。何でもないことのように言った。


「アカネさんのところ行ってきたよ」


 サフィラが固まった。


「そうか」


「うん」


「相変わらず寝てた」


 少し寂しそうな顔。それを見て。サフィラも同じ気持ちになる。


「早く起きてほしいな」


「そうだな」


「お姉ちゃんもそう思うでしょ?」


「当然だ」


 即答だった。すると。リリアとエレナが顔を見合わせる。嫌な予感がした。


「何だ」


 リリアが笑う。


「お姉ちゃん」


「何だ」


「もしアカネさんが旅に出るって言ったらどうするの?」


 サフィラの動きが止まった。その話題だった。避けていた話題。


「……旅人だからな」


「そうだね」


「いずれ行くだろう」


 リリアは少しだけ首を傾げる。


「じゃあお姉ちゃんは?」


 心臓が跳ねた。


「何がだ」


「付いて行きたい?」


 沈黙。答えられない。リリアは分かっていた。エレナも分かっていた。だから聞いたのだ。


「私は」


 言葉が出ない。頭の中に浮かぶ。軍。国。家族。部下。責任。全部。そして。アカネ。


「……分からない」


 初めて本音が漏れた。


「行きたい気持ちはある」


 言ってしまった。認めてしまった。


「でも」


 そこで言葉が止まる。


「私は軍人だ、この国を守る責任がある、今の時期に放り出して旅へ出るなど――」


「別にいいんじゃない?」


 リリアがあっさり言った。サフィラは目を瞬く。


「何?」


「だから」


 リリアが笑う。


「別にいいんじゃない?」


 理解が追い付かない。


「お前は何を言っている」


「だって」


 リリアは肩を竦めた。


「お姉ちゃん、この国を守ったじゃん」


 サフィラが黙る。


「今も守ってる、みんな助かった、世界も残った、なのに」


 リリアは少しだけ真面目な顔になる。


「お姉ちゃんだけ我慢しなきゃいけないの?」


 その言葉に。サフィラは返せなかった。まだ子供だと思っていた妹からそんな言葉を言われて驚いていた。エレナが静かに口を開く。


「母親としてはね」


 柔らかな声だった。


「危険な旅なんて反対したいわ」


 当然だった。母親なら。そう思う。


「でも」


 エレナは微笑む。


「私はあなたの母親だから」


 サフィラを見る。優しく。誇らしげに。


「行きたいなら行きなさい」


「お母様……」


「帰ってくればいいのよ」


 その言葉に。胸が熱くなる。ずっと背負わなければならないと思っていた。責任だから。立場だから。そう思っていた。けれど。家族は違った。自分を縛るためではなく。送り出すためにそこにいた。サフィラは空を見上げる。春の空だった。まだ答えは出ていない。だが少しだけ。


 心が軽くなった気がした。



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