第3話 迫るもの
静寂が落ちた。誰も口を開かない。伝令兵ですら、自分が持ち込んだ報告の重さを理解したのか黙り込んでいる。
「……コアだと?」
最初に口を開いたのはサフィラだった。少佐としての顔。先程までの砕けた雰囲気は完全に消えている。アカネは頷いた。
「たぶん」
「たぶんで済ませるな」
「見てないから」
それもそうだった。サフィラは額を押さえる。アカネ相手だと調子が狂う。
「特徴は」
ミリアが口を開く。
「コアの特徴を教えて」
アカネは少し考えた。
「強い」
「それは見れば分かる」
レオンが即座に返す。
「大きい」
「それも見れば分かる」
「いっぱい生む」
「それが一番重要だな」
サフィラがため息を吐く。結局。現地で確認するしかないらしい。
「場所は」
「北方監視塔よりさらに北」
伝令兵が答える。
「移動中です」
「進路は」
「こちらです」
部屋の空気が重くなる。つまり。向こうから来る。戦うか。逃げるか。選択を迫られていた。
「少佐」
レオンが口を開く。
「今の戦力じゃ厳しいです」
誰も否定しない。三日間戦い続けた。兵士は疲弊している。砲弾も少ない。負傷者も多い。そして。
最も重要な切り札。アカネも。決して万全には見えなかった。
「アカネ」
サフィラは視線を向ける。
「お前は戦えるのか」
アカネは少し考える。
「戦える」
「本当にか?」
「うん」
だが。少し間があった。サフィラは見逃さなかった。
「万全じゃないんだな」
アカネは否定しなかった。
「ちょっと疲れてる」
「ちょっと?」
「世界を渡ったから」
世界を渡る。また知らない単語が出てきた。ミリアが何かを書き留める。
「少佐」
彼女が言う。
「今は詳しく聞いている時間はありません」
「分かってる」
サフィラは立ち上がった。
「全軍へ通達」
その声に伝令兵の背筋が伸びる。
「総員戦闘準備」
「北方防衛線へ戦力を集中」
「可能な限り住民の避難を急がせろ」
「了解!」
伝令兵が飛び出していく。レオンも立ち上がる。ミリアも資料を纏め始めた。慌ただしく動き出す部屋。その中で。一人だけ。
アカネは座ったままだった。
「アカネ」
サフィラが呼ぶ。
「何?」
「行けるか?」
アカネは残ったパンを見た。そして。スープを見た。少しだけ考える。
「食べてから」
レオンが吹き出した。ミリアが顔を伏せる。サフィラは天井を見上げた。
「五分だ」
「分かった」
そして。本当に五分後。アカネは立ち上がった。
「ごちそうさま」
食器を綺麗に重ねる。礼儀は良かった。妙なところでしっかりしている。サフィラは剣を腰に差す。
黒と青の軍服。肩に掛けたロングコートが揺れる。少佐の顔だ。
「行くぞ」
全員が頷く。だが。部屋を出る直前。アカネの足が止まった。
「……?」
視線の先。机の上。古びた端末。アカネはそれを静かに手に取る。そして。一瞬だけ写真を見る。
白髪の少女たち。若い男。笑顔。記録。思い出。アカネは何も言わない。ただ。そっとポーチへ戻した。
「アカネ」
サフィラが呼ぶ。
「何?」
「行くぞ」
「うん」
少女は頷く。そして。詰め所の扉が開かれる。外は吹雪だった。黒い雪が空から降り続いている。
その向こう。北の地平線。誰の目にも見えた。黒い山のような影。巨大すぎて距離感がおかしくなる。
それは歩いていた。一歩。また一歩。進む度に大地が揺れる。兵士たちが息を呑む。サフィラも言葉を失った。
「……なんだあれは」
誰かが呟く。返事は無い。ただ一人。アカネだけがそれを見ていた。そして。ぽつりと呟く。
「やっぱりコアだ」
その声は。どこか嬉しそうでもあり。どこか嫌そうでもあった。北方防衛線は騒然としていた。兵士たちが走る。砲兵が陣地へ向かう。補給部隊が弾薬箱を運ぶ。誰もが忙しなく動いていた。
だが。その視線は何度も北へ向く。無理もない。誰の目にも見えている。地平線の向こう。巨大な黒い影。まるで山そのものが歩いているようだった。
「報告」
防壁の上に立ったサフィラが言う。既に完全な軍人の顔だった。隣ではレオンが資料を確認している。
「推定全高百メートル以上」
「移動速度は遅いですが真っ直ぐこちらへ向かっています」
「周囲のヴォイドは」
「確認できません」
サフィラが眉をひそめる。群れを伴わないヴォイド。それだけでも異常だった。
「ミリア」
「はい」
「どう思う」
ミリアは眼鏡を押し上げる。風に銀髪が揺れた。
「分かりません」
珍しい返答だった。
「ですが普通ではありません」
「知ってる」
サフィラは即答した。普通だったら困る。その時。
「普通じゃないよ」
横から声がした。三人が振り向く。アカネだった。防壁の上に腰掛けている。しかも。パンを食べながら。
「お前まだ食べてるのか」
レオンが思わず言う。アカネは頷いた。
「今のうちに」
「今のうち?」
「戦うとお腹空く」
真顔だった。レオンは頭を抱えた。サフィラは慣れ始めていた。ミリアは諦めていた。
「アカネ」
サフィラが北を見ながら尋ねる。
「お前から見てあれは何だ」
「コア」
「間違いないのか」
「うん」
即答だった。今までで一番迷いが無い。
「特徴が一致してる」
「特徴?」
「大きい」
「それは見れば分かる」
「いっぱい生む」
「今は一匹だぞ」
「まだ」
アカネはパンを齧る。そして続けた。
「近付いたら分かる」
嫌な予感しかしなかった。その時。大地が揺れた。誰もが息を呑む。遠く。遥か遠く。まだ何キロも離れているはずの巨体が足を踏み出しただけ。それだけで地面が震えた。
「冗談だろ……」
レオンが呟く。兵士たちもざわついている。士気が下がり始めていた。無理もない。大きすぎる。
人間が戦う相手には見えなかった。すると。アカネが立ち上がる。
「行こう」
「どこへ」
サフィラが尋ねる。
「近く」
「何をする気だ」
「確認」
アカネは当然のように答えた。
「コアなら早めに止めないと」
その言葉にミリアが反応する。
「止める?」
「うん」
「倒せるのか」
アカネは少し考えた。そして。
「たぶん」
またその返事だった。だが。今回は誰も笑わなかった。あの大型オークを見た後だ。アカネだけは本当にやりかねない。
「少佐」
レオンが小声で言う。
「危険です」
「分かってる」
「単独行動させるんですか」
「その方が危険だ」
サフィラは即答した。アカネを一人で放り出した結果。何が起きるか誰にも分からない。それなら監視できる方がまだマシだった。
「アカネ」
「何?」
「私も行く」
アカネは少し驚いた顔をした。
「危ないよ」
「少佐に向かって言う台詞か?」
「危ないものは危ない」
真面目に返された。サフィラは思わず笑った。
「それでも行く」
アカネは数秒考える。そして頷いた。
「分かった」
「レオン」
「はい」
「指揮を任せる」
「了解」
「ミリア」
「私は情報収集ですね」
「頼む」
二人が頷く。そして。サフィラは剣を握る。黒い雪が降る。吹雪が唸る。遠くではコアが歩いている。
その隣で。アカネがぽつりと言った。
「久しぶりだな」
「何がだ」
「コア」
その声には。懐かしさのようなものが混じっていた。サフィラは気付かない。だがアカネは思い出していた。世界を壊したコア。失ったもの。背中にある六本の剣。そして。もう二度と会えない人たちを。アカネはゆっくりと刀の柄に手を置いた。




