第28話 託す思い
残り五百メートル。近い。近いはずだった。だが。コアも必死だった。脈動が激しくなっている。巨大な黒樹が軋む。枝が震える。根が蠢く。まるで悲鳴だった。
「焦ってる」
アカネが呟く。息が荒い。顔色も悪い。だが瞳だけは死んでいない。
「分かるのか」
サフィラが聞く。
「うん」
短い返事。
「学習が終わってない」
それはコアにとって最悪の状況だった。本来ならもっと時間が必要だった。龍を学び。世界を学び。魔法を学び。完全なタンニーンを作る。そのはずだった。だがアカネが来た。サフィラが来た。ユルムガンドが来た。全部狂った。だから今。無理やり戦っている。未完成のまま。
「終わらせよう」
サフィラが言う。
「うん」
アカネも頷いた。残り四百メートル。その時。コアの根元。地面が割れる。新たなタンニーン。一体二体。三体。どれも今までより巨大だった。龍を模倣した翼。氷の鱗。巨大な爪。未完成。だが強い。
「しつこいな」
サフィラが眉をひそめる。疲労は限界に近い。ドラゴンフォース。アブソリュートゼロ。戦闘。出血。
どれだけ頑丈でも無限ではない。それでも。退かない。目の前にはアカネがいる。なら退けない。
「右を頼む」
アカネが言う。
「任せろ」
サフィラが踏み込む。蒼い斬撃。一体目の翼が飛ぶ。続けて。ドラゴンフォースの拳。頭部が砕ける。
だが。二体目。三体目。止まらない。その間。アカネは前へ出る。舞姫。六振りの剣が舞う。タンニーンを切る。大型種を裂く。ヴォイドを蹴散らす。しかし。速度が落ちていた。ブーストを使えば動ける。だが身体が悲鳴を上げている。カッペンを使えば切れる。だが耗が大きい。限界が近い。それでも。
止まれない。残り三百メートル。二百五十。二百。そして。アカネが膝をついた。
「アカネ!」
サフィラが叫ぶ。
「大丈夫」
全く大丈夫そうに見えなかった。呼吸が荒い。視界も揺れている。オーバーヒート。能力を使い過ぎた代償だった。舞姫。ブースト。ブリンク。パノラマ。カッペン。リペア。短時間で使い過ぎた。それでも。アカネは立ち上がる。何度でも。
「本当に」
サフィラが呆れる。
「無茶しかしないな」
「そう?」
「そうだ」
思わず笑う。戦場なのに。それでも。笑えた。アカネがいるからだ。だから。もう少しだけ頑張れるそう思った。残り百五十メートル。そして。コアが動く。初めて。今まで生み出すだけだった存在が。明確な意思を見せる。根が持ち上がる大地が裂ける。無数の黒い槍。数百。数千。雨のように降り注ぐ。
「チッ!」
サフィラが剣を振るう。氷の壁。だが全ては防げない。アカネが前へ出る。
「舞姫!」
六振りの剣が回転する。防壁。槍を弾く。砕く。逸らす。それでも。一本。肩を貫く。血が飛ぶ。だが止まらない。
残り百メートル。
コアが見える。巨大な幹。脈打つ根。そして。その奥。アカネだけが知る。種。全ての始まり。全ての元凶。そこへ届けば終わる。だが最後の守護者が現れる。コアの根元。地面が割れる。今までで最大。今までで最強。未完成ながら。コアが持つ力の全てを注ぎ込んだ存在。巨大な龍型タンニーン。黒い翼が広がる。雪嵐が吹き荒れる。アカネとサフィラが立ち止まる。あと百メートル。なのに。
最後の百メートルが。あまりにも遠かった。
最後のタンニーンが咆哮する。空気が震える。雪原が揺れる。黒い翼が広がる。巨大だった。今までのどのタンニーンよりも。コアが持つ全てを注ぎ込んだ怪物。アカネが刀を握る。サフィラも剣を構えるだが二人とも分かっていた。限界だった。アカネはオーバーヒート寸前。サフィラもドラゴンフォースの維持が限界。身体中が悲鳴を上げている。それでも。前へ出ようとした時だった。
「待て」
サフィラが言った。アカネが振り向く。
「サフィラ?」
水色の髪が揺れる。黄金の瞳が前を見る。龍型タンニーンだけを見ていた。そして。静かに息を吐く。
「あと百メートルだ」
「うん」
「お前なら届く」
アカネが何か言おうとする。だがサフィラは先に言った。
「私は軍人だ」
「守るのが仕事だ」
剣を握る。ひび割れている。何度も限界を超えて振るった。もう長くはもたない。それでも。構える。
「だから」
黄金の瞳がアカネを見る。
「ここは私の仕事だ」
そして。笑った。初めて会った頃の硬い笑顔じゃない。自然な。柔らかな笑みだった。
「行け」
アカネが黙る。理解したからだ。サフィラは止まらない。止めても行く。そういう顔だった。
「……死なないで」
アカネが言う。サフィラは少しだけ目を丸くした。そして。笑う。
「努力しよう」
それだけだった。次の瞬間。ドラゴンフォースが爆発する。蒼い魔力。吹雪。氷嵐。サフィラの身体から龍の魔力が溢れ出す。アブソリュートゼロ。発動。さらに。吸収。周囲の魔力。雪。氷。龍たちの残滓。全てを取り込む。身体が軋む。骨が悲鳴を上げる。血管が裂ける。限界を超えている。それでも止めない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
叫ぶ。戦場全体に響くほど大きく。龍型タンニーンが動く。迎撃。巨大な爪。巨大な顎。だがサフィラは止まらない。
一歩。
二歩。
三歩。
走る。全力で。人生で一番速く。そして剣を振り上げる。ドラゴンフォース。アブソリュートゼロ。龍の因子。自分自身。全部。本当に全部。残らず。その一撃へ込める。
「道よ――開けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
振り下ろされた。世界が白く染まる。音が消える。雪が消える。空気が凍る。そして。龍型タンニーンが。真っ二つになった。その後ろ。タンニーン。大型種ヴォイド。全てを巻き込み。一本の道が生まれる。コアまで続く。百メートルの一直線。誰にも塞げない道。アカネだけの道。サフィラの剣が砕ける。限界だった。ドラゴンフォースが消える。蒼い鱗が砕ける。膝が折れる。立てない。もう一歩も。それでも。顔を上げる。前を見る。そして。叫んだ。
「行けぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「アカネぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
その声が届く。アカネが振り向く。サフィラがいた。血まみれで。立てなくなって。剣も失って。それでも。笑っていた。託していた。全部。だからアカネは頷く。
「任された」
静かな声。そして。ブースト。世界が遅くなる。舞姫。六振りの剣が追従する。残された全てを使う。
百メートル。一直線。コアへ。種へ。世界を救うために。
旅人は最後の一歩を踏み出した。




