第26話 氷龍王
空が割れたような轟音だった。ユルムガンドと龍人が激突する。衝撃波。吹雪。氷嵐。戦場全体が揺れる。下で戦う兵士たちですら思わず空を見上げるほどだった。
龍人が拳を振るう。速い。空気が弾ける。だがユルムガンドは動じない。巨大な前脚が振り抜かれる。轟音。龍人が弾き飛ばされた。山肌へ激突する。氷壁が崩れる。雪崩が発生する。
『脆い』
ユルムガンドが言う。黄金の瞳に怒りが宿る。
『その程度で余を真似たつもりか』
龍人が立ち上がる。咆哮。黒い魔力が噴き出す。そして。ブレスを放った。漆黒。腐敗。侵食。世界そのものを汚染するような力。だが。
『余の前で氷を語るな』
ユルムガンドもブレスを吐く。白銀の極寒。世界を凍らせる王の吐息。正面衝突。空が震える。大地が軋む。数秒後。勝ったのはユルムガンドだった。黒いブレスが押し負ける。龍人の身体が凍り付く。吹き飛ばされる。そして。墜落。だが。ユルムガンドの表情は険しい。勝っている。圧倒している。それなのに。気分が悪かった。
『気に入らんな』
呟く。龍人を見る。そこには。確かに自分がいた。鱗。角。魔力。力。どれも似ている。だからこそ不快だった。何も無い。意思が。誇りが。魂が。そこには無い。ふと。昔を思い出す。雪山。若い人間。水色の髪ではなかった。黄金の瞳でもなかった。だが.よく似た馬鹿だった。
『諦めろ』
「断る」
『死ぬぞ』
「知ってる」
『勝てん』
「知ってる」
『なら何故来る』
「勝ちたいからだ」
『愚か者』
「今さらだろ」
懐かしい。本当に。馬鹿だった。龍人が再び立ち上がる。傷が再生している。コアが修復しているのだろう。だが関係ない。
『貴様には無い』
ユルムガンドが言う。
『余が守ってきたものも』
『余が見てきた景色も』
『余が交わした約束も』
巨大な翼が広がる。吹雪が荒れる。龍王の魔力が戦場を覆う。兵士たちが震える。龍たちが頭を垂れる。王が怒っている。
『ただ形だけを真似るな』
ユルムガンドが前へ出る。一歩。二歩。三歩。そして龍人の前へ。黄金の瞳が細くなる。
『余は』
巨大な爪が振り上がる。
『氷龍王ユルムガンドだ』
振り下ろされた。空間が裂ける。吹雪が消える。龍人の胸が砕ける。鱗が割れる。骨が折れる。絶叫。それでもユルムガンドは止まらない。戦場の下。アカネが種を見つける。サフィラが血を流しながら立ち続ける。兵士たちが戦う。龍たちが咆哮する。そして。ユルムガンドが笑う。本当に久しぶりだった。数百年ぶりかもしれない。
『見ているか』
誰に向けた言葉だったのか。本人にも分からない。ただ。昔の友へ向けるように。龍王は笑った。
『お前の子孫は中々面白いぞ』
そして。最後の決着へ向けて。巨大な翼を広げた。龍人の胸が砕ける。黒い鱗が飛び散る。絶叫。吹雪が荒れる。そして。ユルムガンドの爪が最後に振り抜かれた。轟音。龍人の身体が真っ二つになる。空中で砕ける。黒い霧となって散っていった。静寂。一瞬だけ。戦場が静まり返る。龍たちが咆哮した。兵士たちも歓声を上げる。
「勝った!」
「龍王が勝ったぞ!」
「やった!」
歓声は広がる。だがユルムガンドは動かなかった。
『王よ!?』
銀龍が飛ぶ。慌てた声だった。ユルムガンドの様子がおかしい。黄金の瞳が僅かに濁っている。白銀だった鱗の一部には黒い模様。浸食。それはまだ終わっていなかった。
『問題ない』
そう言う。だが問題しか無かった。龍人との戦い。浸食との戦い。数百年に渡る抵抗。全てが今になって身体へ返ってきていた。
ユルムガンドは下を見る。戦場。ヴォイド。タンニーン。そして。二人の人間。アカネとサフィラ。まだ戦っている。まだ前へ進んでいる。
『ふっ』
思わず笑った。本当に。馬鹿な連中だ。
『似るものだな』
ユルムガンドが呟く。血筋ではない。顔でもない。性格だ。諦めの悪さ。意地。守るもののために前へ出る愚かさ。それが。あの皇帝に似ていた。
その時。身体が揺れる。限界だった。巨大な身体が傾く。空気がざわつく。
『王!』
『王よ!』
龍たちが叫ぶ。だがユルムガンドは首を振った。
『騒ぐな』
静かな声だった。
『まだ死なん』
王は簡単には死なない。それだけは事実だった。
そして。その巨大な瞳がサフィラを見る。遠く。戦場の向こう。水色の髪。黄金の瞳。剣を振るう少女。ドラゴンフォース。氷龍の力。そして決して折れない意志。
『聞こえるか』
呟く。届くはずもない。だが不思議と。サフィラは振り返った。目が合った気がした。
『後は任せる』
短い言葉。それだけだった。だがサフィラには何故か分かった。任された。そう思った。次の瞬間。ユルムガンドの巨体が落ちる。山が崩れるような轟音。雪原が揺れる。龍たちが飛ぶ。王を守るように。王の周囲へ集まる。
『近付けるな!』
『王を守れ!』
『戦線を維持しろ!』
龍たちが動く。王の役目は終わった。ここから先は。若い者たちの戦いだった。サフィラは前を見る。もう振り返らない。振り返る暇もない。目の前にはタンニーン。奥にはコア。隣にはアカネ。そして。守るべき世界がある。
「行くぞ」
剣を握る。ドラゴンフォースが唸る。アカネも頷く。
「うん」
短い返事。だが十分だった。二人は駆ける。戦場の最奥へ。コアへ。世界を蝕む種へ。その時だった。アカネの胸に。ほんの僅か。小さな違和感が生まれる。嫌な予感。根拠はない。だが旅を続けてきた経験が告げていた。何かがおかしい。何かを見落としている。けれど。それが何かはまだ分からない。そして二人は。気付かぬまま前へ進む。
災厄の中心へ向かって。




