第25話 突破
アカネとサフィラが駆ける。雪原を。黒い群れの中を。戦場の最奥へ向かって。後方では砲撃が続いていた。龍たちの咆哮も聞こえる。だが徐々に遠ざかっていく。
「前に出すぎじゃないか?」
サフィラが言う。ドラゴンフォースを維持したまま並走している。普通なら追い付けない。だが今のサフィラは違った。龍の因子が身体に根付き始めている。
「遅いと逃げる」
アカネが答える。短い。だが真剣だった。
「前は逃げられたんだろう?」
「うん」
「今回は二人だ」
それだけで十分だった。サフィラも速度を上げる。
◇
その時。前方の雪原が爆ぜた。巨大な腕。黒い外殻。地中から現れたのは新たなタンニーンだった。
人型。だが異常に細長い。両腕が地面へ届くほど長い。顔は無い。代わりに胸部へ巨大な口があった。
咆哮。いや。悲鳴にも似た音が響く。
「気持ち悪いな」
サフィラが本音を漏らした。
「同感」
アカネも賛同する。タンニーンが飛び掛かる。速い。大型種とは比較にならない。だがアカネも止まらない。
「舞姫」
六振りの剣が飛ぶ。迎撃。火花。衝撃。タンニーンの腕が弾かれる。その隙。サフィラが踏み込んだ。
「そこだ!」
蒼い斬撃。タンニーンの胴を裂く。だが。浅い。外殻が硬い。タンニーンが反撃する。振り下ろされる腕。サフィラは受ける。轟音。地面が沈む。重い。だが以前のサフィラではない。
「アブソリュートゼロ」
蒼い魔力が溢れる。周囲の魔力が吸い込まれる。龍の谷で得た新しい力。吸収した魔力が剣へ集まる。
「――砕けろ!」
振り抜く。蒼い光が走る。タンニーンの右腕が吹き飛んだ。兵士たちから歓声が上がる。遠くから見ていた者たちだ。
「少佐だ!」
「押してるぞ!」
「いける!」
士気が上がる。だが。アカネは歓声を聞いていなかった。
「パノラマ」
発動。視界が広がる。雪原。戦場。ヴォイド。タンニーン。龍たち。そして。さらに奥。黒い嵐の中心。
「……見えた」
アカネが呟く。
「何がだ」
サフィラが聞く。アカネは答える。
「コア」
それは生物ではなかった。黒い樹だった。雪原の中心に根を張る巨大な樹。脈打つように鼓動している。枝には黒い繭。無数。その繭が破れ。新たなタンニーンが生まれている。まるで工場だった。戦場そのものを生産している。アカネの表情が険しくなる。
「最悪」
珍しく。本当に珍しく。嫌そうな顔だった。
「どうした」
「思ったより育ってる」
その言葉に。サフィラの背筋へ冷たいものが走る。アカネが最悪と言った。それはつまり。今まで見たコアの中でも厄介な部類ということだ。その瞬間だった。戦場の奥。黒い樹の周囲。雪原が割れる。一体。二体。三体。四体。五体。新たなタンニーンが姿を現す。今までよりさらに巨大。さらに異形。そして。その中央。樹の根元に座るように。一体だけ。他とは違う存在がいた。人型。だが人ではない。黒い外殻。氷龍を思わせる角。全身から溢れる濃密な黒霧。アカネが足を止める。
「……まずい」
サフィラが振り向く。アカネの顔が僅かに強張っていた。
「何だあれは」
数秒。沈黙。そしてアカネは答える。
「たぶん」
刀を握り直す。赤い瞳が細くなる。
「ユルムガンドを学習し始めてる」
その言葉で。戦場の意味が変わった。もう時間が無い。コアは確実に龍を取り込み始めていた。
黒い樹が脈打つ。まるで巨大な心臓だった。根が雪原を侵食している。枝が伸びる。繭が膨らむ。そして。新たなタンニーンが生まれる。戦場そのものを増殖させる災厄。それがコアだった。
「どうする」
サフィラが聞く。アカネは樹を見る。赤い瞳が細くなる。
「壊す」
「簡単に言うな」
「簡単じゃない」
珍しく即答だった。そして。アカネは続ける。
「コアは倒せる」
「でも場所が分からない」
サフィラが眉をひそめる。
「場所?」
「種」
短い説明。
「コアの中にある」
「そこだけ本体」
なるほど。だから樹そのものを斬っても終わらないのか。サフィラは理解した。
「見つけられるのか?」
「できる」
アカネは頷く。だが次の言葉が問題だった。
「十秒必要」
「十秒?」
「パノラマを深く使う」
「動けない」
サフィラが黙る。それは戦場では致命的だった。その時。咆哮。戦場全体が震えた。空気が凍る。兵士たちが歓声を上げる。龍たちも吠える。誰もが空を見る。そして。巨大な影が降りてきた。白銀の鱗。山脈のような巨体。王。氷龍王ユルムガンドだった。
『ようやくだな』
その声だけで空気が揺れる。コアが反応する。樹が震える。まるで怯えるように。
『余の身体を勝手に学ぼうとは』
黄金の瞳が細くなる。
『随分と舐められたものだ』
次の瞬間。ブレス。蒼白い極寒が雪原を薙ぎ払う。数百のヴォイドが消えた。タンニーンですら吹き飛ぶ。兵士たちが歓声を上げる。まさしく守護者だった。すると。コアの根元。そこに座る龍人が立ち上がる。人型。だが龍。黒い角。黒い鱗。不完全なユルムガンド。アカネが見上げる。
「学習途中」
短く言う。
「それでもかなり強いな」
サフィラが答える。
「強い、でもユルムガンドの方が強い」
その言葉通りだった。龍人が飛ぶ。ユルムガンドが迎える。空中で衝突。衝撃波。吹雪が爆発する。山がぶつかったような音が響く。だが龍王は押されない。
『出来損ないが』
巨大な爪が振り下ろされる。龍人が吹き飛ぶ。黒い鱗が砕ける。まだ未完成。まだ学習途中。だから本物には届かない。だが残るタンニーンは違った。五体。どれも強い。どれもコアを守っている。そして。アカネは動けない。パノラマに集中しなければならない。つまり。
「サフィラ」
「分かっている」
言葉は最後まで聞かなかった。水色の髪が揺れる。黄金の瞳が前を向く。ドラゴンフォース。蒼い鱗が浮かぶ。剣を握る。そして。笑った。
「十秒だな?」
「ああ」
「なら任せろ」
迷いは無い。今まで。何度も助けられた。何度も背中を押された。だから今度は自分の番だ。アカネが目を閉じる。
「パノラマ」
世界が広がる。音が消える。景色が消える。コアだけが残る。
枝。
幹。
根。
魔力。
流れ。
浸食。
全てを見る。もっと深く。もっと奥へ。
一秒。
二秒。
三秒。
その前へ。タンニーンが迫る。だがサフィラが立つ。
「ここから先は通さん」
剣が振るわれる。蒼い斬撃。氷の嵐。タンニーンを押し返す。だが数が多い。
四秒。
五秒。
六秒。
腕が裂ける。血が流れる。それでも。退かない。
七秒。
八秒。
九秒。
サフィラの呼吸が荒くなる。タンニーンが迫る。あと一歩。あと一撃。届く。その瞬間。アブソリュートゼロが輝いた。傷が塞がる。血が止まる。折れた骨が戻る。だが。それだけ。力は増えない。敵は減らない。それでも。戦える。だから。剣を振るう。
「まだだ!」
十秒。
そして。アカネが目を開いた。赤い瞳が一点を見る。コアの中心。根のさらに奥。誰にも見えない場所。そこに。小さな種があった。黒く。脈打つ。全ての始まり。
「見つけた」
静かな声。その瞬間。戦場の流れが変わった。




