第24話 第二防衛戦
今回ちょっと長めです。
夕刻。
王都は重苦しい緊張に包まれていた。防壁の上を兵士たちが走る。砲兵が配置につく。魔導士たちが結界を展開する。城門は閉鎖。避難も完了していた。もう後には引けない。王都を背に。軍勢が並ぶ。白い雪原を埋め尽くすほどの兵力。その最前列。防壁の上にサフィラは立っていた。冷たい風が水色の髪を揺らす。黄金の瞳が北を見据える。隣にはレオン。ミリア。そしてアカネ。いつもの顔ぶれだった。
「緊張してますか?」
レオンが聞く。
「少しな」
サフィラが答える。
「少しどころじゃない顔してますよ」
ミリアが言う。
「そう見えるか」
「見えます」
即答だった空は赤く染まり始めている。太陽は西へ傾き。雪原を朱色に染めていた。その時。アカネが北を見る。赤い瞳が細くなる。
「来た」
短い言葉。全員の表情が変わる。数秒後。見張り台から叫び声が響いた。
「ヴォイド確認!」
声が雪原へ広がる。
「北方十キロ!」
「大規模群れ接近!」
空気が変わる。兵士たちの顔から笑みが消える。戦場の空気だった。サフィラは剣へ手を置く。
「総員」
静かな声。だが。防壁中へ響く。
「戦闘準備」
兵士たちが動く。銃が構えられる。砲門が開く。魔法陣が輝く。そして。雪煙の向こう。黒い波が現れた。狼。ゴブリン。オーク。コボルト。異形の群れ。数万。いや。もっとかもしれない。雪原を埋め尽くしていた。
「相変わらず気持ち悪いな」
レオンが呟く。誰も否定しない。その時だった。大地が震える。轟音。空気が揺れる。そして。空が陰った。兵士たちが顔を上げる。誰かが息を呑む。巨大な翼。白銀の鱗。氷龍。その数。一体や二体ではない。十。二十。三十。次々と現れる。そして。百を超える。
「龍だ……」
若い兵士が呟く。震える声だった。恐怖ではない。驚愕だった。さらに。空の向こうから咆哮が響く。無数の龍たち。二百。ユルムガンドの軍勢。龍の大隊が王都上空へ到達した。兵士たちが歓声を上げる。防壁が揺れるほどの歓声。サフィラも少しだけ笑った。
「間に合ったか」
すると。一頭の銀龍が降下してくる。試練の時に見た龍だった。
『皇の娘』
「来てくれたか」
『約束だからな』
龍が言う。
『王の命令だ』
その言葉に。サフィラは少しだけユルムガンドを思い出した。今頃。あの龍王も戦う準備をしているのだろう。自分の身体を蝕むコアを討つために。その頃。防壁の後方。司令部。アーノルドは地図を見ていた。皇帝もいる。参謀たちもいる。そして。全員が沈黙した。地図の一点を見ている。黒氷の谷。その周辺。異常な数の反応。
「予想以上だな」
皇帝が言う。アーノルドも頷く。
「ああ」
予想以上だった。まるで。世界中のヴォイドが集まっているような数。その時。伝令が飛び込んでくる。
「報告!」
「言え」
「敵先頭集団、防衛線へ接触まで残り十分!」
ついに始まる。アーノルドが静かに目を閉じる。そして。開く。
「開戦だ」
防壁。太陽は地平線へ沈みかけていた。赤く染まった空が少しずつ暗くなっていく。サフィラが剣を抜く。白銀の刃。そこへ蒼い魔力が流れる。首筋へ龍鱗が浮かぶ。黄金の瞳が細くなる。ドラゴンフォース。発動。兵士たちが息を呑む。以前より。明らかに強い。以前より。明らかに頼もしい。そして。サフィラは前を見る。黒い津波。迫るヴォイド。王都。家族。部下。仲間。守るべきもの全てが背後にある。だから。 迷いは無かった。剣を掲げる。
「総員!」
防壁中へ響く声。
「迎撃開始!」
次の瞬間。砲撃が空を裂いた。魔法が放たれる。銃声が響く。龍たちが咆哮する。そして。沈みゆく夕日の中。砲撃が雪原を揺らした。轟音。爆炎。最前列のヴォイドたちが吹き飛ぶ。肉片が舞う。黒い血が雪を染める。だが止まらない。狼型が駆ける。ゴブリンが叫ぶ。オークが突進する。数が多すぎた。
「砲撃継続!」
「撃てぇ!」
兵士たちの怒号が響く。砲弾が降り注ぐ。魔法が炸裂する。それでも黒い波は止まらない。まるで海だ。押し寄せる災害そのものだった。そして。ついに先頭集団が防壁へ到達する。
「接敵!」
「第一梯団迎撃開始!」
銃声が連続する。だが数体が壁を登り始める。
さらにその後ろ。また十体。二十体。三十体。終わりが見えない。
「クソッ!」
若い兵士が叫ぶ。その頭上へ。一体の狼型ヴォイドが飛び掛かった。牙。爪。確実に死ぬ。誰もがそう思った。次の瞬間。蒼い閃光が走る。狼型が真っ二つになった。兵士が呆然とする。その前に。一人の少女が立っていた。水色の髪。黄金の瞳。蒼白い龍鱗。サフィラだった。
「前を向け」
静かな声。
「死ぬには早いぞ」
兵士が慌てて敬礼する。
「は、はい!」
サフィラは振り返らない。前だけを見る。そして。飛び降りた。兵士たちが息を呑む。防壁の高さは二十メートル近い。普通なら自殺行為。だがサフィラは普通ではなかった。地面へ着地。雪が爆ぜる。同時に。数十体のヴォイドが襲い掛かる。狼。ゴブリン。オーク。全方位。逃げ場は無い。
「少佐!」
レオンが叫ぶ。だがサフィラは笑った。久しぶりだった。戦場で心の底から笑うのは。
「ドラゴンフォース」
蒼い魔力が爆発する。吹雪が巻き起こる。地面が凍る。そして剣を振るった。横一閃。轟音。氷の津波が発生した。数十メートル。百メートル近く。雪原そのものが凍り付く。そこにいたヴォイドたちも。まとめて氷像になる。そして砕け散った。防壁の上が静まる。兵士たちが言葉を失う。
「……何だ今の」
「少佐か?」
「本当に少佐か?」
別人だった。以前のサフィラでも強かった。だが今は違う。圧倒的だった。サフィラ自身も驚いていた。身体が軽い。剣が速い。魔力が溢れる。龍の谷で取り込んだ魔力。そして進化したアブソリュートゼロ。周囲の魔力を吸収する。そして攻撃へ転換する。それが今のサフィラだった。
「なるほどな」
自然と笑みが浮かぶ。ユルムガンドが言っていた。使って覚えろ。その意味が分かる。戦えば戦うほど。身体が馴染んでいく。その時だった。空から巨大な影が降下する。銀龍。そしてその後ろから。十数体の氷龍。
『道を開けろ!』
咆哮。次の瞬間。氷のブレスが雪原を薙ぎ払った。何百ものヴォイドが凍り付く。そのまま砕け散る。兵士たちが歓声を上げた。龍たちも戦っている。本当に。共に。
『皇の娘!』
銀龍が叫ぶ。
『左翼が押されている!』
「分かった!」
サフィラが地面を蹴る。爆発的な速度。一瞬で数十メートルを駆け抜ける。その姿に兵士たちが叫ぶ。
「少佐だ!」
「少佐がいるぞ!」
「押し返せ!」
士気が上がる。恐怖が消える。戦場で英雄が持つ意味。その全てが今そこにあった。防壁の上。アカネは静かに戦場を見ていた。サフィラが戦う。龍が戦う。兵士たちが戦う。押している。明らかに押している。だが。
「……まだ」
赤い瞳が遠くを見る。戦場の奥。さらにその向こう。黒い群れの中心。そこにいる。何かが。今までのヴォイドとは違う何かが。そして。その瞬間だった。遠方から咆哮が響く。戦場全体が震える。兵士たちが動きを止める。龍たちも空を見上げる。サフィラが剣を止める。アカネだけが知っていた。その声を。
「来た」
静かな声。そして。黒い群れが左右へ割れる。まるで王を迎えるように。その奥から。巨大な影が姿を現した。オーク。だが今までとは比べ物にならない。防壁に届きそうなほどの巨体。黒い外殻。赤く光る瞳。全身から溢れる黒い霧。そして。胸の中心。鈍く脈打つ赤黒い結晶。アカネの瞳が細くなる。
「……コアじゃない」
違う。だが近い。非常に近い。その巨獣が咆哮を上げる。空気が震える。
そして。ヴォイドたちが一斉に吠えた。まるで王へ応えるように。
第二防衛戦。その本当の戦いが、今始まろうとしていた。
巨獣の腕が雪原へ落ちる。黒い血が噴き出した。兵士たちが歓声を上げる。
「少佐だ!」
「押しているぞ!」
「このまま押し返せ!」
士気が上がる。銃声が激しくなる。龍たちも空を舞う。戦況だけ見れば優勢だった。だがアカネだけは違った。赤い瞳が戦場の奥を見ている。もっと先。もっと遠く。ヴォイドの群れの向こう。そこにある気配を探っていた。
「アカネ?」
サフィラが呼ぶ。アカネは答えない。ただじっと見ている。そして。
「来る」
小さく呟いた。その瞬間だった。黒い群れが割れる。まるで王へ道を譲るように。左右へ。大きく。ゆっくりと。兵士たちの顔色が変わる。何かが来る。本能がそう告げていた。やがて一つの影が現れる。
巨大だった。先程のオークすら子供に見えるほど。黒い外殻。六本の腕。背中から生える無数の棘。頭部には捻じれた角。そして全身から溢れる黒霧。兵士たちが息を呑む。
「何だ……あれは」
誰かが呟く。その声は震えていた。恐怖だった。生物としての格が違う。そう理解してしまったから。
「タンニーン」
アカネが言う。サフィラが見る。
「タンニーン?」
「コアの側近、世界を学習して作る、かなり強い」
その時。さらに群れが割れた。もう一体。翼を持つ飛竜型。さらに巨大な蛇。さらに氷熊にも似た四足獣。戦場が静まり返る。四体。どれも先程の大型種とは比較にならない。明らかに格が違う。
「冗談だろ……」
レオンが呟く。
「冗談じゃない」
アカネが即答した。ミリアも青ざめている。将校たちがこの場にいたら卒倒していたかもしれない。その時。空から咆哮が響く。銀龍が降下してきた。
『あれか』
黄金の瞳がタンニーンを見る。そして。僅かに目を細めた。
『面白い』
龍は笑った。
『ならば我らの獲物だ』
翼が広がる。空気が震える。その背後。十数体の氷龍たちも続く。戦う相手を理解したのだ。兵士たちの相手ではない。自分たちの相手だと。サフィラも剣を握る。ドラゴンフォース。蒼い鱗が浮かぶ。黄金の瞳が細くなる。
「アカネ」
「なに?」
「どれがコアだ」
アカネは首を振る。
「いない」
「まだか?」
「うん」
赤い瞳がさらに奥を見る。吹雪の向こう。黒い嵐の中心。そこに何かがいる。まだ見えない。だが確実に。いる。アカネは静かに刀へ手を置いた。
「本命は」
風が吹く。雪が舞う。戦場の遥か彼方。黒い空の下で。何かがこちらを見ているような気がした。
「まだ後ろ」
その言葉と同時に。四体のタンニーンが咆哮を上げた。その声だけで空気が震えた。兵士たちの顔から血の気が引く。ヴォイドとは違う。大型種とも違う。生物としての格が違う。理解してしまった。だからこそ。誰も前へ出られない。
『左の二体は我らが受け持つ!』
銀龍が吠える。十数体の氷龍が続いた。巨大な翼が広がる。吹雪が巻き起こる。龍たちが空へ舞い上がる。そして。二体のタンニーンへ突撃した。空中で衝突。轟音。まるで天災同士の激突だった。残る二体。六腕の巨鬼。そして巨大な蛇。サフィラが剣を構える。黄金の瞳が細くなる。
「蛇は任せろ」
そう言って前へ出ようとした時だった。
「サフィラ」
アカネが呼ぶ。
「何だ?」
「鬼の方」
サフィラが見る。六本腕のタンニーン。確かに強い。だが。
「そっちが行くのか?」
「うん」
短い返事。そして。アカネが刀へ手を掛ける。
「コアまでの道、開ける」
サフィラは少し笑った。
「なら任せる」
迷いは無い。今さらアカネの実力を疑う理由もなかった。アカネが一歩前へ出る。風が吹く。白髪が揺れる。赤い瞳がタンニーンを見る。巨大な怪物。普通の人間なら恐怖する。だが。アカネの表情は変わらない。
「舞姫」
六振りの剣が現れる。兵士たちが息を呑む。何度見ても異様だった。宙を舞う六本の剣。意思を持つかのように巡る刃。タンニーンが咆哮する。巨体が動く。速い。あの巨体でありながら。大型種とは比較にならない速度だった。六本の腕が振り下ろされる。だがアカネは動かない。いや。動けないのではない。動く必要が無い。舞姫が迎撃した。六振り。同時。火花が散る。衝撃が走る。腕が弾かれる。タンニーンが初めて足を止めた。兵士たちが固まる。
「止めた……」
「今のを?」
「六本全部?」
理解が追い付かない。レオンも黙っていた。ミリアも言葉を失う。アカネは違った。冷静だった。戦場を見る。敵を見る。距離を見る。そして計算する。最短距離。最短時間。最小消耗。いつものことだった。
「ブースト」
小さく呟く。世界が遅くなる。雪が止まる。タンニーンの動きが鈍く見える。違う。自分が速くなったのだ。一歩。踏み込む。消えた。兵士たちにはそう見えた。次の瞬間。アカネはタンニーンの肩にいた。赤い瞳。刀。そして振り下ろされる腕。その中心へ。刃が走る。
「カッペン」
発動は一瞬。本当に一瞬。刀が触れた瞬間だけ。それで十分だった。六本の腕が宙を舞う。黒い血が噴き出す。タンニーンが絶叫した。防壁が震える。空気が揺れる。それでも。アカネは止まらない。
舞姫が飛ぶ。一振り。二振り。三振り。四振り。五振り。六振り。暴風のような連撃。タンニーンの外殻が砕ける。肉が裂ける。巨体がよろめく。だが。倒れない。やはり強い。アカネは理解する。普通なら。世界一つ滅ぼせる怪物。それがタンニーンだ。だから。これでいい。長引かせる意味は無い。コアへ行かなければならない。もっと先へ。もっと奥へ。タンニーンが口を開く。黒い光が集まる。兵士たちが叫ぶ。
「まずい!」
放たれる。黒い奔流。防壁ごと吹き飛ばすつもりの一撃。その瞬間。アカネの姿が消えた。
「ブリンク」
空間が裂ける。黒い裂け目。その中へ滑り込む。次の瞬間。タンニーンの真上。空中。アカネが現れる。兵士たちが息を呑む。舞姫が集まる。六振りの剣。そして刀。合計七本。全ての切っ先が一点へ向く。首。そこだけだった。
「終わり」
静かな声。そして。赤い閃光。次の瞬間。タンニーンの首が落ちた。
巨体が崩れる。雪原が揺れる。轟音。兵士たちが静まり返る。誰も喋れない。強かった。間違いなく強かった。だが。終わった。あまりにもあっさりと。アカネが着地する。少しだけ息を吐く。負担はある。だが問題ない。まだ戦える。そして。赤い瞳が北を見る。吹雪の向こう。黒い群れの中心。そこから。嫌な気配が増えていた。
「……増えた」
アカネが呟く。サフィラが蛇型タンニーンの頭を叩き斬りながら振り返る。
「何がだ」
アカネは答える。
「タンニーン」
その瞬間。戦場の奥。黒い群れが再び割れた。兵士たちの顔が引きつる。
一体。
二体。
三体。
四体。
新たな怪物たちが現れる。まるで。倒された穴を埋めるように。アカネは刀を握り直した。やはりそうだ。コアは戦わない。生み出す。学習する。侵食する。だから厄介なのだ。
「急ごう」
アカネが言う。今度はサフィラも頷いた。
「ああ」
ドラゴンフォースが輝く。黄金の瞳が前を向く。コアを討たなければ終わらない。タンニーンは増え続ける。戦争は終わらない。だから。二人は同時に駆け出した。戦場の最奥。黒い嵐の中心へ向かって。




