第23話 出撃前夜
夜だった。王都全体が慌ただしく動いている。明日。ヴォイドが来る。誰もが理解していた。だからこそ。ヴァルター家の夕食は珍しく全員が揃っていた。
「いただきます」
リリアが元気よく言う。エレナが微笑む。アーノルドはいつも通り無表情。サフィラは少しだけ肩の力を抜いていた。そして。アカネは何となく落ち着かない。こういう時間にまだ慣れていない。
「アカネちゃん」
エレナが声を掛ける。
「はい」
「もっと食べる?」
「食べる」
即答だった。エレナが笑う。サフィラも笑う。リリアは最初から笑っていた。アカネの食欲はもう有名だった。食事が進む。だがやがて静かになる。誰も言わないだけだ。皆分かっている。明日戦いが始まる。リリアがフォークを置く。そして。
「お姉ちゃん」
小さな声。サフィラが顔を上げる。
「何だ」
「絶対帰ってきてね」
静かな言葉だった。サフィラは少し笑う。
「当然だ」
「本当に?」
「本当だ」
「絶対?」
「絶対だ」
リリアが少し安心したように笑う。それでも。不安は消えていない。分かっている。だからサフィラは手を伸ばした。妹の頭を撫でる。
「心配するな」
優しい声だった。軍では絶対に聞けない声。
「私は負けん」
食事が終わる。リリアは先に部屋へ戻った。エレナも席を立つ。だが去り際。サフィラの肩へ手を置いた。
「サフィラ」
「はい」
「無理だけはしないで」
サフィラが少し目を逸らす。
「善処します」
エレナがじっと見る。
「それ軍人が言う時は無理する時よね?」
「……」
沈黙。図星だった。エレナがため息を吐く。そして。優しく笑う。
「ちゃんと帰ってきなさい」
「はい」
今度は真面目に頷いた。それを見て。エレナは満足そうに去っていった。
深夜。ヴァルター家の書斎。明かりが一つだけ灯っていた。サフィラが扉を開く。中にはアーノルドがいた。書類の山。酒の入ったグラス。そして疲れた顔。
「父上」
「お前か」
アーノルドが顔を上げる。少しだけ目の下に隈が見えた。
「眠れないんですか」
「お前もだろう」
サフィラが苦笑する。否定できない。数秒。沈黙が流れる。親子らしい会話は得意ではない。昔からそうだった。そして。アーノルドが口を開く。
「サフィラ」
「はい」
「私は将軍だ」
静かな声。
「だからお前へ撤退命令を出すこともある」
サフィラは黙る。
「その時は従え」
「……」
「返事は」
サフィラは少しだけ迷う。そして。
「善処します」
アーノルドが額を押さえた。親子だった。書斎を出た後。サフィラは廊下を歩く。静かな夜。やがて。一つの扉の前で止まった。アカネの部屋だった。ノックする。コンコン。
「入ってる」
中から声。サフィラが固まる。
「入っていいのかそれは」
「たぶん」
意味が分からない。だが。扉を開ける。アカネは窓際に座っていた。月明かりが白い髪を照らしている。赤い花飾りはまだ付いていた。
「まだ付けてるのか」
「忘れてた」
そう言いながらも外さない。サフィラは少し笑った。そして。ベッドへ腰掛ける。しばらく沈黙。静かな時間。やがて。サフィラが口を開く。
「アカネ」
「何」
「お前は怖くないのか」
アカネが考える。少し長く。珍しく。本当に考えていた。そして。
「怖い」
静かな声。サフィラが顔を上げる。意外だった。
「お前でもか」
「うん」
アカネは窓の外を見る。
「死ぬのは怖い」
「失うのも怖い」
月明かりが赤い瞳へ映る。
「昔」
小さく呟く。
「大事な人たちがいた」
サフィラは黙る。聞く。それだけ。
「妹たち」
「蓮」
その名前だけは知っていた。写真で見た。アカネが大切にしている人。
「皆いなくなった」
静かな声だった。悲しそうでもない。泣いてもいない。ただ。事実を話している。それが逆に重かった。
「だから」
アカネは続ける。
「もうあんまり失いたくない」
サフィラが目を閉じる。理解した。少しだけ。この旅の重さを。この少女が背負っているものを。完全には分からない。分かれるはずもない。それでも。少しだけ。理解した。そして。
「アカネ」
「何」
「明日死ぬなよ」
アカネがこちらを見る。少しだけ不思議そうに。そして。
「サフィラも」
短い返事。
サフィラは笑った。
「当たり前だ」
「うん」
アカネも頷く。それだけだった。約束でも。誓いでもない。ただの言葉。けれど。二人にはそれで十分だった。窓の外。夜空には星が輝いている。明日戦いが始まる。王都を懸けた戦い。龍と人の総力戦。そして。コアとの決戦が。
静かに近付いていた。




