第21話 古い話
休暇二日目。サフィラはようやく暇というものに慣れ始めていた。朝食。散歩。昼食。読書。昼寝。そして。
「こんな生活をしていていいのだろうか……」
庭の東屋で本気で悩んでいた。
「いいと思う」
向かいに座るアカネが言う。紅茶を飲んでいる。最近覚えた。エレナに勧められたからだ。
「お前はいいかもしれないが私は軍人だぞ」
「休暇」
「それはそうだが……」
サフィラが頭を抱える。すると。空から影が落ちた。二人が顔を上げる。巨大な翼。白銀の鱗。龍だった。
「来た」
アカネが言う。龍は庭へ着地する。屋敷の使用人たちが悲鳴を上げる。リリアは喜んでいる。エレナは驚いている。アーノルドは頭を抱えていた。何故なら。
『サフィラ』
龍が呼ぶ。
『王が呼んでいる』
「……はい?」
サフィラが固まった。
◇
一時間後。氷雪山脈。龍の谷。龍の背にのせてもらいサフィラは再びここへ来ていた。
「お呼びだと」
『うむ』
ユルムガンドが頷く。相変わらず大きい。本当に大きい。そして。
「何かありましたか?」
サフィラが聞く。決戦の予定はまだ先だ。コアも動いていない。だから不思議だった。ユルムガンドは少し考える。そして。
『少し話し相手が欲しくてな』
サフィラが瞬きをする。
「……話し相手ですか?」
『うむ』
龍王は当然のように頷いた。
『決戦前だ』
『谷も落ち着いている』
『たまには良かろう』
周囲の龍たちも特に驚いていない。どうやら珍しいことではないらしい。
「王よ」
『なんだ』
「私は休暇中です」
『知っている』
「なら休ませてください」
『断る』
即答だった。サフィラが頭を抱える。アカネは少し面白そうだった。
◇
結局。三人で話していた。正確には。一人と一人と一頭だが。
「そういえば」
サフィラが聞く。
「前から気になっていたんですが」
『うむ』
「初代皇帝と何があったんですか?」
ユルムガンドが止まる。黄金の瞳が細くなる。
『何故聞く』
「気になります」
『気にするな』
「気になります」
『そうか』
数秒の沈黙。そして。
『喧嘩友達だ』
「は?」
サフィラが固まる。
『喧嘩友達だ』
ユルムガンドは繰り返した。
「盟約ではなく?」
『そんなもの無い』
「王国史には――」
『盛ったな』
即答だった。アカネが紅茶を飲む。慣れてきた。サフィラは慣れない。
『ただの友人だ』
ユルムガンドが言う。
『よく喧嘩した』
『よく酒を飲んだ』
『よく殴った』
「殴ったんですか」
『うむ』
当然のように答える。
『あいつも殴ってきた』
「皇帝ですよね?」
『そうだ』
サフィラが頭を抱える。歴史が崩れていく。
『弱かったぞ』
ユルムガンドが懐かしそうに言う。
『最初はな』
アカネが顔を上げる。少し興味があるらしい。
『お前より弱かった』
サフィラが固まる。
「本当に?」
『本当だ』
ユルムガンドが笑う。
『何度吹き飛ばしても戻ってきた』
『何度叩き潰しても立ち上がった』
『実に鬱陶しい男だった』
だが。その声は楽しそうだった。
『ある日気付けば』
『余の爪を受け止めていた』
『ある日気付けば』
『余の鱗を斬っていた』
『ある日気付けば』
『余と互角に殴り合っていた』
サフィラが黙る。何となく分かる。アブソリュートゼロ。あの能力なら。時間さえあれば。
『馬鹿だった』
ユルムガンドが言う。
『だが嫌いではなかった』
風が吹く。少しだけ。龍王が遠くを見た。
『死ぬ前にな』
『頼まれた』
サフィラが息を呑む。
『子孫が困っていたら助けてやってくれ』
静かな声。
『だから助けている』
それだけだった。本当に。それだけだった。サフィラは思わず笑った。
「それで数百年ですか」
『うむ』
「律儀ですね」
『余は約束を守る』
当然のように言う。
アカネが頷いた。
「良い龍」
『そうだろう』
ユルムガンドが満足そうに言う。サフィラは笑った。そして。少しだけ思う。なるほど。確かに。この龍王なら。そんなことを。考えていた。だから。誰も気付かなかった。遠く。
北の空。黒い雲が少しだけ濃くなっていたことに。
決戦まで。
あと二日。




