第20話 帰還
龍の谷を出発して二日。サフィラとアカネは王都へ帰還した。正確には。帰還した瞬間から騒ぎになった。
「少佐だ!」
「サフィラ少佐が帰ってきたぞ!」
城門の兵士が叫ぶ。周囲がざわつく。当然だった。龍の領域へ入った人間はほとんど帰ってこない。まして試練など前例が無い。そして。サフィラの身体にはまだ蒼白い鱗が残っていた。
「まさか……」
「成功したのか……?」
兵士たちが息を呑む。サフィラは苦笑した。
「そんな顔をするな」
「死んでいないだけだ」
すると隣から。
「死にかけてた」
アカネが余計なことを言った。
「お前は黙ってろ」
「事実」
「事実でも黙ってろ」
兵士たちが笑う。久しぶりだった。防衛戦が始まってから。こんな空気は。
◇
その日の午後。軍本部。作戦会議室。王国軍の上層部が集められていた。
アーノルド・ヴァルター。
白髪混じりの髪を持つ壮年の将軍。サフィラの父でもある。その隣にはレオン。ミリア。その他の将校たち。そして。皇帝までもが出席していた。重い空気。皆が待っている。やがて扉が開く。サフィラが入室した。
「サフィラ・フォン・ヴァルター」
背筋を伸ばす。
「帰還いたしました」
アーノルドの顔が少しだけ緩む。本当に少しだけ。軍人の顔ではなく。父親の顔だった。
「ご苦労だった、報告を聞こう」
サフィラは頷く。そして。全てを話した。龍の谷。試練。ユルムガンド。コア。黒氷の谷。そして。
「氷龍王ユルムガンドは我々へ協力を約束してくださいました」
会議室が静まる。一秒。二秒。三秒。
「待て」
将校の一人が立ち上がった。
「今何と言った」
「龍が参戦します」
沈黙。
「龍が?」
「はい」
「龍が?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
将校が座った。頭を抱えた。他の将校も似たような顔だった。無理もない。人類史上初だからだ。
「……冗談ではなく?」
別の将校が聞く。
「冗談を言うように見えますか?」
サフィラが聞き返す。
「見えんな」
「なら本当です」
会議室がざわつく。レオンは笑いを堪えていた。ミリアは頭痛そうな顔をしている。皇帝は黙ったままだ。そして。アーノルドが聞く。
「何体だ」
「二百」
全員が固まった。
「……何体だ?」
「二百です」
再確認された。
だが答えは変わらない。
二百。
龍。
それだけで戦略兵器だった。
会議室が爆発した。
「多すぎる!」
「何をどうしたらそんな話になるんだ!」
「龍王は正気なのか!?」
「むしろ我々が正気じゃない!」
怒号。困惑。混乱。サフィラは少しだけ笑った。自分も最初は同じだったからだ。その時だった。皇帝が口を開く。
「静まれ」
一言。全員が黙る。皇帝はサフィラを見る。
「試練はどうだった」
サフィラは少しだけ考える。そして。
「死ぬほど辛かったです」
正直に答えた。会議室の空気が少し緩む。皇帝は笑った。
「そうか」
そして。静かに頷く。
「なら良い」
それだけだった。だが。サフィラには十分だった。認められたのだと分かったから。
◇
会議終了後。廊下。サフィラが歩いていると。
「お姉ちゃん!」
金髪の少女が飛び付いてきた。リリアだった。勢いよく抱き付く。
「おっと」
サフィラが受け止める。
「心配したんだから!」
「すまない」
「本当に!?」
「本当にだ」
リリアは涙目だった。そして。少し遅れて。
「おかえりなさい」
エレナが現れる。栗色の髪を揺らしながら。優しく微笑む。サフィラも笑った。自然に。力を抜いて。
「ただいま」
その瞬間だった。
「サフィラ」
後ろから声。振り向く。アーノルドだった。
「父上?」
将軍は腕を組む、そして。真顔で言った。
「お前は休め」
サフィラが固まる。
「は?」
「休暇だ」
「ですが――」
「休暇だ」
「軍務が――」
「休暇だ」
三回目だった。有無を言わせない声だった。レオンも後ろで頷いている、ミリアも頷いている。皇帝まで頷いていた。
「異議は認めん」
アーノルドが言う。
「お前は十分働いた、今は休め」
サフィラは反論しようとして。そして諦めた。確かに。少しだけ。疲れていたからだ。そんな様子を見ていたアカネがぽつりと言う。
「良かったね」
「何がだ」
「やっと休める」
サフィラは苦笑した。そして。久しぶりに肩の力を抜いた。
翌朝。サフィラは目を覚ました。そして。
「暇だ……」
ベッドの上で呟いた。本当に暇だった。軍務禁止。訓練禁止。報告書禁止。外出は自由。だが仕事は禁止。アーノルド直々の命令だった。軍本部へ行こうとしたら門前払いされた。レオンがいた。笑顔だった。腹が立った。
「少佐」
「何だ」
「休暇です」
「知っている」
「帰ってください」
帰された。理不尽だった。そして今。自室で暇を持て余している。その時。コンコン。扉が鳴る。
「入れ」
扉が開いた。リリアだった。金髪を揺らしながら元気よく入ってくる。
「お姉ちゃん!」
「何だ」
「遊ぼう!」
サフィラは頭を抱えた。
「私は子供ではない」
「知ってる!」
「なら何故誘う」
「暇そうだから!」
図星だった。サフィラは黙る。リリアは勝ち誇った顔をする。腹が立つ。
◇
結局。二人は屋敷の庭へ来ていた。そこにはアカネもいる。理由は簡単。リリアが連れてきた。
「アカネさんも暇だよね!」
「うん」
「ほら!」
ほらじゃない。サフィラはため息を吐いた。すると。アカネが庭を見回す。
「広い」
「まあな」
ヴァルター家は名門貴族だ。屋敷も大きい。庭も広い。噴水。花壇。東屋。普通の家ではない。アカネは花壇を眺める。
「綺麗」
ぽつりと言う。サフィラは少し驚いた。アカネが景色へ感想を言うのは珍しい。
「好きなのか?」
「花?」
「うん」
アカネは少し考える。そして。
「分からない」
そう答えた。
「見たことあまり無いから」
サフィラの表情が変わる。リリアも黙る。アカネは気付いていない。自分が何を言ったのか。
「そうか」
サフィラはそれ以上聞かなかった。聞くべきではない気がした。
◇
昼。屋敷の食堂。長いテーブル。そこへ全員が集まっていた。アーノルド。エレナ。リリア。サフィラ。そしてアカネ。家族の食卓だった。
「アカネちゃん」
エレナが微笑む。
「はい」
「好き嫌いはある?」
「ない」
「偉いわね」
頭を撫でられる。アカネが固まる。エレナは気付かない。普通に撫でる。リリアも撫でる。
「髪さらさらだね」
「ん」
アカネが固まる。サフィラが見ている。少し面白い。戦場では平然としているのに。こういうのには弱いらしい。
「アカネ」
「何」
「固まっているぞ」
「そう?」
「そうだ」
エレナが笑う。優しい笑顔だった。
「ごめんなさいね」
「嫌だった?」
アカネは首を振る。
「嫌じゃない」
少し考える。そして。
「慣れてないだけ」
エレナの目が少し柔らかくなる。何も聞かない。ただ。また優しく頭を撫でた。アカネは抵抗しなかった。
◇
その日の夜。屋敷の屋根。サフィラが座っていた。夜空を見上げる。星が綺麗だった。
「いた」
後ろから声。アカネだった。
「何してる」
「考え事だ」
アカネも隣へ座る。少し沈黙。風が吹く。そして。
「楽しい?」
アカネが聞いた。サフィラは少し笑う。
「何がだ」
「家族」
その質問に。サフィラは空を見上げた。
「そうだな」
少し考える。そして。
「帰る場所があるというのは良いものだ」
静かな声だった。アカネは黙る。その言葉を考える。帰る場所。自分には無いもの。もう無いもの。そんなアカネを見て。サフィラは少しだけ迷った。そして。口を開く。
「アカネ」
「何?」
「戦いが終わったら」
言葉を続ける。
「またここへ来い」
アカネが首を傾げる。
「いいの?」
「ああ」
サフィラは笑う。軍人の顔ではなく。一人の少女として。
「ヴァルター家は客人を歓迎する」
アカネはしばらく考えた。本当にしばらく。そして。
「うん」
小さく頷いた。それだけだった。だが。サフィラは何故か少し嬉しかった。
決戦まで。あと三日だった。




