第17話 絶零解放
吹雪が荒れる。氷雪山脈の中心。龍王の谷。サフィラは剣を握る。身体の中を魔力が奔流のように駆け巡っていた。今まで感じたことのない感覚。重い。強い。そして制御が難しい。
『流されるな』
ユルムガンドの声。
『支配しろ』
サフィラは歯を食いしばる。身体へ流れ込む膨大な魔力。今までは回復へ使っていた。身体強化へ使っていた。それだけ。だが今は違う。全部。全部を剣へ流し込む。白銀の刀身が蒼く輝く。周囲の雪が浮き上がる。空気が軋む。谷の龍たちがざわめいた。
『ほう』
『初めてにしては悪くない』
『人間にしてはな』
サフィラは聞いていない。集中している。少しでも気を抜けば暴走しそうだった。
「はぁ……っ」
息を吐く。視線を上げる。ユルムガンドは動かない。待っている。試している。ならば。応えるだけだ。サフィラが地面を蹴る。雪が爆ぜる。今までより速い。だが。ユルムガンドから見ればまだ遅い。龍王の瞳が細くなる。
『来い』
その一言。サフィラは剣を振り抜いた。
「っ!」
蒼い斬撃。凍気の奔流。雪原を裂きながら龍王へ迫る。そして。ユルムガンドの前脚へ命中した。轟音。氷が砕ける。吹雪が舞う。谷が静まり返る。そして。
『……』
ユルムガンドが足を見下ろす。鱗。その表面に。一本。細い線が入っていた。本当に僅か。紙より薄い傷。人間なら気付かない。だが。龍たちは気付いた。静寂。次の瞬間。
『傷だ』
誰かが呟く。
『傷だぞ』
『ユルムガンド様の鱗に』
『人間が』
谷が騒然となる。若い龍たちが目を見開く。サフィラ自身も信じられなかった。本当に傷付いた。本当に。ほんの少しだけ。だが。確かに。ユルムガンドが笑った。大きく。本当に楽しそうに。
『見たか』
龍王の声が響く。
『これだ、これが成長だ』
巨大な翼が広がる。吹雪が舞う。
『昨日まで出来なかったことが出来る』
『余はそれが好きだ』
サフィラが息を吐く。身体が震えている。疲労。興奮。達成感。全部混ざっていた。そして。
「サフィラ」
声がした。アカネだった。岩の上。いつもの場所。いつもの無表情。
「ん?」
「おめでとう」
サフィラが固まる。予想外だった。
「……ありがとう」
少し照れ臭い。アカネは頷く。
「頑張った」
短い言葉。それだけ。だが。何故だろう。ユルムガンドに褒められるより。少しだけ嬉しかった。その様子を見ていた龍王が鼻を鳴らす。
『なるほど』
黄金の瞳が細められる。
『そういうことか』
「何がですか?」
サフィラが聞く。ユルムガンドは答えない。代わりに笑う。面白そうに。実に楽しそうに。
『いや、若いなと思っただけだ』
「?」
意味が分からない。アカネも分かっていない。だが。近くで見ていた年長の龍たちは何となく察したらしい。苦笑していた。そしてユルムガンドが再び立ち上がる。
『さて』
その一言で空気が変わる。試練は終わっていない。
『ようやく第一段階だ』
サフィラが固まる。
「第一……?」
『うむ』
龍王が頷く。
『傷を付けた、だから何だ』
聞き覚えのある台詞だった。数日前。アブソリュートゼロを見せた時と同じ。
『まだ足りぬ』
『まだ弱い』
『まだ届かぬ』
ユルムガンドが前へ出る。山が動く。そんな錯覚を覚える。
『だから続けるぞ』
黄金の瞳が輝く。
『次は』
巨大な口元が吊り上がる。
『余へ攻撃を当てることを許そう』
サフィラの顔色が変わる。今までは。そもそも届かなかった。当てられなかった。だが。それを許すということは。
『避けぬ』
『受けてやる』
『その代わり』
龍王が笑う。
『今度は余も反撃する』
谷中の龍たちが笑い始める。サフィラだけが嫌な予感を覚えていた。そして。少し離れた場所で。アカネがぽつりと呟く。
「ご愁傷様」
「お前どっちの味方だ!」
龍たちの笑い声が谷に響き渡った。
嫌な予感は当たる。昔からそうだった。そして今回も例外ではない。
『来い』
ユルムガンドが言う。それだけ。だが。サフィラは動けなかった。何故なら。龍王が初めて戦う姿勢を取ったからだ。今までは違う。立っているだけだった。そこに居るだけだった。だが今は。巨大な四肢が地面を掴み。翼が僅かに広がり。黄金の瞳が獲物を捉えている。本能が告げる。危険だと。今までとは違うと。
『どうした』
ユルムガンドが笑う。
『来ないのか』
サフィラは息を吐く。そして。地面を蹴った。走る。加速。絶零解放。蒼い魔力が剣へ集まる。
今までで最速。今までで最高の一撃。
「はあああああっ!!」
斬る。そして。ユルムガンドが動いた。前脚。それだけ。ただ軽く払っただけだった。轟音。サフィラの斬撃が消し飛ぶ。
「なっ――」
次の瞬間。視界が回転した。何が起きたか分からない。気付けば空を飛んでいる。谷を越え。岩山を越え。雪原を転がる。ようやく止まった。数百メートル先。いや。もっとかもしれない。
「げほっ……!」
血を吐く。全身が痛い。何本骨が折れたかも分からない。遠くで龍たちが笑っていた。
『吹き飛んだぞ』
『よく飛ぶな』
『人間は面白い』
面白くない。全然面白くない。
「アブソリュートゼロ……!」
蒼い光。傷が塞がる。骨が繋がる。呼吸が戻る。だが立ち上がったサフィラへ。ユルムガンドが言う。
『今の何が悪かった』
「……速さ?」
『違う』
「力?」
『違う』
ユルムガンドが首を振る。巨大な翼が揺れる。
『お前、余を人間だと思っている』
サフィラが固まる。
『剣士だと思っている』
『魔法使いだと思っている』
『違う』
黄金の瞳が細められる。
『余は龍だ』
その瞬間。 ユルムガンドが空へ飛んだ。轟音。谷全体が揺れる。巨大な身体が宙を舞う。まるで空飛ぶ城だった。龍たちが見上げる。アカネも見上げる。サフィラも見上げる。
『龍はこう戦う』
次の瞬間。世界が白く染まった。
「――――!」
咆哮。否。ブレスだった。凍結の吐息。吹雪そのもの。氷河そのもの。山脈そのもの。そんな暴力。雪原が消える。岩山が凍る。谷の一部が姿を変える。ただの一撃。それだけだった。サフィラは言葉を失う。
『爪も使う』
『牙も使う』
『翼も使う』
『尾も使う』
『魔法も使う』
ユルムガンドが降りてくる。巨大な身体。圧倒的な存在感。
『全てを使う、それが龍だ』
サフィラは理解した。今までの自分は。剣士として戦っていた。剣。魔法。その二つ。だが龍は違う。全身が武器。全てが攻撃。だから強い。
『お前も似たようなものだ』
ユルムガンドが言う。
「何?」
『アブソリュートゼロだ』
サフィラが顔を上げる。
『回復、強化、吸収、放出』
『まだあるだろう』
サフィラが考える。まだある。確かに。気付いていないだけで。もっと。何か。
『考えろ』
ユルムガンドが言う。
『お前の能力だ』
『余が教えるものではない』
そこで、アカネが手を挙げた。
「質問」
『なんだ旅人』
「サフィラはドラゴンになるの?」
沈黙。谷が静まり返る。サフィラが固まる。龍たちも固まる。数秒後。
『ならん』
ユルムガンドが即答した。
『残念』
「残念なのか……」
サフィラが呟く。
『だが』
ユルムガンドが笑う。
『近しい力は得るだろう』
空気が変わる。龍たちも真面目な顔になる。サフィラが息を呑む。
『そろそろだ』
黄金の瞳が細められる。
『試練の終わりが近い』
その言葉に。サフィラの心臓が大きく鳴った。もうすぐ。もうすぐ届く。ユルムガンドが認めてくれる場所へ。その一方で。アカネは静かに龍王を見ていた。そして。ふと気付く。ユルムガンドの様子がおかしい。ほんの僅か。本当に僅かだが。疲れている。そんな気がした。それは。他の誰も気付いていない異変だった。




