第16話 その力の意味
試練は続いた。一日。二日。三日。サフィラはひたすら叩き潰されていた。本当にそれだけだった。剣は届かない。魔法も通らない。速度も足りない。力も足りない。経験すら届かない。ユルムガンドはまるで壁だった。いや。壁という表現すら生ぬるい。大陸そのものと戦っているような感覚だった。
「はぁ……っ!」
氷の斬撃。吹雪。氷槍。全てが放たれる。そして。全てが意味を成さない。
『遅い』
尾が振られる。轟音。サフィラが吹き飛ぶ。岩壁へ叩き付けられる。骨が折れる。血が流れる。それでも。
「アブソリュートゼロ」
蒼い光。凍結。再生。傷が消える。立ち上がる。また戦う。そして。また吹き飛ぶ。その繰り返しだった。谷の龍たちは最初こそ面白がっていた。だが。三日目になる頃には空気が変わり始める。
『また立ったぞ』
『本当に人間か?』
『しぶとい』
『面倒な奴だな』
若い龍たちが呟く。尊敬ではない。まだそこまではいかない。だが。最初の見下した空気は消え始めていた。そして。その様子を見ている者がもう一人。アカネだった。
「……」
大きな岩の上。いつもの無表情。いつもの姿勢。ただ見ている。三日間。本当にずっと見ていた。若い龍が一頭。隣へ降りてくる。銀色の鱗を持つ龍だった。
『お前』
アカネが顔を向ける。
『暇なのか』
「たぶん」
龍が少し黙る。
『変な奴だな』
「よく言われる」
『三日も見ていて飽きんのか』
アカネは谷を見る。ボロボロになりながら立ち上がるサフィラ。また殴られる。また吹き飛ぶ。また立つ。その繰り返し。
「飽きない」
短い返事。龍が少し意外そうな顔をした。
『何故だ』
アカネは考える。そして。
「頑張ってるから」
銀龍が固まった。
『……それだけか?』
「うん」
それだけだった。アカネらしい。だが。銀龍は少し考える。なるほど。だから見ているのか。強さではない。頑張っているから。それは龍には無い価値観だった。
『変な奴だ』
「そう?」
『そうだ』
アカネは納得していない顔だった。
◇
四日目。
サフィラは再び吹き飛んだ。谷を転がる。立ち上がる。剣を握る。足が震えている。身体も重い。
アブソリュートゼロで傷は治る。だが。疲労は消えない。精神も回復しない。だから。限界は近い。
『終わりか?』
ユルムガンドが問う。サフィラは息を吐く。
「まだだ」
『そうか』
龍王が鼻を鳴らす。
『なら来い』
サフィラが笑う。本当に楽しそうだった。最初の恐怖はもう無い。あるのは悔しさ。そして。もっと先へ行きたいという想い。地面を蹴る。走る。斬る。届かない。それでも。前より少しだけ速い。前より少しだけ鋭い。ユルムガンドの目が細くなる。
『ほう』
初めてだった。龍王が。少しだけ感心したのは。その時だった。遠くで見ていたアカネが。小さく呟く。
「速くなった」
銀龍が顔を向ける。
『分かるのか?』
「うん」
即答だった。
「最初より速い」
『誤差だぞ』
「でも速い」
アカネは断言する。銀龍は黙る。そして谷を見る。確かに本当に僅かだが。速くなっている。普通なら気付かない。だが。アカネには見えているらしい。その時。ユルムガンドが笑った。
『聞こえたぞ旅人』
龍王の声。アカネが顔を上げる。
『お前もそう思うか』
「うん」
『ならまだ終わらん』
龍王が立ち上がる。巨大な翼が広がる。吹雪が巻き起こる。
『皇の娘よ』
黄金の瞳がサフィラを見下ろす。
『お前はまだ強くなる』
サフィラが息を呑む。初めてだった。ユルムガンドが明確に認めたのは。
『故に』
龍王の口元が吊り上がる。
『今日から少し本気を出してやろう』
谷が静まり返る。龍たちが固まる。サフィラも固まる。そして。アカネだけが首を傾げた。
「今まで本気じゃなかったの?」
龍たちが一斉に笑い出した。ユルムガンドも笑う。サフィラだけが頭を抱えていた。どうやら。地獄はこれかららしい。
地獄だった。本当に。心の底から。地獄だった。ユルムガンドは嘘を言っていなかった。本気ではなかった。今までの四日間は。本当に準備運動だったのだ。
「ぐっ……!」
サフィラが吹き飛ぶ。雪原を転がる。立ち上がる。剣を構える。その瞬間。視界からユルムガンドが消えた。
「なっ――」
横。気付いた時には遅い。巨大な前脚が迫る。轟音。衝撃。サフィラの身体が弾き飛ばされる。骨が折れる。内臓が潰れる。血が噴き出す。
「アブソリュートゼロ!」
蒼い光。雪原に散った魔力が身体へ流れ込む。傷が塞がる。骨が繋がる。立ち上がる。だが。ユルムガンドは首を振った。
『違う』
低い声。サフィラが顔を上げる。
「何がですか」
『お前』
黄金の瞳が細くなる。
『何故回復しかしない』
サフィラが固まる。
『取り込んでいるのだろう』
『その膨大な魔力を』
言われて気付く。確かに。魔力は身体へ流れ込んでいる。今も。この瞬間も。雪。氷。空気。全てから。
『ならば使え』
ユルムガンドが言う。
『何故溜め込む』
『何故流す』
『何故放たない』
サフィラの目が開く。考えたことも無かった。回復するための力。そう思っていた。ずっと。
『愚か者』
龍王が鼻を鳴らす。吹雪が舞う。
『それほどの器を持ちながら』
『何故半分しか使わぬ』
サフィラが息を呑む。その時だった。遠くから声がする。
「確かに」
アカネだった。岩の上。相変わらず見学している。
「もったいない」
「お前どっちの味方だ!」
思わず叫ぶ。龍たちが笑う。アカネは首を傾げる。
「サフィラ」
「何だ!」
「氷いっぱいある」
「見れば分かる!」
「使えばいい」
「だからどうやってだ!」
アカネは少し考える。そして。
「気合」
サフィラが頭を抱えた。参考にならない。全く参考にならない。龍たちは爆笑している。ユルムガンドまで笑っていた。
『本当に面白い娘だ』
そして。龍王の瞳が再びサフィラへ向く。
『もう一度だ』
巨大な翼が広がる。
『今度は回復するな』
「は?」
『全てを攻撃へ回せ』
サフィラが固まる。正気か。そう思った。だが。ユルムガンドは本気だった。
『死なん、余が保証する』
「それが一番信用できないんですが」
『そうか、なら諦めろ』
「諦めません!」
即答だった。ユルムガンドが笑う。そして。再び戦いが始まる。吹雪が荒れる。氷が舞う。サフィラが剣を握る。身体へ流れ込む魔力。今まで回復へ回していた力。その全てを。今度は剣へ流し込む。剣が凍る。空気が凍る。雪原が軋む。ユルムガンドの瞳が細くなる。
『そうだ』
初めてだった。龍王が。ほんの少しだけ期待したのは。そして。その瞬間。サフィラの周囲に集まった氷雪の魔力が蒼く輝いた。後に。龍たちからこう呼ばれることになる。
――絶零解放。
アブソリュートゼロの真の姿だと。




