街を知る仕事
「まずは、この街をちゃんと知ろう。」
そうつぶやいて歩き出したものの、何から始めればいいのかは、まだよくわかっていなかった。
「街を知るって言っても、ただ歩くだけでいいのかな。」
地図を見ながらつぶやく。
すると、視界の端に小さな表示が浮かんだ。
『《道しるべ》が反応しました』
『未記録の通りがあります』
地図の端に、薄い光がともる。
どうやら、近くにまだ記録していない道があるらしい。
ハクトが顔を上げると、市場通りから少し外れたところに、細い坂道が見えた。
人通りは少く、プレイヤーの姿もほとんどない。
道の先には、赤い屋根の家が段々に並んでいる。
「こっちか。」
ハクトは地図を丸め、坂道へ向かった。
坂は思ったよりも長かった。
両側には家が並び、窓辺には花の鉢が置かれている。
壁には蔦が這い、石段の隙間には小さな草が生えていた。
ところどころに水路があり、細い水の流れが坂に沿って下っている。
歩くたびに、水の音が少しずつ変わった。
広場の噴水とは違う。
街の中を通る、生活の音だった。
坂の途中で、腰の曲がった老人が木箱を持ち上げようとしていた。
箱はそれほど大きくないが、中身が詰まっているらしく、老人は何度か持ち直している。
ハクトは足を止めた。
「手伝いましょうか?」
老人が顔を上げた。
「おや、旅人さんかい?」
「はい、重そうだったので。」
「悪いねえ。腰が少し痛くてね。そこの家の前まででいいんだ。」
老人が指さしたのは、坂の少し上にある家だった。
距離は短い。
ハクトはうなずき、木箱の片側を持った。
「じゃあ、持ちます。」
「助かるよ。」
木箱は思ったよりも重かった。
戦闘では役に立たなかった腕力でも、これくらいなら何とかなる。
ハクトは老人の歩幅に合わせて、ゆっくり坂を上がった。
家の前まで運ぶと、老人はほっと息をついた。
「ありがとうよ。旅人さん。」
「いえ。これ、何が入ってるんですか?」
「瓶だよ。水路沿いの店に持っていく予定だったんだが、今日はちょっと無理そうでね。」
「水路沿いの店?」
「水車亭の裏に小さな橋があるだろう。あそこを渡って、青い扉の店だよ。」
ハクトは地図を取り出した。
水車の看板は記録されている。
だが、その裏の橋まではまだ描かれていない。
「青い扉の店、ですか。」
「そうそう。雑貨と瓶を扱っている店でね。昔は南門に向かう人がよく寄っていたんだが。」
南門。
その言葉に、ハクトは少し反応した。
「南門に向かう人、ですか?」
「昔の話さ。今は閉まってるからね。」
老人は少し寂しそうに笑った。
ハクトの視界に表示が浮かぶ。
『記録候補を確認しました』
『場所候補:青い扉の店』
『噂:閉ざされた南門が更新されました』
「……更新。」
思わず小さくつぶやく。
「どうかしたかい?」
「いえ。南門って、どのあたりにあるんですか?」
老人は坂の下ではなく、さらに奥の道を指さした。
「この坂を上がって、古い鐘楼が見えたら右だよ。けれど、行っても門は閉まっているよ。」
「ありがとうございます。」
「旅人さんは、南門に用があるのかい?」
「まだわかりません。ただ、気になって。」
老人は不思議そうにハクトを見たあと、目を細めた。
その視線は、ハクトの手元の白紙の地図と、腰に下がった小さな方位針で止まった。
「その地図と方位針。もしかして、あんたは案内人かい?」
「わかるんですか?」
「昔の案内人も、よく似たものを持っていたからね。」
ハクトは少し驚いた。
「案内人を知っているんですか?」
「昔は、街道ごとにいたものだよ。荷馬車を案内したり、旅人に安全な道を教えたりね。最近は、めっきり聞かなくなったが。」
ハクトの胸の奥で、何かが小さく鳴った気がした。
この職業は、ゲームの中でただ用意された珍しい職業ではない。
この街の人たちの記憶の中にも、ちゃんと存在している。
「案内人って、そういう仕事なんですね。」
「道を知るだけじゃない。道を使う人を知る仕事さ。」
老人の言葉が、地図の上に落ちるように残った。
ハクトは軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。覚えておきます。」
「ああ。旅人さん、名前は?」
「ハクトです。」
「私はロアンだ。困ったらまた声をかけておくれ。」
『ロアンを記録しました』
『リーヴェル坂道区の一部が地図に記録されました』
地図に、坂道とロアンの家が描き足される。
ハクトは地図を見つめた。
名前が増える、道が増える。
ただ歩いているだけではない。
少しずつ、この街とつながっている気がした。
ロアンに礼を言って、ハクトは坂道の先へ進んだ。
やがて、古い鐘楼が見えてきた。
石造りの小さな塔で、屋根だけが赤く塗られている。
鐘は鳴っていない。
だが、塔の下には小さな掲示板があり、何枚かの紙が貼られていた。
『リーヴェル町内掲示板』
ハクトは近づいて、貼り紙を読んだ。
『荷運びの手伝い募集』
『水路清掃のお知らせ』
『迷い猫を探しています』
『南門付近への立ち入りは推奨されません』
最後の貼り紙だけ、少し古びていた。
端が破れ、文字も少しかすれている。
けれど、南門という文字は読める。
ハクトがその貼り紙に触れようとした時、後ろから声がした。
「お、君も掲示板を見るタイプ?」
ハクトが振り返ると、そこに1人の少女が立っていた。
年齢はハクトと同じくらいに見える。
茶色の髪を肩のあたりで軽く結んでいて、やわらかそうな革の上着を着ている。
背中には大きめの鞄。
腰には武器らしい武器がなく、小さな短剣だけが下がっていた。
少女は、少年のようにも見える人懐っこい笑みを浮かべている。
「見るタイプ、ですか?」
「いや、初日のプレイヤーって、だいたい掲示板を読まずにギルドか狩場に走るからさ。じっくり読む人は珍しいなと思って。」
「あなたもプレイヤーですか?」
「そうそう。プレイヤーネームはリク。職業は商人。」
「俺はハクトです。職業は案内人。」
「案内人?」
リクは目を瞬かせたあと、ぱっと表情を明るくした。
「いいね、めちゃくちゃ気になる職業だ。」
「そうですか?」
「うん!戦闘職じゃないよね?」
「たぶん、違います。さっきスライムで確認しました。」
「確認したんだ。」
「1ダメージでした。」
「それは確認できすぎてるね!」
リクが笑う。
からかうような笑いではなかった。
本当に面白がっている笑い方だった。
ハクトも少し笑った。
「商人は戦えるんですか?」
「戦えなくはないけど、強くはないかな。僕は安く買って高く売る方が本職。あと、荷物を多めに持てる。」
「それ、便利ですね。」
「便利だよ。地味だけどね。」
リクは掲示板の貼り紙を指さした。
「僕は荷運び依頼を探してたんだけど、南門の貼り紙が気になってさ。」
「俺も、気になっていました。」
「やっぱり?」
リクは声をひそめるようにして、貼り紙を見る。
「南門付近への立ち入りは推奨されませんって、妙に言い方がゆるいと思わない?」
「禁止ではないんですよね。」
「そう。危険だから行くな、じゃなくて、推奨されません。ゲーム的に見ると、何かありそうじゃない?」
ハクトはその言い方に少しだけ苦笑した。
自分は街の人の話から気になった。
リクはゲームの文言から気になった。
見ている場所は違うのに、同じ貼り紙に引っかかっている。
「南門の場所は、たぶんわかります。」
「本当?」
「ロアンさんっていう人に聞きました。この坂を上がって、古い鐘楼が見えたら右だそうです。」
「おお、もうNPCから情報取ってる。」
「たまたまです。」
「たまたまで情報が取れるなら、それは才能じゃない?」
リクは楽しそうに言った。
ハクトは返事に少し困って、地図を開いた。
地図には、今いる鐘楼付近が薄く描き足されている。
しかし、右へ続く道はまだ白いままだ。
『未記録の通りがあります』
表示が出る。
ハクトは顔を上げた。
「右の道は、まだ記録されていません。」
「案内人っぽいこと言うね。」
「行ってみますか?」
「行こう!僕に戦闘はあまり期待しないでほしいけど!」
「俺にも期待しないでください。」
「じゃあ、危なくなったら逃げる方針で。」
「それがよさそうです。」
2人は鐘楼の横の道へ入った。
そこから先は、急に人通りが少なくなった。
石畳も少し古い。
家の数も減り、壁にはひびが目立つ。
水路の音も遠くなっていく。
華やかな市場通りとは、ずいぶん雰囲気が違った。
ハクトは歩きながら、地図を確認する。
道が少しずつ線になっていく。
鐘楼の裏通り、古い石段、崩れた花壇、閉まったままの小さな店。
そのすべてが、薄く地図に刻まれていった。
「本当に地図が増えてるんだ。」
リクが横からのぞき込む。
「はい。通った道が記録されます。」
「商人からするとかなりうらやましいよ、それ!安全な道とか、近道とか、店の場所とか、全部お金になるっ!」
「お金になるんですか?」
「なるよ!人が知りたい情報は、だいたい価値があるからね!」
ハクトは地図を見下ろした。
自分にとっては、ただ知りたいから知るものだった。
でも、リクにとっては、それが商売の種にも見えるらしい。
同じものを見ていても、職業が違えば見え方も違う。
それが少し面白かった。
しばらく進むと、道の先に大きな門が見えてきた。
赤い屋根の街の中で、そこだけは灰色だった。
厚い木の扉、錆びた金具、左右には石壁。
門の前には、古い鎖がかけられている。
人の出入りはない。
門の近くには、衛兵も立っていなかった。
『リーヴェル南門』
表示が浮かぶ。
「ここか。」
ハクトは足を止めた。
地図の端に、南門の形が描き込まれていく。
同時に、以前から残っていた文字が変化した。
『噂:閉ざされた南門』
『場所:リーヴェル南門と関連付けられました』
「おお。」
「何か出た?」
リクが聞く。
「噂が、場所と関連付けられました。」
「へえ。案内人、情報をつなげる職業なのかもね。」
「そうかもしれません。」
ハクトは門に近づいた。
鎖には古い札が下がっている。
『この先、旧リーヴェル街道』
『落石および魔物出没のため通行注意』
「通行禁止じゃないんだ……?」
リクがすぐ横で言う。
「注意、ですね。」
「ますます何かありそう。」
リクがそう言った瞬間、門の向こうから小さな音が聞こえた。
風の音ではない、石が転がるような音。
それから、かすかに何かが鳴いたような声。
ハクトとリクは顔を見合わせた。
「今の、聞こえました?」
「聞こえた。魔物かな。」
「たぶん。」
「どうする?」
ハクトは少し考えた。
自分たちだけで門の先へ行くのは危ない。
少なくとも、スライム相手に苦戦した自分が先へ進むべきではない。
けれど、このまま何もせずに戻るのも気になる。
「今日は、場所を確認できただけで十分だと思います。」
「賛成!商人と案内人だけで未知の危険地帯に入るのは、なかなか冒険しすぎだね。」
「戦える人を探した方がよさそうです。」
「冒険者を雇う?」
リクがにやりと笑った。
「雇えるんですか?」
「お金があればね。今はあまりないけど。」
「俺も100リルから赤屋根パンを買っただけです。」
「残り95リルか。大金持ちには遠いね。」
2人は少し笑った。
その時、視界に新しい表示が浮かんだ。
『連続依頼の条件を一部満たしました』
『途切れた街道 1/3』
『閉ざされた南門の場所を確認しました』
『旧リーヴェル街道に関する情報を集めましょう』
ハクトは表示を見つめた。
「クエスト……?」
リクが身を乗り出す。
「出たの?」
「はい。《途切れた街道》って。」
「それ、たぶん隠しクエストだよね。」
「隠しなんですか?」
「少なくとも、普通に東門でスライムを倒してるだけじゃ出なさそうっ!」
リクの声が少し弾んでいた。
ハクトも、自分の胸が静かに高鳴るのを感じた。
戦って倒して進むのではない。
街の人から話を聞いて、道を歩き、噂と場所をつなげる。
その先に、クエストがある。
これはたぶん、《案内人》だから見つけられた道だ。
「すぐには進めないですね。」
ハクトは門を見上げた。
「情報を集めないと!」
「なら、僕も手伝うよ。」
リクが言った。
ハクトは少し驚いて、横を見る。
「いいんですか?」
「もちろん。商人としても、閉ざされた街道が再開したらおいしいし。それに、こういうの面白そうだ!」
「ありがとうございます。」
「ただし!!報酬が出たら相談ね!」
「そこは商人なんですね。」
「商人だからねっ!」
リクは胸を張って言った。
ハクトは笑いながら、もう一度南門を見た。
閉ざされた門。
古い街道。
門の向こうから聞こえた小さな音。
まだ何もわからない。
けれど、地図には確かに新しい目的地が記録されていた。
『途切れた街道 1/3』
ハクトは地図をそっと丸めた。
白紙だった地図は、少しずつ街の形を持ち始めている。
そして、その端には、まだ描かれていない道が続いている。
「まずは、旧街道のことを知っている人を探しましょう。」
「心当たりは?」
「ロアンさんが、昔の案内人のことを知っていました。あとは、赤屋根のパン屋のエマさんも南門の話を少し知っていました。」
「もう情報源が2人いる。案内人、思ったよりちゃんと仕事してるね。」
「戦闘以外なら、少しは。」
「そこ、胸張っていいと思うよ!」
リクの言葉に、ハクトは少しだけ笑った。
そして2人は、閉ざされた南門に背を向けた。
まずは街へ戻る。
道を知るために、人を知るために。
そして、途切れた街道の先へ進むために。




