橋の手前に残すもの
南門へ向かう道は、昨日より少し短く感じた。
近道を選んだわけではない。
昨日、ラナの店から南門詰所へ歩いた道を、ハクトはそのまま選んでいた。
人の流れが見えやすく、荷物を持っていても立ち止まりやすい道。
昨日は、届け物を渡すための道だった。
今日は、古い橋へ向かうための道だった。
隣では、リクが布袋の紐を片手で押さえている。
中には、道標札、滑り止め爪、匂い玉、傷物の初級回復薬が入っている。
必要なものは入っている。
ただ、細縄も探り棒もない。
ハクトは、そのことを忘れないようにしていた。
それらは、橋を渡り切る時の準備だ。
今日は、橋の先の入口を見る。
そして、戻る。
「緊張してる?」
リクが横から聞いた。
「……はい。前より、少し。」
「前より?」
「前は、橋を見つけるところまででした。今日は、前に戻った場所から先を考えるので。」
リクは少しだけ口元を引き締めた。
「そっか、そうだよね。戻った場所に、もう一回行くんだ!」
「はい。今度は、戻る前提で。」
古い橋の場所は、もう地図にある。
中央の抜け、湿った石、橋下の淀み、小型魔物。
前回の記録は残っている。
けれど、それは前回の橋だ。
今日の橋が同じとは限らない。
ハクトは鞄の中の地図に、指先で軽く触れた。
確認するのは、橋があるかどうかではない。
前に危ないと思った場所が、今も危ないか。
橋の先に見えた入口が、本当に道として続いているのか。
そして、自分たちがどこまで進まずに帰れるか。
南門詰所が見えてきた。
門の前には、ガルドがすでに立っていた。
腕を組み、門の外ではなく、街の内側を見ている。
「……来たか。」
ガルドが短く言った。
「おはようございます。」
「おはようございます!」
ガルドの視線が、リクの布袋に移った。
「持ってきたか。」
「はい。」
リクが布袋の口を少し開けた。
ガルドは中を覗き込むだけで、ひとつずつ取り出せとは言わなかった。
「細縄と探り棒はないんだな?」
「はい。今日は橋を渡り切る準備ではなく、入口確認です。」
「なら、橋の先で欲張るな。」
「はい。」
「見えたから進む、はなしだ。」
「はい。」
詰所の中から、ダレスが出てきた。
ハクトを見ると、軽く眉を上げる。
「ハクトか、今日は古い橋だったな?」
「はい。」
「帰る時刻は?」
「昼鐘前には南門へ戻ります。遅くても昼鐘までです。」
「覚えていたか。」
「はい、迷ってから決めないようにします。」
ダレスは少しだけ目を細めた。
怒っている顔ではなかった。
「前に見たから安全、とは思うな。」
「はい。」
「水場は変わる、魔物も動く、草も伸びる。」
「前回の記録が、そのまま使えるとは限らないんですね。」
「そうだ。」
ハクトはうなずいた。
地図は正しい。
けれど、今の場所そのものではない。
前回の地図を持って、今日の場所を見る。
その違いを確かめるのが、今日の仕事だ。
南門を出ると、街の音が後ろに下がった。
石畳の音が、土を踏む音に変わる。
風の匂いも少し違う。
ハクトは門の外側に置いた道標札を見た。
前に置いた札は、まだそこにあった。
少し傾いている。
けれど、印は見える。
「あります。」
「残ってるね!」
「基準になる札だ、触るな。」
ガルドが短く言った。
ハクトは地図に書き足した。
『南門外側の道標札:残存』
『少し傾きあり』
この札は回収しない。
ここは戻るための基準になる場所だ。
古い石標へ向かう道は、前に歩いた時よりも少し見えやすく感じた。
道がよくなったわけではない。
自分が、何を見るかを少し知っているだけだ。
草の切れ目、石の並び、振り返った時に見える門の位置。
どれも、前より目に入りやすい。
リクは隣で、歩く速さを抑えていた。
《運搬上手》があっても、荷物を持って素早く動けるわけではない。
布袋の位置を時々直しながら、足元を選んで歩いている。
「リク、重くないですか?」
「重いけど、大丈夫。だけど走れって言われたらちょっと困る……!」
「走らないで戻れるようにしたいですね。」
「うん、それがいい!」
ガルドが少し前を歩きながら、短く言った。
「走って戻る前提にするな。」
「はい。」
走らなければいけないなら、その前に戻る。
ハクトはその言葉を地図には書かなかった。
けれど、頭の中には残した。
古い石標のそばにも、道標札は残っていた。
土が少しかぶっている。
リクが指先で軽く払うと、印が見えた。
「抜くなよ。」
「はい、見えるようにするだけです。」
古い石標。
南門の外側。
この2つは、前にも戻る時の目印になった。
今日も同じだ。
ハクトは石標の周りを見た。
前と同じ場所に見える。
でも、草の高さは少し違う。
道の端に残っていた足跡も、前より薄い。
『古い石標:道標札残存』
『周辺の草、前回よりやや高い』
書き込むと、前回の地図に今日の情報が重なる。
同じ場所でも、同じではない。
それが少しだけわかった。
古い石標の先から、道は細くなる。
草が足首に触れる。
朝露が残っていて、靴の先が少し濡れた。
前にも通った道だ。
けれど、橋へ向かっていると思うと、喉の奥が少し乾く。
「ここからは、前回の記録と見比べながら進みます。」
「そうしろ。」
「僕、札を出しやすいところにしておくね!」
「お願いします。」
リクが布袋から道標札を1枚取り出しやすい位置に移した。
すぐに置くわけではない。
でも、必要になった時に取り出せるようにしておく。
しばらく進むと、水の音が聞こえた。
小さな音だ。
けれど、前にも聞いた音だった。
ハクトは足を止めそうになり、すぐに止まらず、数歩進んでから道の端に寄った。
「水の音がします。」
「ああ。」
「前と同じなら、この先で道が曲がって、橋が見えます。」
「前と同じならな。」
ガルドの言葉に、ハクトはうなずいた。
前と同じだと思って進まない。
前と違うかもしれないと思って見る。
道が曲がる。
草の間から、低い石橋が見えた。
古い橋は、そこにあった。
前に見た時と同じように、中央に抜けた場所がある。
端の石は黒ずんでいて、湿っているように見えた。
橋の下には、水が淀んでいる。
周囲の草は高く、橋の先は見通しが悪い。
ハクトは息を止めていたことに気づいた。
ゆっくり吐き出す。
「あります。」
「ああ。」
「前と同じに見えます。でも、草は少し高いです。」
ガルドは橋ではなく、橋の手前を見ていた。
ハクトも視線を下げる。
崩れた石、湿った土、草に隠れた段差。
前に見た場所なのに、橋だけを見ていると足元を忘れそうになる。
「橋を見る前に、手前を見ろ。」
「はい。」
ハクトは橋の手前に立ったまま、橋の向こうを見た。
木々の間に、細い道の入口のようなものが見える。
前にも見えたものだ。
けれど、渡った直後の足場まではわからない。
草が倒れている場所はある。
その奥は暗く、道が続いているのか、ただの隙間なのかは判断できなかった。
ハクトは橋から少し離れ、足元が安定している場所で地図を開いた。
ここから見える分だけを書く。
『橋の先:入口らしきものあり』
『渡った直後の足場:未確認』
『奥は視界不良』
『通行可否は未確認』
書きながら、ハクトは「らしきもの」という言葉を見た。
少し頼りない。
でも、見えたものを見えた以上に書いてはいけない。
未確認は、未確認のまま残す。
「橋の手前に、道標札を置きたいです。」
ハクトが言うと、リクがすぐに布袋へ手を入れた。
「残す札?」
「はい。次に来る時の基準にもなります。橋を渡るかどうか判断する場所として残したいです。」
「橋から戻った時にも、ここまで戻ったってわかるね!」
ガルドは橋と周囲を見てから、短くうなずいた。
「残す札なら、意味はある。」
「はい。」
リクが道標札を1枚渡した。
ハクトは橋の手前、崩れた石から少し離れた場所に札を差した。
深く刺しすぎない。
けれど、風で倒れないようにする。
向きは、帰りに見える角度にした。
『道標札:古い橋手前』
『残す札』
『ここで渡橋判断』
残りは2枚。
札が減ると、少し不安になる。
でも、ここに残す意味はある。
橋へ向かうためではなく、橋から戻るための札だ。
ガルドが橋の端へ近づいた。
すぐには乗らない。
まず、橋の手前の石を足で押し、湿った場所を避けるように位置を変える。
それから橋の端に片足を乗せた。
「中央は使うな。」
「はい。」
「黒い石は滑る。」
「はい。」
「橋下も見ろ。出てこないから安全とは思うな。」
「はい。」
ハクトは橋の手前から、その動きを見た。
ガルドの判断を聞くのは大事だ。
けれど、足の置き方をただ真似するだけでは、地図にはならない。
どこが危ないのか、なぜそこを避けたのか、どこまでなら見えるのか。
それを自分の目で確かめて、言葉にしなければいけない。
橋下の水がわずかに揺れた。
草の奥で、小さな影が動く。
前に見た小型魔物と同じ種類かはわからない。
けれど、橋下に何かがいるのは確かだった。
「橋下、動きがあります。」
「数は?」
「1つは見えました。草で隠れて、他はわかりません。」
「わからないなら、いると思え。」
「はい。」
リクが布袋の口を押さえた。
匂い玉が入っている場所を、たぶん確認したのだと思う。
「匂い玉、出しておく?」
「まだ出すな。」
ガルドが橋の途中で言った。
「使うのは、戻る道を作る時だ。進むために投げるな。」
「わかった!」
「魔物が離れたから進む、ではない。戻る時にも必要になる。」
「戻るための匂い玉、ですね。」
ハクトは昨日のセイルの言葉を思い出した。
進むためではなく、戻るために使う。
同じ道具でも、考え方が違うと、使う場所も違う。
ガルドは橋の途中で止まった。
「ここまでだ。」
そう言ってガルドは橋を戻ってきた。
足元には泥がついている。
橋を渡り切ったわけではない。
それでも、橋の途中まで確認しただけで、場の緊張が少し増したように感じた。
ハクトは滑り止め爪を取り出した。
革紐のついた小さな爪。
昨日、確認した時よりも、ずっと実用的な道具に見えた。
「違和感あります。」
足につけると、いつもの靴とは感覚が違った。
歩きやすくなったわけではない。
むしろ、普通の土の上では少し歩きにくい。
「だろうな。便利な靴じゃない。」
「歩きやすくするためじゃなくて、滑ったら困る場所で使う道具、ですね。」
「そうだ。」
リクが少し心配そうに見た。
「ハクト、大丈夫?」
「怖いです。でも、橋の途中までは、自分の足で確認します。」
「……うん。」
リクは止めなかった。
ただ、布袋を抱える手に少し力を入れた。
ガルドは橋の手前に立ち、ハクトの足元を見た。
「1人で行け。」
「はい。」
「ただし、俺の声が届くところまでだ。」
「はい。」
「足を置く場所は声に出せ。渡り切るな。」
「はい。」
「怖くなったら止まれ。止まれないなら戻れ。」
「はい。」
ハクトは橋の手前に立った。
滑り止め爪が、湿った石に触れる。
小さな音がした。
怖い。
でも、ここは自分の目で確かめる場所だった。
「右の乾いている石に乗ります。」
「乗れ。」
「中央の抜けは避けます。左の黒い石は使いません。」
「続けろ。」
ハクトはゆっくり進んだ。
橋下の水が見える。
小型魔物の影は、草の奥に沈んでいるように見えた。
出てこない。
でも、いないわけではない。
「ここで止まります。」
「いい。」
橋の途中。
前に、渡らずに戻った場所より少し先。
そこから見る橋の向こうは、手前から見るよりも近かった。
入口がある。
けれど、入口の先はまだ白い。
地図に書けるのは、ここまでだ。
ハクトは息を吸った。
怖い。
でも、前よりもわかる。
怖いものが何なのか、少しだけわかる。
「戻ります。」
「よし。」
戻る時の方が、少し難しかった。
進む時に見ていた石と、戻る時に見える石は違う。
ハクトは足を置く場所をもう一度声に出した。
「左の乾いた石に戻ります。黒い石は使いません。手前の崩れた石を踏まないようにします。」
「そのまま来い。止まるな。急ぐな。」
橋を降りた時、ハクトは思わず息を吐いた。
滑り止め爪を外すと、足元が急に軽くなった。
けれど、安心しすぎてはいけない。
まだ帰っていない。
ハクトは橋から少し離れて、地図を開いた。
今見たものを忘れないうちに書き込む。
『古い橋:再確認』
『中央の抜け:前回と同じ』
『端の湿り:あり』
『橋下の淀み:あり』
『小型魔物らしい動きあり』
『橋手前に道標札を設置』
『橋途中まで確認』
『滑り止め爪使用』
『橋の先:入口らしきものあり』
『渡った直後の足場:未確認』
『奥は視界不良』
『本日、渡り切らず』
書き終えても、橋の先が気になる気持ちは消えなかった。
入口は見えた。
もう少しで、橋の向こうへ出られるようにも思えた。
でも、渡った直後の足場は見ていない。
細縄も探り棒もない。
橋下には魔物の気配がある。
昼鐘前には戻ると決めている。
ガルドがハクトを見た。
「……どうする?」
短い問いだった。
戻れとも、進めとも言わない。
ハクトは地図を見て、それから橋を見た。
「戻ります。」
「理由は?」
「入口は見えました。橋の途中までは確認できました。でも、渡った直後の足場は未確認です。細縄も探り棒もありません。今日は、ここまでにします。」
ガルドは少しだけ口の端を動かした。
「判断できたなら、戻るぞ。」
「はい。」
リクが布袋を確認した。
「道標札は残り2枚。橋手前に1枚残した。匂い玉と回復薬は未使用。滑り止め爪は使用済みだけど、壊れてない。」
「手当て布も未使用ですね。」
「うん。使わずに戻れるといいね。」
使わずに戻れるのが一番。
ハクトはうなずいた。
けれど、帰り道もまだ探索の中だ。
橋から離れ、古い石標へ向かう道に戻る。
行きよりも少しだけ足元が気になった。
橋を見たあとだからかもしれない。
水の音が背中に残っているような気がした。
草むらが揺れたのは、古い橋が見えなくなりかけた頃だった。
小さな音だった。
けれど、ガルドがすぐに足を止めた。
「下がれ。」
ハクトとリクは同時に止まった。
草の中から、小さな影が飛び出す。
丸い体に、濡れた泥のような色。
前に橋下で見た小型魔物と同じかはわからない。
けれど、水場から来たものだとわかる湿った匂いがした。
ガルドが前に出る。
短い動きだった。
魔物が跳ねる前に、盾の縁で進路をずらす。
小型魔物は横へ弾かれ、草の中に転がった。
「リク、下がってください。」
「うん!」
リクが布袋を抱えて下がる。
ハクトも下がろうとして、足元の濡れた石に気づいた。
橋ではない。
けれど、朝露で黒くなった石が草の中に隠れていた。
避けようとした瞬間、足が少し滑った。
転びはしなかった。
ただ、膝を地面にこすった。
「っ。」
痛みが走る。
大きな傷ではない。
でも、膝のところに赤い線ができていた。
ガルドが小型魔物を草むらの奥へ追い払った。
倒したのか、逃げたのかは見えなかった。
少なくとも、今すぐ戻ってくる気配はない。
「立てるか?」
「はい、立てます。」
ハクトは立ち上がった。
膝は痛い。
けれど、歩けないほどではない。
リクがすぐに近づき、布袋に手を入れた。
「手当て布、使おう。」
「はい。」
リクは手当て布を取り出しかけて、傷物の初級回復薬にも目を向けた。
「回復薬は?」
「これは手当て布で大丈夫だと思います。回復薬は、もっと動けなくなる時に残したいです。」
自分で言ってから、ハクトは少しだけ驚いた。
痛い。
でも、痛いからすぐに薬を使うわけではない。
道具にも順番がある。
リクが布袋から手当て布を出した。
ハクトは膝の泥を軽く払って、手当て布を当てる。
きつく巻きすぎないように注意する。
少しだけ痛みが落ち着いた。
「歩ける?」
「はい、大丈夫です。」
「本当に?」
「走れと言われたら困ります。」
「走らないで戻るんでしょ!」
「はい。」
リクが少しだけ笑った。
ハクトも、小さくうなずいた。
ガルドは周囲を見たまま言った。
「今のを記録するなら、橋下だけじゃない。帰り道もだ。」
「はい。」
ハクトは安全な位置まで少し移動してから、地図を開いた。
『帰路:小型魔物と接触』
『橋から離れた草むら付近』
『濡れた石で足を滑らせやすい』
『手当て布×1使用』
『回復薬は未使用』
使った道具と、使わなかった道具。
どちらも記録する。
それが、次に同じ道を歩く時の情報になる。
古い石標の道標札が見えた時、リクが小さく息を吐いた。
「ここまで来ると、少し安心するね。」
「はい。でも、まだ南門まではあります。」
「うん。油断しない。」
古い石標、南門外側の道標札、南門。
頭の中で、戻る道が順番に並ぶ。
膝の痛みは残っていた。
けれど、その痛みがあるから、さっきの場所を忘れずにすむ気もした。
危ない場所は、地図の中だけではない。
体にも少し残る。
南門が見えた時、昼鐘はまだ鳴っていなかった。
ハクトはそのことに気づいて、ようやく大きく息を吐いた。
間に合った。
橋の先には入っていない。
でも、入口は見た。
橋の途中まで、自分の足で確認した。
帰り道でケガもした。
そして、戻った。
ダレスは門の内側で待っていた。
ハクトたちを見ると、最初にガルドを見て、それからハクトの膝に視線を落とした。
「戻ったな。」
「はい。」
ハクトは地図を開いた。
報告することを、順番に並べる。
「橋は渡り切っていません。橋の途中まで確認しました。橋の先に入口らしきものはあります。ただ、渡った直後の足場は未確認です。」
「橋下は?」
「小型魔物らしい動きがありました。帰り道でも小型魔物と接触しました。」
「その傷か。」
「はい、手当て布を1枚使いました。回復薬は未使用です。」
「戻る時刻は?」
「昼鐘前に戻れました。」
ダレスは少しだけうなずいた。
「今日の分は戻れたな。」
「はい。」
今日の分は戻れた。
その言葉は、昨日より少し重く聞こえた。
ケガをしなかったから戻れたわけではない。
ケガをしても、薬を使わずに歩ける範囲で戻った。
それも、今日の結果なのだと思った。
街の中へ戻ると、音が一気に増えた。
人の声、荷車の車輪、店先の呼び込み。
さっきまでの橋の水音が、少し遠くなる。
けれど、地図には残っている。
橋の途中までの足場。
橋の先の入口。
橋手前に残した道標札。
使った滑り止め爪。
使った手当て布。
使わなかった匂い玉。
使わなかった回復薬。
使った道具と、使わなかった道具。
進んだ場所と、進まなかった場所。
その両方が、今日の記録だった。
初心者宿へ向かう途中、ハクトはもう一度地図を開いた。
古い橋の先は、まだ白い。
でも、完全な白ではない。
入口がある。
そこまでは、自分の目で見た。
次に必要なものも、少しわかった。
細縄、目印布、探り棒。
橋を渡るなら、戻るために必要になる準備。
ハクトは地図の端に、最後の書き込みをした。
『次回準備:細縄、目印布、探り棒』
『橋を渡る前に、戻る方法を決める』
『橋の先は、入口らしき場所まで視認。奥は未確認』
地図を閉じる。
白い場所は、まだ残っている。
けれど、その手前には、今日残した札がある。
橋の途中まで進んだ足元の感覚も、戻る時に使った手当て布の記録もある。
全部を一度に塗りつぶさなくていい。
白い場所を塗りつぶす前に、戻るための印が増えていく。
ハクトは膝に巻いた手当て布を見た。
少し痛い。
でも、歩いて戻れる痛みだった。
次に進むとしても、進むところまでではない。
戻るところまでだ。




