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魔王がクラスメイトにウンタラカンタラ(リメイク版)25話目

足音は徐々に近づいてくる。

僕は即座に身を低くし、気配を殺した。

靴底が床板に擦れる微かな音から正確な距離と間合いを測るため、壁へと静かに耳を寄せる。


「何しとるんじゃ、カイ?」


「しっ……。足音だ。おそらく轟じゃない」


僕のただならぬ気配を察し、魁も体を小さく丸めて身を固くした。

僕の隣へと音もなくしゃがみ込み、カサカサとした小声で呟く。


「じゃあ誰なんじゃ? サクラ達か?」


「いや、わざわざあいつらがここに来る必要性がない」


「なんか忘れ物して、届けに来たとかじゃないんか?」


「だとしたら轟に渡すだろ。それに、何か忘れ物をしたら僕が先に気づくし――ッ! 静かに……!」


僕と魁が呼吸すら止めて身を潜めていると、突如として二つの足音が完全に途絶えた。

まるで、こちらの存在と迎撃態勢を正確に察知したかのように。


(なぜ止まった……? 何が目的だ――)


『あ、本当にいた』


頭上から、唐突に声が降ってきた。

やけに高く、そして酷く軽い、若い男の声。


「ッ!!」


僕と魁は弾かれたように後方へと跳躍し、その声から十全な間合いを取った。

声のした方向には、半分ほど開いた窓しかない。

だが、僕はすぐに得心した。

なるほど、窓から侵入するつもりなら、ドアの前で足音が途切れるのも道理だ。


『うぉ、おいおい。そんなに警戒すんなって』


「それ」は、窓の隙間から這い入るようにして顔を覗かせていた。

いや、顔と表現するにはあまりに歪で悍ましい、蠢く『触手』だ。

全体的に青白い肉質、その先端には黒く硬質なサソリの毒針のようなものが生えている。

さらに異様なことに、触手の側面からニョキリと独立した眼球が突き出ており、その不気味な瞳が僕と魁を冷徹に捉えていた。


「ヒトガタ!!」


僕の敵意に呼応し、全身の毛穴から白い光の粒子が爆発的に吹き出す。


『犬か…テメェは……!』


刹那、凄まじい速度と殺意を伴ってヒトガタが前方に放たれた。


『ちょ! ちょっと待った!!』


窓の外の触手が、目に見えて慌てたようにのたうつ。しかし、一度解き放たれたヒトガタは止まらない。

その鋭利な爪を触手の根元へと突き立てようと、容赦なく肉薄する。


『待ったっつってんだろ!』


直後、少しだけ開いていた窓が内側から乱暴に押し開けられた。

大蛇めいた太さの触手が瞬時に六本、室内に乱入する。

そのうちの二本が、先端の黒い硬質部分でヒトガタの爪を金属音と共にガッチリと受け止め、残る四本が目にも留まらぬ連携でヒトガタの四肢を絡め取り、完全に拘束した。


「落ち着けよ。轟さんに聞いた通り荒っぽいな……そんなに人間不信?」


ガチャリ、と場違いに小気味よい音を立ててドアが開いた。

現れたのは、その傍白の主魂と思われる男。

黒髪を少し右側で分けたセンター分けに、鮮やかな白のメッシュ。

耳元にはいくつかのピアスが揺れている。

男の腰辺りからは、衣服を突き破るようにして、先ほどの白い触手が衣服の裾から不気味に伸びていた。


「……誰だ」


「はぁ…拾ってきた野良猫みたいだな。田口涼斗。拝み屋のバイトだ。轟さんから聞いてない?」


さっき轟が口にしていた同世代のバイトか。

それなら納得はいかないでもないが、この奇襲まがいの登場は到底容認できるものではない。


「で、そこに隠れてる奴は?」


僕が田口を睨みつけながらドアの陰を指すと、隠れていたもう一人の気配が、観念したように姿を現した。


「えぇ~……。私、刺されたくないよぉ~」


出てきたのは、ベージュの制服をだらしなく着崩した、メガネ姿の女子高生だった。

頭にはピンクの髪留め。

両手は不自然に制服の袖の中に隠されている。

世間一般で言う「萌え袖」というやつだ。

可愛いという極めて主観的な理由だけで、衣服本来の機能性と安全性を完全に殺傷した、僕が最も理解に苦しむ服装。


「峰岸恵玲奈。右に同じくバイト。エレナでいーよ」


「おう! 儂は阿久津魁じゃ! よろしくのぉ!」


僕の警戒を他所に、魁は早速その大きな手を差し出し、二人と満面の笑みで握手を交わしている。

こういう時、良くも悪くも物怖じしない魁の存在は、僕にない社交性のピースを埋めてくれるため非常に都合が良い。


「んで、君は?」


エレナが、不機嫌そうにヒトガタを光の粒子へと霧散させる僕を、メガネの奥の目で値踏みするように見てきた。


「……飯島優」


「あはっ、やっぱり~。なーんか見覚えあると思ったんだよね。あれでしょ? 友達を半殺しにして街から逃げたっていう、あの有名な男の子」


エレナはヘラヘラと締まりのない笑みを浮かべ、萌え袖をぶらぶらと揺らした。

心臓の奥が、冷たく凍りつくような不快感に満たされる。

僕は無意識に目を細め、彼女を殺意の籠もった眼光で睨みつけた。

衝動に比例するように、体表から白い光の粒子がパチパチと漏れ出していく。


「おい、エレナ。口が過ぎるぞ」


見かねた田口が、低めの声で彼女を窘める。

エレナは「はーい、ごめんなさーい」と全く反省の色がない生返事をしながら、つまらなそうに部屋を後にした。


「大丈夫か、カイ」


心配そうに顔を覗き込んでくる魁に、僕は奥歯を噛み締めながら答える。


「……別に。何ともない」


「……悪いな」


田口が、先ほどの軽薄さを引っ込めて僕を見た。


「印象悪くしちまったかもしれねぇけど…あいつも昔、色々とあってさ」


「いいって言ってるだろ。僕も今更、世間の誤解を解こうなんて殊勝なことは考えてない……」


僕は体から漏れ出る粒子を無理やり押さえ込み、フイと顔を背けた。

僕と田口の間に、何とも言えない気まずい沈黙が流れる。

その冷え切った空気を切り裂くように、階段から快活な声が響いてきた。


「掃除機と塵取り、箒! その他もろもろ、一式持ってきたぞー!」


「あ、轟さん」


両手にこれでもかと掃除道具を抱えた轟が現れ、田口がホッとしたように頭を下げる。


「おう、涼斗。顔合わせは済んだか?」


「はい。でも、ちょっとエレナが余計なことを……」


「……エレナか。すまん、俺が事前に色々と説明しておくべきだったな」


「大丈夫ですよ。轟さんがここに受け入れたんだ。きっと、この優って奴も噂にあるような凶悪犯じゃないことくらい、あいつだって分かってますから」


「……ありがとな」


田口はそのチャラついた見た目に反して、驚くほど真面目な態度で轟と会話を交わしていた。

敬語なんてこれっぽっちも使えそうにない風貌をしているくせに、案外根はしっかりしているらしい。


「ささ、カイ! そろそろ掃除始めよう!」


「……そうだな。やるか」


「俺も手伝おう」


「あ、じゃあ俺も」


僕と魁の作業に、何故か轟と田口まで加わり、男四人でワンルームの本格的な大掃除が始まった。

僕が生成したハタキで天井や鴨居の埃を落とし、それを轟が掃除機で手際よく吸い取る。

田口と魁は、バケツの水で濡らした雑巾を手に、並んで床を拭き始めた。


「にしても二人とも若いなー。歳いくつよ」


「十四か十五じゃな。儂とカイは多分同い年じゃ」


「若っ!」


田口と魁は、いつの間にかすっかり打ち解けた様子で小気味よく言葉を交わしている。

僕はそんな彼らに背を向け、相変わらず勝手に出現しては僕の後ろを回遊しているヒトガタを足場代わりに利用しながら、高い場所の埃を黙々と落としていった。


「その歳だと、普通なら中学生くらいか? 義務教育はちゃんと受けておいた方が良いぞー」


「儂は山奥で育ったからな、そういう学校ちゅうのを受ける機会すらなかったんじゃ」


「じゃあ、優はどうなんだ?」


床を這うように拭きながら、田口が僕を見上げて問いかけてくる。


「僕はもう、学校で学ぶような一般教養はほとんど修めてる」


「ホントかよ~? 中二とか中三の段階だと、良くて偏差値六十ちょいくらいで天狗になってんじゃないの~?」


田口がからかうような、少々小馬鹿にした口調で絡んでくる。

偏差値、か。

そういえば昔、自分の実力を測るために、北辰テストの過去問を解いたことがあったな。

確か、あの時の結果は――。


「確か……七十七、くらいだったか?」


「ななじゅうななァ!? お前、それ合計何点満点中の話だよ!?」


「あ? 五百点満点に決まってるだろ。あんな単純な基礎問題、普通に解けば誰だって満点近く取れる」


「取れねぇから皆必死こいて塾通ってんだろうが……!」


勝手に突っかかって勝手に致命傷を負っている田口を、僕は冷ややかな目で一瞥する。


「天才ってのは、本当に存在するんだな……」


轟が掃除機の手を止め、感じ入ったように呟く。

だが、僕はその言葉を即座に否定した。


「才能だけの話じゃない。昔から、知りたいことや分からないことがあれば、徹底的に調べ尽くす。理解できるまで勉強し続ける。それをただ繰り返してきただけだ。執着心さえあれば、誰だってこの領域には来られる」


「それが出来れば苦労しないんだがなぁ、普通は」


「まぁ、僕の場合は一度視界に入った文字列や数式は、大抵一発で脳のストレージに記憶できるから、そこに関しては多少のスペック差はあるかもしれないけど」


「それが出来れば苦労しないんだがなぁ、普通は!!」


田口が雑巾を床に叩きつけるようにして悔しがっている。

まあ、僕の性格と脳の構造が、たまたま学術的なインプットに特化していたというだけの話だ。

僕は、勝手にショックを受けている年長者二人を無視して掃除を再開しようとしたが、その時、脳裏にある重要な記憶がフラッシュバックした。


「あ、そうだ。轟」


「ん? なんだ?」


僕は、ヒトガタの頑強な肩の上に乗り、高い位置から轟を見下ろす形で声をかけた。


「九条蓮って男と、獅堂刹那って奴らを知ってるか?」


「九条……? はて、聞いたことがないな。その二人がどうかしたのか?」


轟は掃除機のパイプを持ったまま、顔色一つ変えずに首を傾げた。

その瞳の動きを観察する限り、嘘を吐いている形跡は見られない。

本当に知らないのだろう。


「いや……あんたたちが魁の集落に来るより少し前、その二人が僕のところに勧誘に来たんだ。『拝み屋』と同じように、僕の居場所を作ってやる、仲間になれってな。だけど、結局そいつらは信用に値するような連中じゃなかった。そのすぐ後にあんたらが現れたから、てっきり同業者か、あるいは裏で繋がっている仲間なのかと思って――」


「待て」


僕が空間に舞い散る埃を左手で払いのけながら淡々と説明していると、突如として轟が掃除機の主電源を乱暴に切った。

部屋に静寂が戻る。

轟だけでなく、床にいた田口までもが、その顔を引き攣らせてゴクリと唾を飲み込んだ。


「あ? なんだよ」


「そいつら…転生者なんだな……? 傍白は見たか? その男たちの特徴は…外見はどんな姿をしていた!?」


轟の声音は、これまでに聞いたことがないほど深く、鋭い緊迫感を孕んでいた。

完全に、何かの地雷を踏み抜いた空気だ。


「……九条って奴は、長い前髪で片目を隠した男だ。傍白は全身純白のスーツを着ていて、顔は目も鼻もないのっほっぽらぼうみたいな不気味な造形をしてた。獅堂って奴は茶髪のいかにもチャラついた雰囲気の男で、傍白は両手に巨大な片手斧を二つ携えた、ピエロみたいな姿だ」


僕は二人の視線に圧されながら、記憶している特徴を恐る恐る詳細に伝えた。

万が一の事態に備え、背後のヒトガタの爪に魔力をうっすらと通らせ、警戒態勢を取らせる。


「轟さん……!」


田口が悲痛な声を漏らす。


「ああ、やはり…間違いない……」


轟は、持っていた掃除機のグリップを、指関節が白くなるほど強烈な力で握りしめ、地を這うような低い声で吐き捨てた。


「『瓦解』だ……!」


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