第3章 波浪の盾 7
マルクスが仰向けに倒れこむ。軍服の切れ目から鮮血が流れ出ているが、急所は避けたのだから傷はそこまで深くないはずだ。動こうと思えば動けるはず。ライルは拘束魔法の準備を済ませるが、マルクスは動こうとしなかった。
「なぜだ……なぜ、負けた……全てを倒して、守る力を手に入れたはずだ……。私は……」
呆然自失といった様子で、宮殿の天井を見上げて呟いている。
「お父さん……」
そこにミレイユが駆け付けた。だが、マルクスの側に寄ることはなく、結晶体に手を伸ばす父親を見つめている。
「なぜ……。何が、ダメだったんだ、ミシェル……。私は、お前のような、犠牲を出さないために……」
「……俺はあんたのやり方が気に食わなかっただけだ。とやかく言うつもりはない」
足の動かないミレイユを横目に、ライルは一歩進み出た。準備していた拘束魔法は発散させて、仰向けのマルクスを見下ろす。
「ただ、一つ挙げるとするなら……守るための力で人を傷つけた時点で、間違ってたんだろ。ミシェル・ストラスもそういうんじゃないか」
何も知らない部外者が知った口を利くなと、反撃が飛んでくると思いきや、マルクスは目を丸くしただけだった。そうして数秒もすれば、空を見つめて呟く。
「……そうか、間違っていたのか……私は……」
憑き物の落ちた顔で、溢したマルクスは顔を傾けてミレイユを見つめた。そして、おもむろに手を伸ばしかけて、瞼を閉じる。
「お父さん……⁉︎」
「心配するな。気を失っただけだ。あんなろくでもない力を振り回してたんだ。気力だって失うだろ」
慌てて駆け寄ったミレイユに、そう声をかけると程なくしてマルクスから吐息が聞こえ始めた。安堵したミレイユはゆっくりと立ち上がると、ライルに向かって頭を下げる。
「本当に、ごめんなさい……! それから、お父さんを止めてくれてありがとうございました!」
「礼はいらねぇよ。俺は務めを果たしたまでだ」
「それでも……それでも、本当にありがとうございます……!」
感謝の念を繰り返し伝えるミレイユに、むず痒くなる。だが、先ほどまでとは打って変わって、吹っ切れた顔のミレイユを見ていると、悪くないとも、思う。
「……つぅか、終わったような気でいるが、全然そんなことないからな。後始末が――」
ズシンと、体の芯まで揺らすような地響きがライルの言葉を遮った。
「な、なに……⁉︎」
「――こいつだ!」
何事かと辺りを見回すミレイユに対し、ライルは真っ先にそれを突き止めた。最奥の間の奥に居座る巨大な結晶体。それが黒々と濁り、ぴしぴしと音を立てて亀裂が刻まれていた。つい先ほどとは異なる異常事態。ライルが結晶体の表面に手を当てて同調を図るが、拒絶されたようにうんともすんとも反応しない。
だが唯一イメージだけが流れ込んできた。結晶体が蓄え続け、マルクスの手によってセオリツ湾の支配を進めていた魔力が制御を失っている。海には至る所に渦潮が発生し始めて、マルクスの支配など生ぬるい大津波が巻き起こっている。
「――ライル、無事⁉︎」
ちょうどそこへ、回廊からアインが飛び込んできた。苦戦を想起させるボロボロ具合だが、ライル目掛けて駆け抜けたアインは、一瞬ミレイユと目があって口を噤むが、すぐにライルへと言い放つ。
「なんか変だよ! セオリツ湾の魔素観測がおかしくなってる! まるで海流も渦潮も今までにない規模で拡散してる!」
「そっちも観測したところか……俺も、似たイメージが見えた。こいつが暴走しているらしい」
「へ……うわ、な、なにこれ!」
ライルが結晶体を促すと、アインは驚愕を示したが、ライルの説明を受けてすぐに状況を理解する。
「つまり、この《ゴーリェ・グラード》って結晶は、セオリツ湾中の海、あるいは水を操る術式の媒体となっている。むしろ術式そのものなのか分からないけど、それが暴走してることで、海はさっきよりも大荒れになってるんだ」
「ああ。おそらく動作中だったセオリツ湾への操作の手が止められたこと。マルクス・スエードが気を失ったことで制御を失ったこととかが影響してるんだろ」
「じゃ、じゃあ、何とかして止めないと! お父さんは海都や村に被害が出ないように制御していましたが、その制御がなくなったら……!」
「大津波一回でも海都に降りかかれば、大損害は免れないだろうな」
ロクなことをしないと今になって悪態をつきたくなるが、それを抑え込んでライルは歩き出した。投合した薙刀に弾き飛ばされた魔動核を拾いあげて、ミレイユとアインの二人に告げる。
「というわけだ。二人はマルクス・スエードを連れて先に離脱してくれ」
「な、何がというわけなわけ⁉︎」
「もしかして……1人で止めるつもりですか⁉︎」
「そんな驚くことじゃないだろ。俺はこいつに選ばれたらしいし、こいつを使って渦潮を止めることだってできる。それと同じだ、大した話じゃない」
さらりと言い放って、ライルは結晶体に手を当てた。その一部分だけが青色に変化し、純粋さを取り戻す。
「それじゃ私も、手伝えることが」
「ない。それにいざって時に俺一人ならどうにかできるが、気絶した大の男がいると足手まといだ。今の内に運んでくれた方が助かる。――お前だって、父親を死なせたくないだろ」
「そ、それは、そうですが……」
尻すぼみになるミレイユに代わり、ライルはアインを見つめた。アインはライルと結晶体を順に見つめて唇を噛み締めると、ライルに背中を向ける。
「ミレイユちゃん、行くよ。ここにいたら返って邪魔になる」
「で、でも……」
「エウレス発動【エアトラベル】。この人はあたしが運ぶから、ミレイユちゃんは安全確保! ほら、走る!」
「は、はい!」
困惑して動き出せずにいたミレイユの尻を叩いて、アインは振り返らずに走り出した。数秒もしない内に回廊に消えた3人の姿を見送って、ライルは右手に持っていた魔動核を腹に押し当てる。腹の肉に食い込んだかと思えば、それを通過してライルの体内へ。
元々あった体の奥底に戻っていた。――これで準備は完了だ。
「……よし、やるか」




