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第3章 波浪の盾 6

見るからに様変わりしたのは、マクルスの愉悦に満ちた笑みからも伝わって来る。


(……とりあえず安心できる、が)


こちらに集中したということは、言葉通りセオリツ湾の支配は中断したのだろう。であれば外部への被害はこれ以上悪くならないはずだ。後はこの場を納めるだけーー


「沈むがいい」


言下に、その言葉が耳に入った時には、体が水中に沈んでいた。その場に突然現れたとしか言いようのない水の中で呼吸を止めて目を見開くと、水の外でマクルスが何かを呟いたのが見えた。

直後、周囲に薄い刃が無数に発生した。そう認識した時には全身が斬り刻まれ、鮮血が水に滲んでいく。


(ぐ……くそ、浅くて助かったが、これ以上もらうとまずい……!)


この水は結晶体によって現れ出たもの。ならばと働きかけるが、欠片ほども支配権を奪えない。魔動核がマルクスの手にある以上、抵抗のしようがない。

解決策が見つからない間にも、マクルスは簡潔な指示を続けている。せめて唯一制御下にある長剣を使って凌ごうと考えたところで、同じように水に囚われたミレイユが目に入った。同じように斬り刻まれたのか、血を流して悶えている。


(移動と防御だ! 間に合え……!)


長剣をミレイユに向けて、構成を変更。再び刃が構築されつつある中、魔力によってミレイユの側に移動したライルは続けて球体状の防壁を形成した。無数の刃による切断を遮断してみせる。


「げほっ、ごほっ……! ラ、ライル先輩……どうして……」


水を押しのけた防壁の中で、激しく咽るミレイユが不思議そうにライルを見つめた。だが、それに答える暇はなく、防壁を囲む水が急回転を開始する。その動きは、間違いなく渦潮だ。無数の刃を残した水を荒々しく掻き回し、切断と打撃の双方を使って破壊力を上げているのだ。

防壁にヒビが刻まれた。一度入ってしまえば、止めることは出来ない。


「……ストラス。しゃがんで縮こまれ」

「は、はい」


素直にライルに従ったのを見て、防壁を凝縮させた。面積が小さくなれば、強度は増す。その代わりに、入れるのはせいぜい屈んだ成人一人分だ。


「ライルせんぱ」


ミレイユが意図を察したころにはライルは防壁の外にいた。鞄の中のコインを全て放り出し、【アイゼンシールド】を展開して、渦と刃に備える--


時間にすれば数秒間のことだった。渦と刃は鉄の盾を破壊して、ライルを荒々しく捩じ伏せた後、一帯を満たしていた水ごと消失する。後に残ったのは、血濡れた石床に倒れたライルだった。


「ライル先輩! なんで……どうして、私なんかを……!」

「……お前が守護者失格って言うなら、民間人だろ。だったら、最後の最後まで、守らないと……な」


すぐに駆け寄って来たミレイユの手を断って、自分の手と足で立ち上がる。傷は深いが肉までだ。幸いにして骨や内臓は断ち切られていない。


「そんな……そうじゃありません! だって、だって私は、敵なんですよ!」

「……あぁ、そういや、そうだったな」


フラフラとした足取りで直立した後、深い呼吸を一度だけ。再び水の長剣を右手に作り出して、マルクスに相対する。


「何の、つもりだ。なぜ自分よりも他人を優先する! 彼女の真似事でもしてるつもりなのか⁉︎」

「そんなつもり、さらさらねぇよ。言ってるだろ、守護者の務めを、果たしてるだけだって」

「ふざけるな! 言ったはずだ、献身では人は救えない! 人を救うのは力だ! 何者にも侵されることのない、唯一無二の力だけが!」

「……だろうな。あんたの理想だったら、確かに力さえあれば、何でも実現できるんだろう。それを救って思う奴もいるかもしれない」


ライルの行動に激昂を示したマルクスに対して、肯定意見をぶつけた。呆気に取られた様子のマルクスへと、「だが」と紺色の瞳を突き付ける。


「そんなもんは俺は認めない。守護者としても、一個人としても、力を誇示するために破壊と犠牲を強いた時点で、あんたのことは認めてたまるものか」

「貴様……その目で、ミシェルと同じ目で、私を否定するなぁぁぁあ!」


マルクスの絶叫と連動して、魔動核が瞬いた。突如として発生した水が、マルクスの除いた全てを沈める。

即座に長剣を防壁に変換して、ミレイユの周囲に展開した後に、ライルは目を目を閉じた。出血多量によって霞んでいた視界だった。それならばいっそ閉じてしまった方がいい。

その方が、見えるものがある。


(アドラス起動)


周囲に満ちているのは、マルクスと紐付いた魔動核の発する魔力。今もなお、無数の刃が構築されて、起動を待っている。

その魔力に紛れて、ほぼ同じでありながら、ほんの一部だけ異なる波形を持つ魔力があった。ずっとそこにあったのだ。集められなかっただけで、ライルを導く魔力は結晶体の奥から絶え間なく溢れ続けている。

それを自覚してしまえば、操作は容易い。ライルが大きく振りかぶった両手の先に精製された濃紺の長剣を、一思いに振り切った。


「【コキュートス】!」


放たれたのは水の斬撃。最奥の間を満たしていた水が真っ二つに両断にして、激しい水飛沫が撃ち上がる最中、ライルは石床に降り立ったかと思えば、制御を失った水が崩壊した。荒津波となって消失するのを呆然と見つめていたマルクスは、歯を食いしばり、魔動核を両手で握り締める。


「《ゴーリェ・グラード》よ! 万物の呑み込みし、絶えなる大渦よ! 私が道を妨げる者を消し飛ばせ!」


半ば懇願にも似た叫びに、魔動核が応えた。魔動核から溢れた水が、轟々と螺旋を描いて加速度的に勢力を強めていく。


「――渦潮か」


それは、セオリツ湾に居座る厄介な存在だった。多くの漁船を、魔動運搬船を妨げて、長年の魔獣被害を出した象徴が、荒れ狂っている。宮殿を巻き込むことすら厭わずに、ただ自らを否定する外敵を呑み込まんと。


だけど、渦潮というのは、最後としてはうってつけの相手だ。ライルは両手で握った長剣を正眼で構えて、魔力を押し流す。


「アドラス起動」


対抗する術は、既に学んでいた。昨日は失敗に終わったが、今度こそはと、長剣を横凪に振り放つ。


「【スクリームセイバー】!」


唱えた錬磨系統魔法(アドラス)が紺色の長剣の軌跡を媒体に、渦を発生させた。ライルの作り出した渦は魔力を喰らって一気に膨張し、敵の渦潮を激しく衝突する。

相反する2つの渦は激突の末に混じり合い、結びつき、急速に零へと運ばれていく。ついには、渦潮の姿形が一片も残ることはなく、鎮圧に至った。


「……嘘だ、そんな馬鹿な……! 破壊するまでもなく、治めただと! あり得ない、そんなことができるわけがない! おのれ、おのれ、おのれぇぇえ――」


目の前の現実を認められず再び魔動核を掲げた。鈍い青色の光が放たれて、水の魔力が溢れ出る――直後、投合された薙刀の先端が魔動核を捉えた。手から離れて瞬く間に力を消失する魔動核に、目を奪われたマルクスの隙を逃さず、ライルは石床を蹴りつけた。


その接近に気付いて剣を取るのも遅く、ライルは長剣を袈裟型に振り抜いた。マルクスの体を斬り捨てる。

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