第2章 守護者の使命 9
「きゃあああっ! な、なんですか、これ!」
「まさか……!」
上下左右に激しく揺さぶられる船体の上でミレイユの悲鳴が上がる。ライルがミレイユとアインを引き寄せて落水しないように備える間に、ジェストが船縁から下を見下ろしてから、慌てて操舵室に駆け込んでいく。
「渦潮に呑み込まれかけてる! 力付くで抜けるから、捕まってろよぉ!」
舵に辿り着いたジェストは声を張り上げた。渦潮に囲まれて重い舵を思いっきり回して離脱を試みるが、僅かに船首が回っただけだ。四方から叩き付けられる波を前に、船体がメキメキと悲鳴を上げる。
「くそぉ! このままじゃ……!」
ジェストが言うことを聞かない舵に拳を叩き付ける音が聞こえた。もはや前後や上下の感覚すら奪われつつあるが、ライルは必死にアインとミレイユを抱えながら思考を巡らす。
「アイン! 何とか船を浮かせられないか⁉︎」
「無理だよっ! こんな重いの、底から持ち上げるしかないけど、そんな力なんてこんな渦潮じゃ持ち上げる前に壊されちゃう!」
至極当然とも言うべきか、アインの返答は彼女の手詰まりを示した。焦燥に駆られて、ライルが背中を付けた船縁から海を覗き込む。
ドクンと、腹の奥底が疼いた感覚があった。海面で荒ぶる白い渦潮よりももっと深い深い水の底。手を伸ばせば堪らず引き摺り込まれたその先で、再びの目覚めを待ち侘びている。
「イル先輩――ライル先輩!」
「っ……なんだ、ストラス!」
一瞬意識を沈められかけたライルを、腕の中のミレイユが必死に呼び掛けていた。そのおかげで気を取り戻したライルがミレイユに問い掛けると、彼女はグッと口を引き結んだ後に言い放った。
「波には、同じ強さで、全く逆の波をぶつけたら0になるって、学校で習いました! それなら!」
「アホ! こんな渦潮と同じ強さの波なんて、どうやって都合良くぶつけるんだ!」
「私や、アインさんには無理だと思います!」
とんでもないことを言い出した上に、無理だと言い切ったミレイユに絶句する。だが、ミレイユの目には僅かな迷いはありながらも、確かな信頼があった。
「でも、ライルなら……ライル先輩だったら! きっと!」
揺れ動く船の上で、ミレイユの朱色の瞳だけが際立って見える。全てを信じて託すその顔に、ライルは息を呑んだ。
「……どうせこのままじゃ全員お陀仏か」
腕があるとはいえ、アインとジェストは民間人だ。守護者としては守る対象に他ならない。
「ストラス。アインを掴んで踏ん張れ」
「はいっ!」
「ジェストさん! 隙を見つけたら何とか離脱してくれ!」
「……おう! 何でもやってくれ!」
ミレイユとジェストへの端的な指示を終えて、ライルは抱えていた2人を離す。その最中、アインが手を伸ばした気がするが、それを振り払ってライルは船縁に足を掛けた。
(船の上からじゃ、どうにも出来ない。やるんだったら――)
今にも船を呑み込もうと荒れる渦潮の中心へと、ライルは跳躍した。激しい水飛沫が肌を打ち、一瞬で衣類が水浸しになりながら、腰の鞘から長剣を抜き払う。
「アドラス起動」
展開する錬魔系統魔法は長剣の刀身を媒介に、斬撃によって発生する魔力の歪みを渦の奔流に拡大する技。
「【スクリームセイバー】!」
水面に対して逆さになったライルは、渦潮を両断するが如く、長剣を振り抜いた。横一文字に切り拓かれた渦潮の中に、新たな渦が発生して大きな流れに逆らおうと拡大を始める。
だが、出力が足りない。そんなことは手に取るように理解出来る。
(しっかりしろ……! せめてあいつらが逃れられるように!)
「【スクリームセイバー】!」
自らの渦が押し潰される前に、空中で乱舞するように長剣を幾度も振り放つ。それでも足りない。圧倒的な力の奔流に抗うには、力が。
「はぁぁあ!」
腹の底から引き出した魔力全てを、長剣に注ぎ込んで大振りの一線を垂直に放った。水面を深く両断して渦潮の動きを一瞬止めるが、海の底から巻き起こる力を止めるのは敵わず、ライルは渦潮に呑み込まれた。
幾多の波に叩き付けられて、あっという間に前後不覚になる。微かに作り出した渦の力は感じるが、それもか細く、掠れていく視界と共に失われていく――
(くそ……やっぱ、無理、じゃねぇか……)
手放しかけた意識の代わりに、それを鮮明に感じた。ライルを呑み込んだ渦潮が一層激しさを増すのを。ミレイユ達の乗る船をへし折らんと襲い掛かるのを。
(や、めろ……)
手を伸ばす。限界を迎え掛けた船に、ではなく、深い深い、光も届かない海の底を。ライルはぼんやりと開いた群青色の瞳で、見通した。
(やめろ!)
ドクンと、腹の奥が跳ねた。その脈動は渦潮に伝わり、魔力を伴って海の底まで辿り着いて――ピタリと渦潮の発生が止まった。徐々に鎮静化していく水の流れの最中、ライルは海の底を見つめている。
渦潮はなくとも、そこに秘められた魔力には慣れ親しみを感じた。
(って、まずい……!)
途端に肺が酸素を求めた。海底の正体を探ることは出来ず、ライルは片目の視線を底に残しながらも、海面まで上がった。真っ先に大きな呼吸を繰り返すライルの目には、落ち着いた水面が見える。波こそはあれど、渦潮の中とか雲泥の差だ。
「あっ! いました! ライルせんぱーい!」
「どこどこ⁉︎ あ、良かったー! ライルー!」
続けて聞こえて来たのはミレイユとアインの声。大きく腕を振ってアピールする彼女らを乗せて、方向転換をした船が接近して来た。
「捕まってください!」
ライルの横につけた船から太いロープが降って来て、ミレイユの指示が届く。ライルがロープを握ると、早速ロープが引っ張られ始めた。徐々に体が水面から引き上げられ、船縁に手がかかった時点で、ライルは力を入れて一気に甲板に上がった。
「よぉし! 一旦後退するぞ!」
それを認めたジェストが舵を素早く回し、その場から大きく離脱した。周囲の渦潮があっという間に離れたのを全員で見つめたところで、安堵のあまりアインとジェストがその場に崩れ落ちた。
「助かった〜」
「ここ数年で一番ヒヤヒヤしたぜ……」
2人の声にはそれ以上ないくらいの疲労感を帯びている。普通に考えれば小型船が大規模な渦潮に巻き込まれた時点で、終わりを考えるだろう。普通であれば。
「――やっぱり凄いです、ライル先輩! 本当に渦潮を打ち消してしまうなんて!」
目の前で目を輝かせるミレイユには悲壮感がなかった。まるでライルなら止められると、知っていたかのように。




