名もなき紅き星ー1
心臓を止めてしまおうか。
いつかその自問自答が終わる"何か"を待っていた。
孤独や嫌な感情を押し潰される度に、逃げたくなって自問自答。
それでもそれが終わる時を期待して待っていた。
その時は、きっと来た。
「……夕暮。大丈夫か?」
月光に染まったような容姿の彼が、静かな低い声で心配する。
きっと自問自答をせずに済む存在。
せっかく出会えたのに、奪われて喰われてたまるか。
「大丈夫、よ……」
ぜーはーと荒い呼吸をしつつも、壁に手をついて言い返す。
「すまない。私に奴を止める力はない……」
「い、いいの。白夜はっ……捕まらないように逃げてればいいから」
同類を喰い、強くなっているという"星喰い"の彼には、逃げるしかない。
戦わなくともいいと白夜に伝えておいた。
どう考えても、どう感じても、アイツは危険だ。
逃げるべし。
「それに、してもっ……白夜、忍者みたいだね……」
また闇に追い回されて、近所のマンションと柵の間に逃げて隠れた。
白夜は忍者みたいに着物を揺らして走っていたっけ。
気を紛わすために言ってみた。
白夜、全然息上がってないし、疲れてなさそう。
白夜は白い袖から手を出すと、わたしの両肩を撫でた。
すると途端に身体が軽くなる。
「私は癒す能しか持ち合わせていない……」
「……ああ、この数日貴方が疲れを癒してくれたんだ……白夜は光で、彼は闇か……」
「……夕暮」
癒しの光を放つ白夜と、呑み込もうとする闇を放つ星喰い。
呼吸が整ったわたしが肩を竦めれば、白夜が呼んだ。
「随分時間が経ったが……仕事は?」
白夜に言われて瞬きする。
ああ、そう言えば、仕事に向かう途中だった。
いつもより早く出たから大丈夫だろうと、ピンクゴールドの腕時計で確認する。
仕事開始時刻。
完全なる遅刻だった。
「………………ふぁあああっ!?」
思わず頭を抱えて絶叫する。
慌てて飛び出せば、叫び声を聞き付けた星喰いがわたしの目の前に現れた。
「退きなさいっ! アンタのせいで遅刻よ!! あとにしなさい!」
「…………はい」
胸を突き飛ばし怒りをぶつける。
そしたら目を見開いた彼は、しゅんと頭を垂らして頷いた。
彼を横切り、仕事場に連絡をしながら全速力で向かった。
「アイツのせいで……! アイツのせいでっ! 迷惑かけた上に、"これだから若い子は"って目で見られた!」
自転車の故障だと言い訳したが、呆れた視線を浴びせられたわたしは、くたくたで帰宅。
無駄に精神削られた一日だった。
お風呂上がりに床に寝転がり愚痴る。
白夜はわたしの頭の上で、座って見下ろしてきた。
「気負いすぎだ……。夕暮は責められてはいない」
「いいや、あの人達の不満がビシビシ伝わった! 責任のなさと若さを責めてた! あの声音、視線、仕草から、わからないかな!?」
ドライヤーで乾かしてもまだ湿っぽい髪をぐしゃぐしゃ乱しながら悶える。
思い過ごしや考え過ぎならば、とっくに楽になってたはずだ。
ぼんやりしてても、視界や耳に入るだけで感情が伝わる。
だから嫌なんだ。感情なんてもの。
すると、白夜が手を伸ばして床に寝転がるわたしの髪を整え始めた。
撫でるように、そっと。
昨夜みたいに、優しい。
「君のような能力を持つ者は、大昔"巫女"と呼ばれていた」
「巫女? ……大昔なら、巫女と親しまれてたのかな」
「……君と同じく、苦しんでいただろう」
「あれ、巫女って心身ともに健康的な人じゃなかったっけ?」
「求められただけだ」
「…………」
わたしの髪を整え終わると、次は頬を撫でてきた。
まるで当時を見ていた口振りの白夜を見上げる。大昔から、見ていたんだろうな。
その件について触れようかと思ったけど、まだ早い。
わたしが他人の過去を聞くには、覚悟がいるもの。
「ま、わたしは巫女って柄じゃないわね」
自嘲を浮かべた。
巫女だなんて、大昔であってもわたしは呼ばれない。
「……そんなことはない。君は清らかな心を持っているからこそ、他の感情に心を痛めてしまうのだろう。清らかな心……巫女らしいと思わないか?」
わたしの頭を両手で持ち上げると、自分の膝の上に置いた。
その両手でわたしの頬を包む。
優しげな月の瞳で見下ろしてくる白夜を、ぽかんと少しの間見上げた。
やがて顔に熱さが集まる。
「な、なに言っちゃってるの、ば、バカじゃない、そんなわけないじゃんっ!」
「私は、そう思うが……」
「ない、ないから! てか、放して!」
なにが清らかな心だ! 言いすぎだ!
本気でそう思っているみたいに、首を傾げる白夜に膝枕されていることにも、酷い恥ずかしさを覚えて起き上がろうとするも、白夜は放してはくれなかった。
「昨夜は……触れてほしいと言ったのに?」
「い、いっ、いっ……っ」
頭を撫でられて膝に戻される。
確かに昨夜は触ってほしいと言ってしまったが、言ってしまったけども!
思い出して、余計に恥ずかしさがぁっ!
なにこの人、何なのこの人!
真っ赤なわたしを膝に乗せて見下ろすな。ドSか、見掛けに寄らずドSなんじゃないのか。
逃げたくて、もがきながら白夜を警戒する。
白夜はわたしの髪を整えながら、膝に戻す。ただ見つめながら。
「瞳を覗いても……澄んでいるようにしか視えない」
「っ、わ、わかったっ! ようくわかったからっ!! それは胸の中にしまっておいてっ!!」
わかったから! もう言うな! 言わないでっ!
恥ずかしさで殺す気か!
美しすぎる顔で見下ろすな!
「わかった」と白夜は短く応えると、わたしの髪をまた撫でるように整えた。
もう諦めて白夜の膝に頭を置いたままにする。
白夜はわたしの輪郭を指先で撫で始めた。
顎の下から耳たぶまできたから、震え上がる。
「ちょっと、白夜。わたしをペットと勘違いしてない?」
念のために訊いてみた。
まるでペットを愛でるような行為だ。やっぱりドSか。ドSなのか。
すぐに白夜は手を止める。
「まさか。その逆だ。夕暮がわたしに名を与えた。……嫌なのか? 触れられること」
「あ、いや……嫌ではない、けども……」
なに言わせるんだ。自覚なしのサドか。
確かにわたしが名前を与えたし、どちらかと言えばわたしが飼い主で白夜がペット。
頭のいい子犬は最初の接し方を覚えてしまうらしいし、昨夜と同じことをしてしまっているだけかな。
じゃあこれはわたしの接し方が悪かったわけで、ちゃんとした接し方をわたしが教えるべ、き……………………ってちゃうちゃうちゃうっ!!
飼い主とか、ペットじゃない!
白夜は飼いたての子犬じゃない!
思考回路がとんでもない!
白夜は人外でも、人の姿! 首輪をつけるの想像した! ごめんなさいっ!
「と、とりあえず……喰われない手立てを考えなきゃ、星喰いから」
「……そうだな」
「彼には感謝してるのだけどね……彼が教えてくれなきゃ、白夜に気付けなかったでしょう?」
白夜を守るために、星喰いをどうするべきか。
考えようとして、自ら話を逸らす。
彼が現れて、白夜の存在を教えてくれたから、こうして話せる。
さもなければ白夜は姿を現さなかったかもしれない。わたしに余計な感情を与えて苦しめないために。
「…………」
「?」
じ、と白夜を見上げた。
知ることが出来なかったそばで見守る存在。
「自覚しなきゃ、その有り難みがわからないなんて……だめな生き物ね、人間って」
また少し自嘲をした。
そばで見守ってくれたのに、ちっとも気付かなかった。
初めて自覚した。
存在と、その大切さ。
それに口元が緩む。
白夜も優しげな眼差しでわたしを見つめたまま微かに微笑んだ。
「もしかして白夜……わたしに気遣って無表情を保ってる?」
「……無表情を保っているつもりはない」
「じゃあ素なのね……それ」
わたしに何一つの不満を抱いていない。ただ月光のような心地よい光を放つ白夜は、わたしに気を遣って息を潜めなくともよかったかもしれない。
白夜は常に、穏やかだ。
ま、いきなり現れられたら多分逃げたから、やっぱり彼が現れたおかげかな。
その星喰いの対策について考える。
わたしの大切な存在を与えておいて奪おうとする闇を、一体どうすればいいのだろうか。




