【第9話】目指せ!赤点回避。王子様は家庭教師
いつもの昼休みのテラス席。
庇のむこうは夏の日差しがじりじりと照りつけ、いよいよ夏本番といった空気を漂わせていた。
本来ならば、もうすぐやってくる夏休みに胸を躍らせる時期だ。カミーユ様たちと海や山へ遊びに行く予定も立てているのだから、わたくしの乙女心はウキウキで最高潮のはずだった。
しかし、そんなわたくしの前に、巨大な壁が立ち塞がっていた。
夏休み前の筆記試験である。
「このままでは、わたくしだけ補習になってしまいますわ……」
わたくしはテーブルに突っ伏して、深いため息をついた。
もしテストで赤点を取ってしまえば、夏休みの半分は補習授業で潰れてしまう。そんなことになれば、カミーユ様との甘いバカンスの予定がすべて白紙になってしまうのだ。
問題は魔術学である。
わたくしは膨大な魔力を持ちながら、体外に放出できない特異体質のため魔法がいっさい使えない。そのせいか、どうせ使えないしと今まで真剣に勉強してこなかったツケが、ここに来て一気に回ってきてしまったのだ。
「大丈夫よエリザベート。私がつきっきりで勉強を教えてあげますわ」
向かいの席に座るクララが、胸を張って頼もしい言葉をかけてくれた。
「じゃあ、僕たちも一緒に勉強につきあうよ」
お盆に焼きたてのクッキーを乗せてやってきたカミーユ様が、キラキラとした笑顔で提案した。
「割って入ってくんじゃねーよ、ハゲ!」
「カミーユ殿下はハゲておりません!」
フェリックス様が胃のあたりを押さえながらフォローを入れる。
「み、みなさんが一緒に教えてくださると、とても心強いですわ」
わたくしが両手を合わせてお願いすると、三人は週明けのテストに備えて、週末に我がシュヴァリエ家でテスト勉強を手伝ってくれることになったのである。
『おい、俺が教えてやろうか?』
その日の夜。自室のベッドで寝転がっていると、脳内から師匠のくぐもった声が聞こえてきた。
「結構ですわ。せっかくカミーユ様に勉強をみていただけるチャンスなのに、どうしてむさ苦しいおっさんに教えてもらわなきゃいけませんの」
わたくしがキッパリと断ると、師匠は万年床の上で鼻を鳴らした。
『ふん。あとで泣きついても教えてやらねーからな……』
「泣きつきませんから大丈夫ですわ。わたくしにはカミーユ様という最強の家庭教師がついておりますもの!」
そして迎えた週末。
カミーユ様、クララ、そしてフェリックス様の三人が、我がシュヴァリエ家へとやってきた。
「まあまあ!カミーユ殿下、ようこそいらっしゃいました!」
お母様は底抜けに明るい笑顔で、カミーユ様一行を大歓迎していた。ちなみにお父様は、朝早くから農場へ土いじりに出かけており不在である。
「さあ、明日に備えて頑張りましょう!」
わたくしは気合十分で声を上げた。なんたって、これにはカミーユ様との愛の夏休みがかかっているんですもの!
わたくしの部屋に移動した四人は、さっそく勉強を始めた。
丸いテーブルを囲むように座り、分厚い魔術学の教科書とノートを広げる。
「そうですわ。この魔法陣はさっきのものと、ここの部分が一緒なんです。さすがエリザベート、飲み込みが速いわ」
クララがわたくしのノートを覗き込みながら褒めちぎってくれる。
「ふふん、愛の力ですわ」
勉強は驚くほど順調だった。カミーユ様とクララは、それぞれの学年でトップの成績を誇る秀才だ。教え方が上手いのはもちろん、どこがテストに出やすいかも的確に教えてくれる。
「順調だね。このまま進めればテスト範囲は予定通り終わりそうだ。少し休憩しようか、エリザベートも疲れただろう」
カミーユ様が懐中時計を見て微笑んだ。
「そうですわね。頭を使ったら、甘い物が食べたくなりましたわ。クロエ」
「はい、お嬢様」
「きゃっ!どこから出てきたの、この子!」
音もなく突然テーブルの横に現れたクロエに、クララがびくっと肩を揺らして驚いた。
「お茶を用意してくださる?」
「かしこまりました、お嬢様」
クロエが一礼して姿を消したかと思うと、あっという間にティーセットとシンプルなシフォンケーキを運んできた。
真っ白な皿の上に乗せられたシフォンケーキは、見た目こそ派手さはないものの、ふわりとした甘い香りが漂っている。
ケーキを口に運んだ四人は、一斉に目を見開いた。
「こ、これは!」
フェリックス様が声を上げる。
「すごく美味しいわ!」
クララも頬を抑えて驚愕している。
「これは素晴らしい…」
カミーユ様が真剣な顔つきでフォークを見つめた。
「生地のきめ細かさ、絶妙な焼き加減、そしてこの上品な甘さ……このケーキはどこのお店のだい?」
「私がお作りいたしました」
クロエが無表情のまま淡々と答えると、カミーユ様はガタッと椅子から立ち上がった。
「なんだって!そうか、エリザベートはいつもこんなレベルのデザートを食べているんだね。僕も負けていられない!厨房をお借りできるかい?」
「かしこまりました。こちらでございます」
案内しようとするクロエに、フェリックス様が慌てて割って入った。
「殿下!エリザベート嬢の勉強はどうするんですか!」
「今のペースなら十分間に合うさ。それにローラン様も言っている。『急がば回れ』ってね」
ドヤ顔で言い放つカミーユ様に、脳内で師匠が不安げに呟く。
『そりゃただのことわざだ。しかし下手をすると世の中のことわざが、すべて俺発祥になってるかもしれねぇ……』
カミーユ様は目を輝かせながら、無表情のクロエに向き直った。
「ねぇ君、クロエさんだっけ?」
「はい。クロエで結構です、殿下」
「君のお菓子作りの腕は本当に素晴らしい。もし良かったら、僕と勝負してもらえないかい?」
「承知いたしました」
なぜか急遽始まるお菓子作り対決。テスト勉強も気にはなるが、わたくしとしてはカミーユ様の手作りスイーツが食べられるのでウキウキである。わたくしたち五人は、足早に1階のキッチンへと移動した。
「あら、みんなでお菓子作り?楽しそうね!」
キッチンにはお母様がいて、楽しそうな様子に目を細めた。
「そうだわ、今日行商の方が珍しい苺をおいていってくださったのよ。これを使ってみては?」
お母様が籠から出してくれたのは、小ぶりだけれど真っ赤でツヤツヤとした、とても美味しそうな苺だった。
「素晴らしい!じゃあこれを使って、苺のロールケーキ対決だ!」
カミーユ様の宣言と共に、二人のクッキングバトルが幕を開けた。
わたくしたち三人は、ダイニングテーブルからその様子を見守る。
「すごいよクロエ、素晴らしい手さばきだ!メレンゲの泡立てが完璧だね!」
「作業中にしゃべんじゃねーよ!ツバが入るだろーが!」
クララがツバを飛ばしながら、激しいツッコミを入れる。ツバが入っても、カミーユ様のツバならわたくしは全然大丈夫ですわよ。むしろご褒美ですわ!
カミーユ様の王宮仕込みの芸術的な技術と、クロエの無駄を一切省いた洗練された動き。二人の手によって、あっという間に極上のロールケーキが二本完成した。
切り分けられた二種類の苺のロールケーキを、みんなで一斉に口に運ぶ。
「これは……どちらも甲乙つけがたいですね」
フェリックス様が感心したように唸った。カミーユ様のケーキは華やかでとろけるような甘さがあり、クロエのケーキは素材の味を極限まで引き出した上品な仕上がりだ。
みんなで美味しく食べ終え、わたくしは満足げに頷いた。
「これは引き分けですわね」
「いいえ、私のケーキは殿下のケーキに遠く及びません」
謙遜して頭を下げるクロエ。突如始まったケーキ対決は、お互いの健闘を讃え合うという美しい引き分けに終わった。
「さぁ、美味しいケーキも食べたし、みんな勉強にもどり……」
わたくしが気合を入れ直して立ち上がろうとした、その時だった。
ドスン。
「へ?」
隣に座っていたクララが、急に机に突っ伏した。スゥスゥと静かな寝息を立てている。
「ク、クララ?どうしましたの?」
慌てて周りを見ると、なんとフェリックス様も、そしてあろうことかカミーユ様までが、椅子にもたれかかって気持ちよさそうに眠ってしまっているではないか。
「どうしたの!?みなさん!まさかわたくしとのお勉強が楽しみすぎて、昨晩眠れませんでしたの!?」
『落ち着けエリー。ちょっとケーキに使った材料を見せてみろ』
脳内の師匠の冷静な声に、わたくしは急いでお母様が置いていった苺の籠を確認した。
『……こいつだ。「夜の雫」、通称「眠り苺」だ』
「ど、毒なんですの!?」
『いいや、睡眠薬に使われる薬草の一種で副作用もない安全なものだ。ただ、さすがに食べすぎだ。おそらく明日の朝までぐっすりだぞ』
安堵と絶望が同時に押し寄せてきた。
「ど、どうしてわたくしは平気なんですの?」
『お前は体内の魔力量が多すぎて、常に体が活性化している状態だ。毒物や病原菌などが効かない体なんだろう。超回復の副産物みたいなもんだな』
「良かったですわ……って、よくないですわ!このままでは勉強の続きができないですわ!」
わたくしの夏休みが!カミーユ様とのバカンスが!補習授業の闇に消えてしまう!
絶望に打ちひしがれるわたくしは、すがるような思いで脳内の扉をノックした。
「……ししょー」
わたくしは、おっさんの部屋に行き、しゃがんでベッドの上の師匠に、チラッチラッと上目遣いで視線を送る。
『……しゃーねーな。俺が教えてやるよ』
「ああ、さすが師匠!一度は、むさいおっさんより美少年を選んでしまってごめんなさい!一生ついていきますわ!」
現金なもので、こういう時は本当に頼りになる。
クロエにお願いして眠ってしまった三人を客室へ運んでもらい、わたくしは師匠とともに、一晩中猛勉強を頑張ったのだ。
ーー
そして迎えた試験当日。
わたくしは教室で、配られた魔術学のテスト用紙に向かっていた。
「ふふっ。ここはみんなでやったところ……ここは師匠に教えてもらったところだわ!」
師匠の教え方は、教科書のセオリーとは少し違っていたが、とにかく本質を突いていて分かりやすかった。わたくしのペンは止まることなくスラスラと解答欄を埋めていく。
こうして、わたくしは無事試験を終えることができた。
手応えは十分。赤点を回避できたと確信したわたくしは、カミーユ様との甘い夏休みへの期待に胸を膨らませていた。
しかし後日。
わたくしが師匠の教え通りに書き込んだ試験の解答の一部が、学園の教師陣はおろか、国中の魔法省を巻き込んで「数百年前に失われた術式の再発見だ!」と大騒ぎになっていたことを、わたくしは知る由もなかったのである。




