【第22話】さよならローラン師匠。また逢う日まで
ズガガガガガガガガガガガガッ!!
ドガンッ!!!
「くっ!!」
ズザザァー……。
「もうああして三十分以上打ち合っているわよ……」
クララが不安げな眼差しで、わたくしを見つめている。
わたくしの放つ音速の拳は未だ魔王の芯には届かず、逆に相手の重い一撃をいなすだけで精一杯だった。ピンクの魔力は徐々に薄れ、体力が恐ろしいスピードで消耗していく。
「負けるもんですか……負ける…もんですか!」
『ダメだ!焦るな!冷静になれ、エリー!』
師匠の必死の制止も耳に入らず、焦ったわたくしは、不用意に魔王の懐へと深く飛び込んでしまった。
そして、その一瞬の隙を見逃すような甘い魔王ではない。
ドガァァァン!!
「きゃあっ!」
わたくしは、魔王の放った体重の乗った右ストレートをまともに食らい、闘技場の石畳を数十メートルも無様に転がった。
「エリザベート!」
VIP席にいたカミーユ様やみんなが、危険も顧みずに飛び出し、わたくしの元へと一目散に駆けつけてくる。
「エリザベート、もういい!ここからは、僕が君を守る!」
カミーユ様がわたくしの前に立ち塞がり、その両手に極大魔法を練り上げ始める。
「何を言ってるのかしら、このハゲは。私たちが、エリザベートを守るのよ!」
クララが杖を構え、いつものようにカミーユ様に暴言を吐きながらも、その背中は決して引こうとしない。
「カミーユ殿下はハゲてはおりませんが、その意見には完全に同意です。クララ様」
フェリックス様も腰の剣を抜き放ち、静かな、しかし確固たる決意を持って魔王を睨みつける。
「ああ、兄であるこの僕が、妹を絶対に守り抜いてみせる!」
お兄様がボロボロの剣を構え、わたくしの前に立ちはだかる。
わたくしの大切なみんなが盾となって、あの恐ろしい魔王の前に並び立ってくれたのだ。
「だ…だめよ…みんな……逃げて」
このままでは、みんな魔王に殺されてしまう。わたくしは震える足に無理やり力をこめ、なんとかふらつきながらも立ち上がった。
『くそ、俺には何もできないのか!何が英雄だ!何が師匠だ!このままじゃみんな殺されてしまう!』
ガァン!ガァン!ガァン!
『開けっ!開けっ!開けっ!』
脳内では、師匠がかつてないほど取り乱していた。絶対に内側からは開かないはずのおっさんの部屋のドアを、拳から血を流さんばかりの勢いで何度も何度も殴りつけ、こじ開けようとしている。
「師匠、私は大丈夫です…だって…あなたの弟子なんですから」
わたくしは心の中で師匠に優しく微笑みかけ、最後の力を振り絞った。
「わたくしがみんなを守ってみせる!」
わたくしはみんなの前に飛び出し、魔王に向かって全力で地面を蹴った。
ガァァァン!!
魔王の無慈悲なカウンターパンチが、わたくしの顔面に炸裂した……ように思えた。
「あ…あれは、誰だ……?」
背後で、テオドールお兄様がわたくしを見つめ、呆然と声を漏らした。
わたくしは無意識のまま、魔王のあの重い右ストレートを、左手一本でピタリと受け止めていたのだ。
「し…師匠……」
『よう。この、言うことを聞かないバカ弟子が……』
隣に立つ師匠は、かつての金剛アルマジロの装備を身にまとい、まるで陽炎のように揺らめきながら、わたくしと同じポーズで腕を前に突き出していた。
『頭を冷やせ。そして自分を信じろ。お前はあいつより強い!ここからは俺に合わせて動くんだ。英雄ローランの動きを、その身に叩き込め!』
透き通った陽炎のような姿のまま、師匠は不敵に笑った。
その言葉と同時に、師匠が魔王に向かって、一切の無駄を省いた素早いステップを踏みながら、高速の連打を繰り出した。
そしてわたくしは、その動きに引き寄せられるように、まるで不可視の糸で操られているかのように動きが完全にシンクロし始める。
ドガガガガガガガガガガガガ!!
『そら、ワンツースリー、ワンツースリー』
師匠の軽快な掛け声に合わせ、わたくしと師匠は、まるで優雅な輪舞曲を踊るかのように、規則正しくも破壊的なラッシュを魔王に叩き込み続ける。
「あのエリザベートと一緒に戦う男性は、一体誰なの……」
背後で、クララがぎゅっと右手の杖を強く握りしめながら、信じられないものを見るように呟いた。
「あれはきっと……英雄ローラン様だよ」
カミーユ様が、わたくしたちを優しく、そして熱を帯びた眼差しで見つめている。学園の中庭にあるような超絶イケメンの八頭身美青年とは似ても似つかない、無精髭のむさ苦しいおっさんの姿であっても、カミーユ様の純粋な瞳には、その身から放たれる圧倒的な英雄のオーラがはっきりと見えているのだろう。
ドガガガガガガガガガガガガ!!
ピシィ!
突然、ガラスにヒビが入ったかのような、甲高い音が闘技場に響き渡った。
わたくしと師匠の息の合ったラッシュが、ついに魔王の絶対的な防御を突き破り、その芯に届き始めたのだ。
『決めるぞ!エリー!』
「はい、師匠!」
わたくしは体内に残るすべての魔力を、右手の薔薇色粉砕手甲に一点収束させる。ピンクの魔力が台風のごとく激しく吹き荒れ、ボロボロになったドレスをたなびかせ、ピンクのロングヘアが重力を無視して逆立った。
薔薇色に眩く光り輝くローズスマッシュを、渾身の力をこめて、師匠の動きと共に真っ直ぐに突き出す。
「パンチは腰の回転で打つのですわ!絶対可憐・薔薇色免許皆伝打《スーパーウルトラミラクル・ラブリー・ローズ・フルマスターシップ・パンチ》ですわーっ!!」
ズゴオォォォォォォォォォォッン!!!!!!
わたくしと師匠の想いが重なった最後の一撃が、魔王の胸の中心に深々とめり込んだ。
ビシ…ビシビシビシ……バキャァァァァン!!
すさまじい衝撃波がコロシアム全体を駆け抜け、最後の一撃をくらった魔王は、まるで脆いガラス細工が砕けるように、粉々になって空の彼方へと消えていった。
空を覆っていた真っ黒な魔素の雲も一瞬で晴れ渡り、闘技場に再び温かい太陽の光が降り注ぐ。
「や…やりましたわ、師匠!」
わたくしは息を弾ませながら、隣に立つ師匠を見上げた。
『ああ、よくやったな。さすが俺の誇り高き弟子だ!』
そういって、わたくしを優しく見つめる師匠。しかし、その陽炎のような姿が、足元から少しずつキラキラとした光の粒になって、宙に舞い始めているではないか。
「し…師匠…どこにいくんですか…わたくし、まだまだ教えてもらってないことがたくさんあるんですの……」
わたくしは慌てて師匠に手を伸ばしたが、わたくしの手は温かい光の粒をすり抜けてしまう。
『どうやら俺はこの日のために、エリーの頭の中に転生したようだ。魔王が消滅した今、俺の役目も終わったらしい。もう、お前に教えることは何もない。今のエリーならきっとこれから先も、あの頼もしい仲間たちと共に、素晴らしい未来を切り開いていけるはずだ』
師匠が満足そうに、穏やかな笑顔を見せた。出会った頃からずっと、脳内の万年床で酒ばかり飲んでいたむさ苦しいおっさんが、今は誰よりもかっこよく、真の英雄に見えた。
「おっさん……」
わたくしの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。
『ははっ、久しぶりだなその呼び方。……さようならは言わないぞ。またな、エリー』
「はい、また会いましょう。……ローラン師匠」
わたくしの頭の中に住み着いていた、口が悪くて自堕落で、でも誰よりも頼りになる最高のおっさんは、満面の笑みを浮かべたまま、無数の光の欠片となって天へと消えていった。
「エリザベート!」
背後から、カミーユ様やお兄様、友人たちが駆け寄ってくる足音が聞こえる。
わたくしたちは、空高く溶けるように消えていく、その温かく優しい光の粒をいつまでも、いつまでも見上げていた。




