メール
休日の昼下がり、ソファの背もたれに寄りかかってスマホを触る俺に、ハルが無邪気に声をかけてきた。
「なにしてるのー?」
「メール」
「誰に?」
「白石さん」
俺はスマホのキーボードをタップしながら答えた。
先日呼び出されたとき、白石さんから名刺をもらっている。「なにかあったらメールで連絡してください」と言われていたので、異変に遭ったら報告することにした。
ハルが背もたれ越しにこちらを覗き込む。
「異変って、昨日言ってた、清掃バイトの迷路のやつ?」
「そう」
俺は短く返し、メールの本文を打ち続けた。
発生場所は○○オフィスビル、発生時刻は午前10時頃。現象は廊下の構造が変化、分岐の増殖。自分のいる場所は無人になり、フロアが迷路化した。脱出方法は、非常口ピクトグラムの矢印に従うのみ。
「こんな感じでいいか」
「白石さんって、異変のこと調べてる人なんだよね?」
「まあ、そうなんだけどさ」
俺はスマホに打った文面を確認しつつ、ため息をついた。
「あの人、報告しろって言うくせに本音では異変のこと半信半疑なんだよなあ」
「えー? そうなの? 変なの」
「うん。なんていうか、データとしては興味あるけど、信じてるわけじゃないですよって顔してる」
俺が眉を寄せると、ハルはくすっと笑った。
「裕人は嘘ついてないのにね! でも裕人みたいに異変に何回も呑まれてる人って珍しいし、平然としてるから、嘘っぽいのかもね」
「そのとおり、白石さんも正直にそう言ってた。俺が白石さんの立場でもそう思うだろうよ」
そう言いながら、俺は送信ボタンを押した。
「こんな報告したら、また呼び出されるかもしんないけど、協力するって決めたしな」
「そーだね。さ、今日はバイトお休みなんでしょ。ゆっくりしよー」
ハルののんびりした声を聞くと、肩の力が抜ける。
スマホがロック画面に戻る。画面いっぱいに実家の猫の写真が表示されている。大学進学を機にこちらに引っ越して以来、実家には盆と正月に帰るくらいだった。それも去年の夏からは、盆と正月はバイトの時給が良いからという理由で帰っていない。
異変のことも、家族に話していない。異変は今のところ、東京23区で集中的に発生しており、外の人にとってはぴんとこないものである。俺が異変に遭遇していることを家族に話そうとすると、まず異変とはなんなのかから説明しないといけなくて面倒くさい。俺だってなんなのか分からないものを、どう説明すればいいのやら。無駄に心配をかけるくらいなら、別に言わなくてもいいか、と判断している。
ハルが俺の横顔を覗き込み、尋ねてきた。
「ねえ、裕人」
「ん?」
「いつも上手く異変を切り抜けるけど、どうやって出口を見つけてるの?」
無邪気でシンプルな質問に、俺は天井を見上げた。
「どうやって、ねえ」
今まで異変に取り込まれては、なんとなく分析して攻略してきた。だが、言われてみれば自分がどういう思考回路でなにを基準にして解いてきたか、言語化したことはなかった。
「俺の経験則だと、多分だけど」
ハルはうんうん、と頷いて聞いている。
「異変には異変の秩序みたいなものがあるんだよ。それを乱す」
「秩序?」
「例えば電車の非常通報ボタンとか、建物の非常口とかさ。ああいうのって、イレギュラーが起きたときに飛びつくものだろ」
「非常、だもんね」
「異変の中にいても、そういう『非常時の仕組み』を使うと、異変側から見てイレギュラーが発生した形になるっぽいんだよ」
深夜のコンビニで起こった異変も、ある意味そうだ。ほぼ全てが動かなくなった空間の中で、動くものというイレギュラーを見つけると、そこが脱出のヒントになる。
「で、異変の秩序が乱れると、現実と異変の境界が曖昧になって、戻れる隙ができる」
「それで帰ってこられるんだ」
「そういうパターンが多い気がするってだけだけどな」
「ふうん」
ハルは聞いてきたくせに興味なさげに鼻を鳴らした。
「そういうのも、白石さんに報告したら喜ぶかもよー? 異変の構造を理解してる人って、多分、裕人くらいしかいないよ」
「構造を理解してる、って言えるほど理解してるわけじゃないぞ? そんな気がするという程度であって、想像の域を出ない」
俺は天井を仰いだ。
異変は毎回違うから、同じパターンが通用するとも限らない。そもそも秩序がどうのとか、そんな構造的なものがあるのかどうなのかも、よく分からないものだ。
とはいえハルの言うとおりでもある。これまで何回かそうやって戻ってきたのだから、初めて異変に遭う人よりは、俺の方が慣れている。
ただの想像なのに、共有していいものだろうか。
でも、白石さんが話していたアンケート結果によると、異変に遭遇した人は殆どが憔悴してしまうという。SNSを見ると、異変に遭遇していない人も、遭遇するかもしれない恐怖に苛まれている。
攻略法っぽいものがあるならできるだけ広めた方が、人々の不安を多少は取り除けるかもしれない。
「言うだけ言っておくか」
役に立ちそうなら白石さんが民間に広めるだろう。そこまでの信憑性がないならそれまでだ。そこの判断は白石さんに任せればいい。
俺はだらだらとソファに寝そべった姿勢で、白石さんへの追加のメールを打ちはじめた。




