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都市安全対策課特別相談室

「すみません、約束の時間は11時だったのに。ホントすみません。はい、今、駅なので。もうすぐ着きます」


 俺は痛む肘をさすりながら、やっと通じたスマホで電話をした。改札を抜けて、駅の外の空気を吸う。


 異変から解放されて降りた駅は、目的地の駅からちょうど対角線上の駅だった。また半周させられて無駄に時間を食われ、目的地に着く頃には約束の時間よりも1時間以上遅れた。

 外の光が眩しい。数分前まで異変の中にいたというのに、こうして日常に戻ると、あれは全部夢だったかのような感覚に陥る。


 目黒駅で降りた俺は、駅から少し歩いた先にある建物へ向かった。その施設は役所の出張所とも違う、かといって警察署のようでもない、どこか曖昧な立ち位置の建物だった。外観は普通のオフィスビルだが、入口にあるプレートには「都市安全対策課特別相談室」の文字があった。

 自動ドアをくぐると、受付の女性が軽く会釈した。俺はそこで、鞄から封書を取り出す。


「三崎と申します。白石さんって人から、ここに来るように呼ばれて来ました」


 封書の差出人は、都市安全対策課特別相談室・白石とある。


 先日、都民向けの異変に関するアンケートに回答した。そのアンケートを提出した2日後に、この封書が届いた。

 中に入っていた文書によると、行政は今、異変について本腰を入れて調査中で、異変の体験者から聞き取り調査を行なっているという。アンケートの回答者から、その聞き取りの対象者を選び、ここへ呼んでいるのだ。


 受付の人に案内され、会議室の前で足を止める。扉がノックされ、キイと開いた。

 中にいたのは、スーツ姿の男。眼鏡の奥の目は鋭く、机の上にはタブレットと、分厚いファイルが積まれている。


「三崎さんですね。都市安全対策課の白石直哉と申します」


 四角四面な、飾り気のない名刺を手渡される。声は落ち着いていて、どこか期待と疑いが混ざっていた。俺はぺこりと会釈をする。


「初めまして。三崎です。遅刻してすみませんでした」


「その、遅刻の理由ですが……先程いただいたお電話でのご説明によると……」


 白石さんが、眉間にわずかに皺を寄せる。訝る彼に、俺は正直に頷いた。


「はい。電車での移動中に、異変に邪魔されました」


 この白石さんは今日、異変体験について聞くために俺をここへ呼び出したわけだが、俺はここへ来る途中にまさに異変に遭遇した。

 白石さんが堅物そうな顔を、一層強張らせた。


「ひとまず、おかけください」


「失礼します」


 俺は彼に促されるまま、硬い椅子に腰を下ろした。白石さんは早速ファイルを開き、アンケートの回答についてまとめたものと思われる資料とにらめっこしはじめた。


「ここへ来るまでの間に、異変ですか」


 話し方は丁寧だが、どこか線を引いているような冷たさがあった。俺ははい、と頷く。


「そうです。いつの間にか電車の中が俺ひとりになって、駅に止まらなくなりました」


「その状況から脱出して、今ここにいらっしゃると」


 ちらっと目を上げた白石さんの表情は、驚きや同情でもなく、疑いを含んだ静かな観察の顔だった。


「遅刻の言い訳でなく?」


「直球ですね。違うんです。そう思われても仕方ないけど」


 異変は、経験がない人からすれば経験したと言っている方が異常に見える。本人の精神の問題だと話す自称専門家もいるくらいだ。

 こうして約束の時間に遅刻して、その理由を異変のせいだなんて言えば、嘘をついていると疑う人も当然いる。俺は椅子に深く座り直し、白石さんをじっと見た。


「もしかして、異変を調べてる部署の人なのに、俺の話を疑ってます?」


 白石さんはペンを止め、顔を上げた。眉を顰めた険しい顔のまま、丁寧な声で答える。


「失礼しました。そういう意図はありません。ただ……」


 彼はファイルを指先で軽く叩いた。


「アンケートの回答者の中には、いたずら目的や、注目を集めたくて虚偽の申告をする方もいらっしゃいまして。異変に遭ったという証言は、行政として慎重に扱わざるを得ない……というだけです」


 つまり、疑っているのである。

 異変の話をするために呼び出されたのに、異変について話して嘘つき扱いされるのではたまったものではない。


「マジなんだけどな……証拠になるようなものもないんだよなあ。今日のあれは脱出にちょっと手こずったっつうか、そもそも気づくまでに時間がかかったせいで遅刻したんです。いや、遅刻したのは本当にすみません。どんな理由であれど、待たされた方からすれば迷惑ですもんね」


「遅刻を責めているわけではありませんよ。では、嘘ではないのなら、どうやって現実に復帰したのかお伺いできますか」


「戻るためのとっかかりを見つけて、アクションを起こして、異変を破るんですよ。今回で言うと、停車しない環状線をぐるぐる回り続ける異変だったんですけど、時々車窓に映る自分の影が二重になるタイミングがあって。その瞬間に緊急通報ボタンを押したら戻れました」


 延々と回り続ける、停車駅のない環状線を反芻する。


「多分あれは、現実のレールと異変の異空間のレールが途中で入れ替わったんだと思う。現実の電車と異変の電車は、きっと、鏡みたいに同じように動いていて」


 異変の車両には、2、3分おきに隙があった。電車が止まるわけではないが、あれは本来のレールでいう、駅に停車してる時間だったのではないかと思う。その短い時間が、異変を破る唯一の機会だった。


「車窓に映る自分が二重になったのは……なんだったんだろうな。異変と現実が接してる瞬間だから、異変側の車両の窓に映ってる俺と、現実の光を受けて映ってる俺が、両方映ってるとか?」


 分からないなりに仮説を立ててみる。仮説を立てたところで、同じ異変にもう一度遭遇することはそうないから、考えても意味がないが。

 白石さんはメモを取りながら、言った。


「前回のアンケート調査の結果では、異変に遭遇したと回答した人のうち約70%が『思い出したくない』と回答」


 資料を読み上げるような言い方で、淡々と告げる。


「約40%が睡眠障害・不安症状を訴える。異変からの帰還についての設問には、『どうやって戻ったか覚えていない』が多数。証言は断片的で、『気づいたら戻っていた』『出口が分からなかった』など、異変遭遇者は『帰還方法を説明できない』」


 彼はちらりと、目だけ上げた。


「三崎さんのアンケート回答内容によれば、過去半年で少なくとも5、6回、異変に遭遇。全て自力で帰還。それぞれ戻ってくるまでの経緯も回答されていた。三崎さんの証言は、非常に具体的です」


「異変に遭った人ならちゃんと説明できるわけないから、俺の証言は嘘だって言いたいんですか?」


「事実であれば、数少ないデータとして重宝されます。だからこそ、慎重に確認させていただいています」


 白石さんは目を伏せて、咳払いをした。


「ご気分を害されたのでしたら、申し訳ございません。私自身、異変の現場経験ゼロでして、経験者の方が話すような出来事が本当に起こっているとは到底信じがたいんです。内心、異変を精神疾患か集団ヒステリーと疑っているというのが本音です」


「正直にそう言ってもらえると、逆に安心します」


 呼び出されたから答えているのに疑われるのは、気分の良いものではない。けれど、こんな現実味のない、雲を掴むような事象の担当者をさせられて、白石さんも苦労しているのだと察する。彼も言っていたとおり、嘘をつく人もいるのだろうし。


「なにか質問があれば答えます。信じなくてもいいです。とりあえず、データとして取っといてください。俺は協力しますよ。異変には迷惑してるんで」


 俺が協力することで、行政が異変をどうにかしてくれるならしてほしい。白石さんはペンを握り直した。


「では、まず簡単にプロフィールをお伺いできますか。アンケート内でもご回答いただいていますが、追加で詳細を」


「はい。三崎裕人、24歳です。フリーターです」


「ご家族は?」


「未婚です。実家は離れてます」


「ふむ。異変に遭遇した方は、そういう環境の方が多い傾向にあります。特定の人と強い繋がりを持たない、単身の方」


 白石さんが唸る。俺はああ、と妙に納得した。


「異変は大抵、ひとりになったときに起こる。単身者で、周りに人がいない時間が長い人ほど、異変に絡め取られやすいのかもしんないですね」


 電車内では他に人はいたけれど、知らない人ばかりだった。俺を三崎裕人だと認識できる人はいない。そういう意味で「ひとり」であるときに、異変は訪れる。

 白石さんはなるほど、と呟いてメモを取り、質問を続けた。


「では続いて、最初に体験した異変から順番にご説明願います。いつ頃、どこで、どういった状況でなにが起こり、どの程度その状況にあったか。どのようにして現実に戻ったか、なるべく具体的にお願いします。覚えている限りでいいので」


 異変を信じないまま、仕事だから割り切って協力を求める。この真面目そうな人が矛盾の中でどんな思いをしているかと思うと、白石さんが気の毒に思えてきた。俺は彼に半ば同情しながら、話し出した。


「最初に経験した異変は、大学一年の頃です。5年前っすね」


 信じていない相手に、信じられていないだろうなと自覚した上で、嘘みたいな出来事を話す。なんとも言えない空虚な時間が流れた。

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