解放
その日俺は、三度目となる白石さんとの面談に訪れていた。
「お忙しいところ、いつもご足労いただきありがとうございます」
「いえ、俺も話したいことあったんで、ちょうどいいです」
俺は相変わらず座り心地の悪いパイプ椅子に座って、テーブル越しの白石さんと向き合った。
白石さんは今日も、うっすらと疲れの滲んだ目をして、淡々と話し出した。
「異変の正体や発生の基準など、なにか新しく分かったことはありますか」
「なにも。やっぱ都市のバグなんじゃないすかね。そんな想像をしてる程度です。白石さんは?」
「こちらも調べてはいますが、依然、結論には辿り着けない状況です」
異変の存在は、依然として謎に包まれている。なぜ起こっているのか、誰も知らない。
白石さんがファイルを捲る。
「ひとまず、アンケート結果と他の体験者からの聞き取り調査をまとめました。まず、異変は毎回違った形で観測されている。これは三崎さんもご存知のとおりですね」
「そうですね」
「アンケートの回答者が増えれば増えるほど、十人十色の異変の話を聞くことになります」
白石さんが資料を指で示す。
「異変の範囲、空間の大きさも様々です。個人の部屋サイズから、大型ビル全体規模まで確認されています」
「俺もコンビニからオフィスビルまで色々あったしな」
「ただし、共通点もあります」
白石さんの声が、慎重に続ける。
「異変の中では、体験者以外の人間が周囲からいなくなること。これは全例で一致しています」
「はい。毎回、俺もひとりにされてる」
俺は自分の経験を振り返った。
「ひとりのときに異変が起こる、っていうものあるけど、周りに人がいたはずなのに、いつの間にかひとりになってるってこともある。たくさん人がいて当然の場所なのに、気づいたら俺だけになってる、みたいな。もうその時点で、異変が始まってるのかもしれないな」
ぱっと突然、人が目の前から消えるわけではない。「あれ、おかしいな」という「違和感」から、だんだんと「異常」を確信させられていく感じ。
白石さんは俺の言葉をメモに取り、続けた。
「そしてもうひとつ。異変体験者の9割以上が、『閉じ込められた』と感じています。三崎さんも、コンビニのドアが固定されて出られなかったし、環状線は走りっぱなしで出られず、工場のコンベアのフロアでは自動ドアの開閉が反転して出られなかったと仰っていましたね」
「はい。たしかに、異変が起こってるときは閉じ込められる状態になりがちっすね」
閉じ込められるから「やばい」と感じて、出ようと藻掻くのである。白石さんが頷く。
「やはり、閉じ込められた感覚は強いようですね」
「でも、直近の『無彩色』の異変は違ったかも」
俺が言うと、白石さんが顔を上げた。俺はええと、と言葉を選ぶ。
「いや、なんだろう、透明の壁に阻まれてたから、閉じ込められたとは感じた。けど、天井が開いてた。壁はあったけど、上は自由だった」
「なるほど。閉じ込められたと感じるのは体験者の主観ですが、異変そのものが閉じ込める構造を持つとは限らない、と」
「そうですそうです、それが言いたかった」
俺の代わりに白石さんが言語化してくれた。俺は頷きながらつけ足す。
「たとえば、コンビニの『固定』の異変は、ドアが閉まった状態で固定されたから閉じ込められたわけだけど、自動ドアかスタッフ通用口がたまたま開いてる状態で固定されてたら、出られたと思うんです。異変の範囲がコンビニのみだったなら、ドアから出れば、異変からもあっさり脱出できる」
「異変の作用によって、体験者が閉じ込められる状況になることは多い。しかし、構造としては開いている異変もある……ということですね」
白石さんは興味深そうにメモを書き込んだあと、改めて俺と目を合わせた。
「三崎さんの体験は、我々にとって非常に重要です。異変の共通点と例外を同時に観測し、持ち帰って冷静に思考できる人は、殆どいませんから」
「遭いたくて遭ってるわけじゃないけど」
俺はぼそっとぼやいて、それから報告事項を思い出した。
「でも白石さん、俺、ここから2ヶ月くらいは異変に遭わなくなりますよ」
「ふむ? それはなぜ?」
怪訝な顔をする白石さんに、俺は言った。
「2ヶ月程度、実家に住むことにしました。都外に出るので異変には遭わなくなるかと」
「2ヶ月。ご家庭の事情ですか?」
「そうです。母さんが膝の手術をすることになって、しばらくはリハビリがいるから。家事も猫の世話も親父ひとりだと危なっかしいもんで、ちょっと助っ人というか、そんな感じです」
母さんから施術の報告があったのは、先週のことである。手術といえど、膝の動きを良くして元気に活動しやすくするためのもので、怪我や重い病気などの深刻な事情ではない。
とはいえ手術して間もない頃は痛みが強く、これまでどおりに歩けるようになるまで2ヶ月くらいはかかるというので、その期間は実家で家族のフォローをすることにした。
定職に就いていないと、こういうとき身軽で良い。
「久しぶりに猫にも会えるし、ちょっと楽しみ。なんて、母さんは痛い思いすんのにこんなこと言ったらだめか」
「そうですね。猫さんが……」
白石さんは少し猫に気を取られかけてから、真顔で切り替えた。
「ご実家が都外でしたら、おっしゃるとおり異変に遭うこともないでしょう。安心して過ごせますね」
「はい、異変から解放されるのは嬉しいです。少なくとも2ヶ月は白石さんの役に立てなくなるんで、承知しといてください」
「ええ、ご安全に過ごしていただければなによりです。2ヶ月後、こちらに戻られてから、またなにかあったらご連絡くださればと思います」
事務的に話を締めて、白石さんはファイルを閉じた。異変とも、この人とも、しばしのお別れである。俺は妙に座り慣れてしまったこの会議室を、ゆっくりと仰いだ。




