9話
九条と遭遇してから三日。
大きな事件は起きていなかった。
だが、だからといって平和というわけでもない。
「近い」
「そうか」
「近いんだって」
神谷恒一は机に突っ伏した。
最近このやり取りばかりしている気がする。
隣を見ると暁がいる、いつも通り。
だが少しだけ違った。
以前の暁は、必要だから近くにいた。
契約のため、安定のため合理的な理由があった。
しかし最近は理由が曖昧になっている。
例えば今。
昼休み、教室。
特に何も起きていない。
なのに暁は恒一の隣にいる。
「何してるんだ」
「観察」
「何を」
「恒一」
「なんで」
「……」
暁は少し考えた。
そして。
「分からない」
と答えた。
その様子を少し離れた場所から見ている人物がいた。
霧島彩音である。
「やっぱり変わってきてるなぁ……」
小さく呟く。
氷室が隣で聞き返した。
「何がだ」
「暁さん」
彩音は視線を向ける。
「前は契約者として見てた」
「今は違う気がする」
氷室も二人を見る。
数秒。
そして。
「気のせいじゃないか」
と答えた。
だがその声には自信がなかった。
放課後。
今日は珍しく協会からの呼び出しもない。
鬼塚もまだ療養中。
久しぶりに平和だった。
帰り道、夕焼け。
二人で歩く。
「なあ」
恒一が言う。
「なんだ」
「九条のこと」
暁が少しだけ視線を向ける。
「何か思い出したか?」
数秒、沈黙。
そして。
「少し」
予想外の返事だった。
「本当か?」
「断片だけ」
暁は空を見る。
「戦った」
「誰と?」
「多分」
言葉が止まる。
頭痛でもするように眉をひそめる。
「思い出せない」
それ以上は出てこなかった。
帰宅後、夕食。
テレビではニュースが流れている。
街の再開発、芸能人、天気予報。
平和な内容だ。
鬼も妖怪も出てこない。
それが普通だった。
「不思議だな」
恒一が呟く。
「何が」
「世界」
暁が首を傾げる。
「妖怪とか鬼とかいるのに」
「みんな普通に生きてる」
少し考える。
そして暁は言った。
「それが人間だからではないか」
「らしくないこと言うな」
「そうか?」
「そうだよ」
夜。
恒一は部屋で宿題をしていた。
時計を見る。
十一時。
そろそろ寝る時間だ。
ふと違和感を覚える。
静かすぎる。
「暁?」
返事がない。
リビングへ向かう、いない。
キッチン、いない。
風呂場、いない。
「……どこ行った?」
珍しい。
今まで勝手に出歩くことなどなかった。
玄関を出る。
夜風が吹く。
住宅街は静かだ。
数分ほど探していると近所の公園に人影を見つけた。
ベンチ、月明かり。
そこに暁が座っていた。
一人で。
「何してるんだ」
声をかける。
暁が振り返った。
そしてほんの少しだけ目を見開く。
「恒一」
「探したぞ」
「そうか」
いつもならそれで終わる。
だが今日は違った。
暁は少し黙る。
そしてぽつりと呟いた。
「目が覚めた」
「?」
「お前がいなかった」
恒一は首を傾げる。
意味が分からない。
「それで」
「……」
言葉が続かない。
暁自身も整理できていないようだった。
数秒後。
ようやく口を開く。
「少し気になった」
静寂。
夜風が吹く。
恒一は思わず固まった。
今の言葉、本当に暁が言ったのか?
「気になった?」
聞き返す。
「そうだ」
「俺が?」
「多分」
曖昧だった。
だが確かだった。
以前の暁ならそんなことは言わない。
契約者だから必要だから。
そう説明したはずだ。
しかし今は理由を説明できていない。
「帰るか」
恒一が言う。
暁は小さく頷いた。
立ち上がる。
そして歩き出そうとして少しだけ止まった。
「どうした」
「……」
暁は数秒考える。
それから恒一の制服の袖を軽く掴んだ。
本当に軽く。
引き留めるように確認するように。
「暁?」
「いや」
彼女は首を振る。
だが手は離さなかった。
「この方が分かりやすい」
何がとは言わない。
言えないのかもしれない。
帰り道。
月が出ていた。
二人並んで歩く。
暁の手はいつの間にか離れていた。
だが距離はいつもより近い。
ほんの少しだけ恒一は気づいていなかった。
そして暁自身も理解していなかった。
契約の影響。
安定のためそんな理屈ではなく。
ただ一緒にいたいと思い始めていることを。
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