8話
夜、神谷家のリビング。
空気は重かった。
氷室玲司の言葉が静かに響く。
「知能がある妖怪だ」
恒一は眉をひそめた。
「今までの奴と何が違うんだ」
「全部だ」
氷室が即答する。
「鬼や下級妖怪は本能で動くことが多い」
「だが今回の相手は違う」
「罠を張った」
「戦力を分析した」
「そして鬼塚を潰した」
冗談じゃない。
それはもう獣じゃない。
敵だ。
「場所は?」
暁が聞いた。
氷室は少し驚く。
自分から質問することが珍しかったからだ。
「港湾地区」
「現在は封鎖済み」
暁は黙る。
何かを考えているようだった。
「知ってるのか?」
恒一が聞く。
数秒。
そして。
「気配に覚えがある」
と答えた。
翌日、学校。
だが普段の空気ではなかった。
彩音もいる、氷室もいる。
鬼塚だけがいない。
それだけで違和感が大きい。
「重傷だけど命は助かった」
彩音が言う。
少し安心する。
だが問題は解決していない。
「相手は?」
恒一が聞く。
「まだ捕まってない」
「協会も捜索中」
彩音の顔は険しい。
協会が本気になっている。
それだけ危険ということだ。
昼休み、屋上。
恒一はフェンスにもたれていた。
隣には暁。
もう定位置である。
風が吹く。
静かだった。
「恒一」
「ん?」
「最近増えている妖怪」
暁が空を見る。
「私を探している可能性がある」
恒一は顔を上げた。
「お前を?」
「推測」
「理由は?」
「分からない」
またその言葉。
だが今回は違った。
分からないのではなく。
思い出せない。
そんな感じだった。
放課後。
事件は突然起きた。
帰宅途中。
人通りの少ない商店街。
ふと暁が足を止めた。
「どうした?」
返事はない。
代わりに空気が変わった。
嫌な感覚。
重い、息苦しい。
まるで周囲の温度が下がったような。
「やっと見つけた」
声が聞こえた。
男の声。
しかし姿はない。
次の瞬間。
屋根の上に何かが現れた。
黒い和服、長い銀髪、赤い瞳。
見た目は人間だった。
だが絶対に人間ではない。
その存在を見た瞬間。
暁の目がわずかに見開かれた。
初めて見る反応だった。
「……お前か」
男は笑う。
「久しぶりだな」
「暁」
恒一は思わず男を見る。
知り合い?
だが暁の様子がおかしい。
いつも無表情な彼女が明らかに警戒している。
「誰だ?」
恒一が聞く。
男は視線を向ける。
そして笑った。
「なるほど」
「今の契約者か」
嫌な笑みだった。
見透かされるような。
値踏みするような。
「弱いな」
「おい」
失礼すぎる。
だが男は気にしない。
「名乗っておこう」
男は屋根から飛び降りる。
音もなく着地した。
そして軽く頭を下げる。
「私は九条」
「妖の側では九尾の眷属と呼ばれている」
空気が凍る。
彩音や氷室がいたら顔色を変えていただろう。
そのくらいヤバそうな名前だった。
「目的は?」
暁が聞く。
九条は笑う。
「確認だ」
「確認?」
「封印が解けたお前が」
視線が恒一へ向く。
「本当に人間に縛られているのか」
その瞬間。
九条の姿が消えた。
速い。
恒一ですら分かった。
危険だと。
だがその前に暁が立っていた。
ガキィン!!
衝撃。
白い刀と黒い爪がぶつかる。
周囲の窓ガラスが一斉に割れた。
「へぇ」
九条が笑う。
「やはり弱くなっている」
「……」
「昔なら私程度、一瞬だったろうに」
暁は答えない。
ただ刀を握る手に力が入る。
恒一は気づいた。
この相手は違う。
今までの鬼や妖怪とは格が違う。
数秒の睨み合い。
そして九条は突然後ろへ飛んだ。
「今日はここまでだ」
「待て」
暁が動こうとする。
だが九条は笑う。
「焦るな」
「いずれまた会う」
そして最後に恒一を見る。
「契約者」
嫌な予感がした。
九条は楽しそうに言った。
「気をつけろ」
「お前を狙う連中はこれから増える」
次の瞬間、姿が消えた。
完全に気配すら残さず。
静寂。
商店街には誰もいない。
結界でも張られていたのかもしれない。
恒一はようやく息を吐いた。
「……何なんだあいつ」
暁は答えない。
珍しく、本当に珍しく黙っていた。
「知り合いなのか?」
しばらくして暁は小さく呟く。
「覚えていない」
「ただ」
「?」
「嫌いだった気がする」
恒一は思わず吹き出しそうになった。
初めて聞いた。
暁の感情らしい感情を。
しかしその表情は少し険しかった。
九条、九尾の眷属。
そして封印前の暁を知る存在。
平穏だったはずの日常は少しずつ崩れ始めていた。
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