30話
暁の頭の中へ大量の記憶が流れ込む。
知らないはずの景色。
知らないはずの声。
知らないはずの感情。
だが確かに自分のものだった。
戦場、燃える村、妖怪たち、陰陽師たち。
そして一人で立つ白鬼。
圧倒的な力を持ちながら。
誰もよりも孤独な存在。
「白鬼様!」
紫苑が呼ぶ。
「助けてください!」
「白鬼!」
雷牙が笑う。
「お前がいれば勝てる!」
「白鬼様」
葛葉が微笑む。
「また無茶をしましたね」
皆が頼る。
皆が求める。
皆が期待する。
白鬼ならできる。
白鬼なら負けない。
白鬼なら大丈夫。
だから誰も支えようとはしなかった。
白鬼が強すぎたから誰も隣に立てなかった。
そして最後の記憶。
大きな結界、無数の妖怪、無数の陰陽師。
その中心で白鬼は立っていた。
傷だらけだった。
それでも立っていた。
「もういい」
誰かが言う。
「封印しろ」
また誰かが言う。
「これ以上は危険だ」
違う。
今なら分かる。
あの時、誰も白鬼を封印したかったわけじゃない。
皆、白鬼を助けたかった。
だが助ける方法がそれしかなかった。
白鬼自身も理解していた。
だから最後に笑った。
『分かった』
自分で受け入れた。
自分で選んだ。
そして眠った。
何百年も記憶を捨てて力を捨てて白鬼を捨てて。
景色が消える。
暁は目を開いた。
協会支部の前。
葛葉、雷牙、紫苑、恒一。
皆がいる。
「思い出したか」
雷牙が聞く。
暁は静かに頷いた。
「少し」
葛葉が目を細める。
「なら分かるだろう」
「皆がお前を待っている」
「白鬼を必要としている」
暁は黙る。
そしてゆっくり空を見る。
青空だった。
昔にはなかった景色。
少なくとも白鬼の頃には見る余裕なんてなかった。
「白鬼に戻れ」
雷牙が言う。
「戻れば全て解決する」
「お前は最強だ」
「お前は白鬼だ」
暁は静かに聞いていた。
そしてふと横を見る。
恒一がいた。
心配そうな顔。
今にも飛び出して来そうな顔。
馬鹿みたいな顔だった。
少しだけ笑いそうになる。
「暁」
恒一が呼ぶ。
その瞬間ら思い出した。
朝の会話。
学校、帰り道、水族館、クラゲ、夜中の雑談、眠れない夜全部。
白鬼にはなかったもの全部。
今の自分のもの。
「決めた」
暁が言った。
葛葉が目を閉じる。
雷牙が腕を組む。
二人とも答えを予想していた。
「白鬼に戻れ」
雷牙がもう一度言う。
暁は首を横に振った。
「断る」
静かな声だった。
だが迷いはなかった。
「私は白鬼だ」
雷牙が笑う。
「なら」
「私は暁でもある」
言葉を続ける。
「白鬼だった」
「でも今は違う」
葛葉が苦笑した。
「そう言うと思った」
暁は恒一の方へ歩く。
そして自然に恒一の手を握った。
「え?」
恒一が固まる。
暁は気にしない。
「私はここにいる」
「ここが良い」
それだけだった。
だが十分だった。
紫苑が少し目を潤ませる。
葛葉は空を見上げる。
雷牙は大きく笑った。
「ははは!」
「負けたな」
葛葉も笑う。
「そうだね」
二人とも戦う気を失っていた。
昔の白鬼なら絶対にこんな選択はしない。
だからこそ認めるしかなかった。
「好きにしろ」
雷牙が言う。
「どうせ昔のお前は戻って来ない」
「そうだな」
暁が答える。
「戻らない」
葛葉が歩き出す。
「また会おう」
「今度は普通にね」
「普通とは」
「それは私も分からない」
葛葉は笑いながら消えた。
雷牙も妖気と共に姿を消す。
静寂が戻る。
協会職員たちは呆然としていた。
大事件だったはずなのに終わり方があまりにも緩かった。
「終わったのか?」
恒一が聞く。
「多分」
暁が答える。
「多分かよ」
少し笑う。
すると暁が手を離さないことに気付いた。
「暁」
「なんだ」
「手」
「うん」
「離さないのか」
暁は少し考える。
数秒。
そして。
「別に」
と言った。
全然別にじゃなかった。
紫苑が顔を覆う。
氷室は頭を抱える。
鬼塚は爆笑している。
彩音はスマホを取り出した。
「記念日だね」
「何のだよ」
「さあ?」
絶対分かっている顔だった。
そんな騒がしい声の中暁は少しだけ恒一の手を握り直した。
理由はまだ分からない。
だが離したくないとは思った。
それだけは確かだった。




