25話
水族館が大きく揺れた。
館内に悲鳴が響く。
だが一般人たちは突然の停電程度にしか認識していないらしい。
結界の影響だ。
恒一は周囲を見回した。
客たちは混乱しているが、目の前の異形には誰も気付いていない。
巨大な角を持つ男。
黒い着物、赤い瞳。
そして圧倒的な妖気。
明らかに今までの妖怪とは格が違った。
「誰だお前」
恒一が聞く。
男は視線を向ける。
その目に宿っていたのは敵意ではなかった。
値踏みするような視線。
「神谷恒一か」
名前を知っている。
嫌な予感しかしない。
男は再び暁を見る。
「本当に覚えていないのだな」
「覚えていない」
暁は即答した。
男は大きくため息を吐く。
「そうか」
その声には怒りよりも落胆が混じっていた。
紫苑が一歩前へ出る。
「雷牙」
その名前に男が笑う。
「久しぶりだな、紫苑」
知り合いらしい。
しかもかなり昔から。
「白鬼様に近付くな」
紫苑が警戒する。
しかし雷牙は首を振った。
「別に今すぐ戦うつもりはない」
そう言いながらも妖気は全く抑えていない。
説得力がなかった。
彩音が恒一の横で小声で呟く。
「絶対戦うやつだよね」
「俺もそう思う」
案の定だった。
雷牙は暁を見つめながら言う。
「戻って来い」
静かな声だった。
「お前は白鬼だ」
「そんな名前知らない」
「知る必要がある」
雷牙の声が重くなる。
「今のお前は不完全だ」
「記憶を失い」
「力を失い」
「本来の自分を忘れている」
暁は黙って聞いていた。
だが表情は変わらない。
「だから何だ」
雷牙が目を細めた。
「昔のお前ならそんなことは言わなかった」
「昔の私は知らない」
即答だった。
「今の私は暁だ」
雷牙が苦笑する。
「やはり九条の言う通りか」
その名前が出た瞬間、紫苑の眉が動いた。
「九条と会ったのか」
「何度かな」
「相変わらず面倒な男だ」
「それには同意する」
初めて意見が一致したらしい。
だが空気は全く和まなかった。
雷牙はゆっくり右手を上げる。
その瞬間、周囲の空気が震えた。
「試させてもらう」
「何を」
「お前がどれだけ弱くなったのか」
次の瞬間だった。
雷牙が消えた。
速い。
恒一の目では追えない。
気付いた時には暁の目の前にいた。
拳が振り下ろされる。
ドォォォン!!
衝撃、床が砕ける。
水槽が揺れる。
しかし暁は片手で受け止めていた。
「ほう」
雷牙が笑う。
「腕は鈍っていないか」
今度は暁が動いた。
白い刀が現れる。
そして横薙ぎ。
雷牙が後方へ飛ぶ。
床に深い傷が刻まれた。
彩音が引きつった顔をしていた。
「水族館壊れる!」
もっともだった。
二人とも全く配慮していない。
雷牙は楽しそうに笑う。
「いい」
「やはり強い」
「だが」
そこで表情が変わった。
「昔のお前はもっと強かった」
その言葉と共に妖気が爆発する。
館内のガラスが震える。
空気が重い。
恒一ですら息苦しく感じた。
今まで会った敵の中で間違いなく最強だった。
だが暁は動じない。
むしろ少し面倒そうだった。
「終わったか」
「何?」
「話は終わったかと聞いている」
雷牙が固まる。
彩音が吹き出した。
「暁さん強いなぁ……」
完全にマイペースだった。
雷牙も数秒呆然としていたが、やがて大きく笑った。
「ははは!」
「確かに変わったな!」
「昔なら今頃私を斬っていた!」
暁は首を傾げる。
「そうなのか」
「そうだ」
「面倒だな」
雷牙がさらに笑う。
本当に楽しそうだった。
そして不意に笑みを消す。
「だが覚えておけ」
空気が変わる。
「白鬼は必要だ」
「この世界には」
「そして近いうちに選ばなければならなくなる」
「何を」
暁が聞く。
雷牙は恒一を見る。
まっすぐに。
「今の自分か」
「昔の自分か」
その言葉を残し。
雷牙は結界ごと消えた。
静寂が戻る。
停電も解除される。
周囲の客たちは何事もなかったように動き始めた。
結界の影響だろう。
彩音が大きく息を吐く。
「疲れた……」
「何もしてないだろ」
「精神的に!」
確かにそうだった。
紫苑は難しい顔をしている。
雷牙の言葉を考えているのだろう。
そして暁はガラスの向こうを泳ぐクラゲを見ていた
「暁?」
恒一が呼ぶ。
暁は少しだけ考えた後、
「帰る前にもう一度見る」
と言った。
「クラゲか」
「綺麗だった」
恒一は思わず笑う。
世界の命運とか白鬼とか色々大変な話をしていたはずなのに結局気になるのはクラゲらしい。
そんな暁を見ながら紫苑は少しだけ安心した。
昔の白鬼なら絶対に見せなかった顔だったからだ。
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