その9(最終話)
日が傾き影が長く伸びるようになったので、その日の作業を終えることにした。
エルナとルーカスは、シャベルやハサミやカゴを片付けてから、そろってテラスに歩いて行った。服を軽く払って土を落としてから、テラスのテーブルに向かい合って腰を下ろす。
いつもであれば、農具を片付けるとルーカスはすぐに帰って行くが、今日は違った。昼食時に最後の疑問の回答を得た直後、「知らせておきたいことがあるから」と言われたためだ。
席について冷たい麦茶で一息吐いてから、ルーカスは侍従に持ってこさせた封筒を取り上げ、マルタックの紐をほどく。ちなみにその封筒は、いつだったかメモ書きを入れるのに使ったのと同じものだ。
「読んでみてくれないか。こちらは国内各地の穀倉地帯に対する今後の警備についてまとめたもの、こちらはそれをフェルナー領に当てはめてみたものだ」
紐綴じの冊子を二冊渡され、エルナはぎょっとした。表紙上部にマル秘のスタンプが押されていたからだ。
「これは軍の機密ですよね? 私が見るのは不味いのでは?」
「いや、昨日すでに正式な計画として決裁されているから、もう機密ではない。それに、今朝すでに陛下からの発令として各所に通達されているはずだ」
表紙には、それぞれ『主要穀倉地帯の防衛計画書』『フェルナー領における展開案』とある。エルナは恐る恐る『主要穀倉地帯の防衛計画書』の表紙を捲ってみた。各章の見出しにざっと目を通し、気になった箇所は本文を斜め読みする。それを繰り返して全体像を把握すると、今度は『フェルナー領における展開案』に取りかかる。
冒頭にフェルナー領の詳細な地図が載っていた。そこには過去数年間の山賊による被害状況や、数十年前に隣国との紛争があった際に麦畑の一部が燃やされたという被害記録が、緻密に書き込まれている。
「収穫期に作物を狙った襲撃を受けることがあると言っていただろう? それになにより、戦争になれば、食料を断つために敵軍は真っ先に穀倉地帯を狙う」
「ええ、過去に何度か痛ましい被害がありましたもの」
「君から聞いた直後に、マティアスも──農家出の同僚なんだが──同じことを言っていた」
「やはりどこも同じ悩みがあるんですね」
「ああ。だから、小規模であっても軍の部隊を常駐させたほうがいいと、父に進言したんだ。そしたら私たちで計画案を立ててみろと言われてね」
エルナは驚いた。領地のことはその領地が自力でやるものという考えが一般的で、各領地の私兵や自警団に任せるのが当たり前だったため、国軍の正式な任務として組み込むという発想がなかった。
「では、すべてお二人が取り計らってくださったのですか?」
「違う違う、私とマティアスは計画案を作っただけだ。実を言えば、父は以前からそのつもりでいたらしい。すでに何年も前に草案を議会に提出していたそうだ。ただ、それが承認される運びとなった時期にたまたま私が進言したので、新人の育成を兼ねて計画書を書いてみろ、ということになったんだ」
「そうでしたのね」
「それでもだな、まあ、その、『展開案』には、私たちが書いた内容がかなり採用されたんだ。特にこのフェルナー領の地図は、私が作ったほぼそのままなんだぞ」
そこでドヤ顔になるルーカスは、誉めて誉めてと尻尾をブンブン振っている犬を連想させる。エルナはそんな様子に危うく吹き出してしまいそうになった。
「それから、これとは別に、物流に関して個人的に考えてみたんだが」
ルーカスは別の資料を広げた。こちらは冊子ではなく、紙を束ねたものだ。
「軍の高速馬車の運行ノウハウを商隊に応用して、駐屯地のような中継拠点を街道の要所に設けたらどうかと思っている。早く、確実に、そして安全に届けることができるだろう?」
資料を示しながらプレゼンするルーカスに、エルナはすっかり感心していた。
(そういえば、この方はちゃんと士官学校を出てらしたんだっけ。客観的な視点があって、正確な判断ができて、解決策のための立案もできる。ただの脳筋ではないわ。……少しばかりズレてるだけ)
エルナは自分がいかに彼の顔しか見ていなかったのかを自覚させられて、それなりに反省した。ただ、ルーカスの言葉が足りなさすぎるのも事実だ。
(割れ鍋に綴じ蓋って言うものね。どっちもどっちかなあ)
エルナが内心で自己弁護的にそう結論づけていると、ルーカスは妙に緊張した様子を見せる。
「その、だな、農業に関してはすべて君のやりたいようにやればいいと思う。私は君を全力でサポートしよう。だが、私には経営の才能はないと断言できるので、他でなにができるか考えてみたんだ。私は騎士の仕事が好きだから、それを役立てられないものかとね」
気恥ずかしそうに視線を逸らしつつも、自分の不得手をはっきりと認め、代わりにできることを真剣に考えてくれたのだ。それがわかって嬉しくなったエルナは、大きく一つ頷く。
「わかりました。経営については、それではどなたか優秀な人材を探してみましょう」
あっさりと提案を受け入れた彼女を見て、ルーカスはほっとしたように小さく息を吐いた。それから改めて姿勢を正すと、サファイアブルーの瞳で真っ直ぐに彼女を見つめる。
「それから私は、五年後にフェルナー領に転属したい旨を、父に打診している」
「えっ、五年後……?」
思いがけない言葉に、エルナはきょとんとした。てっきり王都で近衛騎士を続けたいという意思表示でもあるのだと思っていたのだ。だがルーカスは決然とした表情で続ける。
「防衛計画を実際に運用するとなると、それくらいは要するはずだ。人員の確保にしても、運用方法の確立にしても、その間は流動的になるだろう。確定するまでは、私のような立場の者が口を出さないほうがいい。そもそも私はまだ新米だしな。だからこの五年の間に実績を作っておきたいんだ。そうすれば騎士としての立場から、君のためにより役立てると思う」
少しだけ不安げな表情になるルーカスに、彼なりの不器用な誠実さが見え隠れする。出会った頃の王子様然とした振る舞いよりも、額に汗を滲ませて地図を広げる今の彼の方が、エルナの目には何倍も頼もしく見えた。
エルナは心の底からの笑みを浮かべた。
「五年後のルーカス様であれば安心してお任せできそうですね」
「そうか」
ルーカスはパッと顔を輝かせたが、エルナはわざと少しだけ表情を引き締めて釘を刺した。
「あ、でも、耕運機の作業はやっていただきますよ」
「任せておけ! 体力には自信がある」
力強く頷く彼を見て、エルナの心の中にあったわだかまりが、ゆっくりと消えていった。
初夏のさわやかな風が吹き抜けていく。青々と茂ったジャガイモの葉が波打ち、その合間から顔を出した星のように可憐な白い花たちが、誇らしげに揺れている。
来月になれば、ジャガイモの花は盛りを過ぎ、青々としていた茎葉も少しずつ黄色く枯れていくだろう。収穫の季節は、もうすぐそこまで迫っていた。
了




