その6
さらにその後、マティアスに貸してもらった『無敗の恋愛術完全指南書』というタイトルの本に書かれていたとおりに、いろいろと実践してみたルーカスだったが、ことごとく玉砕した。
「第四章 甘いセリフを囁いてみよう」に従ってみたときには……。
「エルナ。君のその美しい瞳に映るため、私は生まれてきたんだろう」
芝居のセリフをアレンジして口にすると、その場には沈黙が降りただけだ。エルナが可哀想な人を見るような目をしているのに気付き、ルーカスは慌てて話題を変えたのだった。
「第六章 嫉妬させてみよう」に従ってみたときには……。
連れだって夜会へ行った際に、他の令嬢と親しげに話して、エルナが割って入るのを待った。だが、それも予想に反した反応が返ってきた。
「カウフマン嬢のご実家は、リン酸塩の輸入ルートをお持ちです。ぜひ仲良くなって、私にも紹介してくださいませ」
エルナの関心は、婚約者よりも肥料の材料のほうにあったらしい。
一事が万事、そのような具合だった。無敗どころか完敗じゃないかと思いながら、本をマティアスに返却したルーカスだった。
そんなこんなで、近衛騎士の詰め所で、彼は再び机に突っ伏した。
一向に改善されないまま数週間が過ぎ、焦りは強くなるばかりだった。フェルナー家と確執ができたというわけではなく、あくまでもエルナとルーカスとの間の感情の問題ではあったが、そもそもルーカスにはなぜエルナが突然冷たくなったのかがわかっていなかった。それを説明できないせいもあって、頼みの綱である同僚たちもすでに万策尽きかけている。
「これはもう正面突破がいいんじゃないのか?」
エリックがポツリというと、ルーカスは暗い表情のまま顔を上げた。
「というと?」
「愛してますって伝えるとか?」
ルーカスが問うと、マティアスがニヤニヤしながら口を挟む。だがエリックは首を横に振った。
「それ以前に、ルーカスは婚約者殿のことをどう思ってるんだ?」
「どうって?」
「まずは、好きか嫌いか、だな」
「嫌いじゃない。好き、だと思う。といっても私たちの婚約は家同士の取り決めだからな」
「まあ、政略結婚で嫌いじゃないなら充分だな。うちもそうだったし」
エリックがそう言うと、マティアスは意外そうな顔をした。
「え、そうだったんだ? お宅、かなりラブラブじゃん」
「まあ、今となっては、だな。……で、ルーカスとしてはどうなんだ? 婚約話がダメになっては家の都合があるから困る、というだけか? それとも、婚約者殿と仲良くしたいのか?」
生真面目な表情をするエリックに、ルーカスは少し考える。マティアスも茶々を入れなかった。
「そうだな、できれば仲良くしたい。うちは両親が完全にビジネス・パートナーでしかないんだ。私たちにもまったく関心がない様子でね。だからかな、他家の仲がいい家族を見ると、いいなと思う」
思いがけず、ルーカスが素直な気持ちを口にしたことに、エリックとマティアスは顔を見合わせた。
「なら、ここは頑張り時だ」
「その通り」
二人に肩を叩かれ、ルーカスは少しだけ前向きな気持ちになれた。
「では、まずは婚約者殿が何に興味があるのか、知ることからかな」
「だよなー。婚約者ちゃんの好みもわからないんじゃ、幸せ温か家庭はかなり遠いぞぉ」
「好みといえるのかわからないが、彼女が今、何よりも情熱を注いでいるものならわかる」
エリックもマティアスも、興味深げな表情になった。
「へえ、なになに?」
「ジャガイモだ」
「…………ジャガイモ?」
詰め所に間の抜けた声が重なった。
「ああ。庭で土壌改良の実験をしていて、昨日訪ねたときには『フェルナー・パープル』の種イモを植え付けしてたな。なんというか、正直、私が入る隙なんて微塵もないほど、イモのことしか考えていない」
差し障りのない範囲でエルナの近況を説明すると、マティアスが噴き出した。
「ぶはっ! 王都の一等地でイモいじりかよ! 伯爵令嬢が? そりゃまた個性的だな」
「笑い事じゃない。彼女は本気なんだ。『婿として重要なのは、耕運機を乗り続けられるスタミナと、農学の知識』とまで言われたんだぞ」
その言葉を聞いた瞬間、エリックの目が鋭く光った。
「ルーカス。それだ」
「えっ?」
エリックは立ち上がり、ルーカスの肩をがっしりと掴んだ。
「婚約者殿に認めさせるには、お前の有用性を示すしかない。いいか。彼女がイモを愛しているなら、イモを育てるのに役に立つのだという姿を見せるんだ。お前には騎士団で培ったその体力がある。それを今こそ、彼女のために差し出せ」
「賛成。それが一番のアピールになると思う」
マティアスも同意する。
「……わかった。やってみる」
ルーカスは大きく頷いた。
それから数日後の非番の日、ルーカスはフェルナー邸を訪れた。もちろん事前に連絡を入れ、学校が休みであるのもエルナが在宅であるのも確認済みだ。
これまでの訪問で選んでいた流行の服ではなく、綿のシャツと厚手のズボンという姿である。しかも肩には、伯爵家での実地研修で使った鍬を担いでいた。
今では庭園は完全に畑に様変わりしている。規則正しく並んだ畝の間で、エルナが真剣な面持ちで庭師と話し込んでいる姿が目に入った。
「お嬢様、やはりこの区画の水はけが懸念されます。放っておくと種芋が腐る恐れがありますな」
「排水路を作ったほうがよさそうね」
それを聞いた瞬間、ルーカスは二人の間に割って入った。
「その作業、私がやろう」
エルナが驚きと不審の混じった視線を向けてくる。だがルーカスは、彼女の顔をまっすぐ見返した。
「指示をくれ。どこをどう掘ればいい?」
エルナは呆気にとられた様子を見せたが、やがて明瞭に答えた。
「この区画に額縁溝を作ります。ルーカス様は、あちらの角からこの畝に沿って外側を、幅三十センチ、深さ二十センチで掘っていただけますか」
「わかった」
ルーカスは即座に指示された角まで移動した。鍬を振り下ろし、土を掻き出す。一振りごとに、泥がシャツを汚す。すぐに額には汗が浮かんだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、エルナが記録帳を片手に自分をじっと見ていた。かつてのうっとりと見ていたあの瞳ではないが、かといって値踏みしている風でもない。なんとなしに、エルナの様子が和らいだように感じられた。
「ではルーカス様、暗くなるまでに終わらせてくださいね」
「ああ、任せておけ。なに、三時間もあれば十分だ」
ルーカスは鍬を構え直し、ザシュッ、ザシュッという力強い音を響かせ始めた。




