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その5

 近衛騎士の詰め所で、ルーカスは机に突っ伏して頭を抱えた。エルナから告げられた内容を反芻するにつけ、意味がわからずに混乱していく。


(近衛騎士か経営か、どちらかを選べと言ってたよな? それってどういう意味だ?)


 なんとなく、近衛騎士を続けるなら婿の話はなかったことにする、と示唆されたように感じる。 


(いやいやいや、父とフェルナー伯爵とが正式に結んだ婚約だぞ。そう簡単に反故にできるものではない。それにしたって、経営を学ぶとはどういうことだ?)


 農学も基礎なら修業しており、耕耘機をはじめとする農機具の使い方もすでに習得している。てっきりそれで充分であるとルーカスは考えていた。実際の農作業を自分がやるとは想定しておらず、経営はエルナが担当するものと思っていた。前者はともかく、後者は自分に向いているとも思えない。 


(そもそもエルナの態度はいったいどうしたというんだ。今までと、ああも違っているのはなんなんだ? 私を好いていたのではなかったのか?)


 これまでの彼女は、崇拝とすら言えそうな熱烈な好意を向けてくれていた。地味で平凡なりに精一杯お洒落をして、なにかと気を遣ってくれたものだ。その彼女に対して、ルーカスはルーカスなりに好感を持っていたのだが……。


 ルーカスが笑顔を向ければ、すぐに笑い返してくれるのが当然だと思っていた。だが、昨日のエルナの瞳には、絶対零度の冷たさを宿していたような気がする。


 このままではエルナから見放されてしまうかもしれないと、ルーカスはこれまでになく焦りを感じた。


 その場に居合わせた同僚のマティアスとエリックも、ルーカスのあまりに深刻な様相から、いろいろと相談に乗ってくれた。といっても実家と婚家の実情を暴露するわけにはいかないので、婚約者の機嫌を取るにはどうすればいいか、という相談に終始する。


「やはり贈り物じゃないのか?」


 女性の扱いに慣れているマティアスが、もっともらしい顔で言った。


「花や菓子なら、すぐに手に入るしな」


 真面目なエリックも現実的な案を出す。


「いや、自分でバラ園を潰してたくらいだから、花は喜んでくれる気がしない。菓子は、前回持って行ったばかりだ」

「なにか婚約者殿が欲しがっていたものはないのか?」


 エリックの問いに、ルーカスは首を振る。


「思い浮かばないな」

「女性には装身具がいいんじゃないの?」


 再度マティアスが言うと、既婚者であるエリックが首を傾げた。


「そうか? うちの妻は実用的なものを喜ぶぞ」

「それはエリックの奥さんの性格だろ? ルーカスの婚約者殿はどうなんだ?」


 マティアスに突っ込まれ、ルーカスは言葉に詰まった。


「……よくわからない」

「うーん、だったらやはり無難にアクセサリーだな」


 その夜は出動するような事案もなく、男三人が頭を寄せ合って今後の対策を練った。その結果、まずはマティアスの意見を採用して、正攻法ということでプレゼントを用意することにした。


 ルーカスは当直が明けた翌日、若い女性に人気の宝飾店に赴き、よさげな青い宝石のネックレスを早速手に入れた。その足で、フェルナー邸に向かう。


 通された応接室にいたエルナは、前回会ったときと変わらない土まみれの作業着姿だった。ルーカスを出迎えるために着替える手間を掛ける気はなくしたようだ。


 それどころか、フェルナー家の威信を示すため豪奢な調度品で揃えられた応接室だというのに、入り口には泥のついた長靴が脱ぎ捨てられている。マホガニーの高級なテーブルの上には、ティーセットを脇に押しやるようにして土壌サンプルが入った小箱や農具の注文書が無造作に広げられていた。


 エルナ自身も手元の紙にペンを走らせており、「種芋の追加注文」という文字がちらっと見えた。どうやら相変わらずジャガイモに夢中らしい。


 お茶を用意したメイドが部屋を出て行ったところで、ルーカスはビロードの小箱を取り出し、パカッと開いて、エルナの目の前に差し出した。中に収められているのは、深い海の色を湛えた希少なサファイア、通称「人魚の涙」である。これが今、王都の若い女性に人気だと教えてくれたのは昨夜の同僚たちだ。


「以前、君がショーウィンドウを見て綺麗ねと呟いていたドロップカット・サファイアだ。私の気持ちだ。どうかこれを受け取ってくれ」


 かつてのエルナなら、彼のサプライズに両手を合わせて「まぁ、素敵! ルーカス様、私にこんな高価な贈り物をくださるなんて」と感動の涙を流したに違いない。だがエルナは青い宝石を手に取ると窓際に移動し、光に透かすようにして、鑑定士のような険しい表情で何度も角度を変えて眺め、やがて満足げに微笑んだ。


「素晴らしい透明度とカットですわね、ルーカス様」

「そうだろう? 私の目と同じ色合いだから、きっと君も気に入ると思ってね」

「ありがとうございます。さっそく明日にでも馴染みの宝飾商を呼んで換金し、夏の対策費に充てさせていただきますわね」


 予想外すぎる単語に、ルーカスは自分の耳を疑った。


「……か、換金? 対策?」

「ええ、そうですわ。今年の夏は雨不足と猛暑が予想されていますのよ。干ばつに備えて今のうちから灌漑用の溜池を整備しておかないと。それに、強すぎる日差しから作物を守るために、畑を覆う日除け用の布も大量に発注しなくてはなりません。『人魚の涙』というくらいですもの。これで領地を潤す水がたっぷり手に入りますわ」


 エルナはニコニコと帳簿を開いた。


「あとは、次の冬のことも考えておいたほうがいいかしら? 温室を作れば、真冬でも野菜を作れますから、そうすれば農閑期の収入も増えますもの」

「農閑期……。そこまでしなくても……。フェルナー領はかなり豊かではないか」

「いいえ、農業に絶対はありませんから。今年豊作だからといって、来年もそうなるとは限りません。常に先々のことまで考えておかなくては。備えあれば憂いなし、ですわ」

「そ、そうか」

「ええ。ちょうど今の時期でしたら、石炭が値下がりしていますもの。安いときに大量購入しておけば、真冬に大雪が降っても温室の燃料に事欠きません。いざというときの備蓄にもなりますし。なんて素晴らしい実用的なプレゼント! ルーカス様の資金提供に深く感謝いたします」

「……資金。……なぜ石炭に化けるんだ」


 ルーカスは応接室で項垂れるしかなかった。


 それ以降も、ルーカスはエルナに様々なプレゼントを贈ったが、ことごとく農業資金に化けてしまった。そのためプレゼント攻撃は諦めることにした。


 次にルーカスが取った作戦は、ロマンス小説的シチュエーションによるアプローチである。これはエリックの発案だった。彼の妻はロマンス小説の愛読家で、その手の描写を熱心に語ってくれたという。又聞きしたその内容を実行してみることにした。


 数日後。ルーカスは、邸宅の図面からエルナの動線を完璧に計算し、タウンハウスの薄暗い廊下で彼女を待ち伏せした。もちろん他家の邸宅内であるため、フェルナー家の家令に頼みこんでのことである。


 曲がり角から、種芋の入った大箱を抱えたエルナが両手を塞がれた状態で歩いてくる。ルーカスはすかさず彼女の目の前に立ちはだかり、そのまま逃げ場を塞ぐように、勢いよく廊下の壁に右手を突いた。


 ダンッと重厚な木の壁が鳴る。世に言う壁ドン。強引で男らしい情熱的なアプローチである、らしい。


 逃げ場を失ったエルナの目前にルーカスの美貌が迫る。薄暗い廊下。サファイアブルーの瞳。


「……エルナ」


 ルーカスは低く、甘く囁くような声音で口を開いた。完璧な角度で顔を傾け、切なげな表情を作る。


「私の目を見てくれ。花や宝石よりも君に贈りたいのは、私のこの情熱だ」


 至近距離での顔面攻撃である。かつてのエルナなら間違いなく顔を真っ赤にして彼をうっとりと見つめ返しただろう。だが期待に反して、エルナの視線はルーカスの顔を完全スルーして、彼の右手が力強く突かれた壁に釘付けになっていた。


「ルーカス様。今すぐ、手を退けていただけますか」

「エルナ……照れているのか?」

「違います。壁に力を加えないでいただきたいと言っているのです」


 エルナの冷たい声音に、ルーカスはびくっとして慌てて壁から手を離した。


 エルナは抱えていた種の大箱を廊下にドサリと下ろすと、ルーカスの右手が叩きつけられた部分の木材を指で丁寧になぞり始めた。


「ルーカス様、このタウンハウスは築年数が百年を超えております。柱や壁の木材の経年劣化が相当進んでおり、シロアリの防虫処理もそろそろやり直さなければならない時期なのです! 貴方のような体重のある騎士が、全筋力を込めて局所的な衝撃を与えたりすれば、建物の構造強度に深刻な歪みをもたらすではありませんか!」

「はっ……?」


 そこにロマンチックな雰囲気は微塵も存在せず、ただ建物の修繕を心配する家主が存在するだけだった。


「ここ、ミシミシ言ってますわよ! 今すぐ大工のダニエル親方を呼んで、見てもらわないと。柱にヒビが入って大規模な修繕費を捻出する羽目になったらどうしてくれるんですか! 今年は家屋の修繕費を予算に計上していないのですよ。それに領地に送るための大八車を購入したばかりですから、手元不如意な状態でもあります。建物の寿命が縮まるような真似はなさらないでくださいな」

「…………それは、すまなかった」


 ルーカスはしょぼんと項垂れた。まさか破壊行為だと受け取られるとは思ってもみなかった。


「本当ですわ! 壁ドンしたいのでしたら、城壁にでもやってくださいませ!」

「……………………」


 なにも言い返せないまま、ルーカスは膝から崩れ落ちそうな気分になった。最大の武器であったはずの「顔」があっさり敗北したという事実に、彼はただ静かに涙を呑んだ。

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