王女の決断
研究院の内通者、ルドルフ・エイマーが逮捕されてから二日後。
リューデン王国の王都から、一通の書状が届いた。
差出人は、エレノア・リューデン。
この国の王女だった。
「王女殿下から、直接報告を求められています」
研究院長のマティアスが、王家の紋章が刻まれた封筒を机に置いた。
会議室には、俺たち調査団のほか、レティシアとフィオナも集まっている。
「王女様が出てくるのか。ずいぶん大きな話になったな」
カイルが椅子の背にもたれた。
「王国の研究施設に内通者がいたんだ。しかも、古代遺跡の装置を悪用していたとなれば、当然だろうね」
エリオットが答える。
「問題は、王都の貴族まで関わっているかもしれないってことだな」
ディーンの言葉に、マティアスがうなずいた。
「その点も含めて、王女殿下は詳しい説明を求めておられます」
俺は書状を見つめた。
エレノア王女とは、以前に一度会ったことがある。
銀色の髪が印象的な、落ち着いた女性だった。
王族としての気品を備えながら、相手の話をよく聞く人物でもあった。
「王都へは、いつ出発するんだ?」
「明朝です。王国警備隊が護衛を手配してくれています」
「急な話ね」
ヴィオレッタが口を開いた。
「でも、それだけ王女殿下も事態を重く見ているのでしょう」
「ああ。俺もそう思う」
俺が答えると、彼女は少し考えるように目を伏せた。
「シオン、一つ気になることがあるの」
「何だ?」
「敵が研究院の情報を手に入れていたのなら、私たちの動きも把握していたはずよね」
「……そうだな」
「今回、王都へ向かうことも知られる可能性があるわ」
その指摘はもっともだった。
ルドルフは捕まった。
だが、ほかに協力者がいないとは限らない。
「護衛は十分につけてもらおう」
俺が言うと、ヴィオレッタはうなずいた。
「ええ。それと、移動中も油断しないでね」
「分かってるよ」
「本当に?」
「……そんなに信用ないか?」
「そういう意味じゃないわ」
彼女は少しだけ笑った。
「シオンは、誰かが危険な目に遭うと、自分のことを後回しにするでしょう?」
俺は返す言葉に詰まった。
否定したいところだが、心当たりがありすぎる。
「……気をつける」
「それならいいわ」
ヴィオレッタは満足そうに微笑んだ。
その様子を見ていたリシアが、小さく肩をすくめた。
「まったく、仲がいいんだから」
「リシア!」
ヴィオレッタが頬を赤らめる。
俺は聞こえなかったことにした。
◇
翌朝。
俺たちは王国警備隊の護衛を受け、研究都市を出発した。
同行するのは、俺、ヴィオレッタ、カイル、ディーン、エリオット、リシア。
そして、レティシアとフィオナだ。
マティアスは研究院に残り、押収した資料の解析と施設の管理を続けることになった。
ヴァルターは王都での警備体制を整えるため、一足先に出発している。
山道を抜け、広い街道へ出ると、周囲の景色が変わり始めた。
遠くには農地が広がり、荷馬車や旅人の姿も増えてくる。
やがて、王都を囲む巨大な城壁が見えてきた。
「おお……!」
カイルが窓から身を乗り出した。
「でっけえな!」
「アルセリアの王都とは、また違った雰囲気だね」
エリオットが言う。
リューデン王都は、山々に囲まれた盆地に築かれていた。
石造りの建物が多く、街路は整然としている。
遠くには王城の尖塔が見えた。
「シオン」
隣に座るヴィオレッタが声をかけてきた。
「少し疲れていない?」
「大丈夫だよ」
「昨日も遅くまで資料を読んでいたでしょう」
「……見てたのか」
「ええ。レティシアさんが心配していたわ」
俺は苦笑した。
「調べられるうちに、少しでも調べておきたかったんだ」
「気持ちは分かるけれど、無理はしないで」
彼女はそう言って、窓の外へ目を向けた。
「せっかく王都へ来たんだもの。事件が落ち着いたら、少し街を見て回りたいわね」
「そうだな」
「……一緒に、ね」
その言葉に、俺は彼女を見た。
ヴィオレッタは窓の外を見たままだった。
だが、耳がわずかに赤い。
「もちろん」
俺が答えると、彼女は小さく微笑んだ。
「約束よ」
「ああ、約束だ」
何気ない会話だった。
けれど、その約束が妙に嬉しかった。
◇
王城に到着した俺たちは、応接室へ案内された。
高い天井。
大きな窓。
壁には歴代の王族の肖像画が飾られている。
しばらく待っていると、扉が開いた。
「皆様、お待たせいたしました」
澄んだ声が響く。
入ってきたのは、銀色の髪を持つ女性だった。
エレノア・リューデン。
以前に会ったときと変わらず、落ち着いた表情を浮かべている。
「エレノア殿下」
俺たちは立ち上がり、礼をした。
「どうぞ、お掛けください」
エレノアは微笑んだ。
「遠いところをお越しいただき、ありがとうございます」
レティシアが代表して挨拶を返す。
全員が席に着くと、エレノアはすぐに本題へ入った。
「北部遺跡での事件について、報告は受けています」
その表情から、先ほどまでの柔らかさが消えた。
「研究院への侵入、魔物を利用した襲撃、そして内部職員による情報漏洩……」
彼女は一度、言葉を区切った。
「王国の管理する施設で、このような事態を招いたことを重く受け止めています」
俺は黙って話を聞いていた。
「ルドルフ・エイマーについては、現在、王国警備隊が取り調べを進めています」
「何か分かったのでしょうか?」
俺が尋ねると、エレノアはうなずいた。
「いくつか、重要な証言が得られました」
彼女は机の上に書類を置いた。
「ルドルフは、三年前からある人物と接触していたそうです」
「ある人物?」
「はい。王都の貴族に仕える使用人を名乗っていたそうです」
俺は眉をひそめた。
「貴族の使用人……」
「ただし、身元を調べたところ、そのような使用人は存在していませんでした」
「偽名だったんだろうな」
ディーンがつぶやいた。
「その可能性が高いでしょう」
エレノアは続けた。
「さらに、ルドルフが受け取った報酬の一部が、王都の商会を経由していたことも分かりました」
「商会?」
「はい。表向きは鉱石や魔導具を扱う商会です」
エリオットが身を乗り出した。
「名前は?」
「グランツ商会です」
エリオットの表情が変わった。
「……聞いたことがある」
「知ってるのか?」
俺が尋ねる。
「王都だけじゃなく、周辺の都市にも取引先がある商会だよ。古い魔導具や発掘品を扱っているって話も聞いたことがある」
「古代遺跡の発掘品も?」
「たぶんね。正規の市場に出回らない品を扱っているって噂もある」
俺は腕を組んだ。
古代技術を集める秘密組織。
古い魔導具や発掘品を扱う商会。
偶然とは思えなかった。
◇
そのとき、応接室の扉が開いた。
「エレノア」
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、ヴァルターが入ってきた。
「ヴァルターさん」
俺が声をかけると、彼は軽くうなずいた。
「シオン。無事に着いたようだな」
「ええ」
ヴァルターはエレノアの隣に立った。
「商会の件、調べがついた」
エレノアが顔を上げる。
「どうでしたか?」
「グランツ商会は、表向きは普通の商会だ。だが、過去五年間で複数の貴族から多額の資金を受け取っている」
「その貴族は?」
「三家ある」
ヴァルターは書類を机に置いた。
「そのうち一つが、ベルハルト伯爵家だ」
エレノアの表情が険しくなった。
「……ベルハルト伯爵家」
俺は首をかしげた。
「有名な貴族なのか?」
ヴァルターが答える。
「王国の古い貴族だ。鉱山の管理や魔導具の流通に関わっている」
「なるほど……」
俺はうなずいた。
鉱山。
魔導具。
古代遺跡。
つながりが見えてきた。
「ただし、現時点では不正の証拠はない」
ヴァルターが続ける。
「商会との取引自体は合法だ。金の流れだけで伯爵家を疑うことはできない」
「……慎重に進める必要がありますね」
エレノアが言った。
ヴァルターはうなずいた。
「ああ。下手に動けば、証拠を隠される」
俺は二人のやり取りを見ていた。
エレノアは王女として冷静に判断している。
ヴァルターも、感情に流されず状況を見極めていた。
だが、相手が貴族となれば、簡単には手を出せない。
王国の政治が関わってくるからだ。
◇
会議が終わった後。
俺は王城の庭園を歩いていた。
ヴィオレッタも隣にいる。
白い花が咲く庭園には、穏やかな風が吹いていた。
「……思ったより、大きな事件になったわね」
ヴィオレッタが言った。
「ああ」
俺はうなずいた。
「最初は古代遺跡の調査だったのにな」
「そうね。でも、シオンらしいとも思うわ」
「俺らしい?」
「ええ。困っている人を見ると、放っておけないでしょう?」
彼女は少し笑った。
「そういうところ、昔から変わらないわね」
俺は苦笑した。
「そんなに立派なものじゃないよ」
「そうかしら?」
ヴィオレッタは俺を見つめた。
「私は、そういうところが……」
彼女はそこで言葉を止めた。
「……いえ、何でもないわ」
「ヴィオレッタ?」
「ふふ。気にしないで」
彼女は少し頬を赤らめ、前を向いた。
俺は首をかしげた。
何か言いかけたように見えたが、無理に聞くのも違う気がした。
しばらく、二人で庭園を歩く。
その時間は、事件のことを忘れられるほど穏やかだった。
やがて、ヴィオレッタが足を止めた。
「ねえ、シオン」
「何だ?」
「さっきの約束、覚えてる?」
「王都を見て回るって話か?」
「ええ」
彼女は少しだけ視線を落とした。
「できれば……二人で行きたいの」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
二人で。
その意味を考えると、妙に胸が落ち着かなくなる。
「……もちろん」
俺が答えると、ヴィオレッタは顔を上げた。
「本当?」
「ああ。俺も、ヴィオレッタと一緒に歩きたい」
彼女は少し驚いたように目を見開いた。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……嬉しい」
その笑顔を見て、俺も自然と笑っていた。
だが、そんな穏やかな時間は長く続かなかった。
「シオン!」
背後から声がした。
振り返ると、カイルが走ってきていた。
「どうした?」
「エリオットが呼んでる! 商会のことで何か分かったらしい!」
俺はヴィオレッタと顔を見合わせた。
「……行こう」
「ええ」
彼女はうなずいた。
そして、俺の隣に並んだ。
◇
俺たちが戻ると、エリオットは机いっぱいに書類を広げていた。
隣にはリシアとディーンもいる。
「シオン、これを見て!」
エリオットが一枚の取引記録を指さした。
「グランツ商会の取引先を調べていたんだけど、妙なことが分かった」
「何だ?」
「この商会、古代遺跡の発掘品を大量に購入してるんだ」
「それはさっき聞いたけど……」
「問題は、その送り先だよ」
エリオットは地図を広げた。
王都の北西。
山間部にある小さな町。
「ここに、商会の倉庫がある」
「倉庫?」
「うん。でも、帳簿上の取引量に対して、建物の規模が小さすぎる」
俺は眉をひそめた。
「つまり、実際には別の場所に運んでる?」
「その可能性が高い」
リシアが口を開いた。
「しかも、その倉庫の近くには古い地下坑道があるみたい」
俺は地図を見つめた。
地下坑道。
またか、と思いかけたが、今回は事情が違う。
これは古代遺跡の調査ではない。
秘密組織の物流拠点を探すための手がかりだ。
「……ヴァルターさんに報告しよう」
俺は言った。
「警備隊に調べてもらった方がいい」
エリオットがうなずいた。
「そうだね。ここから先は、正式な調査が必要だと思う」
◇
夕方。
王城の執務室で、エレノアは報告書を読み終えた。
机の向かいには、ヴァルターが立っている。
「……やはり、商会を調べる必要がありますね」
エレノアが言った。
「ああ」
ヴァルターはうなずいた。
「だが、相手は貴族とつながっている。通常の調査では時間がかかる」
「時間をかけている余裕はありません」
エレノアは静かに答えた。
「北部遺跡での事件は、すでに多くの人々を危険にさらしています」
彼女は窓の外へ目を向けた。
夕日に照らされた王都が広がっている。
「王国の内部に、これほど大きな組織が入り込んでいるのなら……」
エレノアは一度、言葉を区切った。
「見過ごすことはできません」
ヴァルターは何も言わず、彼女を見つめていた。
「ヴァルター」
「何だ?」
「私は、王族としてこの事件に向き合います」
エレノアは立ち上がった。
「たとえ相手が有力な貴族であっても、必要なら調査を命じます」
ヴァルターは小さく笑った。
「……それでこそ、エレノアだ」
彼女は少し驚いたように目を見開いた。
「ヴァルター……」
「心配するな」
ヴァルターは落ち着いた声で続けた。
「何が起きても、俺が守る」
エレノアはしばらく彼を見つめていた。
そして、静かに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その頬が、わずかに赤く染まっていた。
ヴァルターは気づいているのかいないのか、いつもどおりの表情だった。
エレノアは机の上の書類を手に取った。
「では、正式に命じます」
その声には、王女としての強い意志が込められていた。
「グランツ商会および、その関係施設の調査を開始してください」
ヴァルターはうなずいた。
「了解した」
そして、静かに執務室を後にした。
◇
その夜。
王都の一角にある大きな屋敷。
薄暗い部屋で、一人の男が報告を受けていた。
「……研究院のルドルフが捕まったそうです」
部下の言葉に、男は眉をひそめた。
「そうか」
「さらに、王女殿下が商会の調査を命じたとの情報も」
男は静かに息を吐いた。
「……思ったより早いな」
「どうなさいますか?」
男は机の上の書類を閉じた。
「倉庫の資料を移せ」
「すべてですか?」
「ああ」
男は窓の外を見た。
王都の夜景が広がっている。
「そして、グランツ商会との関係を示す記録は処分しろ」
「承知しました」
部下が部屋を出ていく。
男は一人になると、小さくつぶやいた。
「……エレノア王女か」
その声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
「余計なことをしてくれる」
机の上には、一枚の古い地図が置かれていた。
そこには、王都の北西にある倉庫と、その地下に広がる複数の通路が描かれている。
そして、地図の端には、見覚えのある紋様が刻まれていた。
円と、三本の線。
秘密組織の活動は、まだ終わっていなかった。




