消えた研究資料
北部遺跡での戦闘から一夜が明けた。
研究都市には、いつもと変わらない朝が訪れていた。
市場には商人たちの声が響き、通りを行き交う人々の姿も多い。昨日、地下深くで何が起きたのか、知らない住民の方が多いのだろう。
だが、研究院の空気は違っていた。
「……資料が消えた?」
俺が聞き返すと、マティアスは険しい表情でうなずいた。
「正確には、資料そのものではありません。保管していた記録の一部が抜き取られています」
俺たちは研究院の会議室に集められていた。
レティシア、エリオット、ヴィオレッタ、リシア、ディーン、カイル。そして、王国警備隊から派遣された調査官が同席している。
フィオナは負傷者の診察を終えた後、こちらに合流する予定だった。
「何の記録なんだ?」
「北部遺跡の発掘調査に関するものです。特に、地下構造と古代文字の解読結果が記された資料ですね」
マティアスは机に一冊の記録簿を置いた。
革表紙の分厚い本だった。
「昨日の夜、保管庫の点検を行ったところ、三冊あるはずの調査記録のうち、一冊がなくなっていました」
「盗まれたってことか?」
カイルが尋ねる。
「その可能性が高いでしょう」
俺は腕を組んだ。
昨日、遺跡で遭遇した灰色の上着の男。
あいつは、俺たちが装置の起動を阻止した後も、余裕を見せていた。
必要な情報は手に入った。
そう言っていた。
「……もしかして」
俺は顔を上げた。
「敵が探していたのは、扉の奥にあるものだけじゃなかったのかもしれない」
「どういうこと?」
レティシアが尋ねる。
「扉を開こうとしたのは本当だと思う。でも、開けられなかった場合に備えて、別の方法も用意していたんじゃないかな」
エリオットが眼鏡を押し上げた。
「つまり、研究院に保管されている記録を盗み出すことも、計画の一部だった?」
「ああ」
俺はうなずいた。
「昨日の男は、装置の反応を確認できたと言っていた。もし、その反応と研究資料を照合するつもりなら……」
「扉を開けるための条件を、さらに絞り込めるかもしれないね」
エリオットが言葉を引き継いだ。
マティアスの表情がさらに険しくなる。
「だとすれば、事態は深刻です」
「問題は、誰が盗んだかだな」
ディーンが言った。
俺も同じことを考えていた。
研究院の保管庫は、一般人が自由に出入りできる場所ではない。
外部から侵入した形跡がないなら、内部の人間が関わっている可能性がある。
「保管庫に入れるのは何人なんだ?」
俺が尋ねると、マティアスは答えた。
「私を含めて六人です」
六人。
多くはない。
だが、誰かを疑うには十分な人数だった。
◇
調査は、保管庫の確認から始まった。
研究院の地下にある資料保管庫は、厚い石壁に囲まれた部屋だった。
入口には二重の施錠が施されている。
内部には木製の棚が並び、古い書物や金属板、発掘品が整然と保管されていた。
「ここが問題の棚です」
マティアスが案内した。
棚の中央には、二冊の記録簿が置かれている。
本来は三冊あったらしい。
「最後に確認されたのは?」
「三日前です」
「岩甲獣が街を襲った日か」
「ええ。その日の午前中には、確かに三冊ありました」
俺は棚を見つめた。
盗まれた時期は、三日前から昨夜までの間。
その間に、保管庫へ出入りした人物を調べればいい。
「入退室の記録はある?」
エリオットが尋ねた。
「あります」
マティアスは机から薄い帳簿を取り出した。
日付、時刻、氏名、入室理由。
それぞれが細かく記載されている。
俺たちは帳簿を確認した。
三日前。
マティアス。
研究員のセドリック。
研究補佐のミレーヌ。
二日前。
マティアス。
セドリック。
昨日。
ミレーヌ。
そして、もう一人。
「……この名前は?」
俺は帳簿の最後を指さした。
そこには、見覚えのない名前が書かれていた。
――ルドルフ・エイマー。
「研究院の職員です」
マティアスが答えた。
「古代文字の解析を担当しています」
「この人も保管庫に入れるのか?」
「はい。ただ、普段は研究室にこもっていることが多く、保管庫へ入ることはあまりありません」
俺は記録を見た。
昨日の午後。
俺たちが北部遺跡の地下へ向かっていた時間帯だった。
「……少し気になるな」
俺がつぶやくと、ヴィオレッタが隣から帳簿をのぞき込んだ。
「何か不自然な点が?」
「昨日の午後は、研究院の職員も遺跡の異常に対応していたはずだろ?」
「そうですね」
「その時間に、わざわざ保管庫へ入った理由が知りたい」
マティアスはうなずいた。
「本人に確認しましょう」
◇
ルドルフ・エイマーは、研究院の三階にある解析室で見つかった。
三十代後半ほどの男性だった。
茶色の髪を短く整え、細い眼鏡をかけている。
机の上には古代文字の写本が山積みになっていた。
「……何でしょうか?」
ルドルフは突然の訪問に驚いた様子だった。
マティアスが事情を説明すると、彼の表情が変わった。
「資料が盗まれた?」
「ええ。あなたは昨日、保管庫へ入っていますね」
「入りましたが……」
「何をしていたのですか?」
「古代文字の照合です」
ルドルフは机の上の写本を指さした。
「北部遺跡で発見された文字列と、過去の記録を比較していました」
「どの資料を?」
「第三調査記録です」
俺は眉をひそめた。
第三調査記録。
それが、今回なくなった資料だった。
「その資料は、今どこにある?」
俺が尋ねると、ルドルフは困惑した表情を浮かべた。
「保管庫に戻したはずですが」
「本当に?」
「もちろんです」
彼は少し不機嫌そうに答えた。
「まさか、私が盗んだとでも?」
「まだ何も決まっていない」
俺は落ち着いて答えた。
「ただ、最後に使った人には確認が必要だろ」
ルドルフは口を閉じた。
その様子を、ヴィオレッタが静かに見つめていた。
「ルドルフさん」
彼女が声をかける。
「昨日、保管庫から戻られた後は、どちらにいらっしゃいましたか?」
「ここです」
「ずっと?」
「ええ」
「誰かとお会いになりましたか?」
「……いや、特には」
ヴィオレッタはうなずいた。
「ありがとうございます」
それ以上、追及しなかった。
俺たちは解析室を出た。
廊下へ出たところで、ヴィオレッタが小さく息を吐いた。
「……少し気になりますね」
「ルドルフが?」
「はい。ただ、今の段階で疑うのは早いと思います」
「同感だ」
俺はうなずいた。
最後に資料を使ったからといって、犯人とは限らない。
誰かが彼の後に保管庫へ入った可能性もある。
あるいは、帳簿そのものが改ざんされているかもしれない。
「ほかの記録も確認した方がいいな」
俺は言った。
◇
午後。
俺たちは研究院の記録室で、過去の入退室記録を調べていた。
エリオットが帳簿を並べ、リシアが職員の勤務記録を確認する。
カイルとディーンは、保管庫周辺の警備経路を調べていた。
「……あった」
エリオットが声を上げた。
「何か分かったのか?」
「昨日の入退室記録なんだけど、少しおかしい」
彼は帳簿の一部分を指さした。
「ルドルフの入室時刻は午後二時十分。退室時刻は午後二時四十五分」
「それが?」
「同じ時間帯に、研究院の別の場所で魔力警報が鳴ってる」
俺は記録を確認した。
午後二時三十二分。
地下の魔力測定室で異常反応。
そのため、研究員数名が現場へ向かったと記されている。
「……つまり?」
「保管庫の警備担当も、その対応に呼ばれてるんだ」
エリオットが言った。
「その間、保管庫の入口は無人だった」
「でも、鍵は?」
「それが問題なんだよ」
エリオットは別の記録を取り出した。
「保管庫の鍵は二本ある。一本はマティアス院長が管理していて、もう一本は警備室に保管されてる」
「警備室の鍵を使えば……」
「そう。帳簿に名前を残さず入れる可能性がある」
俺は腕を組んだ。
ルドルフが最後に入室したという記録だけでは、犯人を特定できない。
むしろ、警備が手薄になった時間を狙った人物がいるのかもしれない。
「警備室の鍵の使用記録は?」
「今、ディーンたちが確認してる」
そのとき、扉が開いた。
カイルとディーンが戻ってきた。
「シオン!」
カイルが声を上げる。
「面白いことが分かったぞ!」
「何だ?」
「警備室の鍵、昨日の午後に一度持ち出されてる」
俺は顔を上げた。
「誰が?」
ディーンが答えた。
「研究補佐のミレーヌだ」
◇
ミレーヌは二十代半ばの女性だった。
明るい栗色の髪を肩まで伸ばし、落ち着いた雰囲気を持っている。
研究院では資料整理や発掘品の管理を担当していた。
俺たちが事情を尋ねると、彼女はすぐに答えた。
「鍵を借りたのは事実です」
「何のために?」
「院長から依頼されていた資料を確認するためです」
マティアスが首をかしげた。
「私が?」
「はい。北部遺跡の第二調査記録を確認するようにと」
「……そのような指示は出していません」
室内の空気が変わった。
ミレーヌは目を見開いた。
「え……?」
「誰から、その指示を受けたのですか?」
「……ルドルフさんです」
俺は思わず顔を上げた。
「ルドルフが?」
「はい。院長からの伝言だと言われました」
マティアスの表情が険しくなる。
「私は、そのような伝言を頼んでいません」
ミレーヌは青ざめた。
「そんな……」
俺は慎重に尋ねた。
「鍵を借りた後、どうしたんだ?」
「保管庫へ行きました。でも……」
「でも?」
「入口でルドルフさんに会いました」
俺は息を止めた。
「ルドルフが?」
「はい。資料はもう確認したから、鍵を返しておいてほしいと言われました」
「鍵は渡したのか?」
「……はい」
俺はエリオットと顔を見合わせた。
これで、話がつながった。
ルドルフはミレーヌを利用して鍵を持ち出させた。
そして、帳簿に記録を残さず保管庫へ入った可能性がある。
だが、まだ決定的な証拠ではない。
「ミレーヌさん」
ヴィオレッタが静かに尋ねた。
「そのとき、ルドルフさんは何か持っていましたか?」
「……そういえば」
ミレーヌは少し考えた。
「黒い革の鞄を持っていました」
「普段から使っているものですか?」
「いいえ。初めて見ました」
俺は立ち上がった。
「……確認しよう」
◇
ルドルフの解析室へ向かったとき、すでに部屋は空だった。
机の上には写本が散らばり、引き出しが開いたままになっている。
「……逃げたか」
俺はつぶやいた。
窓が開いていた。
外には研究院の裏庭が広がっている。
「まだ遠くには行っていないはずだ!」
ディーンが叫ぶ。
俺たちは急いで外へ向かった。
研究院の裏庭。
石畳の通路を抜けた先に、古い倉庫が並んでいる。
その一角で、人影が動いた。
「いた!」
カイルが叫んだ。
ルドルフだった。
黒い革の鞄を抱え、裏門へ向かって走っている。
「止まれ!」
警備兵が叫ぶ。
だが、ルドルフは振り返らない。
俺は杖を掲げた。
「――土壁!」
地面から石の壁が立ち上がる。
ルドルフの進路を塞いだ。
「くっ!」
彼は足を止めた。
そして、懐から小さな魔導具を取り出した。
「……邪魔をするな!」
赤い光が走る。
魔導具から放たれた光弾が、こちらへ飛んできた。
「シオン!」
ヴィオレッタが叫ぶ。
光の障壁が展開され、光弾を受け止めた。
――ドォン!
爆発音が響く。
俺は杖を構え直した。
「ルドルフ! もう逃げられないぞ!」
男は歯を食いしばった。
「……お前たちには分からない」
「何がだ?」
「我々が何を目指しているのか!」
ルドルフは魔導具を再び構えた。
だが、その瞬間。
――ヒュッ!
一陣の風が吹き抜けた。
リシアの魔法だった。
風がルドルフの腕を弾き、魔導具が宙へ舞う。
「しまっ……!」
その隙に、ディーンが踏み込んだ。
――ガキィン!
剣の柄でルドルフの手首を打ち、武器を落とさせる。
さらに、俺が地面から石の拘束具を伸ばした。
ルドルフの両脚が固定される。
「ぐっ……!」
男が膝をついた。
警備兵たちが駆け寄り、彼を取り押さえた。
「確保!」
俺は大きく息を吐いた。
……ようやく捕まえた。
◇
ルドルフが持っていた黒い鞄の中から、第三調査記録が発見された。
さらに、数枚の古代文字の写しと、暗号化された通信文も見つかった。
通信文には、研究院内部の情報が細かく記されていた。
発掘調査の日程。
警備体制。
研究員の配置。
そして、アルセリアから来た調査団の名前。
「……全部、筒抜けだったのか」
俺はつぶやいた。
マティアスは険しい表情で記録を見つめていた。
「研究院の内部に、これほど深く入り込まれていたとは……」
レティシアが静かに言った。
「でも、これで少なくとも一人は捕まえられたね」
「ああ」
俺はうなずいた。
ルドルフは、単独で行動していたわけではない。
通信文の内容から、研究院の外部に協力者がいることも分かった。
そして、何より重要なのは――。
「……この記号」
エリオットが通信文の一枚を指さした。
そこには、円と三本の線を組み合わせた紋様が描かれていた。
北部遺跡。
研究院の金属板。
そして、灰色の上着の男が持っていた装置。
すべてに共通する記号だった。
「……やっぱり、同じ組織か」
俺はつぶやいた。
エリオットがうなずく。
「そう考えるのが自然だね」
そのとき、扉が開いた。
ヴァルターが入ってきた。
「シオン」
「ヴァルターさん」
「ルドルフの身柄は警備隊が預かった。これから正式な取り調べを行う」
「分かった」
ヴァルターは机の上の通信文を見た。
「……これが押収した資料か」
「ああ。研究院の情報が外部へ流れていたみたいだ」
「そうか」
ヴァルターは短く答えた。
そして、通信文の一枚を手に取った。
しばらく眺めた後、表情を変えた。
「……この印」
「知ってるのか?」
俺が尋ねると、ヴァルターはうなずいた。
「以前、王都で似たものを見たことがある」
「王都で?」
「ああ。数年前、ある貴族の屋敷を調査した際に見つかった」
俺は息をのんだ。
「その貴族は?」
「すでに亡くなっている」
ヴァルターは静かに答えた。
「だが、その人物が関わっていた組織については、当時も詳しいことが分からなかった」
俺は通信文を見つめた。
秘密組織。
古代技術。
王国の貴族。
それらが、少しずつつながり始めている。
「……ヴァルターさん」
「何だ?」
「その組織について、もっと調べられないか?」
ヴァルターはうなずいた。
「もちろんだ」
そして、俺たちを見回した。
「だが、ここから先は研究院だけの問題じゃない」
その声には、これまでとは違う重みがあった。
「王国そのものに関わる問題になる」
俺は静かに息を吸った。
どうやら、俺たちは思っていた以上に大きな事件へ足を踏み入れてしまったらしい。
だが、ここまで来て引き返すつもりはない。
俺は机の上の通信文を見つめた。
次に調べるべき場所は、もう決まっていた。
リューデン王国の王都。
そして、そこに残された秘密組織の痕跡だった。




