山岳都市の異変
襲撃から三日後。
両国の警備隊による調整が整い、俺たちは護衛を増員してリューデン王国へ向かった。
捕らえた襲撃者たちは、結局、依頼主について何も語らなかったらしい。
持ち物にも所属を示すものはなく、分かったのは、俺たちが偶然襲われたわけではないということだけだった。
だからといって、いつまでも宿場町に留まるわけにはいかない。
調査を続ける以上、危険を完全に避けることはできない。
ただし、危険を減らす努力は必要だ。
護衛の増員に加え、馬車の配置と移動経路も変更された。
俺たちはその条件を受け入れ、再び旅を始めた。
◇
「見えてきたぞ!」
カイルの声に、俺は馬車の窓から顔を出した。
遠くに、巨大な山脈が連なっていた。
その麓に築かれた都市を、幾重もの石壁が取り囲んでいる。
灰色の建物が斜面に沿って並び、中央には尖塔を持つ大きな施設がそびえていた。
「あれがリューデンの北部研究都市か」
ディーンが感心したように言う。
「思っていたより大きいな」
「山岳地帯で採れる鉱石や魔石の研究が盛んらしい」
俺は事前に渡された資料を思い出した。
「古代遺跡の調査も、ここを拠点にしているそうだ」
「へえ。じゃあ、珍しい武器なんかもあるのか?」
カイルが身を乗り出す。
「お前はそればっかりだな」
「剣士なら気になるだろ!」
「気になるのは分かるが、買う金はあるのか?」
「……見るだけなら無料だ」
ディーンが笑った。
そのやり取りを聞きながら、俺も少しだけ肩の力を抜いた。
街道で襲われてから、ずっと緊張が続いていた。
けれど、ようやく目的地が見えた。
ここからが本来の調査だ。
隣に座るヴィオレッタが、窓の外を見つめていた。
「美しい街ですね」
「ああ。山の中に、あれだけの都市を造るのは大変だっただろうな」
「ええ。でも……」
彼女は少し声を落とした。
「どこか、落ち着かない気もします」
「襲撃のことか?」
「それもありますが……理由は分かりません」
俺は都市へ視線を戻した。
石壁の向こうには、無数の建物が並んでいる。
その一角に、古代遺跡から運び込まれた資料が保管されているはずだった。
時計塔の装置に似た紋様。
読めない文字。
そして、俺たちの移動を知っていた襲撃者。
何も起きないとは、考えにくかった。
◇
都市の門をくぐると、街道とはまったく違う光景が広がっていた。
石畳の通りには商人の荷車が行き交い、鉱石を積んだ馬車が坂道を上っていく。
建物の壁には金属製の配管が張り巡らされ、ところどころから白い蒸気が噴き出していた。
「すごい……」
ヴィオレッタが目を輝かせる。
「街全体が、一つの工房のようですわね」
「実際、工房が多いらしいよ」
前の馬車から降りたエリオットが、さっそく周囲を見回していた。
「魔力を使った精錬設備もあるって聞いた。時間があれば見学したいな」
「エリオットまで観光気分かよ」
カイルが笑う。
「研究だよ、研究」
「便利な言葉だな」
リシアが呆れたように言った。
そんなやり取りをしていると、研究施設の前から一人の男性が歩いてきた。
年齢は四十代ほど。
薄茶色の髪を後ろへなでつけ、紺色の上着を着ている。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
男性は丁寧に頭を下げた。
「リューデン北部研究院の調査主任、マティアス・ベルクと申します」
レティシアが一歩前へ出る。
「レティシアです。今回は調査の機会をいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。王都で発見された古代装置について、ぜひお話を伺いたいと思っておりました」
マティアスは俺たちへ視線を向けた。
「こちらが、学園から参加された皆さんですね」
「うん。シオン君を中心に、現地調査の補助をお願いしているんだ」
「なるほど」
マティアスは俺を見た。
「あなたがシオン・クレイヴェル君ですか」
「はい。よろしくお願いします」
「時計塔での調査に協力されたと聞いています。今回も期待していますよ」
期待されても困る。
俺自身、古代装置について分かっていることは多くない。
むしろ、調べるほど疑問が増えているくらいだった。
「まずは資料をご覧いただきましょう」
マティアスは施設の奥を示した。
「ただ、その前に一つ、お伝えしなければならないことがあります」
レティシアの表情が変わった。
「何かあったの?」
「昨夜、保管庫への侵入未遂がありました」
俺たちは顔を見合わせた。
「盗まれたものは?」
「幸い、確認された被害はありません。しかし、侵入者が狙ったのは一般の研究資料ではありませんでした」
マティアスは声を落とした。
「北部遺跡から発掘された、古い金属板の保管室です」
◇
研究院の地下には、厚い石壁に囲まれた保管区画があった。
廊下の両側には魔導灯が並び、要所には警備兵が立っている。
マティアスの案内で、俺たちはその一室へ入った。
中央の机に置かれていたのは、黒ずんだ金属板だった。
大きさは両手で抱えられる程度。
表面には細かな傷があり、縁の一部が欠けている。
そして、その中央には――。
「……これか」
俺は思わずつぶやいた。
円形の紋様。
そこから伸びる三本の線。
時計塔で見たものと似ている。
けれど、まったく同じではなかった。
「シオン君、どう思う?」
レティシアが尋ねる。
「似ているけど、構造が違う」
「どのあたり?」
「時計塔の紋様は、線が中心へ向かっていた。でも、これは外側へ伸びているように見える」
エリオットが横から覗き込んだ。
「本当だ。しかも、線の終端に小さな記号がある」
「その部分が重要だと考えています」
マティアスが説明した。
「我々は当初、単なる装飾だと判断していました。しかし、王都から送られてきた資料と照合した結果、機能を持つ回路の一部ではないかという意見が出ています」
「起動は試したの?」
レティシアが尋ねた。
「いいえ。現在は解析のみです」
「それならよかった」
彼女は小さく息を吐いた。
「用途が分からないものに魔力を流すのは危険だから」
俺も同感だった。
時計塔の装置が反応したときのことを思い出す。
あれは、俺に対して何かを確認しているようだった。
だが、何を確認していたのかは分からない。
俺は金属板の表面へ目を凝らした。
紋様の下には、細かな文字が刻まれている。
その一部に、見覚えのある形があった。
しかし、摩耗が激しい。
無理に読もうとしても、意味のある言葉にはならなかった。
「この金属板は、遺跡のどこで見つかったんですか?」
俺が尋ねる。
「北側の地下通路です」
マティアスが答えた。
「本来は壁面に固定されていたようですが、発見時には落下していました」
「地下通路……」
「ええ。そして、その奥にはまだ調査できていない区画があります」
マティアスは机の上へ地図を広げた。
山の斜面に沿って、複数の通路が描かれている。
その一番奥に、赤い印がつけられていた。
「ここです」
「未調査なのは、崩落しているから?」
リシアが尋ねる。
「それもあります。ただ、問題は別にありまして……」
マティアスが言葉を切った。
そのときだった。
――ゴォン。
遠くで、低い音が響いた。
床がわずかに震える。
天井の魔導灯が揺れた。
「……今のは?」
ディーンが顔を上げる。
続いて、廊下の向こうから足音が近づいてきた。
「ベルク主任!」
警備兵が飛び込んでくる。
「北部の採掘区画で異常が発生しました!」
「何だと?」
「地下から魔物が出現しています! すでに外壁の一部が破壊されました!」
マティアスの顔色が変わった。
「そんな……あそこは封鎖されているはずだ!」
警備兵が息を切らしながら続ける。
「それが、魔物の様子がおかしいんです! 通常の攻撃がほとんど通じません!」
俺たちは顔を見合わせた。
レティシアが即座に判断する。
「シオン君たちはここで待機して。私たちは状況を確認する」
だが、その直後。
――ドォォォン!
先ほどとは比較にならない轟音が響いた。
建物全体が揺れる。
棚の上の器具が落ち、金属音を立てた。
「きゃっ!」
ヴィオレッタが壁に手をつく。
俺は咄嗟に彼女の身体を支えた。
「大丈夫か!」
「はい……ありがとうございます」
廊下の向こうから、さらに叫び声が聞こえた。
「外壁が突破された!」
「魔物が市街地へ向かっている!」
マティアスが青ざめる。
「市街地に……?」
俺はレティシアを見た。
「レティシアさん」
「……分かってる」
彼女は険しい表情で答えた。
「状況が変わったね」
◇
研究院の外へ出た瞬間、俺たちは言葉を失った。
北側の城壁の向こうで、黒煙が上がっていた。
建物の屋根が崩れ、通りを人々が逃げ惑っている。
そして、その中心に――。
「何だよ、あれ……!」
カイルが叫んだ。
巨大な魔物がいた。
四本の太い脚。
岩石を重ね合わせたような外皮。
背中には鋭い突起が並び、頭部には二本の角が生えている。
その巨体は、周囲の建物を見下ろすほどだった。
「岩甲獣……?」
リシアがつぶやく。
「でも、あんなに大きくなるはずがない!」
魔物の全身には、赤黒い光が走っていた。
外皮の隙間から、異様な魔力が漏れている。
通常の魔物とは明らかに違う。
岩甲獣が前脚を持ち上げた。
逃げ遅れた人々のいる通りへ、巨大な影が落ちる。
「まずい!」
俺は杖を構えた。
地面へ魔力を流し込む。
石畳が盛り上がり、巨大な土壁が出現した。
――ドゴォォン!
岩甲獣の脚が土壁へ叩きつけられる。
壁が砕け散った。
だが、わずかに軌道が逸れた。
「今だ! 逃げろ!」
近くの兵士が叫ぶ。
人々が路地へ駆け込んでいく。
「シオン!」
カイルが剣を抜いた。
「俺たちも行くぞ!」
「待て!」
俺は叫んだ。
「無闇に近づくな! まず周囲の人を避難させる!」
「……分かった!」
カイルがうなずく。
俺たちは手分けして動き始めた。
ディーンとカイルが通りの人々を誘導する。
リシアは風の魔法で瓦礫を吹き飛ばし、避難経路を確保した。
ヴィオレッタは建物の入口に防御障壁を展開する。
フィオナは負傷者の手当てを始めた。
レティシアは警備隊と連携し、周囲の封鎖を指示している。
俺は魔物へ視線を向けた。
岩甲獣は、周囲の兵士をまったく気にしていないようだった。
まっすぐ、研究院へ向かっている。
「……研究院を狙っている?」
俺は眉をひそめた。
偶然とは思えなかった。
街道での襲撃。
保管庫への侵入未遂。
そして、研究院へ向かう異常な魔物。
何者かが、古代遺物を狙っている。
そう考える方が自然だった。
「シオン!」
エリオットが駆け寄ってきた。
「測定器を持ってきた! あいつの魔力、普通じゃないぞ!」
「どういうことだ?」
「魔力が一定の周期で増幅してる! 外部から何かで制御されてるみたいだ!」
「やっぱり……」
俺は魔物を見つめた。
そのとき。
岩甲獣が咆哮した。
――グォォォォォッ!
空気が震える。
周囲の窓ガラスが砕け散った。
そして、魔物の口元に赤黒い魔力が集まり始めた。
「まずい!」
俺は叫んだ。
「ヴィオレッタ! 防御を!」
「はい!」
彼女が両手を掲げる。
巨大な光の障壁が、研究院の前に展開された。
次の瞬間。
――轟ッ!
赤黒い魔力の奔流が放たれた。
光が通りを焼き裂く。
石畳が砕け、周囲の建物の壁が吹き飛んだ。
障壁に激しい衝撃が走る。
「くっ……!」
ヴィオレッタが歯を食いしばった。
光の表面に亀裂が広がる。
「シオン!」
「分かってる!」
俺は彼女の障壁の内側に、もう一枚の防御壁を展開した。
二重の障壁が赤黒い光を受け止める。
――ガァァァン!
轟音。
衝撃。
足元の石畳が割れた。
数秒後、光が消える。
俺たちの前には、深くえぐれた通りが残っていた。
「……何て威力だ」
俺は息を吐いた。
これを何度も受けるわけにはいかない。
魔物を止める必要がある。
「エリオット! 弱点は分かるか!」
「待ってくれ!」
エリオットが測定器を操作する。
「背中だ! 右肩の後ろに魔力の集中点がある!」
俺は目を凝らした。
岩甲獣の背中。
外皮の隙間に、小さな赤い光が見える。
「あれか……!」
俺は仲間たちへ叫んだ。
「カイル! ディーン! 左右から注意を引いてくれ!」
「おう!」
「任せろ!」
「リシア、風で動きを止められるか!」
「やってみる!」
「ヴィオレッタは防御を優先して! 無理はするな!」
「分かりました!」
全員が動き始めた。
カイルとディーンが左右へ駆ける。
岩甲獣が前脚を振り上げた。
カイルは地面を蹴り、攻撃をかわす。
巨大な爪がすぐ横を通り過ぎた。
「遅え!」
カイルが剣を振り抜く。
刃が脚の関節へ食い込んだ。
――ギィン!
金属音が響く。
だが、深くは届かない。
「硬すぎる!」
岩甲獣が身体をひねる。
巨大な尾が横薙ぎに振るわれた。
「カイル!」
ディーンが叫ぶ。
カイルは剣を構えた。
しかし、間に合わない。
――ドンッ!
ディーンが横から飛び込み、カイルを突き飛ばした。
二人は地面を転がる。
直後、巨大な尾が二人のいた場所を通過した。
背後の建物の壁が砕け散る。
「助かった!」
カイルが叫ぶ。
「礼はあとだ!」
ディーンが剣を構え直す。
俺は魔力を集中させた。
地面から、巨大な石の鎖を作り出す。
一本。
二本。
三本。
鎖が岩甲獣の脚へ絡みついた。
「リシア!」
「任せて!」
リシアの風が、鎖を巻き込むように渦を巻いた。
岩甲獣の動きが止まる。
しかし、魔物は激しく暴れた。
石の鎖に亀裂が走る。
「長くは持たない!」
俺は叫んだ。
「カイル! 今だ!」
「おう!」
カイルが駆け出した。
俺は地面を隆起させ、階段状の足場を作る。
カイルはその上を一気に駆け上がった。
岩甲獣が頭を振る。
巨大な角が迫る。
「くそっ!」
カイルが身体をひねった。
だが、角の先端が肩をかすめた。
血が飛び散る。
「カイル!」
俺は叫んだ。
「大丈夫だ!」
カイルは歯を食いしばった。
そのまま足場を蹴る。
高く跳び上がった。
岩甲獣の背中へ向かって。
「うおおおおっ!」
剣が振り下ろされる。
――ガキィィン!
刃が赤い光の集中点を直撃した。
外皮が砕ける。
内部から、黒い金属片が露出した。
「シオン!」
エリオットが叫ぶ。
「今だ!」
俺は杖を掲げた。
魔力を一点へ集中させる。
狙うのは、露出した金属片。
周囲の外皮ではない。
その一点だけだ。
「――穿て!」
圧縮した魔力の槍が放たれた。
空気を切り裂き、一直線に飛ぶ。
――ドォォン!
金属片が砕け散った。
赤黒い魔力が、岩甲獣の身体から噴き出す。
魔物が絶叫した。
巨体が大きく揺れる。
「カイル! 離れろ!」
「分かってる!」
カイルが背中から飛び降りた。
俺は風の魔法で落下速度を緩める。
次の瞬間。
岩甲獣の身体から、赤黒い光が消えた。
魔物は数歩よろめき、地面へ倒れ込んだ。
――ズゥゥン。
大地が震えた。
土煙がゆっくりと晴れていく。
岩甲獣は、もう動かなかった。
◇
「……終わったのか?」
カイルが荒い息をつきながら言った。
「たぶんな」
俺は慎重に魔物へ近づいた。
警備兵たちが周囲を警戒している。
フィオナはカイルの肩の傷を確認していた。
「少し深いですね。動かないでください」
「これくらい平気だって」
「平気かどうかは、私が確認します」
「……はい」
カイルが大人しくなった。
その様子に、ディーンが小さく笑う。
「お前、フィオナさんには弱いな」
「うるせえ」
俺も思わず笑いそうになった。
だが、エリオットの声で表情を引き締めた。
「シオン、これを見てくれ」
彼は砕けた金属片を指さした。
黒い金属。
細かな線。
そして、その表面に刻まれた小さな記号。
俺は息をのんだ。
「……似ている」
「何に?」
「さっき見た金属板の紋様だ」
レティシアが近づいてきた。
「シオン君、本当?」
「うん。まったく同じではないけど、線の形が似ている」
エリオットもうなずいた。
「しかも、この金属片は魔物の魔力を増幅していた。偶然とは思えない」
レティシアの表情が険しくなる。
「……誰かが、古代の技術を利用している?」
「可能性はある」
俺は答えた。
だが、それだけでは説明できないことがあった。
なぜ、研究院を狙ったのか。
なぜ、俺たちが到着した直後だったのか。
そして、誰が魔物に金属片を埋め込んだのか。
俺は周囲を見回した。
破壊された建物。
負傷した人々。
崩れた石畳。
これは、単なる偶然の事故では済まされない。
誰かが意図的に引き起こした事件なら、その人物は今も近くにいるかもしれない。
「シオン」
カイルが声をかけてきた。
「どうした?」
「いや……さっきの戦いで、ちょっと変な感じがしてさ」
「変な感じ?」
「ディーンに助けられたとき、一瞬だけ、身体が勝手に動きそうになったんだ」
「……どういうことだ?」
「分かんねえ。何かを思い出しそうになったっていうか……」
カイルは首をかしげた。
「まあ、気のせいかもしれねえけど」
俺は彼を見つめた。
カイルは昔から、戦いの勘が鋭い。
だが、それだけでは説明できない何かがあるのかもしれない。
「無理はするなよ」
「分かってるって!」
カイルはいつものように笑った。
俺はそれ以上追及しなかった。
今は、考えるべきことが多すぎる。
◇
その夜。
研究院の一室で、俺たちは改めて事件の報告を受けた。
岩甲獣が現れたのは、北部の採掘区画。
そこは古代遺跡へ続く地下通路と、地形的につながっている場所だった。
さらに、魔物が現れる直前、封鎖されていた坑道の扉が何者かによって開かれていたという。
「つまり、誰かが意図的に魔物を外へ出した可能性がある」
マティアスが言った。
「それだけではありません」
警備責任者が続けた。
「魔物が暴れている間、研究院の別棟でも侵入者が確認されました」
「別棟?」
レティシアが尋ねる。
「はい。古代遺物の保管区画です」
室内の空気が変わった。
「盗まれたものは?」
俺が尋ねる。
警備責任者は、険しい表情で答えた。
「金属板の一部です」
「……一部?」
「はい。昨夜の侵入未遂で狙われたものとは別の、未整理の破片が持ち去られました」
俺は息をのんだ。
つまり、岩甲獣の襲撃は陽動だった可能性がある。
魔物が市街地で暴れれば、警備隊はそちらへ向かう。
その隙に、研究院へ侵入する。
最初から、それが目的だったのかもしれない。
「……やられたな」
ディーンが低くつぶやいた。
俺は机の上に置かれた地図を見つめた。
北部遺跡。
未調査の地下通路。
そして、盗まれた金属板。
何者かが、古代の技術を集めている。
それも、かなり組織的に。
「レティシアさん」
俺は顔を上げた。
「明日、遺跡を調べられる?」
彼女は少し考えた。
「安全が確認できれば、外側の調査区画までは行けると思う。でも、封鎖区域には入れないよ」
「それで十分だ」
俺はうなずいた。
今回の事件で、少なくとも一つ分かったことがある。
敵は、古代遺物を奪うためなら、街一つを危険にさらすこともためらわない。
そして、俺たちの調査が進むことを望んでいない。
ならば、こちらも急がなければならない。
ただし、無謀に突っ込むわけにはいかない。
敵が何を狙っているのか。
何を恐れているのか。
それを見極める必要がある。
窓の外には、夜の山岳都市が広がっていた。
遠くの山々は闇に沈み、研究院の塔だけが淡い光を放っている。
俺はその光を見つめた。
リューデン王国での調査は、始まったばかりだ。
だが、すでに敵は動き出している。
そして、その背後には、俺たちがまだ知らない何かが潜んでいた。
◇
同じ頃。
研究都市の北側にある古い屋敷。
薄暗い部屋の中で、一人の男が報告を受けていた。
「金属片の回収は成功しました」
黒い外套の男が、机の上に小さな箱を置く。
「岩甲獣は?」
「破壊されました。アルセリアから来た調査団が関与しています」
椅子に座る男は、しばらく沈黙した。
「……そうか」
男は箱を開けた。
中には、黒ずんだ金属片が収められている。
その表面には、円形の紋様と、三本の細い線が刻まれていた。
「これで、必要なものは揃った」
「では、次の段階へ?」
「ああ」
男は金属片を手に取った。
窓の外には、夜の山脈が広がっている。
「彼らには、もう少し働いてもらおう」
「調査団を排除しないのですか?」
「まだだ」
男は静かに笑った。
「古代の装置は、誰にでも応えるわけではない」
そして、机の上の地図へ視線を落とした。
北部遺跡。
その最深部に、赤い印がつけられている。
「まずは、扉を開けてもらう」
男の指先で、金属片がかすかに光った。
その光は、すぐに消えた。
しかし、遠く離れた山の地下では――。
長い眠りについていた何かが、静かに動き始めていた。




