選ばれたわけではない
もし、この世界に来た理由を尋ねられたら。
俺は、何と答えるだろう。
神様に選ばれたから。
特別な使命があるから。
世界を救うため。
……どれも、今の俺にはしっくりこない。
そもそも、俺は自分がどうして生まれ変わったのかさえ知らない。
ただ、気がつけばこの世界にいて。
クレイヴェル家の息子として育ち。
ある日、前世の記憶を思い出した。
それだけだ。
けれど最近、その「それだけ」が、少しずつ怪しくなってきている。
◇
「シオン、聞いてる?」
「……え?」
顔を上げると、ヴィオレッタがこちらを見ていた。
昼休み。
学園の中庭にあるベンチで、俺たちは昼食を取っていた。
隣にはリシア。
向かいにはエリオットが座っている。
「だから、今度の実技試験の話よ」
「ああ、うん。聞いてる」
「本当に?」
「……半分くらい」
「聞いてないじゃない」
ヴィオレッタが呆れたように言った。
エリオットが笑う。
「珍しいね。シオンがそんなに考え込んでるなんて」
「ちょっと、調べ物があってさ」
「また古代装置?」
「……まあ、そんなところ」
エリオットの目が輝いた。
「何か新しいことが分かったの?」
「まだ、はっきりしたことは何も」
「そっか。残念だなあ」
残念そうに言いながらも、エリオットはすぐに別の話題へ移った。
「そういえば、実技試験の魔法回路、今年は少し形式が変わるらしいよ」
「そうなの?」
「うん。単純な出力だけじゃなくて、制御精度も重視するんだって」
リシアが頷く。
「それなら、エリオットが有利かもしれないね」
「いやいや、リシアの精度には勝てないよ」
「そんなことないと思うけど」
二人は楽しそうに話し始めた。
俺も会話に加わろうとしたが、ヴィオレッタがこちらを見ていることに気づいた。
「……シオン」
「ん?」
「無理していない?」
「え?」
「最近、少し疲れているように見えるわ」
思わず瞬きをした。
そんなに顔に出ていただろうか。
「大丈夫だよ。ちょっと考えることが多いだけ」
「それならいいけれど」
ヴィオレッタは少しだけ眉を寄せた。
「何か困っているなら、相談してちょうだい」
「……うん。ありがとう」
俺は微笑んだ。
ヴィオレッタも、小さく笑みを返す。
その表情を見て、胸が少し軽くなった。
俺には、この世界で大切な人たちがいる。
それは、間違いない。
たとえ自分の生まれ変わった理由が分からなくても。
今ここで過ごしている時間まで、偽物になるわけじゃない。
◇
放課後。
俺は王都の古書店を訪れていた。
アレンさんが働いている店だ。
扉を開けると、小さな鐘が鳴った。
「いらっしゃいませ」
奥から声が聞こえる。
アレンさんが顔を出した。
「ああ、シオン君」
「こんにちは」
「今日は早いですね」
「学園が少し早く終わったので」
アレンさんは頷いた。
「ちょうどよかった。少しお話ししたいことがあったんです」
「……第七観測記録の件ですか?」
「それもありますが」
アレンさんは店内を見回した。
客はいない。
それを確認してから、声を落とした。
「今日は、別のことです」
俺は首を傾げた。
「別のこと?」
「……僕たち自身のことです」
その言葉で、何を指しているのか分かった。
俺たち自身。
つまり。
前世の記憶を持つ者同士、ということだ。
◇
店の奥にある小さな部屋。
そこには古い机と椅子が二脚置かれていた。
アレンさんが茶を用意してくれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
俺は椅子に座った。
アレンさんも向かいに腰を下ろす。
「……実は、昨日から考えていたんです」
「何をですか?」
「僕たちが、この世界にいる理由です」
俺は黙った。
アレンさんは静かに続けた。
「最初にシオン君と会ったとき、僕は本当に驚きました」
「俺もです」
あの日。
古書店で見つけた、見覚えのある文字。
そして、アレンさんが書いた短い言葉。
『HELLO』
たった五文字。
それだけで、俺たちは互いに気づいた。
この世界には、自分以外にも前世の記憶を持つ人間がいるのだと。
「……正直、少し安心しました」
アレンさんが言った。
「ずっと、自分だけだと思っていたので」
「俺もです」
俺は頷いた。
「誰かに話せることじゃありませんでしたし」
「そうですね」
アレンさんは微笑んだ。
「説明したところで、信じてもらえるかどうか分かりません」
俺は苦笑した。
「下手したら、変な目で見られそうです」
「ええ」
二人で小さく笑った。
けれど、すぐに静けさが戻った。
「……シオン君」
「はい」
「あなたは、自分が特別な存在だと思いますか?」
思いがけない質問だった。
「……特別?」
「ええ」
アレンさんは真剣な表情で俺を見ていた。
「この世界に来たことには、何か意味があると思いますか?」
俺は少し考えた。
前世の記憶。
この世界の魔法。
そして、古代装置。
偶然にしては、妙なことが続いている。
けれど。
「……分かりません」
俺は正直に答えた。
「意味があるのかもしれません。でも、ないのかもしれない」
アレンさんは黙って聞いていた。
「少なくとも、俺は誰かに使命を与えられた覚えはありません」
「……そうですね」
「この世界に生まれて、家族がいて、友達ができて……」
俺は少し笑った。
「それだけでも、十分だと思っています」
アレンさんは目を細めた。
「……いい答えですね」
「そうですか?」
「ええ」
彼は静かに頷いた。
「僕も、同じように考えたいです」
◇
「……ただ」
アレンさんは、机の上に一枚の紙を置いた。
「気になることがあるんです」
「何ですか?」
「僕たちが、同じ世界の記憶を持っていることです」
俺は頷いた。
「そうですね」
「僕が覚えている日本と、シオン君が覚えている日本には、共通点が多い」
「はい」
「言葉も、文化も、地名も」
アレンさんは少し考えた。
「でも、完全に同じ時代を生きていたとは限りません」
「……確かに」
俺たちは以前、前世について少し話した。
アレンさんが覚えているのは、二〇一八年頃までの日本。
俺の記憶とは、細かな部分で時期が違う可能性がある。
「……それって、どういう意味なんでしょう?」
俺が尋ねる。
「分かりません」
アレンさんは首を振った。
「ただ、僕たちが同じ時代から来たとは限らない、ということです」
俺は考え込んだ。
転生。
時間。
世界。
どれも、分からないことだらけだ。
「……ほかにも、俺たちみたいな人がいるんでしょうか」
思わず口にした。
アレンさんは少しだけ目を細めた。
「……いるかもしれませんね」
「ですよね」
「ただ、確かめる方法がありません」
俺は頷いた。
前世の記憶を持っているかどうか。
そんなもの、外見では分からない。
普通に暮らしていれば、気づくことすらないだろう。
「……もし、いたとして」
アレンさんが言った。
「その人たちが、僕たちと同じように生まれ変わったとは限りません」
「……え?」
「例えば、記憶を持ったまま、突然この世界に現れた人がいたら?」
俺は目を瞬かせた。
「……転移、ですか」
「そう呼べるかもしれません」
アレンさんは頷いた。
「もちろん、今のところは想像にすぎませんが」
俺は少し考えた。
異世界転生。
異世界転移。
前世では、物語の定番だった。
だが、ここは現実だ。
そんなことが本当に起こるのか。
……いや。
俺自身が転生している時点で、否定できない。
「……もし、そういう人がいたら」
俺は呟いた。
「何か、分かるかもしれませんね」
「ええ」
アレンさんは頷いた。
「ただし、相手が何を望んでいるかは分かりません」
「……そうですね」
「僕たちと同じように、静かに暮らしたい人かもしれません」
その言葉に、俺は少しだけ考え込んだ。
確かに。
誰もが、自分の秘密を知られたいわけじゃない。
俺だって、そうだ。
「……無理に探すのは、やめた方がよさそうですね」
「僕もそう思います」
アレンさんは微笑んだ。
「もし出会うことがあれば、そのとき考えましょう」
「はい」
◇
しばらくして、話題は古代装置に戻った。
「……第七観測記録の件ですが」
アレンさんが言った。
「ハロルドさんから、もう一つ連絡がありました」
「何か分かったんですか?」
「ええ。少しだけ」
アレンさんは紙を取り出した。
「例の旧地下保管区画について、現在の管理者が確認を進めているそうです」
「……中に入ったんですか?」
「まだです」
アレンさんは首を振った。
「古い区画なので、安全確認が必要だそうです」
「なるほど」
「ただ、出入口の管理記録を調べたところ、少し不自然な点が見つかったそうです」
「……不自然?」
「最近、旧地下保管区画の鍵が、一度だけ持ち出されていたんです」
俺は眉を寄せた。
「……誰が?」
「記録には、保管担当者の名前が残っていました」
「じゃあ、その人が?」
「それが……」
アレンさんは少し言いにくそうにした。
「その担当者は、すでに退職しているそうです」
「……え?」
「数年前に」
俺は言葉を失った。
数年前に退職した人間の名前で、最近鍵が持ち出されている。
それは、明らかにおかしい。
「……誰かが名前を使った?」
「可能性はあります」
アレンさんは頷いた。
「ただ、記録の誤りという可能性もあります」
「……そうですね」
「現在の管理者が、正式に調べているそうです」
俺は小さく息を吐いた。
目録の閲覧記録。
地下保管区画の配置図。
そして、鍵の持ち出し。
偶然にしては、妙なことが続いている。
「……アレンさん」
「はい?」
「これ、やっぱり誰かが探しているんじゃ……」
アレンさんは静かに頷いた。
「……その可能性は、考えておくべきでしょうね」
◇
古書店を出る頃には、空が赤く染まっていた。
俺は王都の通りを歩きながら、今日の話を思い返していた。
俺たちが、この世界にいる理由。
ほかにも、同じような人がいる可能性。
そして、第七観測記録。
……。
頭の中で、いくつもの考えが浮かんでは消えていく。
「……考えすぎかな」
思わず呟いた。
前世の記憶があること。
古代装置が反応したこと。
そして、奇妙な記録が見つかったこと。
それらが、すべてつながっているとは限らない。
むしろ、無関係である可能性だってある。
けれど。
何となく、気になってしまう。
俺は空を見上げた。
夕焼けの向こうに、最初の星が見え始めている。
この世界の空。
前世とは違う星々。
けれど、見上げたときの気持ちは、あまり変わらない。
「……俺は、俺だよな」
小さく呟いた。
誰かに選ばれたわけじゃない。
特別な使命を与えられた覚えもない。
ただ、この世界で生きている。
それでいい。
少なくとも、今は。
◇
同じ頃。
王都の外れ。
古い建物の一室で、男が小さな金属板を見つめていた。
板の表面には、細かな文字が刻まれている。
男は指先で、その文字をなぞった。
すると。
淡い光が、ゆっくりと浮かび上がった。
「……」
男はしばらく黙っていた。
やがて、低く呟く。
「……反応が増えている」
金属板の表面に、小さな点がいくつも現れる。
そのうちの一つが、わずかに明滅していた。
男は目を細めた。
「……新しい観測対象か」
しばらくして、光は消えた。
男は金属板を布で包み、鞄にしまった。
「……急がなければ」
その声には、焦りが滲んでいた。
男は窓の外を見た。
王都の夜空には、いくつもの星が輝いている。
「……記録が揃う前に」
男は静かに呟いた。
「……見つけなければならない」
◇
翌朝。
学園の廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。
「シオン!」
振り返ると、ヴィオレッタがいた。
「おはよう」
「おはようございます」
ヴィオレッタは少し笑った。
「今日は、ちゃんと眠れた?」
「……え?」
「昨日、少し疲れているように見えたから」
俺は目を瞬かせた。
それから、微笑んだ。
「……うん。大丈夫」
「本当?」
「本当」
ヴィオレッタは少しだけ俺を見つめた。
そして、安心したように微笑んだ。
「それなら、よかったわ」
俺は、その表情を見て思った。
前世の記憶。
転生の理由。
古代装置の謎。
どれも、まだ分からない。
けれど。
今、俺の目の前にいる人たちは、本物だ。
この世界で出会った家族も。
友達も。
大切な人も。
そのすべてが、俺の人生を形作っている。
「……ヴィオレッタ」
「何?」
「今度、また一緒に出かけない?」
ヴィオレッタは目を瞬かせた。
「……え?」
「前に行った店もよかったけど、ほかにも気になるところがあって」
ヴィオレッタの頬が、少し赤くなった。
「……そうね」
少しだけ視線を逸らす。
「……予定が合えば、いいわよ」
「本当?」
「ええ」
そして、小さく微笑んだ。
「……楽しみにしているわ」
俺も笑った。
「うん。俺も」
学園の鐘が鳴った。
いつもどおりの朝。
いつもどおりの授業。
そして、少しだけ楽しみな未来。
俺はヴィオレッタと並んで歩き始めた。
たとえ、この世界に来た理由が分からなくても。
俺は、ここで生きていく。
誰かに選ばれたからじゃない。
自分で、そう決めたからだ。




