消された観測者
世の中には、知らない方が幸せなことがある。
前世でも、そんな言葉を何度か聞いた。
当時の俺は、ずいぶん都合のいい考え方だと思っていた。
知らなければ、判断することさえできない。
何かを隠す側にとっては便利でも、隠される側にとっては迷惑な話だ。
だから、基本的には知りたい。
分からないことがあれば調べたい。
……そう思っていたのだが。
「シオン君」
「はい」
「あなた、また面倒なものを見つけてきたわね」
「……俺も、そう思います」
王都魔導技術研究所。
資料室の一角で、俺はレティシアさんに頭を下げていた。
隣にはフィオナさん。
机の中央には、昨日の調査結果をまとめた紙が広げられている。
『第七観測記録』
『管理権限消失につき、封印を継続』
『旧地下保管区画』
王都歴史記録保管館で、アレンさんと一緒に確認した内容だ。
もちろん、保管館の資料を勝手に持ち出したわけではない。
閲覧を許された範囲で書き留めた情報だけを、ここへ持ってきた。
その内容を読んだレティシアさんは、しばらく黙っていた。
そして、深いため息をついたのだ。
「……一応、聞いておくけれど」
「はい」
「地下保管区画に勝手に入ったりしていないでしょうね?」
「してません!」
「封印された記録を無理に開こうとしたり?」
「してません!」
「古い装置を動かしたり?」
「それもしてません!」
「そう。なら、今のところ合格ね」
何の試験だろう。
いや、言いたいことは分かる。
俺が余計なことをしそうだと思われているのだ。
……あまり否定できないのが悲しい。
「レティシアさん、シオン君は慎重に調べてくれていますよ」
フィオナさんが助け舟を出してくれた。
「今回は閲覧を認められた記録の確認だけですし、危険な行動は取っていません」
「分かってるわ」
レティシアさんは頷いた。
「ただ、この手の調査は、何かが分かったときほど危ないのよ」
そう言って、目録の記載を指で叩いた。
「特に、この『管理権限消失』という言葉が気になるわね」
「やっぱり、普通の記録とは違うんですか?」
俺が尋ねる。
「断定はできない。でも、違和感はある」
レティシアさんは腕を組んだ。
「一般的な公文書なら、管理者がいなくなっても別の部署が引き継ぐ。管理権限が消失したから封印を続ける、という説明にはなりにくいわ」
「ですよね」
「それなのに、この記録では『権限が消失したから封印を継続する』と書いてある」
フィオナさんが静かに言った。
「……まるで、特定の条件を満たさない限り、開けてはいけないという意味にも見えます」
「そうね」
レティシアさんが頷いた。
「ただし、それが人間の管理制度なのか、装置側の仕組みなのかは分からない」
俺は机の上の紙を見つめた。
管理権限。
前世の感覚だと、どうしても機械の操作権限を連想してしまう。
だが、この世界で同じ意味だとは限らない。
「……その記録、現物は確認できなかったんです」
俺は説明を続けた。
「目録には載っているんですが、最後の保管場所が旧地下保管区画になっていて」
「地下保管区画?」
「はい。現在はほとんど使われていないそうです」
「なるほどね」
レティシアさんは少し考えた。
「記録そのものが残っているかも分からない、ということか」
「そうです」
フィオナさんが紙を見つめる。
「……でも、名称だけでも重要な手がかりですね」
「はい」
俺は頷いた。
少なくとも、第七観測記録という名称が存在したことは分かった。
そして、それが普通の記録とは違う扱いを受けていたことも。
◇
「……もう一つ、気になることがあります」
俺は別の紙を取り出した。
「目録には、ほかの観測記録も載っていました」
「ほかの?」
フィオナさんが尋ねる。
「第一、第二、第三……という具合に、複数の記録があったようです」
俺は、確認できた番号を書き出した。
第一観測記録。
第二観測記録。
第三観測記録。
そして、第七観測記録。
「……第四から第六は?」
レティシアさんが尋ねた。
「今回確認できた範囲には、ありませんでした」
「欠番なの?」
「そこまでは分かりません」
俺は首を振った。
「別の目録に載っている可能性もありますし」
「そうね」
レティシアさんは頷いた。
「数字が飛んでいるからといって、記録が消されたとは限らない」
「はい」
「でも、少なくとも複数の観測記録が存在した可能性は高いわね」
フィオナさんが静かに言った。
「……第七という番号にも、何か意味があるのでしょうか」
「分からないわ」
レティシアさんは即答した。
「単なる通し番号かもしれないし、分類番号かもしれない」
俺は考え込んだ。
第七観測記録。
識別系統・第七種。
同じ数字。
似た言葉。
けれど、まだつながったとは言えない。
「……難しいですね」
思わず呟く。
「調査って、そういうものよ」
レティシアさんが笑った。
「分かったことより、分からないことの方が増える時期があるの」
「今がまさにそれですね」
「ええ。しかも、かなり面倒な部類ね」
……やっぱり面倒なのか。
◇
しばらく資料を照合していると、フィオナさんが一枚の紙を取り出した。
「レティシアさん。以前の反応記録と比較してみてもよろしいでしょうか?」
「いいわよ。ただし、写しだけね」
「はい」
フィオナさんが広げたのは、旧検査官オスカー・ベルンさんの証言に基づく記録だった。
古代装置の移設時。
現場には五人の技術者がいた。
しかし、装置には六つ目の反応が現れた。
その反応は、装置の動力を切ったあとも、しばらく残っていたという。
当時の記録には、こう記されている。
『所在不明の観測対象』
「……これですね」
俺は紙を覗き込んだ。
「はい」
フィオナさんが頷く。
「以前から、この記載が気になっていました」
「六人目がいたってことですか?」
「そこまでは分かりません」
フィオナさんは首を振った。
「魔力の残留反応かもしれませんし、装置の誤作動という可能性もあります」
「そうですね」
「ただ……」
フィオナさんは、別の紙を隣に置いた。
そこには、例の円と三本の線が描かれていた。
「この印と、反応記録の端に残っている図形が、少し似ているんです」
俺は見比べた。
確かに、似ている。
ただし、同じではない。
円の位置も、線の角度も微妙に違う。
「……似ていますね」
「はい。でも、これだけでは関係があるとは言えません」
レティシアさんが頷いた。
「形が似ているだけで同じ意味だと決めつけるのは危険ね」
「ですよね」
俺は少し残念に思った。
こういうとき、物語なら突然すべてがつながったりする。
だが、現実はそう簡単ではない。
……いや。
俺の人生は、十分物語みたいなことになっている気もするけど。
「それにしても……」
俺は、反応記録を見つめた。
「この六つ目の反応って、結局何だったんでしょうね」
「分かりません」
フィオナさんは答えた。
「人なのか、魔力なのか、あるいは別の何かなのか」
レティシアさんも頷いた。
「そもそも、装置が何を『観測対象』として扱っていたのかが不明なのよ」
観測。
識別。
記録。
何度も出てくる言葉。
この装置は、いったい何を見ていたのだろう。
◇
同じ頃。
王都騎士団本部では、別の調査が進んでいた。
「……団長、こちらをご覧ください」
ユリウスが書類を差し出した。
「おう」
ガルドは受け取り、目を通す。
「……何だ、こりゃ」
「移管記録の照合結果です」
ユリウスは机の上に別の資料を並べた。
「問題の管理番号ですが、旧管理局から移送された記録と、受け入れ側の記録で一致していません」
「数が違うのか?」
「はい」
ユリウスは頷いた。
「移送側では七件。受け入れ側では六件となっています」
ガルドの眉が動いた。
「……一件、足りねえな」
「ええ」
「紛失か?」
「その可能性はあります」
ユリウスは別の紙を示した。
「ですが、奇妙なのはこちらです」
そこには、古い確認印が押されていた。
「移送側の七件すべてに、確認済みの印があるんです」
「……つまり?」
「少なくとも、移送する段階では七件が確認されていたことになります」
ガルドは腕を組んだ。
「受け入れたときには六件」
「はい」
「途中で一件消えたってことか」
「あるいは、受け入れ側の記録から一件が除外されたか」
ガルドは書類を見つめた。
「……面倒な話だな」
「そうですね」
ユリウスは穏やかに答えた。
「ですが、少しずつ確認できることは増えています」
「おう」
ガルドは頷き、別の書類を手に取った。
「こっちの確認も頼めるか?」
「承知しました」
ユリウスは書類を受け取った。
そのとき、ガルドが何気なく言った。
「そういや、昨日の店、なかなかよかったな」
「ええ。料理も美味しかったですし、落ち着いた雰囲気でしたね」
「また行くか」
ユリウスは少しだけ顔を上げた。
「……はい。ぜひ」
その返事は、いつもと変わらず丁寧だった。
けれど、口元には自然な笑みが浮かんでいた。
「じゃあ、次はお前の好きな店にしよう」
「それでしたら、一軒ご紹介したいお店があります」
「おう。楽しみにしてる」
ガルドは再び書類へ目を落とした。
ユリウスも自分の机に戻り、調査を再開する。
団長と副団長。
二人の仕事ぶりは、これまでと何も変わらなかった。
◇
午後。
研究所の資料室。
「……あれ?」
俺は、古い記録の写しを見比べていて手を止めた。
「どうしました、シオン君?」
フィオナさんが尋ねる。
「この記載なんですけど……」
俺は一枚の紙を指さした。
古代装置の管理記録。
その中に、短い一文があった。
『観測対象数と記録数の不一致』
「……これ、どういう意味でしょう?」
フィオナさんは紙を覗き込んだ。
「観測対象の数と、記録された数が一致していない……ということでしょうか」
「ですよね」
「ただ、何を数えていたのかは分かりません」
レティシアさんも近づいてきた。
「どれ?」
俺は記載を示した。
レティシアさんはしばらく目を細めた。
「……なるほど」
「何か分かりますか?」
「いいえ」
即答だった。
「でも、気になるわね」
レティシアさんは別の資料を取り出した。
「装置の古い構造図には、観測系統と記録系統が別々に描かれているの」
「別々?」
「ええ」
彼女は図面を広げた。
複雑な魔法回路。
透明な球体。
その周囲を取り囲む、いくつもの線。
「ここが観測系統。こちらが記録系統と考えられている部分よ」
「……なるほど」
「ただし、現在の魔導技術とは構造が違うから、完全には解読できていない」
フィオナさんが続けた。
「もし、この二つが独立して動いていたなら……」
「観測したものが、必ずしも記録されるとは限らない?」
俺が尋ねる。
「可能性としては、そうです」
レティシアさんが頷いた。
「逆に、記録だけが残る場合も考えられるわね」
俺は図面を見つめた。
観測したもの。
記録されたもの。
その数が違う。
何かを見つけたのに、記録できなかった。
あるいは。
記録されていたものが、あとから消された。
「……」
嫌な想像が浮かんだ。
「レティシアさん」
「何?」
「もし、記録が消されたとしたら……」
俺は言葉を選んだ。
「消されたこと自体は、分かるものなんですか?」
レティシアさんは少し考えた。
「仕組みによるわね」
「仕組み?」
「例えば、記録を完全に削除する方式なら、痕跡は残らないかもしれない」
「はい」
「でも、管理番号や照合記録が別に残っていれば、欠けた部分が分かることもある」
「なるほど」
レティシアさんは図面を指さした。
「ただし、これはあくまで一般的な考え方よ。あの装置が同じ仕組みかどうかは分からない」
「……分かりました」
俺は頷いた。
確かなことは少ない。
けれど、少しずつ輪郭が見えてきた気がする。
◇
夕方。
研究所での調査を終えた俺は、王都の通りを歩いていた。
向かう先は、アレンさんが働いている古書店だ。
研究所で確認した内容を、すべて話すつもりはない。
内部資料には、外部へ出せない情報もある。
ただ、保管館の調査について、確認したいことがあった。
店に入ると、アレンさんは古い本を整理していた。
「いらっしゃいませ……ああ、シオン君」
「こんにちは」
「今日はどうしました?」
「昨日の件で、少し確認したいことがあって」
アレンさんは頷いた。
「分かりました。ちょうど手が空いています」
俺たちは店の奥にある小さな机へ移動した。
「……昨日、ハロルドさんが言っていた閲覧記録のことなんですが」
俺は声を落とした。
「はい」
「その後、何か分かりましたか?」
アレンさんは少し考えた。
「実は、今朝ハロルドさんから連絡がありました」
「……本当ですか?」
「ええ」
アレンさんは一枚のメモを取り出した。
「昨夜の閲覧記録について、もう一度確認してくださったそうです」
「それで?」
「閲覧されたのは、第七観測記録の目録だけではありませんでした」
俺は眉を寄せた。
「……ほかにも?」
「はい」
アレンさんはメモを示した。
「旧地下保管区画の配置図。それから、過去の移管記録です」
俺は息を呑んだ。
「……場所を調べていた?」
「その可能性があります」
アレンさんは頷いた。
「ただ、閲覧者の名前はやはり残っていません」
「……」
「ハロルドさんも、不自然だとおっしゃっていました」
俺は考え込んだ。
誰かが、第七観測記録を探している。
しかも、目録だけでなく、保管場所まで調べている。
「……アレンさん」
「はい?」
「その人、もう地下保管区画に行っている可能性はありませんか?」
アレンさんの表情が、少し真剣になった。
「……ありますね」
「ですよね」
「ですが、僕たちが勝手に調べるわけにはいきません」
アレンさんは静かに続けた。
「ここは、保管館の管理者に任せるべきでしょう」
「……はい」
俺は頷いた。
確かに、そのとおりだ。
一般人が勝手に立ち入っていい場所ではない。
まして、誰かが不審な行動を取っている可能性があるなら、なおさらだ。
「ハロルドさんには、管理者へ確認してもらうようお願いしています」
「分かりました」
俺は少し安心した。
少なくとも、何も考えずに突っ込むよりはいい。
「……それにしても」
アレンさんが呟いた。
「僕たちが調べ始めた時期と、ほとんど同じですね」
「……はい」
俺も、そのことが気になっていた。
偶然なのか。
それとも、何か理由があるのか。
まだ、分からない。
◇
夜。
王都の外れにある古い建物。
薄暗い部屋の中で、一人の男が机に向かっていた。
机の上には、数枚の古い紙片。
そして、小さな金属板。
男は、紙片の一つを手に取った。
そこには、古い文字でこう記されている。
『観測記録照合』
『対象数――』
その先は、擦り切れて読めなかった。
男は指先で紙をなぞった。
「……まだ残っていたか」
低い声が響く。
男は別の紙片を取り出した。
そこには、円の中を三本の線が交差する印があった。
「第七観測記録……」
男は呟いた。
「封印は、まだ解かれていない」
机の上の金属板が、淡く光った。
男はその光を見つめる。
「……だが、時間がない」
その声には、焦りが滲んでいた。
男は紙片を重ね、慎重にしまった。
そして、窓の外を見た。
王都の夜空には、いくつもの星が輝いている。
「……観測者が消えたままでは」
男は言葉を止めた。
しばらくして、低く呟く。
「記録は、完成しない」
◇
翌朝。
俺は学園の図書館で、昨日の資料を整理していた。
机の上には、いくつものメモが並んでいる。
『第七観測記録』
『管理権限消失』
『所在不明の観測対象』
『観測対象数と記録数の不一致』
そして。
『識別系統・第七種』
「……」
俺はペンを置いた。
どれも、まだ意味が分からない。
だが、同じ言葉が何度も現れる。
観測。
識別。
記録。
それらが何を指しているのか。
そして、誰が何のために作った仕組みなのか。
「……消された、か」
俺は小さく呟いた。
記録が失われたのか。
誰かが意図的に消したのか。
それとも、最初から記録されなかったのか。
答えは、まだ分からない。
ただ。
もし、本当に何かが消されているのなら。
その理由を知る必要がある。
俺はメモをまとめ、鞄にしまった。
窓の外では、学園の生徒たちが楽しそうに歩いている。
いつもどおりの朝。
何も変わらない日常。
けれど、その裏側では。
ずっと昔に失われたはずの記録が、少しずつ姿を現し始めていた。




