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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

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封印された第七観測記録

 王都の朝は、相変わらず騒がしい。


 通りを行き交う馬車。


 店先で客を呼び込む商人。


 焼きたてのパンの香り。


 そんな日常の風景の中を、俺は一人で歩いていた。


「……少し早く着きすぎたか」


 懐中時計を確認する。


 待ち合わせまでは、まだ二十分ほどある。


 今日は休日だ。


 本来なら学園の課題を片づけるか、エリオットたちと魔法の練習でもするところだった。


 だが、先日アレンから届いた手紙に、気になることが書かれていた。


『以前話した印について、確認できそうな場所が見つかりました』


 それだけなら、すぐにでも飛びつく話だった。


 しかし、そのあとに続く一文が問題だった。


『ただし、少し面倒な手続きが必要です』


 面倒な手続き。


 この世界で、その言葉が意味するものは大抵二つだ。


 金か、身分。


 そして俺は、そのどちらも豊富に持ち合わせていない。


「……嫌な予感しかしないな」


「何がですか?」


「うわっ!」


 背後から突然声をかけられ、思わず振り返った。


 そこには、茶色い髪の青年が立っていた。


 アレンだ。


「おはようございます、シオン君」


「お、おはようございます。驚かせないでくださいよ」


「すみません。何やら深刻そうな顔をしていたので」


「深刻というか……手続きが面倒って書いてあったので」


「ああ、そのことですか」


 アレンは穏やかに笑った。


「大丈夫ですよ。今回は、何とかなりそうです」


「……本当ですか?」


「ええ。知り合いに頼みました」


 その言い方が、少し引っかかった。


「知り合いって、どんな人ですか?」


「以前、王都の記録保管館で働いていた方です」


「……なるほど」


 確か、前にそんな話をしていた。


 古い文書を扱う仕事をしていた人物が、あの印について何か知っているかもしれない、と。


「その方に会うんですか?」


「ええ。ただ、少し変わった方なので」


「……変わった?」


「お会いすれば分かります」


 アレンは笑った。


 いや。


 それ、絶対に面倒な人じゃないか?


     ◇


 王都の北西区画。


 貴族の屋敷が並ぶ区域から少し離れた場所に、その建物はあった。


 灰色の石造り。


 高い窓。


 重厚な扉。


 入口の上には、古い文字でこう刻まれている。


『王都歴史記録保管館』


「……思ったより大きいですね」


「昔は王国の公文書も一部保管していたそうですから」


 アレンが説明する。


「現在は歴史資料や移管済みの記録が中心ですが、閲覧に制限のある資料も残っています」


「制限、ですか」


「ええ。破損しやすい資料や、管理上の理由で一般公開されていないものですね」


 俺は建物を見上げた。


 古代の装置。


 消された管理記録。


 謎の観測点。


 そして、円の中を三本の線が交差する印。


 その手がかりが、この中にあるかもしれない。


「……行きましょう」


「はい」


 俺たちは扉をくぐった。


     ◇


 館内は静かだった。


 高い天井。


 壁一面に並ぶ書棚。


 古い紙と革の匂い。


 閲覧室では、数人の研究者らしい人物が資料を広げている。


 俺は思わず周囲を見回した。


「……すごいですね」


「こういう場所は初めてですか?」


「ええ。学園の図書館とは雰囲気が違います」


「ここは本を読む場所というより、記録を保存する場所ですから」


 アレンは受付へ向かった。


 職員に名前を告げると、奥へ案内される。


 通されたのは、小さな応接室だった。


 そこには、一人の老人が待っていた。


 白髪。


 細い体。


 鋭い目つき。


 机の上には、何冊もの古い目録が積まれている。


「……遅い」


 老人は開口一番、そう言った。


 俺は思わず時計を見た。


 約束の時間より、まだ十分早い。


「お久しぶりです、ハロルドさん」


 アレンは慣れた様子で挨拶した。


「時間より早く来たつもりだったんですが」


「調べ物をする人間は、日の出とともに動くものだ」


「相変わらずですね」


「お前も相変わらず、妙なものばかり追いかけておる」


 老人は鼻を鳴らした。


 そして、俺に目を向ける。


「……そっちの坊主は?」


「シオン・クレイヴェル君です」


「初めまして」


 俺は頭を下げた。


「シオンと申します」


「ハロルド・グレイだ。昔、ここで記録の整理をしていた」


 老人は俺をじろじろと見た。


「学生か?」


「はい。王立総合学園に通っています」


「ふん。最近の学生は、古い紙切れにまで興味を持つのか」


「ええと……」


 何と答えるべきか迷っていると、アレンが助け舟を出した。


「彼は古代文字の研究に関心があるんです」


「古代文字?」


 ハロルドの目が少し鋭くなった。


「読めるのか?」


「……一部だけです」


 嘘ではない。


 俺が読めるのは、この世界ではほとんど使われていない、前世の文字だ。


 ただし、何でも理解できるわけではない。


 英語らしい単語は分かっても、文書全体の意味が不明なことは多い。


「なるほどな」


 ハロルドはそれ以上追及しなかった。


 代わりに、机の上の紙を一枚差し出す。


「アレン。お前が言っていた印は、これか?」


 そこには、円の中を三本の線が交差する図形が描かれていた。


「……!」


 俺は思わず身を乗り出した。


 見覚えがある。


 アレンが見せてくれた古い資料。


 そして、あの装置に関係する記録の断片。


 それらに残されていた印と、よく似ている。


「これです」


 アレンが答えた。


「やはり、こちらにも記録が?」


「あるにはある」


 ハロルドは腕を組んだ。


「だが、厄介だ」


「……何がですか?」


 俺が尋ねると、老人は机を指で叩いた。


「この印は、特定の部署を示すものではない」


「部署ではない?」


「少なくとも、通常の行政印ではない。保管記録の分類にも使われておらん」


 アレンが眉を寄せる。


「では、何を示しているのでしょう?」


「それが分からんから厄介なんだ」


 ハロルドは不機嫌そうに答えた。


「ただし、古い目録に何度か現れる」


「目録に?」


「ああ。しかも、どれも似たような扱いだ」


 老人は一冊の分厚い本を開いた。


 黄ばんだ紙。


 細かな文字。


 ところどころに、後から書き加えられた注記がある。


「ここだ」


 指し示された箇所を、俺たちは覗き込んだ。


 そこには、複数の記録番号が並んでいた。


 そのうちの一つに、例の印が押されている。


「……第七?」


 俺は小さく呟いた。


 アレンが顔を上げる。


「読めますか?」


「ええ。ここの数字は」


 俺が指したのは、古い記録番号だった。


 ハロルドが頷く。


「そうだ。第七観測記録」


 その言葉を聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。


 第七。


 観測。


 その二つの言葉には、覚えがある。


 旧管理資料に残されていた、


『識別系統・第七種』


 という記載。


 そして、古代装置に関係する『観測』という言葉。


 もちろん、同じものを指しているとは限らない。


 だが、無関係だと考えるには、あまりにも引っかかる。


「……その記録は、今もここにあるんですか?」


 俺は尋ねた。


 ハロルドの表情が曇る。


「目録上は、な」


「目録上?」


「現物を確認できん」


 アレンが眉を寄せた。


「紛失したということですか?」


「そうとも言い切れん」


 ハロルドは別の紙を取り出した。


「この記録には、特殊な保管指定がついておる」


 俺は紙を覗き込んだ。


 そこには、古い筆跡で一文が記されていた。


『管理権限消失につき、封印を継続』


「……管理権限、消失?」


 思わず声が出た。


 何だ、それは。


 普通なら、管理者の死亡や部署の廃止に伴って、権限は別の担当者へ移るはずだ。


 それが消失?


 しかも、そのせいで封印を続ける?


「どういう意味なんですか?」


「分からん」


 ハロルドは即答した。


「古い記録には、現在では意味の通じない管理用語が残っていることがある。これもその一つだろう」


「封印されている理由も?」


「不明だ」


 老人は目録を閉じかけ、ふと手を止めた。


「……ただ、一つ妙なことがある」


「何ですか?」


 アレンが尋ねる。


「この記録は、通常の機密資料と扱いが違う」


「違う?」


「ああ」


 ハロルドは指を一本立てた。


「機密資料なら、閲覧を許可する役職や部署が決まっている」


「はい」


「ところが、こいつにはそれがない」


 俺は眉を寄せた。


「……許可する人がいないんですか?」


「正確には、許可権限を持つ者が記載されておらん」


 ハロルドは机を軽く叩いた。


「それなのに、封印指定だけは残っている」


 アレンが静かに呟く。


「……誰も開けられない記録、ということですか」


「少なくとも、現在の管理制度ではな」


 俺は目録を見つめた。


 妙だ。


 これは単なる秘密文書なのだろうか。


 それとも、もっと別の仕組みで管理されていたものなのか。


 前世の記憶が、余計な想像を呼び起こす。


 管理権限。


 識別。


 観測。


 記録。


 どれも、俺にとっては見慣れた言葉だ。


 だが、この世界の古代装置に使われているとなると、意味が変わってくる。


「……ハロルドさん」


「何だ?」


「この記録の現物がどこにあるのか、調べることはできますか?」


 老人は俺を見た。


「簡単ではないぞ」


「分かっています」


「そもそも、存在しているかどうかも分からん」


「それでも、手がかりがあるなら」


 俺は言った。


「確認したいんです」


 ハロルドはしばらく俺を見つめた。


 やがて、鼻を鳴らす。


「……若い奴は、面倒なことを好む」


 アレンが小さく笑った。


「昔のハロルドさんも、そうだったと聞いていますけど」


「余計なことを言うな」


 老人は目録を閉じた。


「……少し待っておれ」


 そう言って、席を立った。


     ◇


 ハロルドが奥の保管室へ向かったあと。


 俺とアレンは、応接室に二人きりになった。


「……どう思いますか?」


 俺が尋ねると、アレンは少し考えた。


「偶然にしては、気になる一致ですね」


「第七、観測、記録……」


「ええ」


 アレンは机の上の図形を見つめた。


「ただ、同じ言葉が使われているからといって、同じ仕組みとは限りません」


「分かっています」


 俺は頷いた。


「でも、調べる価値はありますよね」


「もちろんです」


 アレンは穏やかに笑った。


「それに、僕自身も気になっていますから」


 俺は少し迷ってから、声を落とした。


「……アレンさん」


「はい?」


「この世界に、俺たち以外にも前世の記憶を持つ人がいるとしたら……」


 アレンの表情が、わずかに変わった。


「……いる可能性はありますね」


「ですよね」


 俺は机の上の印を見つめた。


「もし、古代の記録に俺たちの知っている言葉が使われているなら……」


「誰かが残したものかもしれない」


 アレンが言葉を引き継いだ。


「……はい」


「ですが、シオン君」


 アレンは静かに続けた。


「それが僕たちと同じような人だったとしても、目的まで同じとは限りません」


 俺は顔を上げた。


「……目的?」


「ええ」


 アレンは少しだけ目を細めた。


「知識を残したかった人もいるでしょう。何かを守ろうとした人もいるかもしれない」


 そして。


「逆に、何かを隠したかった人も」


 俺は黙った。


 古代装置。


 消された記録。


 所在不明の観測対象。


 そして、封印された第七観測記録。


 もし、それらがつながっているなら。


 俺たちは、何に近づこうとしているのだろう。


     ◇


 しばらくして。


 ハロルドが戻ってきた。


 その手には、薄い書類が一冊あった。


「……見つかったぞ」


 俺たちは同時に顔を上げた。


「何がですか?」


「第七観測記録の移管履歴だ」


 ハロルドは机に書類を置いた。


「現物ではない。だが、最後に確認された場所が記されている」


 アレンが身を乗り出した。


「どこですか?」


「旧地下保管区画」


「……地下?」


「ああ」


 ハロルドは頷いた。


「この建物が増築される前から存在していた区画だ。今はほとんど使われておらん」


「そこに記録が?」


「最後の記載では、そうなっている」


 俺は思わず立ち上がりかけた。


「じゃあ、そこを調べれば――」


「待て」


 ハロルドが鋭く言った。


 俺は動きを止めた。


「簡単に入れる場所ではない」


「……閲覧制限ですか?」


「それもある」


 老人は眉を寄せた。


「だが、それ以前に問題がある」


「問題?」


「昨夜、地下区画の管理記録が閲覧されている」


 俺は目を瞬かせた。


「……昨夜?」


「ああ」


 ハロルドは書類を開いた。


「本来なら、ほとんど誰も調べない古い目録だ。それが、つい昨夜、閲覧された記録が残っている」


 アレンの表情が変わった。


「誰が閲覧したんですか?」


「それが分からん」


「……分からない?」


「閲覧記録に名前が残っていない」


 俺は背筋に冷たいものを感じた。


「そんなこと、あるんですか?」


「通常はない」


 ハロルドは低い声で答えた。


「閲覧には記録が必要だ。職員であろうと、外部の研究者であろうとな」


 老人は紙を指で叩いた。


「だが、今回の記録には、時刻しか残っておらん」


 俺とアレンは顔を見合わせた。


 昨夜。


 俺たちがここを訪れる前に。


 誰かが、同じ記録を調べていた。


「……偶然でしょうか」


 俺が呟く。


 アレンはすぐには答えなかった。


「……分かりません」


 そして、静かに続けた。


「ですが、慎重になった方がよさそうですね」


     ◇


 調査を終えた俺たちは、記録保管館を出た。


 空は、すでに昼を過ぎていた。


「……結局、現物は見られませんでしたね」


 俺が言うと、アレンは頷いた。


「ですが、大きな収穫はありました」


「第七観測記録……」


「ええ」


 アレンは手元のメモを確認した。


「少なくとも、そういう名称の記録が存在したことは分かりました」


「それに、あの印も」


「はい」


 俺は空を見上げた。


 円の中を三本の線が交差する印。


 あれは、いったい何を意味しているのだろう。


「……シオン君」


 アレンが声をかけた。


「はい?」


「今日のことは、しばらく限られた人にだけ伝えた方がいいかもしれません」


「……そうですね」


 俺も同じことを考えていた。


 誰かが先に調べていた。


 しかも、名前を残さずに。


 それが偶然とは思えない。


「レティシアさんには、資料の内容を整理してから相談します」


「それがいいでしょう」


「ただ……」


 俺は少し迷った。


「装置を動かすのは、まだやめておいた方がいいですよね」


「もちろんです」


 アレンは即答した。


「記録の意味も、安全性も分かっていませんから」


「ですよね」


 俺は苦笑した。


 正直、あの装置が何を記録しているのか、知りたい気持ちはある。


 だが、好奇心だけで動かしていいものではない。


 前に装置が反応したときのことを思い出す。


 あの感覚。


 何かに見られているような、不思議な気配。


 もし、あれが単なる魔力反応ではなかったとしたら。


「……」


 俺は首を振った。


 考えすぎだ。


 まだ、何も分かっていない。


「では、僕はここで」


 アレンが言った。


「また何か分かったら連絡します」


「ありがとうございます」


「こちらこそ」


 アレンは微笑んだ。


「一人で無理に調べようとしないでくださいね」


「……努力します」


「それは少し不安な返事ですね」


「自覚はあります」


 二人で小さく笑った。


 そして、俺たちは別れた。


     ◇


 同じ頃。


 王都の別の場所。


 薄暗い部屋の中で、一人の男が机に向かっていた。


 机の上には、古い紙片が広げられている。


 その中央には、円の中を三本の線が交差する印。


 男は、紙片の端を指でなぞった。


「……第七観測記録」


 低い声が響く。


「ようやく、所在が分かった」


 机の上には、小さな金属板が置かれていた。


 表面には、細い線が幾重にも刻まれている。


 男が触れると、金属板の一部が淡く光った。


 その光を見つめながら、男は静かに呟いた。


「……まだ、残っていたか」


 そして、別の紙を取り出す。


 そこには、古い管理番号が記されていた。


 男は、その番号を確認すると、わずかに笑った。


「……ならば、次は」


 指先が、一つの地名の上で止まる。


 王都から離れた、小さな村の名。


 その近くには、古い森が広がっている。


「……観測点」


 男は紙を折りたたんだ。


 そして、金属板を懐にしまう。


「記録が残っているなら、まだ終わっていない」


 男は立ち上がった。


 窓の外では、夕日が王都の屋根を赤く染めていた。


「……取り戻さなければならない」


 その声には、焦りにも似た響きがあった。


 だが、それが何を意味するのか。


 まだ、誰も知らなかった。


     ◇


 夕方。


 学園の寮へ戻る途中、俺は足を止めた。


 ポケットから、アレンと確認した内容をまとめたメモを取り出す。


『第七観測記録』


『管理権限消失につき、封印を継続』


『旧地下保管区画』


 そして。


『昨夜、閲覧者不明の記録あり』


「……」


 俺はメモを見つめた。


 この世界に来てから、何度も不思議なことに遭遇してきた。


 魔法。


 戦気。


 古代の装置。


 そして、俺と同じように前世の記憶を持つアレン。


 最初は、ただの異世界だと思っていた。


 魔法があって、剣があって。


 前世とは違う、新しい人生を生きる場所。


 けれど。


 最近になって、少しずつ思い始めている。


 この世界には、俺が知らない何かがある。


 それも、ずっと昔から。


「……第七、か」


 俺は小さく呟いた。


 七番目。


 それは、単なる番号なのだろうか。


 それとも、何かの順番を意味しているのだろうか。


 答えは、まだ分からない。


 ただ一つだけ、確かなことがある。


 俺たちが調べているものを、ほかの誰かも探している。


 しかも、その人物は俺たちより先に、何かを知っているらしい。


「……面倒なことになってきたな」


 俺は苦笑した。


 そして、メモをしまう。


 明日はレティシアさんたちに相談しよう。


 調べるべきことは、まだ山ほどある。


 だが、焦ってはいけない。


 分からないことを、一つずつ確かめていくしかないのだ。


 俺は再び歩き始めた。


 夕暮れの王都を、冷たい風が吹き抜ける。


 その風の向こうで。


 何かが、静かに動き始めている気がした。

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