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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

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隠していた想い

 翌朝。


 騎士団本部の執務室には、いつもと変わらない朝の光が差し込んでいた。


 机の上には報告書が積まれ、廊下からは騎士たちの足音が聞こえてくる。


 何も変わっていない。


 少なくとも、部屋の様子だけを見れば。


「……」


 ユリウスは扉の前で足を止めた。


 手には、昨夜仕上げた報告書がある。


 いつもなら、何の迷いもなく扉を開ける。


 だが、今日は違った。


 この向こうには、ガルドがいる。


 昨日、自分が突然口づけをした相手が。


「……失礼します」


 意を決して扉を開けた。


「おう、ユリウス」


 聞き慣れた声。


 ガルドは机に向かい、書類を確認していた。


「おはようございます、団長」


「おう。おはよう」


 いつもと同じ挨拶だった。


 それだけで、ユリウスは少し安堵した。


 しかし、次の瞬間。


「……昨日のことなんだが」


 ガルドが口を開いた。


 ユリウスの肩が、わずかに跳ねる。


「……っ」


「ユリウス?」


「申し訳ありません。まず、こちらの報告書をご確認いただけますでしょうか」


 ユリウスは素早く机へ近づき、書類を差し出した。


「例の搬送記録について、担当部署から追加の回答がありました」


「……ああ」


 ガルドは一瞬、何か言いたそうな顔をした。


 だが、差し出された書類を受け取る。


「分かった。見せてくれ」


「はい」


 ユリウスは丁寧に一礼した。


「それでは、私は別件の確認に参ります」


「おい、ユリウス」


「失礼いたします」


 返事を待たずに、部屋を出た。


 扉が閉まる。


 廊下へ出たユリウスは、小さく息を吐いた。


「……何をしているのでしょう、私は」


 話さなければならない。


 謝罪もしなければならない。


 分かっている。


 それなのに、ガルドの顔を見ると、昨日の感触が蘇ってしまう。


 驚いた瞳。


 触れた唇。


 そして、自分を呼び止めようとした声。


「……落ち着かなければ」


 ユリウスは胸元に手を当てた。


 副団長としての仕事は、これまでどおり果たす。


 そのつもりだった。


 だが、心は思うように動いてくれなかった。


     ◇


「……何なんだ、あいつ」


 執務室に残されたガルドは、閉じた扉を見つめていた。


 昨日までは、こんなことはなかった。


 ユリウスはいつも、自分の隣にいた。


 仕事の相談も、他愛のない話も、自然にできていた。


 それが今朝は、目さえ合わせようとしない。


「……まあ、無理もねえか」


 ガルドは椅子の背にもたれた。


 昨日の出来事を思い出す。


 ユリウスが近づいてきた。


 頬に手が触れた。


 そして、唇が重なった。


「……」


 ガルドは思わず口元に手を当てた。


 昨日から、何度も同じことをしている。


「……ったく」


 自分でも、どうかしていると思う。


 ユリウスは男だ。


 しかも、自分が幼い頃から知っている相手でもある。


 守るべき少年だった。


 それが成長し、騎士になり、副団長になった。


 今では、誰よりも信頼している。


 だが。


 その信頼と、恋愛感情は同じものなのだろうか。


「……分かんねえな」


 ガルドは天井を見上げた。


 不快ではなかった。


 それだけは確かだ。


 しかし、だからといって、すぐに答えが出るわけでもない。


 ガルドは机に視線を戻した。


 ユリウスが置いていった報告書。


 整った文字。


 必要な情報が簡潔にまとめられている。


 見慣れた筆跡だった。


「……仕事は相変わらず完璧かよ」


 ガルドは苦笑した。


 こんなときでも、自分の役目をきちんと果たそうとする。


 そういうところが、ユリウスらしい。


 そして、そんな彼を頼もしいと思う気持ちも、昨日までと変わらなかった。


     ◇


 昼前。


 騎士団本部の訓練場では、アイリスが部下たちの訓練を終えたところだった。


「以上です。各自、装備を確認してから解散してください」


「はい!」


 騎士たちが散っていく。


 アイリスが木剣を片づけていると、訓練場の入口にユリウスの姿が見えた。


「副団長?」


「アイリス」


「どうかなさいましたか?」


「……少し、時間をいただけますか」


「もちろんです」


 アイリスは木剣を置いた。


 二人は訓練場の端にあるベンチへ移動した。


「……昨日は、ありがとうございました」


 ユリウスが言った。


「いえ。こちらこそ、お話を聞いていただいて嬉しかったです」


 アイリスは微笑んだ。


 しかし、ユリウスの表情を見て、少し首を傾げる。


「……何かあったんですか?」


「……」


 ユリウスは答えなかった。


 その沈黙に、アイリスは姿勢を正した。


「副団長?」


「……実は」


 ユリウスは小さく息を吸った。


「昨日、団長に……口づけをしてしまいました」


「……えっ?」


 アイリスが固まった。


「……」


「……えっ!?」


 二度目の声は、少し大きかった。


 ユリウスは顔を伏せた。


「……驚かれるのも無理はありません」


「い、いえ、その……」


 アイリスは慌てて周囲を見回した。


 幸い、近くに人はいない。


 彼女は声を落とした。


「……副団長から、ですか?」


「はい」


「団長に?」


「……はい」


 アイリスはしばらく口を開けたままだった。


 やがて、ゆっくり息を吐く。


「……そうだったんですね」


「……」


「それで、団長は何と?」


 ユリウスは首を振った。


「分かりません」


「分からない?」


「私が……逃げてしまったので」


 アイリスは目を瞬かせた。


「……逃げたんですか?」


「はい」


「副団長が?」


「……はい」


 アイリスはしばらく黙っていた。


 そして、思わず小さく笑ってしまった。


「……申し訳ありません」


「いえ。笑われても仕方ありません」


「そういう意味ではないんです」


 アイリスは首を振った。


「副団長にも、そんな一面があるんだなと思って」


 ユリウスは困ったように微笑んだ。


「……自分でも驚いています」


「でも……」


 アイリスは少し真剣な表情になった。


「副団長。後悔しているんですか?」


 ユリウスはすぐには答えなかった。


「……突然、あのようなことをしたのは間違いでした」


「はい」


「団長の気持ちも確かめず、一方的に……」


 そこで言葉が止まる。


「……ですが」


 ユリウスはゆっくり顔を上げた。


「好きになったことまで、後悔しているわけではありません」


 アイリスは静かに微笑んだ。


「……それなら、よかったです」


「よかった……のでしょうか」


「はい」


 アイリスは頷いた。


「副団長が、ご自分の気持ちを否定していないなら」


 ユリウスは少しだけ目を伏せた。


「……ただ、団長に嫌われてしまったかもしれません」


「それは、まだ分からないですよ」


「……」


「団長がどう思ったのか、聞いていないんですよね?」


「はい」


「だったら、決めつけるのは早いと思います」


 アイリスは少し考えてから続けた。


「もちろん、突然口づけをしたことについては、きちんと謝った方がいいと思います」


「……ええ」


「でも、団長のお気持ちも聞いてあげてください」


 ユリウスが顔を上げる。


「……団長の?」


「はい」


 アイリスは微笑んだ。


「副団長がずっと悩んでいたように、団長だって今、考えているかもしれませんから」


 その言葉に、ユリウスは黙り込んだ。


 自分のことで精いっぱいだった。


 ガルドが何を感じたのか。


 どう受け止めたのか。


 そのことを、きちんと考えられていなかった。


「……そうですね」


 ユリウスはゆっくり頷いた。


「私は、団長の言葉を聞かなければなりません」


「はい」


「……ありがとうございます、アイリス」


「いえ」


 アイリスは柔らかく微笑んだ。


「応援しています、副団長」


     ◇


 同じ頃。


 王立総合学園では、俺たちが昼休みを過ごしていた。


「……シオン、聞いてる?」


「ん?」


 顔を上げると、エリオットが呆れたようにこちらを見ていた。


「だから、昨日の魔力回路の課題だよ」


「ああ、ごめん」


「最近、考え事が多いね」


「……ちょっとね」


 エリオットはため息をついた。


「何か困っているなら、相談してくれてもいいんだよ?」


「ありがとう」


「まあ、魔力回路の話なら特に歓迎だけど」


 リシアが静かに口を開いた。


「それ以外の話だと?」


「もちろん聞くよ」


「でも、途中で魔力回路の話になるのでしょう?」


「リシア!」


 俺は思わず笑った。


 そんなやり取りをしていると、カイルとディーンがやってきた。


「シオン!」


「どうした?」


「放課後、訓練場に来ないか?」


 カイルが嬉しそうに言う。


「昨日、また新しい動きを試したんだ!」


「……また?」


「おう!」


 ディーンが補足する。


「ヴァルターさんに教わった、相手の重心を見る練習だ」


「へえ」


「まだ完全にはできていないが、少しずつ形になってきた」


 俺は少し考えた。


 今日は技術院へ行く予定はない。


 アレンさんからの連絡も、まだ来ていない。


「……じゃあ、少しだけ見に行こうかな」


「よし!」


 カイルが嬉しそうに拳を握った。


「今日は驚かせてやるぜ!」


「期待してるよ」


 そう答えると、ディーンが小さく笑った。


「期待しすぎない方がいいかもしれない」


「おい!」


 いつものやり取り。


 けれど、こういう時間があるからこそ、俺は落ち着いていられるのだと思う。


     ◇


 放課後。


 訓練場には、木剣の音が響いていた。


「はあっ!」


 カイルが踏み込む。


 ディーンは正面から受けず、横へ動いた。


 だが、カイルはそれを読んでいた。


 剣を振り切らず、途中で軌道を変える。


「……っ!」


 ディーンが咄嗟に受け止めた。


 乾いた音が響く。


「どうだ!」


 カイルが叫ぶ。


「……悪くない」


 ディーンは少し驚いたように答えた。


 俺も思わず感心した。


「すごいな、カイル」


「だろ!?」


 カイルは嬉しそうに笑った。


「でも、最後に力が入りすぎてた」


 ディーンが指摘する。


「うっ……」


「そこを直せば、もっと速く動ける」


「分かってるよ!」


 二人は再び構えた。


 俺は訓練場の端に腰掛け、その様子を眺める。


 以前、ヴァルターさんと手合わせしたとき、二人はほとんど何もできなかった。


 だが、今は違う。


 少しずつ、教わったことを自分たちの動きに取り入れている。


 俺も、負けていられないな。


 そう思ったときだった。


「……シオン君」


 背後から声がした。


 振り返ると、学園の職員が立っていた。


「少し、お時間よろしいでしょうか」


「はい?」


「王立魔導技術院から、連絡が届いています」


 俺は立ち上がった。


「技術院から?」


「ええ。レティシア様からです」


 職員は封筒を差し出した。


 俺は受け取り、封を開けた。


 中には、短い文章が書かれていた。


 ――古い記録について、新たに確認したいことがある。


 ――明日、時間が取れれば技術院へ来てほしい。


 俺は眉をひそめた。


「……何か分かったのか?」


 レティシアさんがわざわざ連絡してくるということは、何か進展があったのだろう。


 ただ、急を要する内容ではなさそうだ。


 俺は封筒を鞄へしまった。


 明日、技術院へ行こう。


     ◇


 夕方。


 王立魔導技術院では、フィオナが古い文献の写しを広げていた。


「……やっぱり、似ています」


 彼女は小さく呟いた。


 机の上には、シオンが持ってきたORIGINの記録と、地下装置の記号の写しが並んでいる。


 レティシアが隣から覗き込んだ。


「どこだ?」


「この部分です」


 フィオナはORIGIN / 07の見出しを指さした。


「番号の横に、薄く残っている印があります」


「……ああ」


 レティシアは目を細めた。


 確かに、小さな線が描かれている。


 ただし、写しが重なっているため、元の形は分からない。


「オスカー氏の検査表にあった印と、似ているか?」


「可能性はあります」


 フィオナは頷いた。


「ただ、これだけでは断定できません」


「そうだな」


 レティシアは腕を組んだ。


「問題は、なぜ同じ形式の記号が、別々の記録に現れるのかだ」


「……はい」


 フィオナは資料を見つめた。


 ORIGIN。


 観測。


 記録。


 識別。


 これまで別々に見えていた言葉が、少しずつつながり始めている。


「レティシアさん」


「何だ?」


「もし、この記録が単なる装置の管理記録ではなかったとしたら……」


 フィオナは慎重に言葉を選んだ。


「私たちは、何を調べているのでしょうか」


 レティシアはすぐには答えなかった。


 しばらく考えてから、静かに口を開いた。


「……それを知るために、調べているんだ」


 フィオナは頷いた。


 そのとき、研究室の扉が叩かれた。


「失礼します」


 アイリスだった。


「お疲れさま、フィオナ」


「アイリスさん!」


 フィオナの表情が明るくなる。


「今日は早かったんですね」


「うん。予定より少し早く終わったから」


 アイリスは微笑んだ。


「迎えに来たよ」


「ありがとうございます」


 フィオナは嬉しそうに笑った。


 レティシアはその様子を見て、何となく微笑んだ。


「フィオナ、今日はここまでにしよう」


「はい」


 二人が帰り支度を始める。


 レティシアは机の上の資料をまとめながら、小さく呟いた。


「……若いというのは、いいものだな」


「何かおっしゃいましたか?」


 フィオナが振り返る。


「いや。何でもない」


 レティシアは軽く手を振った。


「気をつけて帰れよ」


「はい。お疲れさまでした」


「失礼します」


 二人が研究室を出ていく。


 レティシアはしばらく扉を見つめたあと、再び資料へ目を落とした。


     ◇


 夜。


 騎士団本部の執務室では、ガルドが一人で書類を確認していた。


 机の上には、ユリウスがまとめた報告書がある。


「……まったく」


 ガルドは小さく呟いた。


 今日一日、ユリウスは必要な報告をすべて済ませていた。


 仕事に問題はない。


 むしろ、いつも以上に丁寧だった。


 だが、二人きりになることだけは避けられていた。


「……そこまで避けることねえだろ」


 ガルドは苦笑した。


 もちろん、理由は分かっている。


 昨日の口づけだ。


 自分も、どう接すればよいか迷っていた。


 だから、ユリウスだけを責めるつもりはない。


 ただ。


 このままでは、何も変わらない。


「……話すしかねえか」


 ガルドは立ち上がった。


 そのとき、扉が叩かれた。


「……失礼します」


 聞き慣れた声。


 ガルドは顔を上げた。


「ユリウス?」


 扉が開く。


 そこには、少し緊張した表情のユリウスが立っていた。


「……団長」


「おう」


 ガルドは静かに答えた。


「どうした?」


 ユリウスは一度、深く息を吸った。


「……昨日のことについて、お話ししたいことがあります」


 ガルドは少し目を見開いた。


 そして、ゆっくり頷いた。


「……ああ」


 椅子を指さす。


「座れ」


「……はい」


 ユリウスは静かに部屋へ入った。


 扉が閉まる。


 二人きりの執務室。


 昨日までなら、何の気負いもなく過ごせた場所だった。


 けれど、今は違う。


 互いに、何を言えばよいのか分からない。


 しばらくの沈黙。


 やがて、ユリウスが口を開いた。


「……団長」


「ん?」


「まず、昨日のことを謝らせてください」


 ユリウスは深く頭を下げた。


「突然、あのようなことをしてしまい……申し訳ありませんでした」


 ガルドは黙って聞いていた。


「団長のお気持ちも確かめず、一方的に……」


 ユリウスの声が、わずかに震える。


「本当に、申し訳ありません」


 しばらくして、ガルドが口を開いた。


「……顔を上げろ、ユリウス」


 ユリウスはゆっくり顔を上げた。


 ガルドは真剣な表情で彼を見ていた。


「確かに、驚いた」


「……はい」


「何が起きたのか、すぐには分からなかった」


「……」


「だがな」


 ガルドは少しだけ笑った。


「嫌だったわけじゃねえ」


 ユリウスの目が大きくなった。


「……え?」


「だから、嫌だったわけじゃねえって言ってんだ」


 ガルドは少し照れくさそうに頭をかいた。


「ただ、俺も……どう考えりゃいいのか分からなくてな」


「……団長」


「お前が俺のことをどう思ってるのか、昨日まで考えたこともなかった」


 ガルドは静かに続けた。


「だから、少し時間をくれ」


 ユリウスは黙っていた。


 やがて、ゆっくり頷く。


「……はい」


「逃げるなよ」


「……え?」


「俺も逃げねえから」


 ガルドは真っすぐに言った。


「ちゃんと考える。だから、お前も勝手にいなくなるな」


 ユリウスの胸が、熱くなった。


「……はい」


 声が、少し震えた。


 けれど、今度は逃げなかった。


 ガルドの目を見つめ、静かに答えた。


「……ありがとうございます、団長」


 ガルドは頷いた。


「おう」


 それから、少しだけ笑った。


「……で?」


「……はい?」


「昨日、言いかけたことがあっただろ」


 ユリウスの心臓が跳ねた。


「……!」


「今すぐじゃなくてもいい」


 ガルドは穏やかに言った。


「ただ、いつか聞かせてくれ」


 ユリウスは目を伏せた。


 そして、静かに微笑んだ。


「……はい」


 まだ、すべてを伝える勇気はない。


 けれど。


 もう、逃げなくてもいいのかもしれない。


 そう思えた。


     ◇


 同じ夜。


 王都の古い資料館。


 普段は閉ざされている地下保管室で、一人の男が書類を確認していた。


 机の上には、古い寄贈品の目録が広げられている。


 その一角に、小さな印があった。


 円の中に、三本の線が交差する印。


 男は指先で、その印をなぞった。


「……やはり、ここにあったか」


 静かな声が響く。


 男は目録をめくった。


 そこには、古い管理番号と、短い記述が残されていた。


 ――第七観測記録。


 ――管理権限消失につき、封印を継続。


 男はしばらく、その文章を見つめていた。


「……まだ、残っている」


 そして、ゆっくり笑った。


「ならば、取り戻すだけだ」


 地下保管室の灯りが、かすかに揺れた。


 誰も知らない場所で。


 古い記録を巡る争いが、静かに動き始めていた。


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