記録が選ぶもの
古代の記録に、日本語ではなく英語が残されていた。
それも、一つや二つではない。
ORIGIN。
OBSERVATION。
RECORD。
STATUS。
この世界には存在しないはずの言葉が、数百年前の文献に並んでいた。
そして、その一部は、俺たちが調べている地下装置に刻まれた言葉と一致している。
偶然だと片づけるには、重なりすぎていた。
「……やっぱり、気になるよな」
翌朝。
俺は机に広げた紙を眺めながら呟いた。
アレンさんから受け取った写しだ。
その中でも、特に気になっている一文がある。
――記録は、見つけるものではない。見つけられるものだ。
何度読んでも、意味が分からない。
普通、記録というものは誰かが残し、それを別の誰かが発見するものだ。
だが、この文章では逆になっている。
まるで、記録そのものに意思があるような書き方だった。
「……考えても仕方ないか」
俺は紙を折りたたみ、鞄へしまった。
今日は授業が終わったら、王立魔導技術院へ向かうつもりだ。
フィオナさんとレティシアさんなら、何か分かるかもしれない。
もっとも、アレンさんのことをどこまで話すかは慎重に考える必要がある。
日本の記憶を持っていること。
それは、俺たち二人だけの秘密だ。
少なくとも、今は。
◇
「シオン!」
学園の門をくぐったところで、元気な声が飛んできた。
カイルだった。
隣にはディーンもいる。
「おはよう」
「おう! 聞いてくれよ!」
「何を?」
「昨日、ディーンから一本取った!」
「……正確には、最後の一本だけだ」
ディーンが訂正する。
「一本は一本だろ!」
「その前に何本取られたかも考えた方がいい」
「細かいこと気にすんなって!」
俺は笑った。
「でも、すごいじゃないか」
「だろ!?」
カイルは嬉しそうに胸を張った。
「ヴァルターさんに言われたこと、ちょっと分かってきた気がするんだ」
「相手の動きを読むって話?」
「そうそう! 剣を見るんじゃなくて、足とか肩とか、そういうところを見ろって」
ディーンが頷いた。
「ただ、まだ考えてから動いている。実戦では間に合わない場面も多い」
「お前はいつも厳しいな……」
「次にヴァルターさんと手合わせするとき、また何もできずに終わりたいのか?」
「それは嫌だ!」
カイルが即答した。
俺は二人を見ながら思う。
あのヴァルターさんを相手にするなら、どれだけ強くなっても簡単には勝てないだろう。
けれど、二人は本気で挑もうとしている。
その姿勢は、素直にすごいと思う。
「シオンは今日、放課後どうするんだ?」
カイルが尋ねた。
「技術院に行く予定なんだ」
「また研究か?」
「まあね」
「最近、忙しそうだな」
「ちょっと調べたいことがあって」
ディーンが俺を見る。
「危険なことではないんだろうな?」
「……今のところは」
「その言い方が一番不安なんだが」
俺は苦笑した。
「無茶はしないよ」
「本当か?」
「本当だって」
カイルは少し考えてから、にやりと笑った。
「まあ、何かあったら呼べよ!」
「ありがとう」
「俺たちも、いつまでも守られる側じゃないからな!」
ディーンも静かに頷いた。
その言葉が、少し嬉しかった。
◇
午前の授業が終わり、昼休みになった。
俺は食堂へ向かう途中、ヴィオレッタと出会った。
「シオン」
「ヴィオレッタ。これから昼食?」
「ええ。よかったら一緒にどう?」
「もちろん」
俺たちは並んで食堂へ向かった。
以前なら、彼女が廊下を歩くだけで周囲の視線が集まっていた。
今も注目されることはある。
けれど、あからさまに距離を取る生徒は減っていた。
正式な説明会の告知が出た影響だろう。
「……少し、変わったね」
俺が言うと、ヴィオレッタは頷いた。
「そうね」
彼女は周囲を見渡した。
「でも、まだ噂を信じている人もいると思うわ」
「……うん」
「仕方のないことよ。最初に広まった話の方が、人の記憶には残りやすいもの」
その言葉は落ち着いていた。
けれど、彼女が何も感じていないわけではない。
「来週、きちんと説明されれば変わるよ」
「そう願っているわ」
席に着くと、ヴィオレッタは少しだけ表情を和らげた。
「それより、シオン」
「ん?」
「説明会が終わったあとの約束、覚えている?」
「もちろん」
「……本当に?」
「昨日も聞かれた気がするけど」
「そうだったかしら」
ヴィオレッタは涼しい顔をしている。
ただ、耳が少し赤い。
「どこか行きたい場所はある?」
俺が尋ねると、彼女は考え込んだ。
「そうね……」
そして、少し悪戯っぽく笑った。
「それは、シオンに考えてもらおうかしら」
「えっ、俺が?」
「ええ。誘ってくれるのでしょう?」
「……分かった。考えておく」
「楽しみにしているわ」
そう言って微笑む彼女を見て、俺は少しだけ困った。
これは、下手な場所を選べないな。
◇
午後の授業が終わると、俺は王立魔導技術院へ向かった。
研究室の扉を叩く。
「失礼します」
「おや、シオン君」
レティシアさんが顔を上げた。
「今日はどうした?」
「少し見ていただきたいものがありまして」
「ほう?」
フィオナさんも研究机から立ち上がった。
「シオン君、こんにちは」
「こんにちは、フィオナさん」
「何か新しいことが分かったんですか?」
「まだ分かったとは言えないんですけど……」
俺は鞄から紙を取り出した。
「古い文献の一部を、写したものです」
レティシアさんが興味深そうに受け取る。
「どこで見つけた?」
「古書を扱っている知人から、見せてもらいました」
「原本は?」
「今は所在が分からないそうです。これは、その人が以前に写していた記録を、さらに書き写したものです」
「なるほど。転写が重なっているなら、誤記の可能性も考えなければならないな」
「はい」
レティシアさんは紙に目を落とした。
そして、眉を上げる。
「……これは」
フィオナさんが隣から覗き込んだ。
「どうしました?」
「この文字列だ」
レティシアさんが指さす。
――ORIGIN / 07
――OBSERVATION
――STATUS : UNKNOWN
フィオナさんの目が大きくなった。
「OBSERVATION……」
「はい。観測という意味です」
「シオン君が以前教えてくれた文字と、同じ形式ですね」
「そうなんです」
レティシアさんは別の紙を見た。
――ORIGIN / 11
――RECORD
――STATUS : INCOMPLETE
「こちらは?」
「RECORDは記録、INCOMPLETEは不完全という意味です」
「ふむ……」
レティシアさんは椅子に座り直した。
「ORIGINという単語は?」
「起源、あるいは始まりという意味があります」
「装置の名前か?」
「それは分かりません。ただ、番号が付いているので、記録の見出しとして使われている可能性はあると思います」
レティシアさんは頷いた。
「安易に装置の名称と結びつけるべきではないな」
「はい」
フィオナさんが、机の上から別の資料を持ってきた。
「シオン君。これを見てください」
それは、オスカーさんの検査表だった。
「六つ目の反応が記録された部分です」
「……はい」
「昨日、ここに小さな記号があることに気づいたんです」
フィオナさんは欄外を指さした。
そこには、円弧と直線を組み合わせたような印があった。
「この記号、地下装置の外装にも似たものが刻まれていました」
「……本当ですか?」
「はい。ただし、完全に同じではありません」
俺は二つの図を見比べた。
確かに似ている。
だが、線の一本が違っていた。
「……何かを区別しているんでしょうか」
「その可能性はあります」
フィオナさんが頷く。
「例えば、観測された反応と、保存された記録を区別するための印かもしれません」
俺は紙に目を落とした。
OBSERVATION。
RECORD。
そして、六つ目の反応。
「……もしかして」
思わず呟いた。
「何か思いついたか?」
レティシアさんが尋ねる。
「いえ、まだ仮説なんですけど」
俺は言葉を選んだ。
「オスカーさんの検査表にある六つ目の反応は、必ずしも六人目の人間を示しているわけじゃないんですよね?」
「そうだ」
「なら、装置が過去の記録を読み出して、それを新しい反応として表示した可能性はありませんか?」
フィオナさんが目を見開いた。
「……記録の再現、ですか」
「はい」
レティシアさんはしばらく考えた。
「理屈としてはあり得る。だが、記録された魔力反応を、実際の観測結果と区別できない形で表示する理由が分からない」
「……そうですよね」
「それに、単なる保存記録なら、供給停止後も反応が続いた理由を説明しきれない」
俺は頷いた。
まだ、決定的な何かが足りない。
フィオナさんが静かに言った。
「でも、調べる価値はあると思います」
「フィオナさん?」
「もし装置が、現在の反応だけでなく、過去に観測した情報も扱えるのなら……」
彼女は地下装置の図面を広げた。
「この球体の役割について、考え直す必要があります」
透明な球体。
その周囲を取り囲む輪。
観測、識別、記録。
装置に刻まれていた三つの言葉。
「……単なる測定器ではないのかもしれないな」
レティシアさんが呟いた。
俺は図面を見つめた。
もしそうなら。
あの装置は、何を記録していたのだろう。
そして、どうして俺の魔力に反応したのだろう。
◇
「シオン君」
資料をまとめていると、フィオナさんが声をかけてきた。
「はい?」
「この文献の写し、しばらくお借りしてもいいですか?」
「もちろんです」
「ありがとうございます。慎重に扱いますね」
彼女は嬉しそうに紙を受け取った。
レティシアさんが言う。
「こちらでも古い文献を当たってみよう。ただし、地下装置はまだ動かさない」
「はい」
「携行型の断片についても同様だ。安全性が確認できるまでは、接続実験はしない」
「分かりました」
俺は頷いた。
焦る必要はない。
むしろ、焦って何かを壊してしまえば、取り返しがつかなくなる。
そのとき、研究室の扉が叩かれた。
「失礼します」
入ってきたのはアイリスさんだった。
「あ、シオン君も来てたんだ」
「こんにちは、アイリスさん」
「こんにちは」
アイリスさんは俺に微笑んでから、フィオナさんへ視線を向けた。
「フィオナ、もう少しかかりそう?」
「いえ。ちょうど一区切りついたところです」
「そっか。じゃあ、待ってるね」
「はい」
二人は自然に微笑み合った。
何というか、以前よりも雰囲気が柔らかい。
気のせいだろうか。
レティシアさんが書類を閉じた。
「フィオナ、今日はここまでにしよう」
「はい」
アイリスさんがフィオナさんの荷物を持とうとする。
「持つよ」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
「じゃあ、半分だけ」
「ふふっ。それならお願いします」
二人が並んで扉へ向かう。
レティシアさんはその背中を見送った。
「……ふむ」
「どうかしましたか?」
俺が尋ねると、レティシアさんは何でもないように首を振った。
「いや。何でもない」
そして、少しだけ笑った。
「さて、我々も片づけるとしよう」
「はい」
俺には、その笑みの意味がよく分からなかった。
◇
同じ頃。
騎士団本部では、ユリウスが古い搬送記録を確認していた。
地下装置が現在の保管場所へ移された際の資料だ。
当時の責任者。
搬送経路。
立ち会った技術者。
記録に残された名前を、一つずつ確認していく。
「……やはり、ここが不自然ですね」
ユリウスは小さく呟いた。
搬送記録の一部に、日付の空白があった。
前後の書類には連続した管理番号が振られている。
しかし、その間の一枚だけが存在しない。
単なる紛失かもしれない。
だが、王家の管理下にあった古代装置の記録だ。
簡単に見過ごすわけにはいかなかった。
「ユリウス」
背後から声がした。
振り返ると、ガルドが立っていた。
「団長」
「何か見つかったか?」
「はい。搬送記録の一部が欠けています」
「欠けてる?」
「正確には、管理番号が一つ飛んでいます」
ユリウスは資料を差し出した。
ガルドはしばらく眺めたあと、眉をひそめた。
「……確かに妙だな」
「当時の担当部署に照会しようと思います」
「頼む」
ガルドは頷いた。
「しかし、お前はよくこういう細かいところに気づくな」
「仕事ですから」
「俺だったら、番号が一つ飛んでるくらいじゃ気づかなかったかもしれねえ」
「団長は、書類を読むより現場で判断する方がお得意ですから」
「おい。それ、褒めてるのか?」
「もちろんです」
ユリウスは真面目に答えた。
ガルドは豪快に笑った。
「ははっ! なら、そういうことにしとくか!」
その笑顔に、ユリウスも小さく微笑む。
「そういえば」
ガルドが思い出したように言った。
「昨日の店、なかなかよかったな」
「ええ。料理も美味しかったです」
「特に肉がな!」
「……やはり、そこですか」
「何だよ、その顔は」
「いえ。予想どおりだと思いまして」
「お前なあ……」
ガルドは苦笑した。
そして、ふとユリウスの肩を軽く叩いた。
「まあ、また行こうぜ」
「……はい」
たった、それだけの言葉。
けれど、ユリウスの胸は小さく跳ねた。
ガルドにとっては、気心の知れた部下との何気ない約束なのだろう。
それでも、自分にとっては違う。
「……団長」
「ん?」
「私は……」
言いかけて、止まる。
ガルドが不思議そうに首を傾げた。
「どうした?」
「……いえ。何でもありません」
「そうか?」
「はい」
ユリウスは微笑んだ。
まだ、言えない。
この人の隣に立てるようになった今だからこそ。
その関係が変わってしまうことが、怖かった。
◇
夕方。
技術院を出た俺は、王都の通りを歩いていた。
今日の話し合いで、少しだけ考えが整理された。
ORIGINという記録。
観測と記録。
そして、六つ目の反応。
どれも、まだ結論には至っていない。
けれど、何も分からなかった頃とは違う。
「……あとは、あの印か」
アレンさんの手帳にあった蔵書印。
円の中に、三本の線が交差する印。
あれが何を意味するのか。
もし同じ印が別の文献にも残っていれば、記録の出どころを追えるかもしれない。
そう考えながら歩いていると、不意に背後から声がした。
「……シオン君?」
振り返る。
そこに立っていたのは、見覚えのある青年だった。
「アレンさん?」
昨日会ったばかりのアレンさんが、少し驚いた顔をしている。
「偶然だね。こんなところで会うなんて」
「そうですね。買い物ですか?」
「うん。ちょっと調べ物のついでにね」
アレンさんは手にした紙袋を軽く持ち上げた。
その中には、何冊かの古い本が入っているようだった。
「そういえば、昨日の資料なんだけど」
「はい」
「少し気になることを思い出したんだ」
俺は足を止めた。
「何ですか?」
「例の蔵書印だよ」
「円の中に三本の線がある印ですか?」
「そう」
アレンさんは周囲を一度見回した。
それから、声を落とした。
「昔、あの印とよく似たものを、別の場所で見た気がするんだ」
「……どこですか?」
「王都の古い資料館だよ」
「資料館?」
「ああ。今は一般公開されていない区画に、古い寄贈品の目録が残っているはずなんだ」
俺は眉をひそめた。
「一般公開されていないんですか?」
「うん。だから、すぐに確認できるとは限らない」
アレンさんは少し困ったように笑った。
「ただ、僕には昔、そこで働いていた知人がいる。連絡を取ってみようと思ってるんだ」
「……ありがとうございます」
「まだ何も分かったわけじゃないよ」
アレンさんは肩をすくめた。
「でも、手がかりにはなるかもしれない」
俺は頷いた。
少しずつ。
本当に少しずつだが、道が見え始めている。
そのときだった。
アレンさんが、不意に表情を変えた。
「……シオン君」
「はい?」
「今日は、まっすぐ帰った方がいい」
「……え?」
彼の視線は、俺の背後へ向けられていた。
俺も振り返る。
夕暮れの通り。
行き交う人々。
特に変わった様子はない。
「何かあったんですか?」
アレンさんは少し考えてから答えた。
「……気のせいかもしれない」
けれど、その声はどこか硬かった。
「昨日から、誰かに見られているような気がするんだ」
俺の背筋に、冷たいものが走った。
「……誰に?」
「分からない」
アレンさんは静かに言った。
「でも、例の記録を調べ始めてからだ」
俺はもう一度、通りを見渡した。
夕暮れの人混み。
誰も、こちらを見ていない。
少なくとも、そう見えた。
「……気をつけます」
「うん」
アレンさんは頷いた。
「それと、資料館の件は僕の方で調べておくよ。君は無理をしないで」
「分かりました」
俺たちはそこで別れた。
歩き出してからも、俺は何度か振り返った。
誰かがついてくる気配はない。
けれど。
昨日の言葉が、頭から離れなかった。
――記録は、見つけるものではない。
――見つけられるものだ。
もし、その言葉が単なる比喩ではないとしたら。
俺たちは今、何に見つけられようとしているのだろう。
◇
その夜。
王都の外れにある、古びた建物。
薄暗い部屋の中で、一人の男が小さな金属板を机に置いた。
表面には、細かな線が刻まれている。
男はしばらく、それを見つめていた。
「……記録の断片が、まだ残っている」
誰に聞かせるでもなく呟く。
机の上には、古い地図が広げられていた。
王都。
学園。
そして、いくつかの古い施設。
そのうちの一か所に、印が付けられている。
「だが、まだ足りない」
男は金属板を持ち上げた。
薄い光が、その表面を一瞬だけ走る。
「……本来の対象を見つけなければ」
光は、すぐに消えた。
男は静かに笑った。
「今度こそ、間違えない」
窓の外では、夜の風が吹いていた。
誰も知らない場所で。
止まっていた何かが、再び動き始めようとしていた。




