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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

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記憶の向こう側

「少しだけ……見覚えが、あるかもしれません」


 そう答えた瞬間、フィオナさんの紫色の瞳が、わずかに見開かれた。


 王立魔導技術院の研究室。


 机の上には、古代装置から転写された文字列が置かれている。


 ――ORIGIN。


 見間違えるはずがなかった。


 それは、この世界で使われている文字ではない。


 俺が前世で暮らしていた世界の、アルファベットだった。


「シオン君」


 フィオナさんが、静かに俺の名前を呼ぶ。


「この文字を、読めるの?」


 俺はすぐには答えられなかった。


 読める。


 意味も分かる。


 けれど、それをどう説明すればいい?


 この世界に生まれて十五年。


 前世の記憶を持っていることは、誰にも話していない。


 両親にも、友人にも。


 ヴィオレッタにも。


「……読める、と思います」


 ようやく答えると、隣にいたレティシアさんが身を乗り出した。


「本当か?」


「はい。ただ、正確な意味まで断言できるかは……」


「構わない。分かる範囲で教えてくれ」


 俺は紙に視線を落とした。


「オリジン、と読みます」


「オリジン……」


 フィオナさんが、確かめるように繰り返す。


「意味は?」


「『起源』とか、『始まり』とか。何かが生まれた場所や、元になったものを指す言葉です」


 レティシアさんが腕を組んだ。


「起源、か。装置の製造元を示している可能性もあるな」


「ええ。観測対象の分類名かもしれないし、記録の見出しかもしれない」


 フィオナさんはすぐに結論を出さなかった。


 それが、今はありがたかった。


「シオン君。一つだけ、聞いてもいい?」


「……はい」


「どうして、その文字を知っているの?」


 当然の質問だった。


 俺は指先を握り込む。


 適当な本で見たと言えば、その本を探すことになる。


 誰かに教わったと言えば、その人物について聞かれる。


 嘘を重ねれば、いつか辻褄が合わなくなる。


 何より、目の前の二人は俺を信頼してくれている。


「……昔から、知っているんです」


「昔?」


「小さい頃から、頭の中にあったというか……教わった記憶はないんです。でも、文字を見ると読み方が分かるんです」


 言葉を選びながら、俺は続けた。


「説明できないことだって、分かっています」


 レティシアさんは眉を寄せたが、笑い飛ばすことはなかった。


「記憶にあるのに、覚えた経緯が分からない?」


「はい」


「ほかの文字も分かるのか?」


「……少しは」


「なら、後で書いてもらいたい。ただし、無理に思い出す必要はない」


 予想外の言葉に、俺は顔を上げた。


 フィオナさんが、そっと口を開く。


「シオン君。あなたが話してくれたことは、調査にとって大切な手がかりよ。でも、それ以上に大切なのは、あなた自身の安全なの」


「……安全、ですか?」


「ええ。もしこの文字が古代装置と関係しているなら、あなたが読めると知られたとき、興味を持つ人は私たちだけでは済まないかもしれない」


 エミリアの顔が脳裏をよぎった。


 古い金属片を使った実験。


 偽の助手講師。


 そして、誘拐。


「……そうですね」


「だから、この件は当面、私とレティシアだけで扱うわ。騎士団に情報を共有する必要が出たら、その前にあなたにも説明する」


「ありがとうございます」


 俺が頭を下げると、レティシアさんが紙を持ち上げた。


「それで、肝心の文字なんだが」


「はい」


「この一語だけじゃ、装置の正体は分からない。問題は、どこに記録されていたかだ」


 彼女は別の図面を広げた。


 古い時計塔の地下で見つかった、球体装置の構造図だ。


 中央の透明な球には、無数の光が浮かんでいた。


「昨日、フィオナと記録を整理し直した。『ORIGIN』は球体全体の名称じゃない。ある一つの記録に付いていた文字列だ」


「一つの……?」


「そう。ただし、その記録が人を指すのか、場所を指すのか、別の何かなのかは不明だ」


 フィオナさんが補足する。


「しかも、その記録はかなり古いの。現在の装置が作動したときに新しく書き込まれたものではなさそう」


 俺は、もう一度文字を見た。


 この世界のどこかに、俺と同じ文字を知っていた人間がいた。


 それだけは、ほとんど間違いない。


 けれど、その人物が何者だったのか。


 いつ、この世界に現れたのか。


 そして、今も生きているのか。


 何一つ分からなかった。


「シオン君」


 フィオナさんが、少し声を和らげた。


「今日はここまでにしましょう。急にいろいろ聞いて、ごめんなさい」


「いえ。俺も、知りたいですから」


「……そうね」


 彼女は紙を丁寧にしまった。


「分かったことがあれば、必ず伝えるわ」


 俺は頷いた。


 研究室を出る直前、レティシアさんが声をかけてきた。


「シオン」


「はい?」


「読める文字があるなら、今度は読み方だけじゃなく、文字の並び方も教えてくれ。私たちが間違って写している可能性もある」


「分かりました」


「それと、時計塔の装置には近づくなよ。少なくとも、次の安全確認が終わるまでは」


「……はい」


 その忠告には、素直に従うつもりだった。


 あの球体が光った瞬間の感覚は、今でも忘れられない。


 胸の奥で、何かが呼びかけてくるような感覚。


 もし、もう一度あれが起きたら。


 俺は、自分がどうなるのか分からなかった。


     ◇


 同じ頃。


 王都騎士団本部では、ガルドとユリウスが古い地図を囲んでいた。


「オスカー・ベルン。元王立保管局の技術監査官」


 ユリウスが書類を読み上げる。


「現在は王都北方、リンド村の近くに住んでいるようです。少なくとも、三年前の納税記録には名前があります」


「生きてるなら話を聞きてえところだな」


「ええ。ただ、古代装置の移送記録に署名した人物です。何も知らないとは考えにくいですが、協力していただけるかは……」


「直接会って確かめるしかねえ」


 ガルドは椅子の背にもたれた。


「俺が行く」


「では、私も同行します」


「お前は本部に残れ」


 ユリウスが顔を上げる。


「なぜです?」


「ここ数日、まともに休んでねえだろ」


「団長ほどではありません」


「俺の話はしてねえ」


「ですが、団長がお一人で向かわれる必要もありません」


 ガルドはため息をついた。


「お前なあ……」


「移送記録を調べたのは私です。現地で確認すべき事項も整理しています」


「分かった、分かった」


 ガルドは片手を上げた。


「ただし、今日は定時で帰れ。明日の朝、出発する」


「……承知しました」


「本当だな?」


「団長こそ、夜中まで報告書を書かないでください」


「お前、最近ますます遠慮がなくなったな」


「団長の健康管理も、副団長の職務の一つですので」


「そんな職務、いつ作った?」


「今です」


 ガルドは一瞬ぽかんとした後、声を上げて笑った。


「ははっ! 言うようになったじゃねえか」


 ユリウスも、つられて微笑んだ。


 こうして笑ってもらえる時間が、好きだった。


 幼い頃、初めて出会ったときから。


 あの大きな背中を追いかけて、何度も剣を振った。


 若くして騎士団に入れたのは、決して才能だけのおかげではない。


 追いつきたかった。


 せめて、隣に立てる人間になりたかった。


 今では副団長として、同じ机で地図を広げている。


 それでも、まだ届かないものがある。


「どうした、ユリウス」


「……いえ」


「疲れてるなら、もう帰れよ」


「大丈夫です」


 ユリウスは、いつもの穏やかな表情に戻った。


「明日の準備を終えたら、失礼します」


「おう」


 ガルドは、それ以上追及しなかった。


 ユリウスは書類をまとめながら、胸の内で小さく息をつく。


 自分は、あの人の隣に立つために強くなった。


 けれど、強くなればなるほど、剣ではどうにもできない想いがあることを知ってしまった。


     ◇


 翌日の放課後。


 俺は学園の中庭で、エリオットとリシアに声をかけられた。


「シオン、昨日は技術院に呼ばれてたんだって?」


「ああ」


「時計塔の調査?」


「……それに関係する話だよ」


 俺は少し迷った。


 フィオナさんとの約束がある。


 あの文字については、まだ話せない。


「詳しくは言えないんだけど、古い記録に気になるものが見つかったらしい」


「なるほど」


 エリオットは、それ以上無理に聞こうとはしなかった。


 代わりに、鞄から一冊の本を取り出す。


「それなら、これが役に立つかもしれない」


「何だ?」


「古代魔導技術の記録方式についての本。図書館で見つけたんだ」


 表紙には、複雑な魔法陣が描かれている。


「古代装置は、情報を保存するときに、必ずしも今の文字を使っていたわけじゃないらしい。記号や数字、魔力の波形そのものを記録する方式もあったって」


「へえ……」


「だから、同じ装置の中に違う種類の記録が混ざっていても、おかしくないんだ」


 リシアが静かに頷く。


「ただし、古代の記録方式は時代や地域によって違う。似た記号でも、同じ意味とは限らないわ」


「そうなんだな」


 俺は本を受け取った。


「ありがとう。読んでみる」


「返すのは急がなくていいよ」


 エリオットが笑う。


「僕も気になるから、何か分かったら教えて」


「もちろん」


 そのときだった。


「あら、皆さん。こちらにいらしたのですね」


 振り返ると、ヴィオレッタが中庭へ入ってきた。


 金色の髪が、午後の日差しを受けて輝いている。


「ヴィオレッタ」


「シオン。少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


「俺に?」


「ええ」


 エリオットが俺とヴィオレッタを交互に見た。


「それじゃ、僕たちは先に戻ろうか」


「そうね」


 リシアも頷く。


「また明日、シオン」


「ああ。またな」


 二人が去ると、ヴィオレッタは少しだけ表情を緩めた。


「お忙しいところ、申し訳ありません」


「気にしないで。何かあった?」


「実は、ルシアン殿下から連絡がありました」


 俺は思わず姿勢を正した。


「殿下から?」


「はい。以前の件について、正式な説明の場を設ける準備が整ったそうです」


 以前の件。


 エミリアによる虚偽の訴え。


 そして、ヴィオレッタに向けられた不当な非難。


 ルシアン殿下は、自分の発言を公の場で訂正すると約束していた。


「ようやく、なんだな」


「ええ。来週、学園の関係者を集めて説明される予定です」


「よかった」


 俺がそう言うと、ヴィオレッタは少し困ったように笑った。


「まだ、すべてが終わったわけではありませんけれど」


「それでも、大きな一歩だと思う」


「……ありがとうございます」


 風が吹き、庭木の葉が揺れた。


 ヴィオレッタは俺の顔を見つめる。


「シオン。最近、何か悩んでいらっしゃいませんか?」


「え?」


「以前より、考え込んでいることが多いように見えます」


 俺は言葉に詰まった。


 この人は、どうしてこういうことに気づくんだろう。


「……ちょっと、考えることが増えたんだ」


「お話しできないことですか?」


「今は、まだ」


 ヴィオレッタは少しだけ目を伏せた。


 けれど、すぐに微笑んだ。


「分かりました」


「……ごめん」


「謝らないでください。誰にでも、すぐには話せないことがありますもの」


 彼女は一歩、俺に近づいた。


「ただ、一つだけ覚えていてください」


「何?」


「私は、シオンがどんな秘密を抱えていても、まずはあなたのお話を聞きたいと思っています」


 胸の奥が、少し熱くなった。


 いつか。


 前世のことを話す日が来るのだろうか。


 もし、そのときが来たら。


 俺は、この人に何を伝えたいんだろう。


「……ありがとう、ヴィオレッタ」


「どういたしまして」


 彼女は、いつもの上品な笑顔を浮かべた。


「それでは、来週の説明の場について、またご連絡しますね」


「ああ」


 ヴィオレッタが立ち去った後も、俺はしばらく中庭に立っていた。


 手元には、エリオットから借りた本。


 頭の中には、あの五文字。


 ORIGIN。


 俺の前世と、この世界。


 その二つをつなぐものが、本当に存在するのだとしたら。


 俺は、何を知ることになるのだろう。


     ◇


 その夜。


 王立魔導技術院では、フィオナとレティシアが再び古代記録を調べていた。


「……やっぱり、おかしいわね」


 フィオナが呟く。


「何が?」


「この文字列が付いている記録だけ、保存形式が違うの」


 レティシアが隣から覗き込む。


「古い規格なのか?」


「それなら説明がつくんだけど……」


 フィオナは二枚の記録を並べた。


 一方は、通常の古代文字による記録。


 もう一方は、シオンが「ORIGIN」と読んだ文字列を含む記録。


「こちらは、装置が観測した反応を記録している。でも、こっちは違う」


「どう違う?」


「観測結果の前に、別の情報が付け加えられているの。後から追記されたというより、最初から別の方式で保存されているみたい」


 レティシアはしばらく考えた。


「つまり、装置を作った連中とは別の誰かが、記録方式を変えた可能性がある?」


「可能性の一つね。装置自体に複数の記録方式が用意されていたのかもしれない」


 フィオナは紙の端に、小さく印を付けた。


「それから、もう一つ」


「まだあるのか?」


「この記録には、古代文字の番号が付いているの」


「番号?」


「ええ。『第七種』という分類とは別のものよ。記録そのものを区別するための番号みたい」


 レティシアが身を乗り出す。


「いくつだ?」


「正確には読めない部分がある。でも、少なくとも一番目ではないわ」


 研究室に沈黙が落ちた。


 レティシアが、ゆっくり口を開く。


「……同じ形式の記録が、ほかにもあるってことか」


「そう考えるのが自然ね」


 フィオナは、窓の外に目を向けた。


 王都の夜景が広がっている。


 街灯の光。


 時計塔の影。


 そして、その地下に眠る古代の装置。


「シオン君が文字を読めた理由も、まだ分からない」


「本人も説明できないと言っていたな」


「ええ。だからこそ、慎重に調べたいの」


 フィオナは記録を閉じた。


「明日は、装置を動かさずに確認できる部分をもう一度調べましょう。記録の保存順序が分かれば、この文字がいつ加えられたのか、絞り込めるかもしれない」


「了解。まずはそこからだな」


 レティシアは工具箱を引き寄せた。


「それと、例の金属片はまだ持ち込まない。差し込んでから後悔しても遅いからな」


「賛成よ」


 二人は再び図面に向き合った。


 今夜、答えが出るわけではない。


 けれど、調べるべきことは確かに増えていた。


     ◇


 同じ夜。


 俺は寮の自室で、机に向かっていた。


 紙の上には、前世の記憶を頼りに書いたアルファベットが並んでいる。


 A、B、C……。


 十五年ぶりに書く文字もあった。


 少し形が歪んだものもある。


 それでも、手は覚えていた。


 最後の文字を書き終え、俺はペンを置いた。


 この文字を知っているのは、俺だけじゃない。


 少なくとも、昔のこの世界には、同じ文字を使った誰かがいた。


 俺と同じように生まれ変わった人間なのか。


 それとも、前世の世界から、そのままやって来た人間なのか。


 考えても、答えは出なかった。


 ただ、一つだけ確かなことがある。


 俺は今まで、前世の記憶を自分だけの秘密だと思っていた。


 けれど、その記憶に関わるものが、この世界の歴史の中に残っていた。


 それは、怖いことでもあった。


 同時に。


 ほんの少しだけ、嬉しいことでもあった。


 俺は紙を折り畳み、引き出しにしまった。


 明日、フィオナさんに見せよう。


 すべてを話す覚悟は、まだできていない。


 それでも。


 自分の知っていることを、少しずつ確かめていくことならできる。


 窓の外では、王都の灯りが静かに輝いていた。


 あの時計塔の地下に眠る記録も、かつて誰かが残したものなのだろうか。


 もしそうなら。


 その人は、何を伝えたかったのだろう。


 俺はもう一度、引き出しに目を向けた。


 そこには、二つの世界をつなぐかもしれない文字が、静かに眠っていた。


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