星を数える装置
王立総合学園の古い時計塔。
その地下に空間が存在することが確認されたのは、翌日の午前中だった。
学園側から追加調査の許可が下り、騎士団と王立魔導技術院による合同調査が始まったのである。
「よし。そっちを持って」
「はい!」
レティシアの指示で、技術院の作業員が床板の端に器具を差し込む。
金属の縁で囲まれた石板は、長年の埃で周囲の床と見分けがつかなくなっていた。
慎重に持ち上げると、下から冷たい空気が流れ出した。
「……本当にあったな」
ガルドが、開いた床を覗き込んだ。
石段が暗闇の中へ続いている。
ユリウスは、手元の図面と見比べた。
「学園の建築記録には、地下階について一切記載がありません」
「古い建物だから記録が失われた、という可能性は?」
アイリスが尋ねる。
「あります。ただ……」
ユリウスは、石段の入口を指した。
「隠す必要がなければ、わざわざ床を塞ぐでしょうか」
その問いに、誰もすぐには答えなかった。
レティシアが測定器を取り出す。
「魔力反応は弱いわね。でも、ゼロじゃない」
フィオナが隣から覗き込んだ。
「地下の方が、わずかに強いようです」
「なら、行ってみましょうか」
ガルドが先頭に立った。
「俺とユリウスが先に降りる。アイリス、後方を頼む」
「承知しました」
調査隊は、慎重に石段を下り始めた。
◇
その頃、俺は学園の別室で待機していた。
昨日の事故について、追加の確認があると聞かされていたからだ。
窓からは、時計塔の周囲に集まる騎士たちが見える。
「……ずいぶん大がかりだな」
思わず呟く。
昨日まで、ただの古い時計塔だと思っていた建物。
その地下に何かがあるらしい。
しかも、俺が感じた奇妙な魔力の反応と関係している可能性があるという。
正直、落ち着かなかった。
扉が開いた。
「シオン」
入ってきたのは、ヴィオレッタだった。
「待たせてしまいましたか?」
「いや。俺も今来たところだよ」
彼女は、俺の向かいに座った。
今日は授業の合間に時間を作ってくれたらしい。
「昨日のこと、まだ心配しています」
「……魔力灯の事故?」
「はい」
ヴィオレッタは真剣な顔で頷いた。
「助けられた方が無事だったのは、本当によかったと思います。でも、シオンまで倒れてしまったと聞いて……」
「倒れたってほどじゃないよ。ちょっと力が抜けただけだ」
「それを、無理をしたと言うのではありませんか?」
「……返す言葉もない」
俺が肩をすくめると、ヴィオレッタは小さく笑った。
けれど、その笑みはすぐに消えた。
「シオン」
「ん?」
「何か、怖いことが起きているのでしょうか」
俺は、少し考えた。
「……分からない」
正直に答える。
「でも、調べてくれてる人たちはいる。だから、今はその人たちを信じたい」
ヴィオレッタは、静かに頷いた。
「そうですね」
それから、少しだけ声を落とした。
「……私にも、何かできることがあればいいのですが」
「こうして話してくれるだけで、助かってるよ」
言ってから、少し照れくさくなった。
ヴィオレッタも、目を瞬かせる。
そして、頬をわずかに赤くした。
「……それなら、よかったです」
窓の外では、騎士たちが時計塔へ出入りしていた。
俺たちは、しばらくその様子を眺めていた。
◇
時計塔の地下。
石段を下りた先には、広い空間があった。
天井は低く、壁には古い魔導文字が刻まれている。
中央には、円形の台座。
そして、その上に。
「……何だ、これは」
ガルドが足を止めた。
そこには、巨大な金属製の装置が設置されていた。
複数の輪が重なり合い、中心には透明な球体が浮かんでいる。
球体は支柱に固定されているわけではない。
何らかの魔力によって、空中に保持されているようだった。
装置の周囲には、細い金属線が何本も伸びている。
それらは床や壁の内部へ続いていた。
「……これは……」
フィオナが、息を呑んだ。
レティシアは、装置へ近づいた。
「……古いわね」
彼女は、金属部分を慎重に調べる。
「でも、ただ古いだけじゃない」
「どういうことですか?」
アイリスが尋ねる。
「これ、後から何度も手を加えられてる」
レティシアは、装置の側面を指した。
「元の構造は相当古い。でも、この接続部分は比較的新しい加工よ」
フィオナが頷いた。
「……つまり、長い間、誰かが管理していた?」
「少なくとも、一度作って放置した装置じゃないわね」
ユリウスは、壁の文字を見つめた。
「……こちらに、何か記されています」
フィオナが近づいた。
古い魔導文字。
ところどころ欠けているが、いくつかの単語は読み取れた。
「……観測」
彼女は、ゆっくりと読み上げた。
「……識別……記録……」
レティシアが顔を上げる。
「記録?」
「はい」
フィオナは、さらに文字を追った。
「……対象の反応を検出し、識別結果を保存する……」
そこで、言葉を止めた。
「……何を識別するのかしら」
アイリスが尋ねる。
「まだ分かりません」
フィオナは首を振った。
「ただ、装置の目的は、何かを破壊することではなく、調べて記録することだったようです」
ガルドは、装置を見上げた。
「……人間を調べるためのものか?」
「その可能性はあります」
フィオナが答える。
「エミリアさんが持たされていた金属片も、特定の反応を示したと聞いています」
レティシアは、装置の側面を調べていた。
そして、ある部分で手を止めた。
「……ちょっと待って」
「どうしました?」
「これ、見て」
彼女が指した場所には、小さな差込口があった。
フィオナの表情が変わった。
「……金属片の形と、似ています」
「ええ」
レティシアは頷いた。
「寸法を測らないと断定できないけど、あの部品がここに入る可能性はあるわ」
フィオナは、慎重に答えた。
「……ただ、今は挿入しない方がいいですね」
「当然」
レティシアは即答した。
「何が起こるか分からない装置に、正体不明の部品を差し込むなんて危険すぎる」
ガルドが頷く。
「まずは安全確認だな」
◇
装置の調査は、慎重に進められた。
レティシアが構造を確認し、フィオナが魔導回路を調べる。
その結果、いくつかのことが分かった。
装置は、外部から送られてくる魔力の変化を受信できる構造になっていた。
さらに、受信した反応を内部に保存する機構も備えている。
ただし、記録を読み出すための操作方法は不明だった。
「……つまり」
アイリスが確認する。
「この装置は、王都のどこかで起きた魔力の反応を集めている可能性がある、ということですか?」
「ええ」
フィオナが頷いた。
「ただし、王都全域を対象にしていたかどうかは分かりません」
レティシアが補足する。
「地下の配線がどこまで続いてるか、調べないとね」
ユリウスは、古い資料を取り出した。
「……以前、王立保管局が管理していた検査装置に、似た記述があります」
それは、ヘルマン・ローデルから得た証言をもとに調べた資料だった。
識別系統・第七種。
記録から意図的に所在が消された装置。
「……同じものか?」
ガルドが尋ねる。
「まだ断定できません」
ユリウスは答えた。
「ただ、機能の説明が非常によく似ています」
フィオナは、装置の中央に浮かぶ球体を見つめた。
その内部には、小さな光の粒がいくつも見えた。
「……あれ?」
彼女は、目を凝らした。
光の粒は、静止しているように見える。
だが、よく見ると、わずかに位置を変えていた。
「……レティシアさん」
「何?」
「この球体、内部で何か動いています」
レティシアが近づいた。
「……本当ね」
透明な球体の中。
無数の光点が、暗い空間に浮かんでいた。
その様子は、まるで。
「……星みたいですね」
アイリスが呟いた。
フィオナは、静かに頷いた。
「……はい」
夜空に散らばる星々。
それを、小さな球体の中へ閉じ込めたようだった。
◇
午後。
俺は、再び時計塔へ呼ばれた。
ただし、地下へ入る前に、フィオナさんから説明を受けることになった。
「クレイヴェルさん。先にお伝えしておきたいことがあります」
「はい」
「地下で古い魔導装置が見つかりました」
俺は、思わず聞き返した。
「……装置?」
「はい。何らかの魔力反応を観測し、記録するためのものだと考えられます」
レティシアさんが、隣から付け加えた。
「ただし、まだ正体は分かってないわ。危険がないと確認できた範囲だけ見てもらうつもりよ」
「……俺が行って、大丈夫なんですか?」
「無理に何かをさせるつもりはないわ」
レティシアさんは、真剣な顔で言った。
「昨日みたいに魔力を使って倒れられたら困るもの」
「……気をつけます」
俺は頷いた。
アイリスさんの案内で、石段を下りる。
地下へ近づくにつれて、空気が冷たくなった。
そして。
――トクン。
「……っ」
胸の奥が震えた。
昨日と同じ感覚。
いや、それ以上に強い。
「……シオンさん?」
アイリスさんが振り返る。
「……何か、感じます」
俺は、胸元を押さえた。
――トクン。
もう一度。
まるで、地下の奥から呼ばれているようだった。
石段を下りきる。
その先にあったものを見て、俺は足を止めた。
「……何だ、これ」
巨大な金属の輪。
複雑な魔導回路。
そして、中央に浮かぶ透明な球体。
その内部には、無数の光が浮かんでいた。
まるで、星空だ。
俺は、思わず見入ってしまった。
「……綺麗ですね」
フィオナさんが、小さく微笑んだ。
「そうですね」
だが、次の瞬間。
球体の中で、一つの光が強く輝いた。
「……え?」
フィオナさんが顔を上げる。
レティシアさんも、すぐに測定器を確認した。
「……反応が上がってる!」
俺は、胸の奥の振動が強くなるのを感じた。
――トクン、トクン。
光が、ゆっくりと動き始める。
球体の中心へ。
まるで、何かを示そうとしているように。
「……クレイヴェルさん」
フィオナさんが、静かに言った。
「魔力は使わないでください」
「……はい」
俺は、手を握りしめた。
何もしていない。
ただ、装置を見ているだけだ。
それなのに。
光は、さらに強くなった。
「……レティシアさん!」
「分かってる!」
レティシアさんが、装置の側面にある遮断機構を操作する。
金属の輪が、ゆっくりと停止した。
光が弱まる。
そして、球体の中の一点だけが、最後まで輝いていた。
やがて、それも消えた。
静寂が戻る。
「……今のは」
俺は、思わず呟いた。
フィオナさんは、装置を見つめたまま答えた。
「……あなたの存在に、反応した可能性があります」
俺は、息を呑んだ。
「……俺に?」
「はい。ただし、まだ確証はありません」
レティシアさんが、測定器を確認した。
「でも、反応が始まったのは、シオンが地下に入ってからよ」
俺は、球体を見た。
今は、何の光も浮かんでいない。
ただの透明な球に見える。
それなのに。
さっきまで、確かに俺を見ていたような気がした。
◇
調査を終えた後。
俺は、フィオナさんとレティシアさんから、もう一つ説明を受けた。
「クレイヴェルさん」
フィオナさんは、古い資料を開いた。
「以前、あなたが魔力の流れを感じ取るとき、鐘のような感覚があると話していましたね」
「はい」
「その現象に、少し似た記述が見つかりました」
俺は、資料を覗き込んだ。
古い魔導文字が並んでいる。
もちろん、俺には読めない。
「……何て書いてあるんですか?」
フィオナさんは、ゆっくりと答えた。
「異なる魔力が互いに影響し、一方がもう一方の変化に追従する現象についてです」
「……追従?」
「はい」
フィオナさんは、二本の波線を描いた。
「普通の魔力干渉は、二つの魔力がぶつかり合ったり、打ち消し合ったりするものです」
彼女は、一方の線を指した。
「ですが、この現象では、片方の魔力が、もう片方の変化に合わせて形を変えることがあります」
「……昨日の俺みたいに?」
「その可能性があります」
フィオナさんは頷いた。
「古い資料では、この現象を――」
そこで、一度言葉を区切った。
「**『共鳴』**と呼んでいます」
「……共鳴」
俺は、その言葉を繰り返した。
不思議と、しっくりきた。
遠くで鳴る鐘の音。
それに合わせて、自分の内側が震える感覚。
確かに、そう表現するのが一番近い気がする。
「ただし」
フィオナさんは、真剣な表情で続けた。
「あなたの反応が、資料に記された共鳴と完全に同じものなのかは、まだ分かりません」
「……そうなんですね」
「はい。だから、現時点では仮の呼び方です」
レティシアさんが、腕を組んだ。
「でも、何も名前がないよりはいいでしょ」
俺は、少し笑った。
「……そうですね」
共鳴。
俺の中にある、正体の分からない力。
それに、初めて名前がついた。
けれど、その名前が何を意味するのか。
まだ、ほとんど分かっていなかった。
◇
その夜。
王都騎士団本部。
ガルドとユリウスは、時計塔の調査結果を確認していた。
「……装置が人間に反応した?」
ガルドが尋ねる。
「はい」
ユリウスは頷いた。
「ただし、本人が意図的に魔力を流したわけではないそうです」
「……エミリアのときと似てるな」
「ええ」
ユリウスは、資料をめくった。
「ただ、反応の強さと形式が異なります」
ガルドは、腕を組んだ。
「……何を調べてる装置なんだろうな」
「それが、まだ分かりません」
ユリウスは、少し考えた。
「ですが、古い資料には興味深い記述があります」
「……何だ?」
「識別系統・第七種」
ユリウスは、その文字を指した。
「この装置は、特定の魔力反応を持つ対象を識別し、記録するために設計されたものだと考えられます」
「……特定の魔力反応?」
「はい」
ユリウスは、さらに続けた。
「そして、記録には、通常の魔力とは異なる反応を示す対象について、特別な分類が存在したようです」
ガルドが眉をひそめる。
「……特別な分類?」
ユリウスは、資料の一行を指した。
そこには、古い文字でこう記されていた。
――外来性反応。
「……外来性?」
ガルドが呟いた。
「ええ」
ユリウスは、静かに頷いた。
「文字どおりに解釈すれば、外から来た性質を持つ反応、という意味になります」
ガルドは、しばらく黙っていた。
「……外ってのは、どこからだ?」
「それは、まだ分かりません」
ユリウスは答えた。
「国外なのか、未知の魔力源なのか。それとも、まったく別の意味なのか」
ガルドは、窓の外を見た。
夜空には、無数の星が輝いていた。
「……妙な話だな」
「はい」
ユリウスも、窓の外へ目を向けた。
「ただ、一つだけ確かなことがあります」
「……何だ?」
「この装置は、偶然作られたものではありません」
ユリウスは、静かに続けた。
「何かを探すために、作られたものです」
◇
王都のどこか。
薄暗い部屋で、一人の男が机に向かっていた。
机の上には、古い魔導装置の図面が広げられている。
男は、報告書を読み終えると、小さく息を吐いた。
「……見つかったか」
王立総合学園。
古い時計塔。
そして、地下に隠されていた観測装置。
男は、図面の一部分を指でなぞった。
「……あそこは、まだ動いていたんだな」
彼は、机の引き出しから小さな記録板を取り出した。
表面には、いくつかの印が刻まれている。
そのうちの一つが、淡く光っていた。
「……新しい反応」
男は、目を細めた。
「しかも、これほど強いとは」
彼は、しばらく記録板を見つめていた。
そして、静かに呟いた。
「……ようやく、見つけたのかもしれない」
窓の外では、王都の夜が深まっていく。
その下で。
長い間、誰にも知られずに動き続けていた装置が、一人の少年の存在を記録していた。




