石塔の下に眠るもの
翌朝、王立総合学園の東棟には、いつもと違う緊張感が漂っていた。
昨日、授業中に魔力灯が落下した教室は立ち入り禁止となり、廊下には騎士団の制服を着た人たちが立っている。
幸い、怪我人はいなかった。
けれど、俺が咄嗟に放った魔力についても、詳しく確認する必要があるらしい。
「……シオン・クレイヴェル君ですね?」
声をかけてきたのは、青い髪の女性騎士だった。
アイリス・フェルディア。
以前にも何度か顔を合わせている。
「はい」
「昨日の事故について、少しお話を伺ってもよろしいですか?」
「もちろんです」
アイリスの隣には、見覚えのある女性が二人立っていた。
一人は、銀金色の髪をしたフィオナ。
もう一人は――。
「……あれ、レティシアさん?」
「久しぶりね、シオン」
赤髪の女性が、片手を上げた。
「まさか、あなたの名前が事故報告書に出てくるとは思わなかったわ」
「俺も、こんな形で会うとは思いませんでした」
「でしょうね」
レティシアは苦笑した。
俺たちは、学園側が用意した小さな会議室へ移動した。
◇
「まず確認したいのですが」
フィオナが、机の上に一枚の紙を置いた。
「昨日、魔力灯が落下した際、クレイヴェルさんは魔法を使用したそうですね」
「はい」
「どのような術式を使いましたか?」
「……それが」
俺は少し言葉に詰まった。
「はっきりした術式を組んだわけじゃないんです」
レティシアが眉を上げる。
「どういうこと?」
「落ちてくる灯具を横へ逸らそうと思って、咄嗟に魔力を放ちました」
「……無詠唱で?」
「はい」
レティシアは腕を組んだ。
「それで、灯具の発光まで止まったわけ?」
「……発光が止まったのは、後から聞きました」
「ふうん」
フィオナが、別の資料を取り出した。
「事故の記録では、外部から流れ込んだ異常な魔力に、別の魔力が干渉しています」
紙には、二本の波線が描かれていた。
一方は一定の間隔で上下する線。
もう一方は、その線に合わせるように形を変えている。
「こちらが、異常な魔力の流れです」
フィオナは一方を指した。
「そして、こちらがクレイヴェルさんの魔力だと考えられます」
「……俺の?」
「はい。学園側の証言とも一致しています」
俺は、紙を見つめた。
確かに、何かに合わせて魔力を動かした感覚はあった。
ただ、意識してやったわけじゃない。
「……これ、普通じゃないんですか?」
俺が尋ねると、レティシアが即答した。
「普通じゃないわね」
「……ですよね」
「魔力の流れを感じ取る人間はいるわ。でも、相手の魔力に合わせて、自分の魔力を瞬時に変化させるのは別の話」
レティシアは、俺を見た。
「しかも、相手は正体不明の信号よ」
「……信号?」
フィオナが頷いた。
「現在、王都各地の魔導具で異常が発生しています。その原因として、外部からの魔力干渉が疑われているんです」
俺は、昨日のことを思い出した。
胸の奥の振動。
時計塔の方角から感じた、奇妙な気配。
「……実は、もう一つ話があります」
三人の視線が集まった。
「昨日の事故より前から、妙な感覚があったんです」
俺は、爆発が起きた夜のことから説明した。
胸の奥が震えるような感覚。
王都の灯りが消えるたびに、その感覚が強まったこと。
そして、昨日の授業中、学園の古い時計塔の方角から何かを感じたこと。
話し終えると、フィオナはしばらく黙っていた。
「……時刻は覚えていますか?」
「夜の方は正確には分かりません。でも、授業中の出来事なら記録があると思います」
「あります」
アイリスが答えた。
「事故の発生時刻は、午後二時十六分です」
フィオナは、自分の資料を確認した。
そして、目を見開いた。
「……一致しています」
「何が?」
レティシアが尋ねる。
「技術院で記録した異常信号の時刻です」
フィオナは、記録を指した。
「午後二時十六分。王都の東側で、強い反応が確認されています」
レティシアは、俺を見た。
「……なるほどね」
俺は、思わず尋ねた。
「それって、俺の感じたものが、あの異常と関係してるってことですか?」
「可能性は高くなったわ」
レティシアは答えた。
「でも、まだ断定できない」
フィオナも頷いた。
「今後、同じような感覚があった場合は、無理に魔力を使わず、時刻と場所を記録していただけますか?」
「分かりました」
俺は頷いた。
そのとき、アイリスが口を開いた。
「もう一つ、確認したい場所があります」
「……場所?」
「時計塔です」
アイリスは、窓の外を見た。
「騎士団でも、あの塔について調査を進めています」
◇
学園の中庭。
古い時計塔の前には、すでに数人の騎士が集まっていた。
ガルド団長とユリウス副団長もいる。
「おう、来たか」
ガルドが片手を上げた。
「団長、学園側の許可は取れていますか?」
アイリスが尋ねる。
「ああ。塔の外側と、管理室までは調べていいそうだ」
ユリウスが補足した。
「ただし、古い建造物です。壁や床を破壊する調査には、別途許可が必要になります」
「了解」
レティシアは、工具箱を肩に担ぎ直した。
「まずは壊さずに調べるわ」
俺は、塔を見上げた。
昨日と変わらない石造りの建物。
けれど、こうして大勢が集まると、妙に物々しく見える。
「……シオン」
背後から声がした。
振り返ると、ヴィオレッタが立っていた。
「ヴィオレッタ」
「昨日の事故について、詳しいお話を聞きました」
彼女は、少し心配そうな顔をしていた。
「お怪我はありませんか?」
「ああ。大丈夫」
「……本当に?」
「本当だよ。保健室でも診てもらった」
ヴィオレッタは、ようやく安堵したように息を吐いた。
「……よかった」
そして、少しだけ眉を寄せた。
「ですが、危険なことはなさらないでくださいね」
「……努力する」
「努力、では困ります」
俺は苦笑した。
「……分かった。気をつける」
彼女は、ようやく小さく微笑んだ。
そのとき。
「シオン!」
カイルの声が響いた。
エリオットとリシア、ディーンも一緒だった。
「何だよ、騎士団まで来てるのか!」
「……お前、声が大きい」
ディーンが呆れたように言う。
エリオットは、時計塔を興味深そうに見上げていた。
「……古い魔導設備があるのかな」
「まだ分からない」
俺は答えた。
リシアが、塔の壁を見た。
「……昨日、シオンが気にしていた場所ね」
「ああ」
俺は頷いた。
だが、今は何も感じない。
昨日のような振動は、起きていなかった。
◇
時計塔の管理室は、一階にあった。
古い机。
埃をかぶった棚。
そして、壁際に置かれた時計の調整装置。
「……なるほどね」
レティシアは、室内を見回した。
「時計の機構自体は、普通のものね」
フィオナが頷く。
「魔力を使っている部分も、比較的新しい形式です」
ユリウスが尋ねた。
「では、異常との関係は薄いのでしょうか?」
「まだ分かりません」
レティシアは、床を見た。
「問題は、こっちかもしれない」
彼女は、測定器を取り出した。
床の上をゆっくりと動かす。
針は、ほとんど動かなかった。
だが、部屋の中央へ近づいた瞬間。
わずかに揺れた。
「……あら?」
レティシアは足を止めた。
もう一度、同じ場所を測る。
針が動く。
「……ここね」
フィオナが近づいた。
「地下からの反応でしょうか?」
「可能性はあるわ」
レティシアは、床板を軽く叩いた。
コン。
乾いた音が響く。
少し場所を変える。
コン、コン。
音が違う。
「……空洞?」
ガルドが眉をひそめた。
レティシアは頷いた。
「たぶんね」
ユリウスは、床を見つめた。
「……ですが、この塔に地下室があるという記録はありません」
「記録にないから、存在しないとは限らないでしょ」
レティシアは、あっさりと言った。
そして、床の隅を指した。
「ほら、ここ」
古い石板の継ぎ目に、細い金属の縁が見えていた。
「……後から塞いだ跡がある」
フィオナは、しゃがみ込んだ。
「……確かに」
アイリスがユリウスを見た。
「副団長、どうされますか?」
ユリウスは、少し考えた。
「……学園側に、追加の調査許可を申請しましょう」
ガルドが頷いた。
「そうだな」
俺は、床を見つめた。
この下に、何かがある。
昨日感じた、あの奇妙な振動。
それと関係しているのだろうか。
◇
調査は、いったん中断された。
学園側の許可が下りるまで、床を開けることはできない。
俺たちは塔の外へ出た。
そのとき、フィオナが声をかけてきた。
「クレイヴェルさん」
「はい?」
「少しだけ、よろしいですか?」
「もちろんです」
フィオナは、手元の資料を見た。
「先ほどのお話ですが……」
彼女は、少し迷ったようだった。
「魔力の流れを感じ取るとき、何か音が聞こえることはありますか?」
「……音?」
「はい。実際の音ではなく、感覚として」
俺は、少し考えた。
「……あります」
フィオナの表情が変わった。
「……どのような?」
「鐘の音に似てるかもしれません」
「……鐘?」
「遠くで何かが鳴っていて、それが体の中まで響いてくる感じです」
フィオナは、静かに頷いた。
「……なるほど」
彼女は、記録用紙に何かを書き込んだ。
「ありがとうございます」
「……何か分かったんですか?」
「まだ、はっきりとは」
フィオナは首を振った。
「ただ、古い魔導技術の資料に、少し似た記述があったような気がします」
俺は、思わず聞き返した。
「……古い資料?」
「はい」
フィオナは微笑んだ。
「確認してみますね」
◇
夕方。
王都騎士団本部。
ユリウスは、時計塔の調査報告をまとめていた。
机の上には、古い土地台帳が広げられている。
「……やはり、妙ですね」
彼は、小さく呟いた。
時計塔の建設記録。
土地の管理区分。
そして、七年前の変更履歴。
調べれば調べるほど、不自然な点が増えていく。
そのとき、扉が開いた。
「ユリウス」
ガルドだった。
「まだやってたのか」
「……はい」
ユリウスは、顔を上げた。
「もう少しで終わります」
ガルドは、机の上の書類を見た。
「……無理すんなよ」
「……団長?」
「昨日も遅くまでやってただろ」
ユリウスは、少し驚いた。
「……お気づきでしたか」
「当たり前だ」
ガルドは、椅子を引いて座った。
「お前がいつ寝てるのか、最近分かんねえくらいだ」
ユリウスは、思わず笑った。
「……そこまでではありません」
「いや、そこまでだ」
ガルドは、真剣な顔で言った。
「俺が頼りにしてるからって、全部抱え込むな」
ユリウスの胸が、わずかに熱くなった。
「……ありがとうございます」
「礼なんかいらねえよ」
ガルドは、書類を一枚手に取った。
「ほら。残りは俺も見る」
「……団長が?」
「何だ、その顔」
「……いえ」
ユリウスは、少しだけ微笑んだ。
「珍しいと思いまして」
「おい」
ガルドが眉をひそめる。
ユリウスは、声を上げて笑った。
ガルドも、つられて笑った。
しばらくして、二人は並んで書類を確認し始めた。
ユリウスは、横顔を盗み見る。
大きな背中。
無骨な手。
そして、誰よりも仲間を大切にする人。
ずっと、憧れていた。
けれど、今は。
それだけではない感情が、胸の奥にある。
ユリウスは、そっと視線を戻した。
この気持ちを伝える日は、来るのだろうか。
◇
その夜。
王立魔導技術院。
フィオナは、古い資料を読み返していた。
数十年前に編纂された、魔導現象の研究記録。
その中に、気になる記述があった。
異なる魔力が、互いの流れに影響を与える現象。
ただし、通常の魔力干渉とは異なり、一方の魔力がもう一方の変化に追従するという。
「……これ……」
フィオナは、指で文字をなぞった。
そこには、現代ではほとんど使われなくなった古い専門用語が記されていた。
彼女は、別の辞典を取り出した。
意味を確認する。
そして、静かに呟いた。
「……なるほど」
シオンが感じた、鐘のような感覚。
事故の際に記録された、相手の魔力に合わせて変化する反応。
それらが、古い資料の記述と重なっていく。
フィオナは、机の上に資料を並べた。
ただし、まだ確証はない。
古い研究記録には、実験条件がほとんど残されていなかった。
同じ現象なのか、似ているだけなのか。
確かめる必要がある。
フィオナは、翌日の予定表を開いた。
時計塔の地下調査。
金属板の再測定。
そして、シオンの魔力反応の確認。
調べるべきことは多い。
けれど、ようやく一つの道筋が見えてきた。
フィオナは、古い資料を閉じた。
窓の外では、王都の灯りが静かに輝いている。
その下で、長い間眠っていた何かが、少しずつ動き始めていた。




