聞こえない呼び声
王都の夜空に、赤い光が上がった。
続いて、腹の底に響くような爆発音。
俺は読んでいた本を閉じ、寮の窓へ駆け寄った。
「……何だ?」
西の方角に、黒い煙が立ち上っている。
昨日から続いている魔導具の異常。
昼間には魔導車が暴走し、王都のあちこちで魔力灯が消えたらしい。
そして、今度は爆発。
さすがに偶然とは思えなかった。
そのときだった。
――トクン。
「……っ?」
胸の奥が、奇妙に震えた。
心臓の鼓動とは違う。
もっと深い場所で、何かが揺さぶられたような感覚だった。
――トクン。
もう一度。
俺は胸元に手を当てた。
「……何だよ、これ」
以前にも、似た感覚を覚えたことはある。
魔力を扱っているとき、周囲の流れが妙にはっきり分かったり、相手の術式の変化を直感的に感じ取れたりすることがあった。
ただ、それを自分の能力だと断言できるほど、仕組みを理解しているわけじゃない。
まして、こんなに遠くの出来事に反応したことはなかった。
廊下から足音が聞こえた。
「シオン! 起きてるか!」
カイルの声だ。
扉を開けると、カイルとディーンが立っていた。
「西区画で爆発があったらしい!」
「ああ。音が聞こえた」
「魔力の中継施設だってさ。寮から出るなって、警備員が回ってる」
ディーンが落ち着いた声で付け加える。
「騎士団が現場を封鎖しているそうだ。今は余計なことをしない方がいい」
「……そうだな」
俺は頷いた。
その瞬間、胸の奥の振動が強くなった。
「……っ」
「シオン?」
ディーンが俺の顔を覗き込む。
「具合が悪いのか?」
「いや……ちょっと変な感じがしただけだ」
「変な感じ?」
「うまく説明できない」
嘘ではなかった。
自分でも、何が起きているのか分からない。
窓の外へ目を向ける。
煙の向こうで、王都の灯りが一つ、また一つと消えていった。
それに合わせるように、胸の奥が震えた。
まるで、遠くで鳴る鐘の音を、体の内側だけで聞いているようだった。
◇
王都西区画。
「そっちの遮断弁、閉じた!?」
「閉じました!」
「なら次! 第三回路を切り離して!」
レティシア・ヴァインの怒鳴り声が、魔力中継施設の内部に響いた。
爆発によって壁の一部が崩れ、床には砕けた魔導部品が散乱している。
幸い、施設の作業員は避難を終えていた。
だが、装置の内部では不安定な魔力が流れ続けている。
「フィオナ! 数値!」
「供給圧、まだ上昇しています!」
「くっ……!」
レティシアは歯を食いしばった。
通常なら、安全装置が魔力を遮断するはずだった。
しかし、今回はその安全装置自体が異常な動作を起こしている。
停止命令を送るたびに、別の回路へ魔力が流れ込むのだ。
「……まるで、こっちの操作を先回りしてるみたいね」
レティシアが呟いた。
フィオナは測定器を見つめた。
「レティシアさん。魔力の流れに、一定の間隔があります」
「昨日の魔導車と同じ?」
「はい。ただし、こちらの方が強い反応です」
「……やっぱり外から何か来てるのね」
レティシアは工具を握り直した。
「だったら、受け取る側を切り離す」
「でも、その回路を外すと西区画への供給が……」
「分かってる!」
レティシアは即答した。
「停電で済むなら、爆発するよりずっとましでしょ!」
フィオナは頷いた。
「……はい!」
二人は協力して、損傷した回路を切り離した。
耳障りな音が止まる。
測定器の針が、ゆっくりと下がっていった。
「……停止、確認しました」
フィオナが息を吐く。
レティシアは、その場に座り込んだ。
「……ったく。徹夜確定じゃない」
だが、フィオナは測定器から目を離さなかった。
「……レティシアさん」
「何?」
「外からの反応が、まだ続いています」
レティシアの表情が変わった。
「……中継施設は止めたのに?」
「はい」
フィオナは、窓の外を見た。
「発生源は、別の場所にあるようです」
◇
翌朝。
俺は、ひどく眠かった。
夜中に何度も、あの奇妙な感覚で目が覚めたからだ。
振動は次第に弱くなり、夜明け前には消えた。
けれど、あれが気のせいだったとは思えない。
「……眠そうだね、シオン」
登校途中、エリオットに声をかけられた。
「ああ。あんまり寝られなくて」
「昨日の爆発?」
「それもある」
隣を歩いていたリシアが、俺の顔を見た。
「何かあったの?」
俺は少し迷った。
二人には、以前から魔力の流れを普通より敏感に感じることがある、と話したことはあった。
だが、自分でも説明できない感覚を、どこまで伝えるべきだろう。
「……昨日、爆発が起きたときさ」
「うん」
「妙な感覚があったんだ」
俺は、胸元を軽く叩いた。
「ここが震えるような感じで。魔力の流れを感じたときに少し似てるんだけど、もっと強くて……」
エリオットの表情が真剣になった。
「魔力の流れ?」
「たぶんな。確信はない」
「どこから来たか分かった?」
「最初は西の方角だと思った。でも、夜中は別の場所からも感じた気がする」
リシアが考え込む。
「……王都の魔導具の異常と関係しているのかもしれないわね」
「俺もそう思った」
「でも、決めつけない方がいい」
リシアは続けた。
「魔力を感じ取る感覚は、体調にも左右されるもの。寝不足なら、なおさらよ」
「……そうだな」
もっともな意見だった。
エリオットは少し考えてから言った。
「もしまた起きたら、時刻と場所を記録してみない?」
「記録?」
「うん。技術院の測定記録と比べられたら、関係があるか確かめられるかもしれない」
「……なるほど」
それなら、俺にもできそうだ。
少なくとも、正体の分からない感覚に振り回されるだけよりはいい。
◇
午後の魔導理論の授業。
アーネスト先生は、黒板に安全装置の回路図を描いていた。
「現在、王都で発生している異常の原因は調査中です。ですが、皆さんにも知っておいてほしいことがあります」
先生は、回路の一部を指した。
「魔導具は、設計された範囲の魔力を受け取ることを前提に作られています」
チョークが黒板を叩く。
「想定外の魔力が流れ込めば、正常な装置でも誤作動する可能性があります」
エリオットが熱心にノートを取っている。
俺も説明を聞いていた。
そのとき。
――トクン。
「……!」
来た。
昨日と同じ感覚。
俺は反射的に胸元を押さえた。
――トクン、トクン。
今度は、間隔が短い。
まるで、何かが近づいてくるようだった。
「……シオン?」
エリオットが小声で呼びかける。
「……まただ」
俺が答えた直後。
天井の魔力灯が、一斉に点滅した。
教室がざわつく。
「全員、席を離れないように!」
アーネスト先生が制御盤へ向かう。
魔力灯は、明滅を繰り返していた。
俺は、窓の外を見た。
中庭。
噴水。
そして、その向こうにある古い時計塔。
なぜか、あの塔が気になった。
胸の奥の感覚が、そちらへ意識を向けるたびに強くなる。
「……あそこか?」
俺は、小さく呟いた。
その瞬間。
天井から、嫌な音がした。
パキッ。
顔を上げる。
魔力灯を支えていた金具の一つが、ひび割れていた。
「先生!」
俺が叫ぶ。
次の瞬間、灯具が落下した。
真下には、前列に座っていた女子生徒がいる。
「危ない!」
考えるより先に体が動いた。
俺は机を蹴って飛び出し、女子生徒の腕を掴んだ。
引き寄せる。
同時に、空いた手を天井へ向けた。
魔力を放つ。
ただし、攻撃魔法を使うつもりはなかった。
落ちてくる灯具を、少しでも横へ逸らせれば――。
その瞬間。
胸の奥で、何かが弾けた。
「……っ!」
視界の中に、細い光の筋が見えた気がした。
灯具の内部を流れる魔力。
そこへ、自分の魔力が触れる。
次の瞬間、灯具の光が消えた。
俺の放った魔力が、灯具の側面を打つ。
落下する方向が、わずかに変わった。
ガシャン!
灯具は、誰もいない通路へ落ちて砕けた。
教室が静まり返った。
「……大丈夫か?」
俺は、助けた女子生徒へ尋ねた。
彼女は青ざめた顔で頷いた。
「……は、はい」
「よかった」
俺は、ようやく息を吐いた。
だが、安心した途端、膝から力が抜けた。
「……っ」
「シオン!」
エリオットが駆け寄ってきた。
リシアも、すぐに俺の腕を支える。
「無茶しすぎよ!」
「……悪い」
俺は苦笑した。
正直、自分でも何をしたのかよく分からない。
ただ、落下する灯具の魔力が、ほんの一瞬だけ見えたような気がした。
そして、それに合わせて自分の魔力を動かした。
それだけだ。
アーネスト先生が駆け寄ってきた。
「クレイヴェル君、怪我は?」
「……ありません」
「今の魔法は?」
俺は、答えに詰まった。
「……咄嗟に、魔力を放ちました」
「それだけですか?」
「……はい」
先生は、砕けた灯具を見た。
そして、俺へ視線を戻した。
「……分かりました。まずは保健室へ行きなさい」
「でも……」
「これは指示です」
その声に、俺は素直に頷いた。
「……はい」
◇
放課後。
保健室で診察を受けた結果、幸い怪我はなかった。
ただ、魔力を急激に消耗したらしく、しばらく休むよう言われた。
俺はエリオットとリシアに付き添われ、寮へ戻ることになった。
「……さっきの、本当に何だったんだろう」
エリオットが呟いた。
「俺が聞きたいよ」
「魔力灯の光が、シオンの魔法を受けた瞬間に消えたように見えたんだ」
「……そうなのか?」
「うん。でも、普通の魔力干渉とは少し違った気がする」
リシアが俺を見た。
「シオンは、何か感じた?」
俺は少し考えた。
「……灯具の中を流れてる魔力が、分かった気がした」
「……分かった?」
「見えたっていうか、どこを流れてるのか、何となく理解できたっていうか」
うまく説明できない。
エリオットは、目を輝かせた。
「それ、すごいことだよ!」
「……そうなのか?」
「だって、魔導回路の内部を流れる魔力を、外から正確に感じ取るなんて普通は難しいから!」
リシアが、すぐに口を挟んだ。
「エリオット。まだ正確に感じ取れたと決まったわけじゃないでしょう」
「あ……そうだね」
エリオットは、少し照れたように笑った。
俺も苦笑した。
「とりあえず、今日は休むよ」
「うん。それがいい」
寮の前で二人と別れる。
俺は、ふと学園の時計塔を振り返った。
あの感覚。
灯具が落ちる直前まで、確かに塔の方角から伝わってきていた。
今は何も感じない。
けれど、どうしても気になった。
◇
同じ日の夕方。
王都騎士団本部。
「……学園で事故?」
ガルドが報告書を受け取った。
「はい」
アイリスが答える。
「授業中に魔力灯が落下しました。幸い、負傷者はいません」
「……それはよかった」
ユリウスが安堵したように息を吐く。
アイリスは続けた。
「ただ、落下した灯具には、昨日の魔導車と似た異常が確認されています」
ユリウスの表情が引き締まった。
「……外部からの魔力干渉ですか?」
「技術院が調査中ですが、その可能性があります」
ガルドは腕を組んだ。
「……学園にまで影響が出たか」
「もう一つ、気になる点があります」
アイリスは、別の書類を差し出した。
「事故が起きた教室は、学園の東棟です」
ユリウスは見取り図を広げた。
教室の位置。
中庭。
そして、古い時計塔。
「……この辺りですね」
「はい」
アイリスは頷いた。
「学園側の報告によると、時計塔の周辺でも、ほぼ同時刻に魔力灯の異常が確認されています」
ユリウスは、しばらく地図を見つめた。
そして、別の資料を取り出した。
古い王都の土地台帳だ。
「……団長」
「何だ?」
「この時計塔、現在は学園の施設として管理されていますが……」
ユリウスは、台帳の一行を指した。
「以前は、王立保管局の管理地に含まれていたようです」
ガルドの眉が動いた。
「……保管局?」
「はい」
「例の検査装置と関係あるのか?」
「まだ分かりません。ただ、管理区分が変更された時期が近いんです」
ユリウスは、二つの日付を並べた。
一つは、検査装置が保管記録から消えた年。
もう一つは、時計塔を含む土地の管理区分が変更された年。
同じ年だった。
「……なるほどな」
ガルドは、低く呟いた。
「調べる価値はありそうだ」
ユリウスは頷いた。
「学園側に正式な調査許可を求めます」
◇
夜。
王立魔導技術院の研究室では、フィオナが新たな報告書を読んでいた。
そこには、学園で起きた魔力灯の事故について記されていた。
事故の時刻。
魔力の異常。
そして、落下した灯具の動作記録。
「……あれ?」
フィオナは、ある部分で手を止めた。
灯具が落下した直前。
外部からの異常な魔力が流れ込んでいる。
だが、その直後。
別の魔力が、ほんの一瞬だけ重なっていた。
フィオナは、記録を拡大した。
「……これは……」
異常な魔力の流れに、別の魔力が干渉している。
その結果、灯具の内部で魔力の流れが変化し、発光が停止していた。
フィオナは、しばらく記録を見つめた。
「……偶然、同じ間隔になったの?」
彼女は、古い金属板の実験記録を取り出した。
並べて比較する。
似ている。
だが、同じではない。
金属板は、決められた間隔の信号に反応する。
一方、学園で記録された魔力は、外部から流れ込んだ異常な魔力に合わせて、途中で変化していた。
「……相手に合わせて、変わっている……?」
フィオナは、思わず呟いた。
それは、普通の魔導具には難しい動きだった。
少なくとも、彼女の知る一般的な魔力制御とは違う。
研究室の扉が開いた。
「フィオナ、まだやってるの?」
レティシアだった。
「……レティシアさん」
「何か見つけた?」
フィオナは、記録を差し出した。
「はい。学園の事故で、少し気になる魔力の動きがありました」
レティシアは資料を覗き込んだ。
そして、眉をひそめた。
「……何これ」
「外部からの異常な魔力に、別の魔力が干渉しています」
「……誰かが魔法を使った?」
「その可能性があります」
レティシアは、しばらく記録を見つめた。
「……ずいぶん器用なことしてるわね」
「……はい」
フィオナは頷いた。
「ただ、本人が意図して行ったのかは分かりません」
レティシアは、資料を机へ置いた。
「だったら、確認すればいいじゃない」
「……確認?」
「学園に問い合わせるのよ」
レティシアは、にやりと笑った。
「事故のとき、誰が何をしていたのか」
フィオナは、少し考えた。
そして、頷いた。
「……そうですね」
彼女は、もう一度記録を見た。
異常な魔力に合わせて変化する、もう一つの魔力。
それが何を意味するのか。
今は、まだ分からない。
だが、確かなことが一つあった。
王都で起きている異変は、古い装置だけの問題ではなくなりつつある。
そして、その中心に。
まだ誰も正体を知らない、新しい反応が現れていた。




