選ばれた反応
王立魔導技術院の研究室には、朝から小さな魔力灯が灯っていた。
フィオナ・リュミエールは、机に並べた二つの金属を見つめていた。
一つは、以前から調べている薄い金属板。
もう一つは、騎士団が保護したエミリアという少女が持っていた金属片だ。
どちらにも、細い線と点を組み合わせた刻印がある。
ただし、形は同じではない。
金属板には複雑な回路が広がり、金属片には短い線が一定の間隔で並んでいた。
「……似ている。でも、同じではない」
フィオナは小さく呟いた。
見た目が似ているだけなら、偶然という可能性もある。
重要なのは、内部を流れる魔力の動きだった。
フィオナは金属板を測定台に固定し、魔力を流した。
弱い魔力。
次に、少し強い魔力。
最後に、流す間隔を変える。
測定器の針が、それぞれ異なる位置で止まった。
これまでの実験と同じ結果だ。
「……こちらは、入力条件によって魔力の通り道を切り替える」
記録用紙に書き込む。
次に、金属片を測定台へ置いた。
同じように魔力を流す。
しかし。
「……反応しない?」
針は動かなかった。
フィオナは魔力量を増やした。
変化はない。
流す間隔を変えても、同じだった。
「……どうして?」
フィオナは眉をひそめた。
エミリアの証言では、金属片は確かに光ったという。
しかも、本人が魔力を流していない状態で。
ならば、通常の魔導具とは違う条件で動く可能性がある。
フィオナは、しばらく考えた。
そして、ふと思いついた。
「……もしかして」
彼女は金属板を測定台から外し、金属片の隣へ置いた。
その状態で、金属板にだけ魔力を流す。
すると。
金属片の刻印が、一瞬だけ青白く光った。
「……!」
フィオナは目を見開いた。
すぐに魔力を止める。
もう一度、同じ操作をする。
今度は反応しなかった。
「……条件が違う?」
フィオナは記録を確認した。
一度目と二度目。
魔力量は同じ。
流した時間も同じ。
違うのは、魔力を流し始めるまでの間隔だった。
彼女は、三度目の実験を行った。
今度は、一度目と同じ間隔を再現する。
金属片が光った。
「……やっぱり!」
フィオナは思わず声を上げた。
だが、すぐに表情を引き締める。
まだ、偶然の可能性がある。
彼女は何度も条件を変え、結果を記録した。
十回。
二十回。
三十回。
そして、ようやく一つの傾向が見えてきた。
「……特定の間隔で魔力を流したときだけ、反応が伝わる」
金属板が信号を送り、金属片がそれを受け取っている。
少なくとも、そう考えれば説明できる。
フィオナは椅子に座り直した。
「……これは、ただの魔力測定器じゃない」
二つの部品は、互いに何らかの情報をやり取りしている。
だとすれば。
エミリアが持っていた金属片も、単独で使う道具ではないのかもしれない。
◇
昼過ぎ。
研究室の扉が叩かれた。
「フィオナさん、いらっしゃいますか?」
アイリスの声だった。
「はい!」
フィオナは立ち上がり、扉を開けた。
「アイリスさん。ちょうど、お伝えしたいことがありました」
「そうでしたか」
アイリスは少し驚いたように笑った。
「私も、昨日の金属片について確認したくて伺ったんです」
「それなら、ぜひこちらへ」
フィオナはアイリスを研究机へ案内した。
二つの金属が並んでいる。
アイリスは、金属片を見た。
「……何か分かりましたか?」
「はい。ただし、まだ仮説の段階です」
フィオナは測定台を指した。
「まず、こちらの金属板に魔力を流します」
淡い光が灯る。
「そして、一定の間隔で魔力を止めて、再び流すと……」
隣の金属片が、青白く光った。
アイリスが目を見開く。
「……反応しましたね」
「はい」
フィオナは頷いた。
「でも、間隔を変えると反応しません」
再び実験する。
今度は、金属片は光らなかった。
「……なるほど」
アイリスは腕を組んだ。
「つまり、この二つは連動しているのですか?」
「少なくとも、特定の条件ではそう見えます」
フィオナは慎重に答えた。
「ただ、同じ装置の部品だと断定するには、まだ証拠が足りません」
「……分かりました」
アイリスは頷いた。
「実は、エミリアさんの証言にも気になる点があります」
「何でしょうか?」
「金属片は、本人が魔力を流していない状態でも光ったそうです」
フィオナは考え込んだ。
「……本人が、無意識に魔力を流していた可能性は?」
「それは否定できません。ただ、彼女は石柱の近くでも同じ反応を見たと話しています」
「……石柱」
フィオナは顔を上げた。
「どのような石柱ですか?」
「古い木橋を渡った先にあったそうです。表面に刻印があり、金属片と同時に光ったと」
フィオナは、ゆっくりと息を吸った。
「……もし、それが事実なら」
アイリスが続きを待つ。
「金属片は、近くにある別の設備からの信号を受け取った可能性があります」
「……設備?」
「はい」
フィオナは二つの金属を見つめた。
「例えば、この金属板が信号を送り、金属片が反応するように……」
彼女は言葉を切った。
そして、静かに続けた。
「石柱も、何らかの信号を送っていたのかもしれません」
アイリスは眉をひそめた。
「……つまり、あの石柱は単なる目印ではない?」
「その可能性があります」
フィオナは頷いた。
「ただ、現物を調べなければ分かりません」
アイリスは、すぐに答えた。
「では、現地調査を手配します」
フィオナは少し驚いた。
「……よろしいのですか?」
「もちろんです。事件の手掛かりになるなら、確認する価値があります」
アイリスは微笑んだ。
「フィオナさんにも、同行していただけますか?」
「……はい!」
フィオナは、嬉しそうに頷いた。
◇
王都騎士団本部。
同じ頃。
ガルドとユリウスは、逃走した男について報告を受けていた。
「……偽名?」
ガルドが眉をひそめた。
「はい」
報告役の騎士が頷いた。
「学園に提出されていた補助講師の身分証明書ですが、記載された出身地に照会したところ、該当する人物は確認できませんでした」
ユリウスが書類を受け取る。
「……紹介状は?」
「実在する魔導研究者の名前が使われていました。ただし、本人は紹介状を発行していないと回答しています」
「……なるほど」
ユリウスは、静かに呟いた。
「身分を偽って学園へ入り込んだ可能性が高いですね」
ガルドは腕を組んだ。
「最初から、誰かを狙ってたってことか?」
「その可能性はあります」
ユリウスは答えた。
「ただ、エミリアさんが最初から標的だったのかは分かりません」
ガルドは、机を指で叩いた。
「……交流会の日に連れ出した理由も、まだ不明か」
「はい」
ユリウスは書類をめくった。
「ですが、一つ気になる点があります」
「何だ?」
「この男が学園へ提出した研究歴です」
ユリウスは、ある項目を指した。
「魔導回路の基礎研究と、古い検査装置の保守補助」
ガルドの目が細くなった。
「……検査装置?」
「ええ」
ユリウスは頷いた。
「記載された勤務先は実在しません。ただ、研究分野の選び方が妙に具体的です」
「……つまり?」
「本当に、その分野の知識があるのかもしれません」
ガルドは、しばらく考えた。
「……あの男、ただの誘拐犯じゃねえな」
「そのようですね」
ユリウスは書類を閉じた。
「古い装置について、相当な知識を持っている可能性があります」
ガルドは、低く呟いた。
「……何を企んでやがる」
◇
王立総合学園。
放課後。
俺は、エリオットとリシアと一緒に図書室へ向かっていた。
「……古い魔導具って、そんなに変わったものがあるのか?」
俺が尋ねると、エリオットが頷いた。
「あるよ。今の魔導理論では説明しきれない仕組みを持つものも、少数だけど残ってる」
「へえ……」
「ただ、ほとんどは壊れていたり、用途が分からなかったりするんだ」
リシアが補足した。
「古い技術が、必ずしも今より優れていたわけではないわ。でも、発想そのものが違うことはある」
「発想?」
「例えば、今の魔導具は、使う人が魔力を流して動かすものが多いでしょう?」
「……ああ」
「でも、古い装置の中には、周囲の魔力の変化を利用するものもあるの」
俺は、少し考えた。
周囲の魔力の変化。
何かに反応する装置。
妙に引っかかる言葉だった。
「……人間の魔力にも、勝手に反応したりするのか?」
俺が尋ねると、リシアは首を傾げた。
「理論上はあり得るけど、どんな反応をするかは装置次第ね」
「そっか」
俺は頷いた。
そのとき、エリオットが笑った。
「シオン、最近こういう話に興味あるの?」
「……まあ、ちょっとな」
「だったら、面白い資料があるよ」
エリオットは図書室の奥を指した。
「古い魔導回路についてまとめた本なんだけど、普通の魔導具とは違う考え方が載ってるんだ」
「……見てみたいな」
「じゃあ、持ってくるよ」
エリオットは、嬉しそうに本棚へ向かった。
俺は、その背中を見送った。
古い魔導技術。
今の理論では説明できない仕組み。
そして、自分の中にある『共鳴』という力。
もちろん、関係があると決まったわけじゃない。
けれど。
何となく、気になった。
◇
翌朝。
王都北西の旧街道。
アイリスとフィオナは、騎士団の護衛とともに森へ入っていた。
エミリアが逃走した経路をたどり、古い木橋へ向かう。
「……足元に気をつけてください」
アイリスが声をかけた。
「はい」
フィオナは頷いた。
しばらく歩くと、川の流れる音が聞こえてきた。
そして、木々の間に古い橋が見えた。
「……あれですね」
アイリスが言った。
フィオナは、橋を見つめた。
板の一部が腐り、手すりも傾いている。
「……かなり古いですね」
「ええ。渡る際は注意してください」
騎士たちが橋の状態を確認し、安全な部分を選んで渡っていく。
フィオナも、アイリスに支えられながら橋を渡った。
その先。
木々の間に、石柱が立っていた。
「……あれが」
フィオナは足を止めた。
苔に覆われた古い石柱。
表面には、細い線と点を組み合わせた模様が刻まれている。
フィオナは、ゆっくりと近づいた。
「……間違いない」
思わず呟く。
アイリスが顔を向けた。
「何がですか?」
「この刻印です」
フィオナは、石柱の表面を指した。
「金属片と、同じ系統の構造です」
「……同じ装置ということですか?」
「そこまでは、まだ分かりません」
フィオナは首を振った。
「でも、少なくとも似た仕組みが使われています」
彼女は、持参した測定器を取り出した。
石柱の表面に近づける。
針は、ほとんど動かなかった。
「……魔力の反応は弱いですね」
フィオナは、少し考えた。
そして、金属片を取り出した。
騎士団の許可を得て、調査のために持参したものだ。
石柱へ近づける。
すると。
金属片の刻印が、わずかに光った。
「……!」
アイリスが息を呑んだ。
「……反応しましたね」
「はい」
フィオナは、金属片をゆっくりと離した。
光が消える。
再び近づける。
今度は、何も起こらなかった。
「……やっぱり、距離だけじゃない」
フィオナは眉をひそめた。
「何か、別の条件がある……」
そのとき。
アイリスが、石柱の下部にある刻印へ目を向けた。
「……フィオナさん」
「はい?」
「ここに、文字のようなものがあります」
フィオナは、しゃがみ込んだ。
苔を傷つけないよう、慎重に表面を確認する。
そこには、短い文字列が刻まれていた。
古い文字。
現在の王国で使われているものとは、形が違う。
フィオナは、持参した資料を取り出した。
古代文字の対照表。
完全な解読はできないが、一部の文字には対応するものがあった。
「……これは……」
フィオナは、ゆっくりと読み取った。
最初の単語。
次の単語。
そして、最後の記号。
彼女の表情が変わった。
「……アイリスさん」
「はい」
「これ、地名でも製造番号でもありません」
アイリスは、フィオナを見つめた。
「……何と書いてあるのですか?」
フィオナは、少しだけ迷った。
そして、静かに答えた。
「……『観測点』です」
アイリスの目が見開かれた。
「……観測点?」
「はい。ただし、完全に読めたわけではありません」
フィオナは、刻印を指した。
「少なくとも、この部分は『観測』を意味する古い表現と一致しています」
彼女は、石柱を見上げた。
「……もし、これが観測点なら」
アイリスが続きを待つ。
「同じようなものが、ほかにも存在する可能性があります」
森の中を、風が吹き抜けた。
古い石柱は、何も語らない。
ただ、そこに立ち続けている。
何十年も。
あるいは、何百年も。
誰にも気づかれずに。
アイリスは、石柱を見つめた。
「……何を観測していたのでしょうか」
フィオナは、すぐには答えなかった。
そして、静かに言った。
「……それを調べる必要があります」
彼女は、手の中の金属片を見た。
小さな金属片。
古い石柱。
そして、何らかの条件で起こる反応。
これらは、ただの偶然ではないのかもしれない。
だが、その目的はまだ分からない。
フィオナは、石柱の刻印を記録し始めた。
そのとき。
測定器の針が、わずかに動いた。
「……え?」
フィオナは顔を上げた。
金属片は、石柱から離している。
魔力も流していない。
それなのに。
測定器の針が、ゆっくりと揺れていた。
そして、石柱の表面に刻まれた線の一つが、ほんの一瞬だけ光った。
フィオナは、息を呑んだ。
「……今のは……」
アイリスも、石柱を見つめていた。
「……見えました」
二人は、しばらく動かなかった。
やがて、フィオナが小さく呟いた。
「……もしかして、この石柱は……」
彼女は、森の奥へ視線を向けた。
「……今も、何かを観測しているのかもしれません」




