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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

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石柱に刻まれた秘密

 川の向こうで、石柱が光っていた。


 古い木橋を渡りきったエミリアは、荒い息を吐きながら振り返った。


 追ってきた男は、橋の手前で足を止めている。


 その視線は、エミリアではなく、彼女の背後に向けられていた。


「……どうして、ここが動く」


 男が呟いた。


 エミリアは振り返る。


 木々の間に立つ石柱。


 高さは大人の背丈ほど。表面には苔が生え、長い間放置されていたことが分かる。


 だが、刻まれた線の一部だけが、青白い光を放っていた。


 エミリアは袖の中から金属片を取り出した。


 こちらも光っている。


「……これのせい?」


 そう呟いた瞬間、石柱から低い音が響いた。


 鐘に似ていた。


 けれど、金属を叩いた音ではない。


 地面の奥から伝わってくるような、不思議な響きだった。


「エミリアさん」


 男が呼びかけた。


「その金属片を、こちらへ渡してください」


「……嫌です」


「あなたには扱えません」


「だったら、何なのか教えてください!」


 エミリアは叫んだ。


「何日も閉じ込めて、知らない文字を見せて……。何を調べていたのかも教えてくれないじゃないですか!」


 男は口を閉ざした。


「私は、ただ帰りたいだけなのに!」


 その声が、夜の森に響いた。


 しばらくして、男はゆっくりと口を開いた。


「……その金属片は、古い検査装置の一部です」


「検査装置……?」


「魔力を測るだけの道具ではありません。特定の反応を示す者を識別し、その結果を記録する仕組みが組み込まれている」


 エミリアは手の中の金属片を見た。


「……じゃあ、私を調べていたのは……」


「あなたが、その条件に当てはまるか確かめるためです」


「……どういう条件ですか?」


 男は答えなかった。


 エミリアは唇を噛んだ。


「また、それですか……」


「私にも、すべてが分かっているわけではありません」


 男は石柱を見た。


「ですが、これが反応した以上、あなたをこのまま帰すわけにはいかなくなりました」


 エミリアの背筋が冷たくなった。


 帰すわけにはいかない。


 それは、今までで最もはっきりした答えだった。


 彼女は金属片を握り締めた。


「……だったら、なおさら渡しません」


 男の表情が変わった。


「エミリアさん」


「近づかないで!」


 エミリアは石柱の横を抜け、森の奥へ走り出した。


 傷ついた足が悲鳴を上げる。


 それでも、止まれなかった。


     ◇


 王都騎士団本部。


 夜明け前の執務室に、足早な靴音が響いた。


「失礼します!」


 若い騎士が入ってきた。


「北西の旧街道で、該当する可能性のある馬車が発見されました!」


 アイリス・フェルディアが顔を上げた。


「車両の特徴は?」


「暗色の幌付き四輪馬車。側面の標章が、運送業者から提供されたものと一致しています」


「御者は?」


「馬車のそばにいました。現在、巡回隊が事情を確認しています」


 アイリスは立ち上がった。


「乗客は?」


「確認できていません。ただ、車両の扉が開いたままで、道脇に争ったような足跡が残っています」


 その言葉に、アイリスの表情が引き締まった。


「場所は?」


「旧街道から林道へ入った地点です。近くに川があります」


 アイリスは机の地図を広げた。


 馬車が発見された場所を指でなぞる。


 林道。


 川。


 そして、その先に続く古い道。


「……徒歩で逃げた可能性がありますね」


「はい。巡回隊が足跡を確認しています」


 そのとき、扉が開いた。


「報告は聞いた」


 ユリウス・フォン・エーデルが入ってきた。


 その後ろには、ガルド・ヴァレンシュタインの姿もある。


「団長、副団長」


 アイリスが姿勢を正した。


 ガルドは地図を覗き込んだ。


「馬車が見つかったんだな?」


「はい。標章が一致しています。ただ、エミリアさんが乗っていたかどうかは、まだ確認できていません」


「なら、現場で確かめるしかねえな」


 ガルドは即座に言った。


 ユリウスも頷く。


「現地の巡回隊には、足跡を不用意に踏み荒らさないよう伝えてあります。追跡班を編成しましょう」


「アイリス、お前が案内しろ」


「承知しました」


 ガルドは大剣を手に取った。


「俺たちも行く」


 ユリウスが顔を向けた。


「団長が直接?」


「何か問題あるか?」


「いえ。ただ、ほかの案件も――」


「そっちは別の連中に任せる」


 ガルドは短く答えた。


「行方不明の子どもが近くにいるかもしれねえんだ。急ぐぞ」


 ユリウスは、それ以上何も言わなかった。


「……承知しました」


     ◇


 王都北西の林道。


 騎士たちが現地へ到着した頃には、空が白み始めていた。


 問題の馬車は、道の端に停められていた。


 扉が半開きになり、車輪の一つが泥にはまっている。


 アイリスは巡回隊の隊長から報告を受けた。


「御者は、昨夜この場所で乗客が馬車から飛び降りたと話しています」


「乗客の特徴は?」


「若い女性だったそうです。同行していた男が追いかけ、その後は戻ってこなかったと」


「その女性は学園の制服を着ていましたか?」


「暗くて断定できないそうですが、似た服装だったとのことです」


 アイリスは頷いた。


「御者の話を記録してください。男の特徴も確認を」


「承知しました」


 少し離れた場所で、ユリウスが地面を調べていた。


「アイリス」


「はい」


「こちらを」


 アイリスが近づく。


 道脇の柔らかい土に、複数の足跡が残っていた。


 小さな靴跡。


 その後ろに、大きな靴跡。


 どちらも林の奥へ続いている。


「……追跡されたようですね」


 アイリスが言った。


 ユリウスは頷いた。


「小さい方の足跡は、歩幅が不規則です。途中で転んだか、負傷している可能性があります」


 ガルドが林の奥を見た。


「急ごう」


 三人は、騎士たちを率いて森へ入った。


     ◇


 エミリアは、もう走れなくなっていた。


 石柱から離れ、木々の間を進み続けた。


 だが、どこへ向かっているのか分からない。


 足は痛み、喉は乾ききっている。


 何より、眠気がひどかった。


 昨夜から一睡もしていない。


「……もう……」


 倒れた木に手をつき、呼吸を整える。


 そのとき、背後で枝が折れる音がした。


 エミリアは顔を上げた。


「……見つけましたよ」


 男だった。


 学園で教師として振る舞っていた、あの男。


 その服には泥がつき、表情からは余裕が消えていた。


「……どうして……」


「足跡を追えば、難しいことではありません」


 男はゆっくりと近づいてきた。


「金属片を渡してください」


「……嫌です」


「これ以上、逃げても無駄です」


 エミリアは後ずさった。


 だが、足がもつれた。


「……っ!」


 その場に膝をつく。


 男が一歩近づいた。


「抵抗しなければ、怪我の手当てもできます」


「……もう、信じません」


 エミリアは顔を上げた。


「あなたの言うことなんて、もう信じない!」


 男は小さく息を吐いた。


「……残念です」


 右手を上げる。


 指先に魔力が集まり始めた。


 エミリアは息を呑んだ。


 逃げられない。


 そう思った瞬間だった。


「――そこまでです!」


 鋭い声が森に響いた。


 男が振り返る。


 木々の間から、青い髪の女騎士が現れた。


 アイリス・フェルディア。


 その手には剣が握られていた。


「騎士団です。その少女から離れてください」


 男の顔色が変わった。


「……騎士団?」


 アイリスは、エミリアを確認した。


「あなたがエミリアさんですね?」


「……は、はい……!」


「保護に来ました。もう少しだけ頑張ってください」


 エミリアの目に涙が浮かんだ。


「……助けて……!」


 男が動いた。


 指先に集めた魔力を、アイリスへ向ける。


 だが、魔法が放たれるより早く、白い影が木々の間を駆け抜けた。


「――させません」


 ユリウスだった。


 剣が閃き、男の手元を正確に打つ。


「ぐっ!」


 魔力が霧散した。


 男は数歩後退した。


 その背後から、重い足音が響く。


「……おい」


 ガルドが姿を現した。


 大剣を肩に担ぎ、男を見据える。


「その子から離れろ」


 男の表情が強張った。


「……ガルド・ヴァレンシュタイン」


「俺の名前を知ってるなら、説明はいらねえな」


 ガルドは大剣を下ろした。


「抵抗するな。拘束する」


 男は周囲を見回した。


 正面にはガルド。


 横にはユリウス。


 エミリアのそばにはアイリス。


 さらに、後方から騎士たちの足音が近づいている。


 逃げ道は限られていた。


 男は、ゆっくりと両手を下ろした。


「……分かりました」


 ユリウスが警戒を強める。


「そのまま動かないでください」


「ええ」


 男は小さく笑った。


「ですが、一つだけ」


 その言葉と同時に、男の足元で魔力が弾けた。


「――!」


 地面から白い煙が噴き上がる。


 ユリウスが即座に踏み込んだ。


 だが、男は煙の中へ身を投じていた。


「アイリス! 少女を!」


 ユリウスの声が響く。


「はい!」


 アイリスはエミリアの前に立ち、煙から彼女を守った。


 ガルドが大剣を振るう。


 強い風圧が煙を押し流した。


 しかし、男の姿は消えていた。


 木々の向こうで、枝の折れる音がした。


「追います!」


 ユリウスが駆け出そうとする。


 ガルドは短く指示した。


「追跡班を回せ。お前は一度こっちへ来い」


「ですが――」


「相手は何を仕掛けてるか分からねえ。単独で深追いするな」


 ユリウスは一瞬、言葉を止めた。


 そして頷いた。


「……承知しました」


 ガルドは、すでに近づいていた騎士たちへ指示を出した。


「二人一組で周囲を確認しろ。無理に突っ込むな!」


「はっ!」


 騎士たちが散っていく。


 男の姿は、森の奥へ消えていた。


     ◇


 エミリアは、地面に座り込んでいた。


 アイリスが膝をつき、傷の状態を確認している。


「腕と膝に擦り傷がありますね。足首も痛みますか?」


「……はい」


「無理に立たなくて大丈夫です。手当てができる場所まで運びます」


 エミリアは、小さく頷いた。


 その目から、涙がこぼれた。


「……私……帰れるんですか……?」


 アイリスは、優しく微笑んだ。


「はい。帰れますよ」


「……本当に……?」


「もちろんです」


 エミリアは、唇を震わせた。


「……よかった……」


 声にならない嗚咽が漏れた。


 何日も閉じ込められていた。


 何度も帰りたいと訴えた。


 それでも、誰も助けに来てくれなかった。


 もう二度と学園へ戻れないのではないかと、何度も思った。


 だが、今。


 目の前には、騎士団の人たちがいる。


 自分を助けに来てくれた人たちが。


「……ありがとうございます……!」


 エミリアは、泣きながら頭を下げた。


 アイリスは、彼女の肩をそっと支えた。


「よく頑張りましたね」


 その言葉を聞いた瞬間、エミリアは堪えきれずに泣き出した。


 少し離れた場所で、ガルドがその様子を見ていた。


「……ひとまず、無事でよかったな」


 ユリウスが頷く。


「はい」


「男は逃がしたが、少女は保護できた」


「……申し訳ありません。私がもう少し早く動けていれば」


 ガルドは、ユリウスを見た。


「何言ってんだ」


「……団長?」


「お前が魔法を止めなきゃ、あの子が巻き込まれてたかもしれねえだろ」


 ユリウスは目を瞬かせた。


「……ですが」


「それに、あの煙の中へ一人で突っ込んでたら、お前まで危なかった」


 ガルドは眉をひそめた。


「自分の身も大事にしろよ」


 ユリウスは、しばらくガルドを見つめた。


 胸の奥が、わずかに熱くなる。


「……承知しました」


 ガルドは頷いた。


「おう。それでいい」


 ユリウスは、静かに微笑んだ。


     ◇


 その日の午後。


 王都の治療院。


 エミリアは、手当てを受けた後、ベッドで休んでいた。


 足首には包帯が巻かれ、腕の傷にも薬が塗られている。


 大きな怪我はなかった。


 ただ、疲労が激しく、しばらく休養が必要だという。


 アイリスは、ベッドのそばに椅子を置いて座っていた。


「少し、お話しできますか?」


「……はい」


「無理に思い出さなくても大丈夫です。今日は確認したいことだけ伺います」


 エミリアは頷いた。


 アイリスは、机の上に置かれた布包みへ目を向けた。


「こちらの金属片について、教えていただけますか?」


 エミリアが持っていたものだった。


 彼女は、ゆっくりと口を開いた。


「……あの人が、何度も私に見せてきたものです」


「何か、説明はありましたか?」


「……古い検査装置の一部だって」


 アイリスの目がわずかに動いた。


「検査装置?」


「はい」


 エミリアは、震える声で続けた。


「魔力を測るだけじゃなくて……何かに反応する人を見分けて、記録する仕組みだって言ってました」


 アイリスは、その言葉を記録した。


「……その反応が、エミリアさんに起きたのですね?」


「……たぶん」


 エミリアは頷いた。


「でも、どうして私なのかは分かりません」


「そうですか」


 アイリスは、布包みを見つめた。


 古い検査装置。


 魔力への反応。


 識別と記録。


 その言葉には、聞き覚えがあった。


 騎士団が別件で調べている、古い検査装置の記録。


 そして、王立魔導技術院でフィオナが研究している金属板。


 ただし、それらが同じものだと決まったわけではない。


 アイリスは、慎重に考えた。


「……エミリアさん」


「はい」


「その金属片は、騎士団で一時的にお預かりしてもよろしいですか?」


 エミリアは、少しだけ迷った。


 だが、すぐに頷いた。


「……はい」


「ありがとうございます」


 アイリスは、布包みを丁寧に受け取った。


 そして、立ち上がった。


「今日は、ゆっくり休んでください」


「……あの」


「はい?」


 エミリアは、アイリスを見上げた。


「……学園には、もう連絡してくれましたか?」


「はい。無事に保護したことを伝えています」


 エミリアは、少しだけ安心したように息を吐いた。


「……そうですか」


 そして、小さく呟いた。


「……ヴィオレッタ様にも……」


 アイリスは、静かに耳を傾けた。


「……謝らないと……」


 エミリアの目から、再び涙がこぼれた。


「……私、ひどいことを言ったから……」


 アイリスは、すぐには答えなかった。


 ただ、穏やかな声で言った。


「今は、体を休めましょう」


 エミリアは頷いた。


「……はい」


     ◇


 王立魔導技術院。


 フィオナ・リュミエールは、研究机に向かっていた。


 目の前には、これまで調べてきた金属板が置かれている。


 魔力の量。


 流す間隔。


 それによって変化する回路の反応。


 用途は、まだ分かっていない。


 そのとき、扉が叩かれた。


「フィオナさん」


 アイリスだった。


「はい、どうぞ」


 扉が開く。


 アイリスは、小さな布包みを手にしていた。


「……今日は、少し確認していただきたいものがありまして」


 フィオナは顔を上げた。


「確認したいもの、ですか?」


「はい」


 アイリスは、布包みを机の上に置いた。


 そして、ゆっくりと開いた。


 中には、小さな金属片が入っていた。


 細い線。


 点のような刻印。


 フィオナは、目を見開いた。


「……これは……」


 アイリスは、静かに言った。


「今日保護した学園の生徒が、持っていたものです」


 フィオナは、金属片を見つめた。


 その刻印には、どこか見覚えがあった。


 ただし、目の前の金属板と同じものなのかは、まだ分からない。


「……詳しく、調べさせてください」


 フィオナは、真剣な表情で言った。


 アイリスが頷く。


「お願いします」


 フィオナは、二つの金属を見比べた。


 そして、静かに呟いた。


「……もしかすると、私たちは、同じ技術の別々の部分を見ていたのかもしれません」


 窓の外では、夕暮れの光が王都を染め始めていた。


 エミリアは救出された。


 だが、彼女を連れ去った男は逃走したまま。


 そして、古い検査装置の秘密は、まだ完全には明らかになっていない。


 ただ、一つだけ確かなことがあった。


 これまで別々に進んでいた調査が、初めて具体的な接点を持ち始めていた。

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