騎士たちの矜持
王都の朝は、早い。
石畳を走る荷馬車の音。
市場へ向かう商人たちの声。
通りに面した店では、開店の準備が始まっていた。
その賑わいの中を、二人の少年が歩いていた。
「……なあ、ディーン」
「何だ?」
「お前、さっきから歩くの速くないか?」
「そうか?」
「そうだよ。俺がついていくのに苦労してるんだからな」
カイルが不満そうに言うと、ディーンは足を緩めた。
「悪い」
「……そんなに楽しみなのか?」
「当然だろう」
ディーンは、前方を見た。
王都騎士団の本部。
その威容が、通りの先に見えていた。
高い石壁。
重厚な門。
そして、入口を守る騎士たち。
幼い頃から騎士を目指してきたディーンにとって、そこは特別な場所だった。
「……いつか、ここで働きたいと思っている」
ディーンが言った。
カイルは、少しだけ笑った。
「お前なら、なれるんじゃないか?」
「……簡単には言うな」
「いや、本気で言ってるんだけどな」
カイルは、肩をすくめた。
「俺は冒険者になるつもりだけど、お前が騎士になったら、たまには一緒に仕事できるかもしれないな」
「……そうだな」
ディーンは、小さく笑った。
「そのとき、お前が問題を起こしていなければな」
「おい!」
二人の笑い声が、朝の通りに響いた。
◇
王都騎士団本部。
受付で学園からの紹介状を提示すると、二人は訓練場へ案内された。
そこでは、数十人の騎士たちが訓練を行っていた。
剣を打ち合わせる音。
号令。
地面を踏み込む足音。
学園の訓練場とは、明らかに空気が違う。
「……すげえ」
カイルが呟いた。
ディーンも、思わず息を呑んでいた。
そのとき。
「……おう!」
豪快な声が響いた。
二人が振り返ると、大柄な男が歩いてきた。
黒髪。
顔に刻まれた傷。
背中には、大剣。
王都騎士団長、ガルド・ヴァレンシュタインだった。
「お前らが、学園から来た連中か!」
カイルとディーンは、慌てて姿勢を正した。
「はい!」
ディーンが答えた。
「王立総合学園のディーンです。本日は、よろしくお願いいたします!」
「カイルです! よろしくお願いします!」
ガルドは、二人を見比べた。
「……おう、元気があっていいな!」
そして、にやりと笑った。
「せっかく来たんだ。しっかり見ていけ!」
その隣に、白い長髪の青年が立っていた。
紫色の瞳。
整った顔立ち。
騎士団副団長、ユリウス・フォン・エーデル。
「……団長」
ユリウスが、静かに口を開いた。
「まずは、施設の説明からです」
「……ん?」
「予定表では、そのようになっています」
ガルドは、一瞬だけ考えた。
「……ああ、そうだったな!」
カイルは、思わず笑いそうになった。
だが、ディーンは真剣な表情のままだった。
ユリウスは、二人へ向き直った。
「本日は、騎士団の訓練と業務について見学していただきます」
落ち着いた声だった。
「ただし、立ち入りが制限されている区域もありますので、指示には従ってください」
「はい!」
二人が答える。
ガルドは、満足そうに頷いた。
「……よし!」
そして、訓練場へ向き直った。
「まずは、うちの連中がどんな訓練をしてるか、見ていけ!」
◇
訓練場では、騎士たちが二人一組で剣を打ち合わせていた。
木剣。
防具。
そして、一定の距離を保ちながら繰り返される攻防。
カイルは、目を輝かせていた。
「……すげえな」
ディーンは、真剣な表情で動きを追っていた。
「……無駄が少ない」
「……分かるのか?」
「少しはな」
ディーンは答えた。
「攻撃だけじゃなく、次の動きまで考えている」
そのとき。
「……おう、そこの二人!」
ガルドが声をかけた。
「せっかくだ。少し、やってみるか?」
カイルが、目を見開いた。
「……いいんですか!?」
「おう!」
ガルドは笑った。
「もちろん、無理のない範囲でな」
ユリウスが、静かに口を開いた。
「団長。学園側からは、見学が主目的と聞いています」
「分かってるって!」
ガルドは、軽く手を振った。
「ちょっとした体験だ!」
ユリウスは、小さく息を吐いた。
「……では、安全を優先してください」
「おう!」
カイルとディーンは、木剣を受け取った。
まずは、ディーン。
相手は、若い騎士だった。
「よろしくお願いします」
ディーンは、丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ」
騎士が答える。
合図とともに、二人が動いた。
ディーンは、慎重に間合いを測った。
相手の動きを見て、剣を振る。
だが。
「……っ!」
次の瞬間、木剣が弾かれた。
ディーンは、慌てて体勢を立て直した。
騎士は、追撃せずに距離を取った。
「……悪くない」
騎士が言った。
「ただ、相手の剣ばかり見ている」
「……はい」
「足と肩も見ろ。動きの始まりは、そこに出ることが多い」
ディーンは、真剣に頷いた。
「……ありがとうございます」
次は、カイルだった。
「……よし!」
カイルは、勢いよく踏み込んだ。
だが、相手の騎士は、簡単にその攻撃を受け流した。
「……うおっ!?」
体勢を崩したカイルは、慌てて足を踏み直した。
騎士が、少しだけ笑った。
「勢いはあるな」
「……ありがとうございます!」
「だが、攻撃の後が無防備だ」
「……うっ」
カイルは、少しだけ肩を落とした。
その様子を見て、ガルドが笑った。
「……ははは!」
そして、二人へ歩み寄った。
「悪くねえぞ!」
ディーンが、顔を上げた。
「……本当ですか?」
「おう!」
ガルドは頷いた。
「まだまだ未熟だが、ちゃんと考えて動こうとしてる」
そして、カイルを見た。
「お前は、もう少し落ち着け!」
「……はい!」
カイルは、苦笑した。
ガルドは、にやりと笑った。
「……だが、勢いがあるのは悪いことじゃねえ」
そして、ディーンへ視線を向けた。
「お前は、考えすぎるところがあるな」
「……はい」
「考えるのは大事だ。だが、戦いの最中に迷いすぎると、動けなくなる」
ディーンは、静かに頷いた。
「……覚えておきます」
ガルドは、満足そうに笑った。
「……よし!」
そして、木剣を手に取った。
「じゃあ、少しだけ見せてやるか!」
ユリウスが、顔を上げた。
「……団長?」
「お前、相手してくれ!」
ユリウスは、一瞬だけ目を瞬かせた。
「……私が、ですか?」
「おう!」
ガルドは、豪快に笑った。
「こいつらに、騎士団の戦い方を見せてやろうぜ!」
ユリウスは、少しだけ息を吐いた。
「……承知しました」
◇
訓練場の中央。
ガルドとユリウスが向かい合った。
周囲の騎士たちも、自然と視線を向ける。
カイルは、思わず身を乗り出した。
「……おい、ディーン」
「……ああ」
二人とも、目を離せなかった。
ガルドが、木剣を構える。
ユリウスも、静かに剣を構えた。
その瞬間。
空気が変わった。
ガルドの足元から、圧力のようなものが広がる。
戦気。
グレイグから学んでいるものと同じ力。
だが、その密度が違った。
「……っ!」
カイルは、思わず息を呑んだ。
ディーンも、拳を握り締めた。
ガルドが、踏み込んだ。
速い。
大柄な体からは想像できないほどの速度だった。
木剣が振り下ろされる。
ユリウスは、最小限の動きで受け流した。
衝撃が、訓練場に響く。
次の瞬間。
ユリウスの剣が、ガルドの脇へ滑り込んだ。
だが、ガルドは体をひねり、その攻撃をかわした。
「……ははっ!」
ガルドが笑う。
「やるじゃねえか!」
「……団長こそ」
ユリウスは、静かに答えた。
再び、二人が動いた。
攻撃。
防御。
そして、反撃。
どちらも、無駄な動きがほとんどなかった。
カイルは、口を開けたままだった。
「……何だよ、これ」
ディーンも、呆然としていた。
「……これが、騎士団長と副団長……」
やがて。
ガルドが、大きく踏み込んだ。
ユリウスは、その動きを読んでいた。
剣を受け流し、横へ回る。
だが。
ガルドは、そこで動きを止めた。
ユリウスの木剣が、ガルドの肩に触れる寸前で止まる。
同時に、ガルドの木剣もユリウスの胴へ向けられていた。
互いに、あと一歩。
そこで、二人は動きを止めた。
「……ここまでだな」
ガルドが言った。
「……はい」
ユリウスが答えた。
訓練場に、拍手が響いた。
カイルとディーンも、夢中で手を叩いていた。
ガルドは、豪快に笑った。
「……どうだ!」
カイルが、勢いよく答えた。
「……すごかったです!」
ディーンも、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました!」
ガルドは、満足そうに頷いた。
その隣で、ユリウスは静かに息を整えていた。
ガルドが、ふと彼を見た。
「……お前、今日は少し動きが硬かったな」
ユリウスは、少しだけ目を瞬かせた。
「……そうでしょうか?」
「おう」
ガルドは頷いた。
「最近、忙しかったからな」
そして、軽くユリウスの肩を叩いた。
「……無理すんなよ」
ユリウスは、一瞬だけ言葉を失った。
だが、すぐに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
ガルドは、気づいていなかった。
その言葉が、ユリウスにとってどれほど嬉しいものだったのか。
◇
見学が終わる頃。
カイルとディーンは、騎士団本部の廊下を歩いていた。
「……なあ、ディーン」
「何だ?」
「……俺、もっと強くなりたい」
カイルが言った。
ディーンは、静かに頷いた。
「……俺もだ」
「……でも、騎士団長って、あんなに強いんだな」
「……ああ」
ディーンは、少しだけ笑った。
「目標が、さらに遠くなった気がする」
カイルは、にやりと笑った。
「……なら、追いつけばいいだろ!」
ディーンは、少しだけ目を見開いた。
そして、笑った。
「……そうだな」
二人は、並んで歩き始めた。
その背中には、朝とは少し違う決意が宿っていた。
◇
午後。
騎士団本部の執務室。
ユリウスは、机の上に置かれた書類を確認していた。
古い検査装置に関する調査。
そして、学園から届いた新たな協力要請。
エミリア失踪事件。
裏門付近の馬車。
そして、手配に関係している可能性がある人物の無断欠勤。
ユリウスは、静かに眉をひそめた。
「……団長」
「……おう?」
ガルドが顔を上げた。
「学園から、正式な協力要請が届きました」
「……例の失踪した生徒の件か?」
「はい」
ユリウスは頷いた。
「学園側の調査で、馬車の手配に関係している可能性がある人物が判明したようです」
ガルドは、腕を組んだ。
「……そいつは、今どこにいる?」
「確認中です」
「……そうか」
ガルドは、少しだけ考えた。
そして、立ち上がった。
「……よし」
ユリウスが、顔を上げた。
「……団長?」
「アイリスに連絡しろ」
ガルドは、静かに言った。
「学園の話を聞いて、必要な確認を進めさせる」
「……承知しました」
ユリウスは、頷いた。
ガルドは、窓の外を見た。
王都の空は、穏やかだった。
だが、そのどこかで、一人の少女が行方不明になっている。
「……無事だといいがな」
ガルドが、小さく呟いた。
ユリウスは、静かに頷いた。
「……はい」
◇
夕方。
王都の外れ。
古い石造りの建物。
エミリアは、部屋の中で身支度をしていた。
あの教師から、移動すると告げられたのは昨夜のことだった。
どこへ行くのか。
何のために移るのか。
何も教えてもらえない。
ただ、準備をするように言われただけだった。
「……どうしよう」
エミリアは、小さく呟いた。
机の上には、あの金属片が置かれていた。
細い線と点のような刻印。
昨日、淡く光ったものだ。
彼女は、そっと手を伸ばした。
だが、今度は何も起こらなかった。
「……何なの、これ」
エミリアは、眉をひそめた。
そのとき。
廊下から、足音が聞こえた。
鍵が回る。
扉が開いた。
教師が、部屋へ入ってきた。
「……準備はできましたか?」
エミリアは、顔を上げた。
「……はい」
教師は、静かに頷いた。
「では、行きましょう」
エミリアは、立ち上がった。
そして、恐る恐る尋ねた。
「……あの」
「……何でしょう?」
「……私、いつ学園に戻れるんですか?」
教師は、少しだけ考えた。
「……必要な確認が終われば」
「……いつですか?」
エミリアは、声を震わせた。
「……もう、何日もここにいるんです」
教師は、何も答えなかった。
エミリアは、拳を握り締めた。
「……私、帰りたいんです」
その言葉に、教師は少しだけ目を細めた。
「……分かっています」
だが、その声には、何の感情も感じられなかった。
エミリアは、ゆっくりと視線を落とした。
そして、机の上の金属片を見つめた。
このまま連れていかれたら、二度と戻れないかもしれない。
その恐怖が、胸の奥に広がっていった。
彼女は、そっと金属片へ手を伸ばした。
教師が、扉の方へ視線を向けた、その一瞬。
エミリアは、金属片を手の中に隠した。
そして、静かに歩き出した。
何かできるかもしれない。
今は、それだけが希望だった。
建物の外では、馬車が待っていた。
夜の王都へ向けて、車輪がゆっくりと動き始めようとしていた。




