空白の搬入記録
王立総合学園の朝は、いつもどおりの喧騒に包まれていた。
けれど、俺――シオン・クレイヴェルには、どうしても気になることがあった。
エミリアが姿を消してから、五日目。
学園側は調査を続けているが、まだ本人の所在は確認できていない。
昨日、カイルたちから聞いた話では、交流会当日の裏門付近に馬車が停まっていた可能性があるらしい。
そして、学園の搬入記録には、搬入先が空欄の車両が一台記されていた。
ただし、それがエミリアの失踪と関係しているかどうかは分からない。
「……シオン」
隣から声がした。
振り返ると、ヴィオレッタ・ローゼンベルクが立っていた。
「おはよう、ヴィオレッタ」
「おはようございます」
彼女は柔らかく微笑んだ。
だが、俺の顔を見ると、少しだけ眉を下げた。
「……また、考え事をされていたのですか?」
「……分かる?」
「ええ」
ヴィオレッタは、小さく笑った。
「最近、よくそのようなお顔をされていますから」
俺は、少しだけ苦笑した。
「……エミリアのことが気になってさ」
「……そうですね」
ヴィオレッタは、静かに頷いた。
「私も、気になっています」
少しの沈黙。
やがて、彼女が口を開いた。
「……シオン」
「ん?」
「以前、お茶をご一緒したいとお話ししましたよね」
「ああ」
俺は頷いた。
「もちろん、覚えてるよ」
ヴィオレッタは、少しだけ頬を赤らめた。
「……では、エミリアさんのことが落ち着いたら、ぜひ」
「……うん」
俺は、微笑んだ。
「楽しみにしてる」
その言葉に、ヴィオレッタの表情が明るくなった。
「……私もです」
そのとき。
「……ヴィオレッタ様」
セシリアが教室へ入ってきた。
「おはようございます」
「おはよう、セシリア」
ヴィオレッタが答える。
セシリアは、俺たちを見て少しだけ微笑んだ。
「……お二人とも、楽しそうですね」
「……え?」
ヴィオレッタが、少しだけ慌てた。
「い、いえ……その……」
俺も、何となく視線を逸らした。
セシリアは、それ以上何も言わなかった。
ただ、どこか満足そうに微笑んでいた。
◇
同じ頃。
王立総合学園の教務棟。
教務担当者は、机の上に置かれた書類を見つめていた。
交流会当日の搬入記録。
裏門付近に停車予定だった車両。
そして、搬入先が空欄になっている一件。
昨日、担当部署へ照会した結果が届いていた。
「……これは」
担当者は、少しだけ眉をひそめた。
書類には、車両を手配した業者の名前が記されていた。
王都の運送業者。
普段から学園への物品搬入を請け負っている会社だった。
ただし、問題はそこではない。
その日の搬入予定について、業者側の記録には別の内容が記されていた。
「……荷物の搬入ではない?」
担当者は、小さく呟いた。
業者側の控えには、荷物の種類が記されていなかった。
代わりに、車両の用途として「送迎」と記されている。
教務担当者は、すぐに別の職員を呼んだ。
「……この業者へ、確認をお願いします」
「……何をでしょうか?」
「交流会当日、裏門付近に配車された車両についてです」
担当者は、書類を示した。
「誰の依頼で、何のために手配されたのか。確認してください」
「……承知しました」
職員は、書類を受け取って部屋を出た。
教務担当者は、静かに息を吐いた。
搬入記録に記された車両。
業者側では、送迎として扱われている。
それだけで不審な車両だと決めつけることはできない。
交流会の日には、来賓や関係者の送迎も行われていたからだ。
だが、搬入先が空欄だった理由については、確認する必要があった。
◇
昼休み。
王都騎士団の本部。
アイリス・フェルディアは、書類を抱えて廊下を歩いていた。
王立魔導技術院へ届ける資料だった。
古い検査装置に関する追加記録。
そして、フィオナ・リュミエールから依頼されていた、当時の管理部署に関する情報。
「……これで、少しは進むといいけど」
アイリスは、小さく呟いた。
フィオナは、ここ数日ずっと金属板の分析を続けている。
魔力の量。
流す間隔。
回路の反応。
その一つ一つを丁寧に調べているらしい。
研究に集中すると、時間を忘れてしまうこともあると聞いていた。
「……ちゃんと食事してるのかな」
アイリスは、ふとそんなことを考えた。
そして、自分で少し驚いた。
仕事上の連絡相手。
それ以上の関係ではない。
少なくとも、今は。
だが、最近はフィオナのことが妙に気になっていた。
研究が進んでいるかどうかだけではない。
疲れていないか。
無理をしていないか。
そんなことまで考えてしまう。
「……何を考えてるんだろう、私」
アイリスは、小さく苦笑した。
そして、技術院へ向かった。
◇
王立魔導技術院。
フィオナは、机の上に置かれた金属板を見つめていた。
細い線と点のような刻印。
そして、魔力を分岐させる特殊な回路。
昨日の実験では、魔力の量だけでなく、流す間隔によっても反応が変化することが確認された。
だが、その用途はまだ分からない。
「……やっぱり、何かの条件を見ているような……」
フィオナは、小さく呟いた。
そのとき。
扉が叩かれた。
「……フィオナさん」
アイリスの声だった。
「はい、どうぞ」
扉が開く。
アイリスが、書類を抱えて入ってきた。
「お疲れさまです」
「アイリスさん」
フィオナは、顔を上げた。
「お疲れさまです」
アイリスは、机の上に書類を置いた。
「騎士団から、追加の資料を預かってきました」
「ありがとうございます」
フィオナは、嬉しそうに微笑んだ。
「ちょうど、確認したいことがあったんです」
「……また研究ですか?」
アイリスは、少しだけ苦笑した。
「……え?」
「フィオナさん、今日はちゃんと食事を取りました?」
フィオナは、少しだけ固まった。
「……えっと」
「……まさか」
「……朝は、食べました」
アイリスは、静かに息を吐いた。
「……今、もう昼過ぎですよ」
「……そうでしたね」
フィオナは、少しだけ困ったように笑った。
「研究に集中してしまって……」
アイリスは、しばらく彼女を見つめた。
そして、少しだけ微笑んだ。
「……よかったら、一緒に食事に行きませんか?」
フィオナが、目を瞬かせた。
「……私と、ですか?」
「はい」
アイリスは頷いた。
「ちょうど、私もまだなので」
フィオナは、少しだけ考えた。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……ぜひ」
その答えに、アイリスも笑った。
「では、行きましょう」
フィオナは、机の上の資料を丁寧に片づけた。
研究室を出る直前。
彼女は、ふとアイリスへ視線を向けた。
「……アイリスさん」
「はい?」
「ありがとうございます」
「……何がですか?」
「……気にかけてくださって」
アイリスは、少しだけ驚いた。
そして、微笑んだ。
「……どういたしまして」
二人は、並んで廊下を歩き始めた。
◇
午後。
王都騎士団の執務室。
ガルド・ヴァレンシュタインは、机の上の書類を眺めていた。
「……で、例の担当者は?」
ユリウス・フォン・エーデルが答えた。
「明後日の面会予定に変更はありません」
「……そうか」
ガルドは、腕を組んだ。
「それまでに、何か準備しておくことはあるか?」
「確認事項を整理しています」
ユリウスは、書類を示した。
「当時の管理部署の変更理由、実物の移動記録、そして装置の最終的な所在についてです」
「……なるほどな」
ガルドは、静かに頷いた。
そして、ふとユリウスを見た。
「……お前、ちゃんと休んでるか?」
ユリウスは、少しだけ目を瞬かせた。
「……はい?」
「最近、ずっと書類とにらめっこしてるだろ」
「……仕事ですので」
「だからって、無理する必要はねえ」
ガルドは、少しだけ眉をひそめた。
「お前が倒れたら、俺が困る」
ユリウスは、言葉を失った。
「……団長」
「……何だ?」
「……いえ」
ユリウスは、少しだけ視線を逸らした。
「お気遣い、ありがとうございます」
ガルドは、豪快に笑った。
「当たり前だろ!」
ユリウスは、小さく息を吐いた。
その頬が、わずかに赤くなっていたことに、ガルドは気づかなかった。
◇
夕方。
王立総合学園の教務棟。
教務担当者のもとへ、運送業者からの回答が届いた。
交流会当日。
裏門付近へ配車された車両。
その手配について、業者側の記録が確認されたのだ。
「……依頼者は?」
担当者が尋ねた。
報告に来た職員は、書類を差し出した。
「……学園の関係者名義になっています」
担当者は、顔を上げた。
「……関係者?」
「はい」
職員は頷いた。
「ただし、学園の正式な送迎依頼として処理された記録は見つかっていません」
担当者は、少しだけ眉をひそめた。
「……つまり、個別に手配された可能性がある?」
「その可能性があります」
職員は答えた。
「ただ、依頼者本人が手配したかどうかは、まだ確認できていません」
担当者は、静かに頷いた。
「……分かりました」
そして、書類へ視線を落とした。
そこには、依頼者として一人の名前が記されていた。
学園に所属する人物だった。
ただし、その人物が実際に馬車を手配したのか。
エミリアの失踪に関係しているのか。
まだ、何も分からない。
「……本人に確認する必要がありますね」
担当者は、静かに言った。
職員が頷いた。
「……はい」
そのとき。
扉が叩かれた。
「……失礼します」
別の職員が、少し慌てた様子で入ってきた。
「……どうしました?」
「……先ほどの件ですが」
職員は、少しだけ息を整えた。
「依頼者として記録されている人物について、確認したところ……」
教務担当者は、顔を上げた。
「……何か?」
職員は、静かに答えた。
「……本日、学園へ出勤していません」
担当者は、少しだけ眉をひそめた。
「……欠勤ですか?」
「……はい」
職員は頷いた。
「ただし、欠勤の連絡は届いていません」
部屋に、沈黙が落ちた。
教務担当者は、机の上の書類を見つめた。
エミリアの失踪。
裏門付近に停車していた馬車。
そして、その手配に関係している可能性がある人物の無断欠勤。
それぞれが、同じ事件につながっているとは限らない。
だが、これ以上、学園内部だけで調査を進めるべきではない。
「……騎士団へ連絡してください」
担当者が、静かに言った。
「正式に、協力を要請します」
職員は、頷いた。
「……承知しました」
◇
夜。
王都の外れにある古い石造りの建物。
エミリアは、机の上に置かれた金属片を見つめていた。
細い線と点のような刻印。
昨日、淡く光ったものだ。
あの教師は、今日も同じことを尋ねてきた。
何か感じるか。
何か分かるか。
だが、エミリアには何も答えられなかった。
いや。
正確には、答えたくなかった。
あの光を見たことを伝えれば、何かが変わってしまう。
そんな気がしていた。
「……帰りたい」
エミリアは、小さく呟いた。
そのとき。
廊下から、足音が聞こえた。
扉の前で、誰かが立ち止まる。
鍵が回る音。
扉が開いた。
教師が、部屋へ入ってきた。
「……エミリアさん」
穏やかな声だった。
「少し、お話しがあります」
エミリアは、顔を上げた。
「……何ですか?」
教師は、静かに答えた。
「……ここを移ることになりました」
エミリアは、目を見開いた。
「……え?」
「準備をしてください」
「……どこへ?」
教師は、答えなかった。
ただ、静かに微笑んだ。
「……心配はいりません」
エミリアは、震える手を握り締めた。
心配はいらない。
何度も聞いた言葉だった。
だが、今はもう、その言葉を信じることができなかった。
窓の外では、夜の闇が静かに広がっていた。
そして、遠くで馬車の車輪が石畳を踏む音が聞こえた。
エミリアは、ゆっくりと顔を上げた。
このまま連れていかれたら、二度と学園へ戻れないかもしれない。
その恐怖が、胸の奥に広がっていった。
彼女は、机の上の金属片を見つめた。
そして、誰にも気づかれないように、そっと手を伸ばした。
――何か、できることはないだろうか。
初めて、逃げるための方法を考え始めていた。
王都の夜は、静かに更けていった。




