交わり始める足跡
木剣がぶつかる音が、朝の訓練場に響いた。
「おらあっ!」
カイルの振り下ろした木剣を、ディーンが斜めに受け流す。
勢いを殺しきれなかった剣先が、砂地をかすめた。
その隙に、ディーンが踏み込む。
「もらった!」
突き出された木剣。
だが、カイルは笑っていた。
「甘いって!」
身体をひねり、突きをかわす。
そのまま横薙ぎの一撃。
ディーンは慌てて剣を戻した。
乾いた衝突音が響く。
「くっ……!」
「どうした、ディーン! 今日は調子悪いのか?」
「お前が無駄に元気なんだ!」
ディーンが押し返す。
カイルは一歩下がり、再び地面を蹴った。
だが、その瞬間。
「そこまで!」
グレイグ・ハルバート先生の声が響いた。
二人の動きが止まる。
「カイル」
「はい!」
「最後の踏み込み、足元を見ろ」
カイルは自分の足元を見た。
右足が大きく前に出ている。
体重も完全に前へ流れていた。
「……あ」
「その状態で相手にかわされたら、どうなる?」
「……反撃を受けます」
「分かっているなら、直せ」
グレイグ先生は、次にディーンへ視線を向けた。
「ディーン。お前は相手の動きをよく見ている。だが、慎重になりすぎだ」
「……はい」
「確実な機会を待つのは悪くない。だが、相手が機会を与えてくれるとは限らん」
ディーンは木剣を握り直した。
「……分かりました」
「二人とも、以前よりは戦気の制御が安定してきた」
その言葉に、カイルが顔を上げた。
「本当ですか!」
「ああ。だが、まだ力を込めることと、戦気を扱うことを混同している」
グレイグ先生は木剣を一本手に取った。
「見ていろ」
先生が静かに構える。
次の瞬間、踏み込んだ。
派手な動きではない。
それなのに、剣が振り抜かれるまでの一連の動作には、まったく無駄がなかった。
空気を切り裂く鋭い音が響く。
「……すげえ」
カイルが呟いた。
「今の動き、ほとんど力んでなかった……」
ディーンも目を見開いていた。
グレイグ先生は木剣を下ろした。
「戦気は、ただ力を増やすためのものではない。身体の動きと合わせ、必要な瞬間に必要なだけ使う」
そして、二人を見た。
「カイルは力の使いどころを考えろ。ディーンは判断したら迷うな」
「はい!」
二人の返事が重なった。
グレイグ先生は満足そうに頷いた。
「よし。もう一本だ」
「……えっ」
カイルが目を丸くする。
「先生、今ので終わりじゃ……」
「まだ朝だぞ?」
「……ですよね!」
カイルは笑いながら木剣を構えた。
ディーンも、少しだけ口元を緩める。
「今度は負けないぞ」
「こっちの台詞だ!」
二人は再び向かい合った。
◇
訓練が終わった頃には、太陽がずいぶん高くなっていた。
カイルとディーンは、訓練場の隅に腰を下ろしていた。
「……腹減った」
カイルが呟く。
「お前、さっき朝飯を二人分食べてなかったか?」
ディーンが呆れたように言った。
「動いたら減るだろ」
「限度がある」
そんな会話を交わしていたとき、カイルがふと真面目な顔になった。
「……なあ、ディーン」
「何だ?」
「エミリアの件、どうなったんだろうな」
ディーンの表情が変わった。
昨日、二人は教務棟へ出向いていた。
学園交流会の夕方、カイルが裏門付近でエミリアを見かけたこと。
彼女が教員らしい人物と一緒にいたこと。
そして、その人物が周囲を何度か振り返っていたこと。
覚えている限りの事実を、教務担当者へ伝えた。
「……まだ連絡はないな」
ディーンが答えた。
「学園側で確認しているんだろう」
「でもさ」
カイルは膝に肘をついた。
「あのとき、もうちょっとちゃんと見ておけばよかった」
「それは結果論だ」
「……そうだけど」
「お前は、エミリアが行方不明になると知らなかった。何の理由もなく、教員と歩いている生徒を追いかける方がおかしい」
ディーンの言葉に、カイルは少し黙った。
「……確かにな」
「今できるのは、聞かれたことに正確に答えることだ」
「分かってる」
カイルは小さく息を吐いた。
「ただ、何か引っかかるんだよな」
「……何が?」
「うまく言えない」
カイルは、しばらく考えた。
「エミリアの方は、そんなに急いでる感じじゃなかったんだ。むしろ、先生の方が急いでるように見えた」
ディーンは顔を上げた。
「……それは昨日も話したか?」
「いや。今、思い出した」
「なら、追加で伝えよう」
「また教務棟か?」
「当然だろ」
ディーンは立ち上がった。
「ただし、見えたことだけだ。相手が怪しい人物だったと決めつけるなよ」
カイルも立ち上がる。
「分かってるって」
そして、少し笑った。
「お前、最近シオンみたいなこと言うな」
「……それは褒めてるのか?」
「もちろん!」
ディーンは苦笑した。
二人は木剣を片づけると、教務棟へ向かった。
◇
同じ頃。
王立魔導技術院の一室では、フィオナ・リュミエールが机に向かっていた。
机の上には、薄い金属板が置かれている。
表面には、細い線と点のような刻印。
そして、その周囲には複雑な魔導回路が組み込まれていた。
フィオナは拡大鏡を動かし、回路の接続部分を確認した。
「……やっぱり、ここで分かれてる」
彼女は小さく呟いた。
以前から調べている金属板だった。
古い検査装置に関係すると考えられる部品。
ただし、どの装置のどの部分に取り付けられていたのかは、まだ確認できていない。
分かっているのは、通常の検査回路とは異なる経路が存在することだけだった。
魔力の流れを測定するための回路。
そして、その途中から別方向へ延びる、もう一つの経路。
「……測定値を変えるため?」
フィオナは首を傾げた。
「それとも、余分な魔力を逃がすため……?」
どちらも、可能性としては考えられる。
だが、実際の動作を確認しない限り、断定はできない。
彼女は机の端に置かれた記録を手に取った。
そこには、元職人オルド・バッケンから得られた情報が整理されている。
西門の保管庫に置かれていた古い検査装置。
その装置は、ある時期に保管庫から移されていた。
帳簿上では王室管理の物品として扱われ、その後、王立魔導技術院へ貸与されたことになっている。
さらに、使用不能として帳簿から除かれた記録が残っていた。
だが、処分を裏づける記録は見つかっていない。
「……装置そのものが、どこにあるか分からない」
フィオナは、ため息をついた。
記録上の移動と、実際の移動。
その二つが一致している保証はない。
そして、目の前の金属板がその装置に使われていたかどうかも、まだ証明できていない。
「……先に、管理記録を突き合わせないと」
彼女は、新しい用紙を取り出した。
検査装置の移動記録。
貸与先の記録。
帳簿から除かれた際の記録。
そして、金属板の回路構造。
それぞれを分けて整理する。
調査を進めるためには、分かっていることと、推測していることを混同してはいけない。
フィオナは、そのことをよく理解していた。
しばらくして、扉が叩かれた。
「フィオナさん」
顔を出したのは、アイリス・フェルディアだった。
青い髪を短く整えた女性騎士。
王都騎士団から、調査に関する連絡を届けに来たのだ。
「アイリスさん」
フィオナは顔を上げた。
「ちょうどよかったです」
「何か分かりましたか?」
「いくつか確認したいことが出てきました」
フィオナは、机の上の記録を示した。
「この検査装置、帳簿上では技術院へ貸与されたことになっています。でも、当時の受入記録がまだ見つかっていないんです」
「……受入記録が?」
「はい。少なくとも、今確認できる台帳にはありません」
アイリスは、少し眉をひそめた。
「それは、装置が届いていなかったということですか?」
「そこまでは言えません」
フィオナは首を振った。
「記録が別の部署に残っている可能性もありますし、古い帳簿がまだ整理されていないだけかもしれません」
「……なるほど」
「ただ、確認する必要はあります」
フィオナは、もう一枚の用紙を差し出した。
「それと、この金属板についても、もう少し調べたいことがあります」
アイリスは、机の上の金属板を見た。
「……例の回路ですね」
「はい。魔力を別の経路へ流す構造があることは確認できました。でも、それが何のためのものなのかは、まだ分かりません」
「……検査結果を偽装するため、という可能性は?」
「あります」
フィオナは、慎重に答えた。
「でも、それ以外の用途も考えられます。現時点では、どちらとも言えません」
アイリスは頷いた。
「分かりました。ガルド団長とユリウス副団長に、そのままお伝えします」
「お願いします」
フィオナは、少しだけ微笑んだ。
「あと、できれば当時の管理担当者が誰だったのかも確認していただけると助かります」
「承知しました」
アイリスは書類を受け取った。
「……フィオナさん」
「はい?」
「この件、思っていたより複雑になりそうですね」
フィオナは、金属板へ視線を落とした。
「……そうですね」
そして、静かに続けた。
「でも、分からないことが多いからこそ、一つずつ確かめるしかありません」
◇
午後。
王都騎士団の本部。
執務室には、ガルド・ヴァレンシュタインとユリウス・フォン・エーデルがいた。
机の上には、数冊の帳簿と報告書が並んでいる。
「……で、どうなんだ?」
ガルドが尋ねた。
ユリウスは、手元の書類から顔を上げた。
「西門保管庫から移された検査装置について、記録を整理しました」
「おう」
「現時点で確認できているのは、保管庫からの移動、王室管理物品としての扱い、技術院への貸与、そして帳簿上の除却です」
「……最後のやつが怪しいんだったな」
「はい」
ユリウスは頷いた。
「ただし、記録が欠けていることだけで、不正があったとは断定できません」
「分かってる」
ガルドは腕を組んだ。
「だが、装置がどこへ行ったのか分からねえのは事実だ」
「そのとおりです」
ユリウスは、別の書類を示した。
「現在、当時の管理担当者と、貸与に関する承認経路を確認しています」
「……王宮にも照会する必要があるか」
「はい。ただ、正式な照会には手続きが必要です」
ガルドは、少しだけ顔をしかめた。
「面倒だな」
「面倒でも、必要です」
ユリウスは即答した。
「証拠を集める前に王宮の関係者を疑えば、こちらの調査自体が問題になります」
「……分かってるって」
ガルドは苦笑した。
「お前がいると、勝手なことができねえな」
「それが副団長の仕事ですので」
ユリウスは涼しい顔で答えた。
だが、ガルドは少し笑った。
「……助かってるぜ」
「……え?」
「お前がいなかったら、俺はとっくに誰かを捕まえて話を聞きに行ってる」
「……それは困ります」
「だろ?」
ガルドは豪快に笑った。
ユリウスは、少しだけ目を伏せた。
「……まったく」
その頬が、わずかに赤くなっていたことに、ガルドは気づかなかった。
そのとき、扉が叩かれた。
「失礼します」
アイリスが入ってきた。
「団長、副団長。フィオナさんから追加の報告を預かってきました」
「おう。ご苦労」
ガルドが答える。
アイリスは机の上に書類を置いた。
ユリウスが内容を確認する。
「……技術院の受入記録が、まだ確認できていない?」
「はい」
アイリスが答えた。
「ただし、フィオナさんは記録の不存在までは断定できないとおっしゃっていました」
「……妥当な判断ですね」
ユリウスは頷いた。
そして、金属板の分析に関する記述へ目を移す。
「魔力を分岐させる回路……」
「そっちは、まだ用途が分からねえんだったな」
ガルドが尋ねた。
「はい」
アイリスは答えた。
「検査値の操作に使われた可能性もありますが、現時点では推測の域を出ません」
ガルドは、しばらく考え込んだ。
「……よし」
そして、ユリウスへ視線を向けた。
「装置の行方を追うのは続ける。管理記録と実物、両方だ」
「承知しました」
「フィオナには、無理のない範囲で分析を続けてもらおう」
「はい」
ユリウスは書類を整理した。
「それと、団長」
「何だ?」
「王立総合学園から、別件で連絡が来ています」
「……学園?」
ガルドが眉を上げた。
「武術科の学生を対象とした、騎士団施設の見学依頼です」
「ほう」
ガルドの表情が明るくなった。
「面白そうじゃねえか」
「そうですね」
「訓練も見せてやるか」
ユリウスは、少しだけ嫌な予感を覚えた。
「……団長」
「何だ?」
「学生相手に、普段の訓練をそのまま行わないでください」
「……何でだよ」
「負傷者が出ます」
「そこまでひどくねえだろ!」
アイリスが、思わず小さく笑った。
ガルドは二人を見た。
「……お前ら、俺を何だと思ってるんだ?」
「騎士団長です」
ユリウスが答えた。
「だからこそ、学生の安全にも責任を持っていただきたいのです」
ガルドは、少しだけ黙った。
そして、笑った。
「……分かったよ」
ユリウスは、ようやく安堵したように息を吐いた。
◇
夕方。
王立総合学園の教務棟。
カイルとディーンは、教務担当者に追加の話を伝え終えていた。
「……ありがとうございました」
担当者が、二人に頭を下げた。
「新しい情報があれば、また知らせてください」
「はい」
ディーンが答えた。
カイルも頷く。
「分かりました」
教務棟を出ると、二人は並んで歩き始めた。
「……なあ」
カイルが言った。
「先生たち、エミリアを見つけられるかな」
「……分からない」
ディーンは正直に答えた。
「でも、俺たちが報告したことで、確認できることは増えたはずだ」
「……そうだな」
カイルは、少しだけ空を見上げた。
「早く見つかるといいな」
「ああ」
二人が中央校舎へ向かう途中。
向こうから、シオンたちが歩いてきた。
「……あれ、カイル?」
シオンが声を上げる。
「おう!」
カイルは手を上げた。
シオンの隣には、エリオットとリシアがいた。
「二人とも、教務棟に行ってたの?」
エリオットが尋ねた。
「ああ」
ディーンが答えた。
「昨日の件で、追加の報告をしてきた」
シオンの表情が、少しだけ真剣になった。
「……何か思い出したのか?」
「少しだけな」
カイルは、昨日の夕方に見たことを説明した。
教員らしい人物。
裏門付近。
そして、その人物が周囲を何度か振り返っていたこと。
リシアは、静かに聞いていた。
「……それで、誰だったのかは?」
「分からない」
ディーンが答えた。
「だから、見たことだけを伝えた」
シオンは頷いた。
「……それがいいと思う」
カイルが、少しだけ笑った。
「お前も同じこと言うんだな」
「……何が?」
「ディーンも、同じこと言ってた」
シオンは、ディーンを見た。
ディーンは、少しだけ肩をすくめた。
「昨日の騒動を見れば、誰だってそう思うだろ」
「……確かにな」
シオンは苦笑した。
エリオットが、少し考えるように口を開いた。
「でも、先生と一緒だったなら、相談してた可能性もあるよね」
「そうね」
リシアが頷いた。
「だからこそ、相手が誰だったのか確認する必要があるわ」
シオンは、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……エミリアが自分の意思で学園を離れたとしても、無事かどうかは別の問題だ」
カイルが頷いた。
「……そうだよな」
ディーンは、少しだけ眉をひそめた。
「ただ、俺たちが勝手に動くのは危険だ」
「分かってる」
シオンは答えた。
「今は、学園側の調査を待とう」
その言葉に、全員が頷いた。
◇
同じ頃。
王都の外れにある古い石造りの建物。
エミリアは、小さな部屋の扉を見つめていた。
昨日から、何度も開けようとしている。
だが、扉には鍵がかかっていた。
「……どうして」
彼女は、小さく呟いた。
最初は、少し休むだけだと思っていた。
学園で起きた騒動から離れ、落ち着くための場所。
あの教師は、そう説明していた。
だが、今は違う。
自由に外へ出ることができない。
学園へ戻りたいと言っても、明確な返事はない。
窓から見えるのは、古い建物の壁ばかりだった。
「……先生」
エミリアは、扉を叩いた。
「お願いです。話をさせてください」
しばらくして、足音が近づいてきた。
鍵が回る音。
扉が開いた。
そこには、昨日の教師が立っていた。
「……どうしました?」
穏やかな声だった。
だが、エミリアには、その穏やかさがかえって恐ろしく感じられた。
「……帰りたいんです」
彼女は、震える声で言った。
「学園に戻って、ちゃんと話を……」
「今は、戻らない方がいいでしょう」
教師は、静かに答えた。
「……でも」
「あなたは、まだ混乱しています」
「……違います」
エミリアは、首を振った。
「私、ちゃんと謝りたいんです」
教師の表情が、わずかに変わった。
「……謝る?」
「はい」
エミリアは、唇を噛んだ。
「ヴィオレッタ様に……それから、殿下にも」
自分がしたこと。
自分が言ったこと。
すべてを、なかったことにはできない。
それでも。
逃げ続けるわけにはいかない。
エミリアは、そう思い始めていた。
「……私、間違ってました」
小さな声だった。
「ヴィオレッタ様が何かしたところなんて、見ていなかったのに……」
教師は、黙って聞いていた。
「……殿下に嫌われたくなくて」
エミリアの目に、涙が浮かぶ。
「……だから、私……」
言葉が続かなかった。
教師は、しばらく沈黙した。
そして、静かに言った。
「……そうですか」
エミリアは顔を上げた。
「……先生?」
「少し、考える時間が必要なようですね」
「……え?」
「今日は、ゆっくり休んでください」
教師は、そう言って扉へ向かった。
「……待ってください!」
エミリアが叫ぶ。
「帰してくれるんですか!?」
教師は、振り返らなかった。
「……今は、まだ」
扉が閉まる。
鍵の音が響いた。
エミリアは、その場に立ち尽くした。
そして、ゆっくりと床に座り込んだ。
「……どうして……」
誰も答えなかった。
◇
夜。
王都騎士団の執務室。
ユリウスは、一人で書類を整理していた。
机の上には、検査装置に関する記録が並んでいる。
保管庫からの移動。
王室管理物品としての登録。
技術院への貸与。
そして、帳簿上の除却。
それぞれの記録には、日付と担当部署が記されていた。
だが、すべてをつなぐには、まだ資料が足りない。
「……装置が実際にどこへ移されたのか」
ユリウスは、小さく呟いた。
帳簿上の処理が正しくても、実物が同じように動いたとは限らない。
逆に、実物が移動していても、記録が後から整理された可能性もある。
どちらも、今は確かめられていない。
彼は、フィオナから届いた報告書を手に取った。
金属板の回路についての分析。
魔力を分岐させる構造。
用途は不明。
検査装置との直接的な関係も未確認。
「……まだ、つながらない」
ユリウスは、静かに息を吐いた。
そのとき、扉が開いた。
「……まだやってたのか」
ガルドだった。
「団長」
ユリウスは立ち上がろうとした。
「いい。座ってろ」
ガルドは、机の上の書類を見た。
「……例の装置か」
「はい」
「進んでるか?」
「少しずつは」
ユリウスは答えた。
「ただ、決定的なものはまだありません」
「……そうか」
ガルドは、しばらく書類を眺めていた。
そして、椅子を引いて座った。
「……団長?」
「俺も見る」
「……ですが」
「お前一人で抱える必要はねえだろ」
ユリウスは、少しだけ目を見開いた。
ガルドは、机の上の帳簿を手に取った。
「俺は細けえ数字を見るのは得意じゃねえけどな」
そして、にやりと笑った。
「人の顔を見て話を聞くのは、得意だ」
ユリウスは、思わず小さく笑った。
「……それは、存じております」
「だろ?」
ガルドは、豪快に笑った。
ユリウスは、少しだけ視線を落とした。
そして、静かに言った。
「……ありがとうございます、団長」
「礼を言うほどのことか?」
「……いえ」
ユリウスは、微笑んだ。
「ですが、助かります」
ガルドは、何も気づかない様子で書類へ目を戻した。
ユリウスも、再び報告書を開いた。
窓の外では、王都の灯りが静かに揺れている。
学園では、一人の少女が姿を消していた。
騎士団では、行方の分からない古い検査装置を追っていた。
そして、王立魔導技術院では、用途の分からない魔導回路の分析が続いている。
それぞれの調査は、まだ別々のものだった。
だが、いずれも答えにはたどり着いていない。
王都の夜は、何事もないように更けていった。




