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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

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沈黙を破る職人

 男は、新聞を三度読み返した。


『東区送水装置事故――少年、落下物から間一髪で救出』


 王都の外れにある古い宿屋。


 狭い部屋の窓からは、朝の光が差し込んでいる。


 机の上には、昨日買った新聞と、使い古された工具袋が置かれていた。


 男の名は、オルド・バッケン。


 かつて魔導設備の検査会社に勤めていた職人だった。


 今は王都の外で小さな修理仕事を請け負い、必要なときだけ街へ戻っている。


「……子どもがいたのか」


 オルドは、かすれた声で呟いた。


 記事には、破損した配管から落下した支柱が少年を直撃しかけたこと、魔導騎士団の副団長が障壁で救ったことが書かれていた。


 少年に大きな怪我はなかったらしい。


 その一文を読んで、安堵した。


 だが、すぐに別の感情が湧いてきた。


 もし、騎士が間に合わなかったら。


 もし、次の事故では誰も助けられなかったら。


 オルドは新聞を伏せた。


「……俺には関係ねえ」


 そう呟いてみた。


 だが、言葉は空しく響いた。


 十数年前。


 まだ若かったオルドは、ある検査会社で働いていた。


 古い魔導設備の点検や修理を請け負う、ごく普通の会社だった。


 その会社で、ある夜、妙な仕事を任された。


 廃棄予定の検査装置を運び出す仕事だ。


 昼間ではなく、夜。


 廃棄場ではなく、別の場所へ。


 運搬記録には、実際とは違う品名を書くよう指示された。


 当時のオルドは、不審に思った。


 だが、何も尋ねなかった。


 仕事を失いたくなかったからだ。


 その頃、妻は病気がちで、幼い息子もいた。


 家族を養うためには、多少おかしな仕事でも断れなかった。


 結局、その仕事から間もなく、オルドは会社を辞めた。


 自分の意思だけではない。


 あの夜のことを口にしないよう、遠回しに釘を刺されたことも理由だった。


 それから十数年。


 あの装置が何に使われたのか、オルドは知らない。


 今回の事故と関係している証拠もない。


 それでも。


 新聞に書かれた少年の年齢を見たとき、胸の奥が冷たくなった。


 自分の息子も、かつてはあれくらいの年齢だった。


 今では成人し、別の街で暮らしている。


「……あいつだったら」


 オルドは、そこで言葉を止めた。


 机の端には、もう一枚の紙があった。


 昔の同僚から届いた短い手紙だ。


『昨日、魔導騎士団の人間が来た。昔の検査装置について聞かれた。お前のことも話した』


 オルドは、その手紙を手に取った。


 騎士団が、あの装置を調べている。


 十数年前の出来事を、今になって。


 それは偶然なのか。


 それとも、今回の事故と繋がっているのか。


 分からない。


 だが、今なら話を聞いてもらえるかもしれない。


 オルドは、工具袋を開いた。


 中から、小さな金属片を取り出す。


 親指ほどの大きさ。


 表面には、短い線と点を組み合わせた印が刻まれている。


 あの夜、運搬作業の途中で落ちていたものだ。


 捨てようと思ったことは何度もある。


 それでも、捨てられなかった。


「……俺が運んだものと、関係ねえかもしれねえ」


 オルドは、誰にともなく呟いた。


「でも……」


 新聞の見出しへ視線を戻す。


「……次は、助からねえかもしれねえんだ」


 長い沈黙の後、オルドは羽根ペンを取った。


 そして、魔導騎士団宛の手紙を書き始めた。


     ◇


「三日間、ですか」


 ユリウス・フォン・エーデルは、届いた文書を読み終えると、静かに目を細めた。


 魔導騎士団本部の執務室。


 窓の外では、朝の陽光が王都の屋根を照らしている。


 机の向こうでは、ガルド・ヴァレンシュタインが腕を組んでいた。


「……どういうことだ?」


「王都設備管理局からの通知です」


 ユリウスは、文書を机へ置いた。


「東区の送水装置について、騎士団による追加の立ち入り調査を三日間保留するとのことです」


「……は?」


 ガルドの眉が跳ね上がった。


「事故が起きたばかりだぞ?」


「ええ」


「原因も分かってねえのに、調査するなってのか?」


「理由は、復旧工事と事故調査の作業区域が重なるため、となっています」


 ガルドは、低く唸った。


「……面倒なことを言いやがる」


 ユリウスは、もう一枚の書類を示した。


「さらに、設備管理局が保管する検査資料についても、当面は外部提供を制限するそうです」


「……急にか?」


「はい」


 ガルドは、しばらく黙った。


 そして、低い声で言った。


「……誰が決めた?」


「文書上の決裁者は、設備管理局の次長です」


「……そいつに会いに行く」


 ガルドは、即座に立ち上がった。


 ユリウスが、静かに顔を上げる。


「団長」


「何だ?」


「怒鳴り込むおつもりですか?」


「話し合いだ!」


「……そうですか」


 ユリウスは、わずかに微笑んだ。


「では、私も同行します」


「……おう」


「団長が声を大きくされた場合、私が説明を引き継ぎます」


「最初から俺が怒鳴る前提で話すな!」


「失礼しました」


 ユリウスは、穏やかな表情のまま答えた。


 ガルドは、頭を掻いた。


「……ったく」


 だが、その口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。


     ◇


 王立総合学園の実習室。


「……おかしいな」


 俺は、測定器の針を見つめていた。


 机の上には、二つの小型魔導回路が並んでいる。


 一つは、魔力が滞留しやすいように曲線を多くした回路。


 もう一つは、流れを単純化した回路だ。


 どちらも、同じ規格の星晶石を使っている。


 供給量も、補助電源を切る時間も揃えた。


 だが。


「……曲線の多い方だけ、変化が出たわね」


 リシアが、記録用紙を見比べながら言った。


「うん」


 俺は頷いた。


「残留魔力の量は、ほとんど同じだったはずなのに」


 エリオットが、目を輝かせた。


「……じゃあ、量じゃないってこと?」


「……量だけじゃない、ということかもしれない」


 俺は、曲線の多い回路を見つめた。


 魔力は、ただ溜まるだけではない。


 流れる。


 向きがある。


 そして、通り道の形によって、動き方が変わる。


「……どこに残っているか」


 俺は呟いた。


「それが関係しているのかもしれない」


 リシアが、回路の一部を指さした。


「この曲がり角。ここに魔力が偏っている可能性は?」


「……あると思う」


「なら、次は同じ形で、曲がり角の位置だけ変えてみるべきね」


 エリオットが、勢いよく頷いた。


「それだ!」


 俺は、少し笑った。


「……でも、今日はここまで」


「ええっ!?」


「もう十分に試しただろ」


 リシアも頷いた。


「それに、今の結果は先生に確認してもらった方がいいわ」


「……分かったよ」


 エリオットは、残念そうに肩を落とした。


 俺は、記録用紙をまとめながら考えた。


 停止後の魔力反応。


 残留魔力。


 回路の形。


 少しずつ、関係が見えてきている。


 だが、それが王都の事故とどう繋がるのか。


 まだ、はっきりとは分からない。


(……でも)


 俺は、机の上の回路を見つめた。


 魔力の量だけではない。


 流れ方そのものが重要なのかもしれない。


     ◇


 王都設備管理局。


 大理石の床が広がる応接室で、ガルドは椅子に腰掛けていた。


 向かいには、設備管理局の次長。


 四十代半ばほどの、細身の男性だった。


「……調査の必要性は理解しております」


 次長は、丁寧な口調で言った。


「ですが、現在は復旧を優先すべき段階です」


 ガルドは腕を組んだ。


「復旧が必要なのは分かる」


「ありがとうございます」


「だが、安全確認が済んでねえ装置を動かすつもりなら、話は別だ」


 次長の表情が、わずかに硬くなった。


「……もちろん、安全には十分配慮いたします」


「具体的には?」


 ユリウスが尋ねた。


 次長は、彼へ視線を向けた。


「……と申しますと?」


「再稼働前に、どの範囲の検査を行う予定でしょうか」


 ユリウスは穏やかな口調を崩さない。


「配管の交換だけでは、事故原因を除去したことにはなりません」


「……それは」


「制御盤の異常については、調査結果が出ていないはずです」


 次長は、少しだけ言葉に詰まった。


 ガルドが、低い声で続ける。


「昨日の事故では、子どもが死にかけた」


 次長の視線が動いた。


「……報告は受けております」


「だったら、同じことを繰り返すわけにはいかねえだろ」


 室内に、沈黙が落ちた。


 ユリウスは、机の上に一枚の文書を置いた。


「こちらは、魔導騎士団からの正式な要請書です」


 次長が、書類を見た。


「……これは?」


「東区の送水装置について、事故原因が判明するまで、問題の制御系統の再稼働を見合わせていただきたい」


 ユリウスは、静かに続けた。


「代替の送水手段については、騎士団も警備面で協力します」


 次長は、しばらく書類を見つめていた。


「……検討させていただきます」


「よろしくお願いします」


 ユリウスは、丁寧に頭を下げた。


 だが、次長の表情には、何かを気にしているような硬さが残っていた。


     ◇


 午後遅く。


 アイリス・フェルディアとフィオナ・リュミエールは、北区の工房から回収された資料を整理していた。


 工房内部への立ち入りは、現在中断されている。


 壁の魔導回路が暴走した以上、十分な安全対策なしに再調査することはできない。


「……これで、回収した金属片は全部か?」


 アイリスが尋ねた。


「はい」


 フィオナは頷いた。


「ただ、まだ分析できていないものがあります」


 机の上には、小さな金属片がいくつか並んでいた。


 どれも、表面に複雑な刻印が残っている。


 フィオナは、その一つを手に取った。


「……これ、少し変なんです」


「……どこが?」


「刻印の位置です」


 フィオナは、金属片を裏返した。


「普通、魔導回路の接続位置を示す印は、作業者が見やすい場所に刻みます」


「……そうなのか」


「はい。でも、これは違います」


 フィオナは、指先で小さな線を示した。


「裏側にあるんです」


 アイリスは、少し考えた。


「……組み立てた後に見えなくなる位置か?」


「そうです」


 フィオナは頷いた。


「だから、組み立て時の目印ではない可能性があります」


 アイリスは、金属片を見つめた。


「……別の用途?」


「はい。例えば、分解したときにだけ分かる識別印とか」


 フィオナは、少しだけ首を傾げた。


「ただし、推測です」


「……なるほど」


 アイリスは、静かに頷いた。


 そのとき、資料室の扉が叩かれた。


「失礼します!」


 若い騎士が入ってくる。


「アイリス殿、こちらにいらっしゃいましたか」


「どうした?」


「……魔導騎士団宛に、差出人不明の手紙が届いています」


 アイリスの表情が変わった。


「……手紙?」


「はい」


 騎士は、一通の封筒を差し出した。


 アイリスは受け取り、宛名を確認した。


 そこには、ただ一言。


『古い検査装置について』


 そう書かれていた。


 フィオナが、息を呑んだ。


「……まさか」


 アイリスは、慎重に封筒を開いた。


 中には、一枚の紙が入っていた。


『十数年前、廃棄予定だった検査装置の運搬に関わりました。


 装置は、廃棄場には運ばれていません。


 詳しい話をしたい。


 明日の夕刻、旧西門近くの石橋で待っています。


 一人で来てください。』


 アイリスは、手紙を読み終えた。


 そして、フィオナへ視線を向けた。


「……どう思う?」


 フィオナは、少し考えた。


「……本当なら、重要な証言です」


「……そうだな」


「でも……」


 フィオナは、少しだけ表情を曇らせた。


「……危険かもしれません」


 アイリスは、静かに頷いた。


「……ああ」


 差出人不明。


 人目の少ない場所。


 そして、一人で来るようにという指定。


 罠の可能性もある。


 だが、無視するわけにもいかない。


「……副団長に報告しよう」


 アイリスは、手紙を丁寧に折り畳んだ。


     ◇


 夕方。


 魔導騎士団本部の執務室。


 ユリウスは、手紙を読み終えると、静かに目を閉じた。


「……なるほど」


 ガルドが、隣から覗き込む。


「……怪しいな」


「ええ」


 ユリウスは頷いた。


「ですが、無視するには惜しい情報です」


 アイリスが、静かに言った。


「私が行きます」


 ガルドは、すぐに顔を上げた。


「……一人でか?」


「指定はそうなっています」


「馬鹿言うな」


 ガルドは、即座に否定した。


「そんなもん、罠かもしれねえだろ」


「承知しています」


 アイリスは頷いた。


「ですが、相手が警戒している可能性もあります」


 ユリウスは、しばらく考え込んだ。


 そして、静かに口を開いた。


「……アイリス」


「はい」


「表向きは、一人で向かってください」


 ガルドが、眉をひそめる。


「……ユリウス?」


「ただし、周辺には騎士を配置します」


 ユリウスは続けた。


「相手に気づかれない距離から監視し、異常があれば即座に介入できるようにします」


 ガルドは、少しだけ考えた。


「……なるほど」


 アイリスは、静かに頭を下げた。


「承知しました」


 ユリウスは、さらに言った。


「フィオナさんには、本部で待機していただきます」


 フィオナが、少しだけ驚いたように顔を上げた。


「……私もですか?」


「はい」


 ユリウスは頷いた。


「今回の接触は、危険を伴う可能性があります」


 フィオナは、少しだけ唇を噛んだ。


 だが、すぐに頷いた。


「……分かりました」


 アイリスは、彼女へ視線を向けた。


「……フィオナさん」


「はい?」


「心配しなくていい」


 フィオナは、少しだけ目を見開いた。


 そして、静かに微笑んだ。


「……はい」


 だが、その笑顔には、わずかな不安が残っていた。


     ◇


 その夜。


 旧西門近くの石橋。


 川面には、王都の灯りが細長く映っている。


 橋の下を流れる水は、静かだった。


 オルドは、石橋の欄干にもたれていた。


 古びた外套を羽織り、帽子を深く被っている。


 手には、小さな工具袋。


 その中には、十数年前から持ち続けてきた金属片が入っていた。


「……本当に来るのか」


 オルドは、低く呟いた。


 手紙には、明日の夕刻と書いた。


 だが、どうしても落ち着かず、前日の夜に様子を見に来てしまった。


 誰かに見られていないか。


 尾行されていないか。


 何度も振り返る。


 そのとき。


 橋の向こうから、足音が聞こえた。


 オルドは、身体を強張らせた。


 通りかかったのは、荷物を抱えた商人だった。


 オルドは、ほっと息を吐く。


「……考えすぎか」


 だが。


 橋の反対側。


 暗い路地の奥で、一つの影が動いた。


 オルドは、それに気づかなかった。


 影は、しばらく石橋を見つめていた。


 そして、静かに闇の中へ消えていった。


 翌日の夕刻。


 そこで何が起きるのか。


 まだ、誰にも分からなかった。

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