二つの署名と消えた職人
王都の朝市は、いつもと変わらず賑わっていた。
焼きたてのパンの香り。
荷車の車輪が石畳を叩く音。
値段を交渉する商人たちの声。
だが、東区の送水装置が破裂した通りでは、まだ修理用の木材が積み上げられている。
壊れた露店の前で、一人の職人が屋根の骨組みを組み直していた。
「また事故が起きるんじゃないだろうな」
通りかかった女性が、不安そうに呟く。
「騎士団が調べてるって話だぞ」
職人が答えた。
「それなら安心ね」
「どうだかな。原因が分からねえんじゃ、直しようもねえだろ」
女性は、返す言葉を見つけられなかった。
魔導設備は、人々の生活を支えている。
だからこそ、その安全が揺らぐことは、王都全体の不安へ繋がっていた。
◇
「……二つの業者名について、確認が取れました」
魔導騎士団本部の会議室で、アイリス・フェルディアが報告した。
ユリウス・フォン・エーデルが、静かに頷く。
「どうでしたか?」
「一方は、現在も営業している検査業者です。もう一方は、数年前に廃業しています」
ガルド・ヴァレンシュタインが眉をひそめた。
「……廃業?」
「はい」
アイリスは書類を広げた。
「ただし、東区の送水装置が検査された当時は、どちらも営業していました」
「……なら、共同で検査した可能性もあるんじゃねえか?」
「その可能性はあります」
アイリスは頷いた。
「ですが、現在営業している業者へ確認したところ、当該設備の検査を担当した記録はないとのことでした」
ユリウスが目を細めた。
「……記録がない?」
「はい」
「単に保管期限が過ぎたということでは?」
「それも確認しました」
アイリスは別の書類を差し出した。
「同時期の別設備の記録は残っています」
ガルドは、腕を組んだ。
「……ますます怪しいな」
その隣で、フィオナ・リュミエールが資料を見つめていた。
淡い銀金色の髪が、肩先で揺れる。
「……廃業した方の業者については、何か分かっていますか?」
アイリスは頷いた。
「元の代表者は、すでに亡くなっています。ただ、当時の従業員については、何人か名前が残っていました」
フィオナが顔を上げる。
「……その方々なら、検査について覚えているかもしれませんね」
「そう考えている」
アイリスは答えた。
ユリウスは、しばらく考え込んだ。
「……では、関係者への聞き取りを進めましょう」
「承知しました」
アイリスが頭を下げる。
ガルドは、机の上の書類を見つめた。
「……しかし、妙だな」
ユリウスが顔を上げる。
「何がですか?」
「検査したはずの業者が、検査してねえって言ってるんだろ?」
「はい」
「だったら、誰が検査したんだ?」
会議室に、短い沈黙が落ちた。
ユリウスは、静かに答えた。
「……それを、これから調べます」
◇
同じ頃。
王立総合学園の実習室では、俺たちが実験を続けていた。
「……今回は、かなり揃ってきたね」
エリオットが、記録用紙を見比べながら言った。
「ああ」
俺は頷いた。
「短い間隔で補助電源を入れ直したときだけ、変化が出やすい」
リシアが、数値を確認する。
「ただし、毎回ではないわね」
「うん」
俺は答えた。
「でも、待機時間を長くすると、ほとんど変化が出なくなる」
エリオットが、嬉しそうに笑った。
「……やっぱり、残留魔力だ!」
「……可能性が高い、という段階よ」
リシアがすぐに訂正する。
「分かってるって!」
俺は、二人のやり取りを聞きながら、机の上の回路を見つめた。
補助電源を切った後も、回路内には微量の魔力が残る。
それが次の動作に影響している。
もし、この仕組みが大きな設備でも起きるなら。
停止したはずの装置が、再び反応する理由の一つになるかもしれない。
(……でも)
俺は、記録用紙へ視線を落とした。
南区の設備。
西区の街灯。
東区の送水装置。
そして、北区の工房。
それぞれ構造が違う。
すべて同じ原因だと考えるには、まだ無理がある。
「……次は、回路の構造を変えてみたい」
俺が言うと、エリオットが顔を上げた。
「……どう変えるの?」
「魔力が残りやすい部分と、残りにくい部分を作って比較する」
リシアが、少し考えた。
「……それなら、回路の形を変えるだけで済むわね」
「うん」
俺は頷いた。
「危険な魔力量を使わなくても、違いが分かるかもしれない」
エリオットは、嬉しそうに笑った。
「よし! じゃあ作ろう!」
「……授業が終わってからね」
リシアが言った。
「……はい」
俺は、思わず笑ってしまった。
◇
午後。
王都の西側にある古い職人街。
アイリスとフィオナは、廃業した検査業者の元従業員を訪ねていた。
狭い路地の奥に、小さな修理工房がある。
入口には、古びた看板が掛けられていた。
「……ここだな」
アイリスが言った。
「はい」
フィオナは、手元の書類を確認した。
「当時、検査業者で働いていた職人さんが、今はこちらで修理業をしているそうです」
アイリスは扉を叩いた。
「失礼します。魔導騎士団の者です」
しばらくして、扉が開いた。
中から現れたのは、白髪混じりの男性だった。
「……騎士団?」
男は、少し警戒した表情を見せた。
「何の用だ?」
「以前お勤めだった検査業者について、お話を伺いたいのです」
アイリスは、丁寧に説明した。
男は、しばらく二人を見つめた。
「……昔の話だな」
「はい」
「……まあ、入れ」
二人は、工房の中へ案内された。
壁には工具が並び、作業台には分解途中の魔導器具が置かれている。
男は椅子へ腰を下ろした。
「……それで、何を聞きたい?」
アイリスは、東区の送水装置の検査記録を差し出した。
「こちらの設備について、覚えていらっしゃいますか?」
男は、書類を受け取った。
しばらく眺める。
そして、眉をひそめた。
「……この番号」
フィオナが顔を上げる。
「何かご存じですか?」
男は、少し考え込んだ。
「……見たことがある」
アイリスは、静かに尋ねた。
「どこででしょうか?」
「……うちの会社で使っていた検査装置の番号だ」
フィオナの表情が変わった。
「……検査装置?」
「ああ」
男は頷いた。
「ただ、かなり古いやつだ。俺が辞める少し前には、もう使われてなかったはずだ」
アイリスは、フィオナと視線を交わした。
廃止された検査装置。
その番号が、別の設備の検査記録に使われている。
「……その装置は、どうなったのでしょうか?」
フィオナが尋ねた。
男は首を傾げた。
「……さあな」
そして、少し考えてから言った。
「……確か、処分するって話だった」
「処分?」
「ああ。古くなったからな」
フィオナは、慎重に尋ねた。
「……実際に処分されたところは、ご覧になりましたか?」
男は、少しだけ表情を曇らせた。
「……いや」
アイリスが顔を上げる。
「……何か気になることが?」
男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……あの装置を運び出した奴がいたんだ」
フィオナが息を呑む。
「……運び出した?」
「ああ」
男は頷いた。
「俺たちが帰った後、夜に運び出したって話を聞いた」
アイリスは、静かに尋ねた。
「……誰が運び出したのでしょうか?」
男は、少しだけ首を振った。
「……そこまでは知らねえ」
そして、ぽつりと付け加えた。
「……ただ、その作業に関わった職人が一人、急に辞めた」
フィオナが顔を上げる。
「……辞めた?」
「ああ」
男は、少しだけ目を細めた。
「……それっきり、会ってねえ」
◇
聞き取りを終えた後。
アイリスとフィオナは、職人街の通りを歩いていた。
「……重要な話でしたね」
フィオナが言った。
「ああ」
アイリスは頷いた。
「ただ、昔の記憶だからな。裏付けが必要だ」
「はい」
フィオナは、手元の記録を見つめた。
「……でも、検査装置が実際には処分されていなかった可能性が出てきました」
「そうだな」
アイリスは、少し考えた。
「……フィオナさん」
「はい?」
「その装置が残っていたとして、今回の異常と関係すると思うか?」
フィオナは、少しだけ考え込んだ。
「……まだ、分かりません」
そして、静かに続けた。
「ですが、もし内部の回路が改造されていたなら、検査記録を偽装することはできるかもしれません」
アイリスは、ゆっくりと頷いた。
「……なるほど」
二人は、しばらく歩いた。
通りの向こうから、焼き菓子の甘い香りが漂ってくる。
フィオナが、ふと足を止めた。
「……あ」
アイリスが振り返る。
「どうした?」
「……あのお店」
フィオナは、通りの角にある小さな菓子店を見つめていた。
「……気になるのか?」
「……少し」
フィオナは、少し恥ずかしそうに笑った。
「昔、ここの焼き菓子をいただいたことがあって」
「……そうか」
アイリスは、店を見た。
「……寄っていくか?」
フィオナが、少し驚いたように顔を上げる。
「……いいんですか?」
「ああ」
アイリスは頷いた。
「今日は、もう本部へ戻るだけだ」
フィオナは、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
二人は、店へ入った。
小さな店内には、焼きたての菓子が並んでいる。
「……これです」
フィオナが指さしたのは、星の形をした焼き菓子だった。
表面には、薄く砂糖がまぶされている。
「……美味しいのか?」
「はい」
フィオナは頷いた。
「甘すぎなくて、香ばしいんです」
アイリスは、少し考えた。
「……じゃあ、二つ買おう」
フィオナが目を瞬かせた。
「……二つ?」
「私も食べてみたい」
フィオナは、少しだけ笑った。
「……それなら、ぜひ」
店を出た二人は、通りの端にある小さな広場で焼き菓子を食べた。
「……美味しいな」
アイリスが呟く。
「でしょう?」
フィオナは、嬉しそうに笑った。
「……研究の合間によく食べていたんです」
「……そうか」
アイリスは、もう一口食べた。
香ばしい甘さが、口の中に広がる。
ふと、隣を見る。
フィオナは、幸せそうに焼き菓子を食べていた。
(……こんな顔もするんだな)
アイリスは、少しだけ意外に思った。
研究の話をしているときとは、また違う表情。
柔らかく、穏やかで。
どこか、年相応の少女のようだった。
「……アイリスさん?」
フィオナが顔を上げる。
「……何だ?」
「……何かついていますか?」
「……いや」
アイリスは、少しだけ視線を逸らした。
「……何でもない」
フィオナは、不思議そうに首を傾げた。
だが、すぐに微笑んだ。
「……そうですか」
二人は、再び焼き菓子を食べ始めた。
その時間は、調査とは関係のない、ほんの短い休息だった。
◇
夕方。
魔導騎士団本部では、アイリスが聞き取り結果を報告していた。
「……廃止された検査装置が、夜間に運び出された可能性があります」
ユリウスが、静かに頷く。
「……そして、その作業に関わった職人が退職した」
「はい」
アイリスは答えた。
「現在の所在は、まだ確認できていません」
ガルドが腕を組んだ。
「……そいつを探す必要があるな」
「はい」
ユリウスは頷いた。
「ただし、何年も前の話です。まずは当時の住所や勤務記録を確認しましょう」
フィオナが、静かに口を開いた。
「……それと、もう一つ」
ユリウスが顔を上げる。
「何でしょう?」
「検査装置の番号が、複数の設備の記録に使われている可能性があります」
彼女は、東区の記録と以前の資料を並べた。
「もし番号だけを流用しているのなら、装置そのものがなくても偽装は可能です」
ユリウスは頷いた。
「……つまり、装置が残っていることと、記録が偽装されたことは、別に考える必要がある」
「はい」
フィオナは答えた。
ガルドは、少しだけ眉をひそめた。
「……面倒な話だな」
「そうですね」
ユリウスは、静かに微笑んだ。
「ですが、少しずつ整理できています」
◇
その夜。
王都の外れにある、古い宿屋。
薄暗い一室で、一人の男が窓の外を見つめていた。
机の上には、使い古された工具袋。
そして、折り畳まれた一枚の紙。
男は、その紙を開いた。
そこには、古い検査装置の番号が記されていた。
「……今さら、あれを調べるのか」
低い声が漏れる。
男は、しばらく黙っていた。
そして、工具袋の中から、小さな金属片を取り出した。
表面には、線と点を組み合わせた印が刻まれている。
「……もう、関わりたくねえんだがな」
男は、深く息を吐いた。
窓の外では、王都の魔導灯が静かに輝いている。
その光を見つめながら、男は呟いた。
「……あの夜のこと、まだ覚えてる奴がいるとはな」
そして、ゆっくりと紙を折り畳んだ。
その表情には、長い年月を経ても消えない後悔が滲んでいた。




