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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

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二つの署名と消えた職人

 王都の朝市は、いつもと変わらず賑わっていた。


 焼きたてのパンの香り。


 荷車の車輪が石畳を叩く音。


 値段を交渉する商人たちの声。


 だが、東区の送水装置が破裂した通りでは、まだ修理用の木材が積み上げられている。


 壊れた露店の前で、一人の職人が屋根の骨組みを組み直していた。


「また事故が起きるんじゃないだろうな」


 通りかかった女性が、不安そうに呟く。


「騎士団が調べてるって話だぞ」


 職人が答えた。


「それなら安心ね」


「どうだかな。原因が分からねえんじゃ、直しようもねえだろ」


 女性は、返す言葉を見つけられなかった。


 魔導設備は、人々の生活を支えている。


 だからこそ、その安全が揺らぐことは、王都全体の不安へ繋がっていた。


     ◇


「……二つの業者名について、確認が取れました」


 魔導騎士団本部の会議室で、アイリス・フェルディアが報告した。


 ユリウス・フォン・エーデルが、静かに頷く。


「どうでしたか?」


「一方は、現在も営業している検査業者です。もう一方は、数年前に廃業しています」


 ガルド・ヴァレンシュタインが眉をひそめた。


「……廃業?」


「はい」


 アイリスは書類を広げた。


「ただし、東区の送水装置が検査された当時は、どちらも営業していました」


「……なら、共同で検査した可能性もあるんじゃねえか?」


「その可能性はあります」


 アイリスは頷いた。


「ですが、現在営業している業者へ確認したところ、当該設備の検査を担当した記録はないとのことでした」


 ユリウスが目を細めた。


「……記録がない?」


「はい」


「単に保管期限が過ぎたということでは?」


「それも確認しました」


 アイリスは別の書類を差し出した。


「同時期の別設備の記録は残っています」


 ガルドは、腕を組んだ。


「……ますます怪しいな」


 その隣で、フィオナ・リュミエールが資料を見つめていた。


 淡い銀金色の髪が、肩先で揺れる。


「……廃業した方の業者については、何か分かっていますか?」


 アイリスは頷いた。


「元の代表者は、すでに亡くなっています。ただ、当時の従業員については、何人か名前が残っていました」


 フィオナが顔を上げる。


「……その方々なら、検査について覚えているかもしれませんね」


「そう考えている」


 アイリスは答えた。


 ユリウスは、しばらく考え込んだ。


「……では、関係者への聞き取りを進めましょう」


「承知しました」


 アイリスが頭を下げる。


 ガルドは、机の上の書類を見つめた。


「……しかし、妙だな」


 ユリウスが顔を上げる。


「何がですか?」


「検査したはずの業者が、検査してねえって言ってるんだろ?」


「はい」


「だったら、誰が検査したんだ?」


 会議室に、短い沈黙が落ちた。


 ユリウスは、静かに答えた。


「……それを、これから調べます」


     ◇


 同じ頃。


 王立総合学園の実習室では、俺たちが実験を続けていた。


「……今回は、かなり揃ってきたね」


 エリオットが、記録用紙を見比べながら言った。


「ああ」


 俺は頷いた。


「短い間隔で補助電源を入れ直したときだけ、変化が出やすい」


 リシアが、数値を確認する。


「ただし、毎回ではないわね」


「うん」


 俺は答えた。


「でも、待機時間を長くすると、ほとんど変化が出なくなる」


 エリオットが、嬉しそうに笑った。


「……やっぱり、残留魔力だ!」


「……可能性が高い、という段階よ」


 リシアがすぐに訂正する。


「分かってるって!」


 俺は、二人のやり取りを聞きながら、机の上の回路を見つめた。


 補助電源を切った後も、回路内には微量の魔力が残る。


 それが次の動作に影響している。


 もし、この仕組みが大きな設備でも起きるなら。


 停止したはずの装置が、再び反応する理由の一つになるかもしれない。


(……でも)


 俺は、記録用紙へ視線を落とした。


 南区の設備。


 西区の街灯。


 東区の送水装置。


 そして、北区の工房。


 それぞれ構造が違う。


 すべて同じ原因だと考えるには、まだ無理がある。


「……次は、回路の構造を変えてみたい」


 俺が言うと、エリオットが顔を上げた。


「……どう変えるの?」


「魔力が残りやすい部分と、残りにくい部分を作って比較する」


 リシアが、少し考えた。


「……それなら、回路の形を変えるだけで済むわね」


「うん」


 俺は頷いた。


「危険な魔力量を使わなくても、違いが分かるかもしれない」


 エリオットは、嬉しそうに笑った。


「よし! じゃあ作ろう!」


「……授業が終わってからね」


 リシアが言った。


「……はい」


 俺は、思わず笑ってしまった。


     ◇


 午後。


 王都の西側にある古い職人街。


 アイリスとフィオナは、廃業した検査業者の元従業員を訪ねていた。


 狭い路地の奥に、小さな修理工房がある。


 入口には、古びた看板が掛けられていた。


「……ここだな」


 アイリスが言った。


「はい」


 フィオナは、手元の書類を確認した。


「当時、検査業者で働いていた職人さんが、今はこちらで修理業をしているそうです」


 アイリスは扉を叩いた。


「失礼します。魔導騎士団の者です」


 しばらくして、扉が開いた。


 中から現れたのは、白髪混じりの男性だった。


「……騎士団?」


 男は、少し警戒した表情を見せた。


「何の用だ?」


「以前お勤めだった検査業者について、お話を伺いたいのです」


 アイリスは、丁寧に説明した。


 男は、しばらく二人を見つめた。


「……昔の話だな」


「はい」


「……まあ、入れ」


 二人は、工房の中へ案内された。


 壁には工具が並び、作業台には分解途中の魔導器具が置かれている。


 男は椅子へ腰を下ろした。


「……それで、何を聞きたい?」


 アイリスは、東区の送水装置の検査記録を差し出した。


「こちらの設備について、覚えていらっしゃいますか?」


 男は、書類を受け取った。


 しばらく眺める。


 そして、眉をひそめた。


「……この番号」


 フィオナが顔を上げる。


「何かご存じですか?」


 男は、少し考え込んだ。


「……見たことがある」


 アイリスは、静かに尋ねた。


「どこででしょうか?」


「……うちの会社で使っていた検査装置の番号だ」


 フィオナの表情が変わった。


「……検査装置?」


「ああ」


 男は頷いた。


「ただ、かなり古いやつだ。俺が辞める少し前には、もう使われてなかったはずだ」


 アイリスは、フィオナと視線を交わした。


 廃止された検査装置。


 その番号が、別の設備の検査記録に使われている。


「……その装置は、どうなったのでしょうか?」


 フィオナが尋ねた。


 男は首を傾げた。


「……さあな」


 そして、少し考えてから言った。


「……確か、処分するって話だった」


「処分?」


「ああ。古くなったからな」


 フィオナは、慎重に尋ねた。


「……実際に処分されたところは、ご覧になりましたか?」


 男は、少しだけ表情を曇らせた。


「……いや」


 アイリスが顔を上げる。


「……何か気になることが?」


 男は、しばらく黙っていた。


 そして。


「……あの装置を運び出した奴がいたんだ」


 フィオナが息を呑む。


「……運び出した?」


「ああ」


 男は頷いた。


「俺たちが帰った後、夜に運び出したって話を聞いた」


 アイリスは、静かに尋ねた。


「……誰が運び出したのでしょうか?」


 男は、少しだけ首を振った。


「……そこまでは知らねえ」


 そして、ぽつりと付け加えた。


「……ただ、その作業に関わった職人が一人、急に辞めた」


 フィオナが顔を上げる。


「……辞めた?」


「ああ」


 男は、少しだけ目を細めた。


「……それっきり、会ってねえ」


     ◇


 聞き取りを終えた後。


 アイリスとフィオナは、職人街の通りを歩いていた。


「……重要な話でしたね」


 フィオナが言った。


「ああ」


 アイリスは頷いた。


「ただ、昔の記憶だからな。裏付けが必要だ」


「はい」


 フィオナは、手元の記録を見つめた。


「……でも、検査装置が実際には処分されていなかった可能性が出てきました」


「そうだな」


 アイリスは、少し考えた。


「……フィオナさん」


「はい?」


「その装置が残っていたとして、今回の異常と関係すると思うか?」


 フィオナは、少しだけ考え込んだ。


「……まだ、分かりません」


 そして、静かに続けた。


「ですが、もし内部の回路が改造されていたなら、検査記録を偽装することはできるかもしれません」


 アイリスは、ゆっくりと頷いた。


「……なるほど」


 二人は、しばらく歩いた。


 通りの向こうから、焼き菓子の甘い香りが漂ってくる。


 フィオナが、ふと足を止めた。


「……あ」


 アイリスが振り返る。


「どうした?」


「……あのお店」


 フィオナは、通りの角にある小さな菓子店を見つめていた。


「……気になるのか?」


「……少し」


 フィオナは、少し恥ずかしそうに笑った。


「昔、ここの焼き菓子をいただいたことがあって」


「……そうか」


 アイリスは、店を見た。


「……寄っていくか?」


 フィオナが、少し驚いたように顔を上げる。


「……いいんですか?」


「ああ」


 アイリスは頷いた。


「今日は、もう本部へ戻るだけだ」


 フィオナは、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます」


 二人は、店へ入った。


 小さな店内には、焼きたての菓子が並んでいる。


「……これです」


 フィオナが指さしたのは、星の形をした焼き菓子だった。


 表面には、薄く砂糖がまぶされている。


「……美味しいのか?」


「はい」


 フィオナは頷いた。


「甘すぎなくて、香ばしいんです」


 アイリスは、少し考えた。


「……じゃあ、二つ買おう」


 フィオナが目を瞬かせた。


「……二つ?」


「私も食べてみたい」


 フィオナは、少しだけ笑った。


「……それなら、ぜひ」


 店を出た二人は、通りの端にある小さな広場で焼き菓子を食べた。


「……美味しいな」


 アイリスが呟く。


「でしょう?」


 フィオナは、嬉しそうに笑った。


「……研究の合間によく食べていたんです」


「……そうか」


 アイリスは、もう一口食べた。


 香ばしい甘さが、口の中に広がる。


 ふと、隣を見る。


 フィオナは、幸せそうに焼き菓子を食べていた。


(……こんな顔もするんだな)


 アイリスは、少しだけ意外に思った。


 研究の話をしているときとは、また違う表情。


 柔らかく、穏やかで。


 どこか、年相応の少女のようだった。


「……アイリスさん?」


 フィオナが顔を上げる。


「……何だ?」


「……何かついていますか?」


「……いや」


 アイリスは、少しだけ視線を逸らした。


「……何でもない」


 フィオナは、不思議そうに首を傾げた。


 だが、すぐに微笑んだ。


「……そうですか」


 二人は、再び焼き菓子を食べ始めた。


 その時間は、調査とは関係のない、ほんの短い休息だった。


     ◇


 夕方。


 魔導騎士団本部では、アイリスが聞き取り結果を報告していた。


「……廃止された検査装置が、夜間に運び出された可能性があります」


 ユリウスが、静かに頷く。


「……そして、その作業に関わった職人が退職した」


「はい」


 アイリスは答えた。


「現在の所在は、まだ確認できていません」


 ガルドが腕を組んだ。


「……そいつを探す必要があるな」


「はい」


 ユリウスは頷いた。


「ただし、何年も前の話です。まずは当時の住所や勤務記録を確認しましょう」


 フィオナが、静かに口を開いた。


「……それと、もう一つ」


 ユリウスが顔を上げる。


「何でしょう?」


「検査装置の番号が、複数の設備の記録に使われている可能性があります」


 彼女は、東区の記録と以前の資料を並べた。


「もし番号だけを流用しているのなら、装置そのものがなくても偽装は可能です」


 ユリウスは頷いた。


「……つまり、装置が残っていることと、記録が偽装されたことは、別に考える必要がある」


「はい」


 フィオナは答えた。


 ガルドは、少しだけ眉をひそめた。


「……面倒な話だな」


「そうですね」


 ユリウスは、静かに微笑んだ。


「ですが、少しずつ整理できています」


     ◇


 その夜。


 王都の外れにある、古い宿屋。


 薄暗い一室で、一人の男が窓の外を見つめていた。


 机の上には、使い古された工具袋。


 そして、折り畳まれた一枚の紙。


 男は、その紙を開いた。


 そこには、古い検査装置の番号が記されていた。


「……今さら、あれを調べるのか」


 低い声が漏れる。


 男は、しばらく黙っていた。


 そして、工具袋の中から、小さな金属片を取り出した。


 表面には、線と点を組み合わせた印が刻まれている。


「……もう、関わりたくねえんだがな」


 男は、深く息を吐いた。


 窓の外では、王都の魔導灯が静かに輝いている。


 その光を見つめながら、男は呟いた。


「……あの夜のこと、まだ覚えてる奴がいるとはな」


 そして、ゆっくりと紙を折り畳んだ。


 その表情には、長い年月を経ても消えない後悔が滲んでいた。

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