消された検査記録
王都東区で発生した送水装置の事故から、一夜が明けた。
破裂した配管は応急的に塞がれ、周辺の住民には別系統から水が供給されている。
露店の並ぶ通りには、まだ乾ききらない石畳が残っていた。
通りの端では、壊れた屋根を片づける職人たちが作業を始めている。
「……まったく、商売にならねえよ」
露店の主人が、折れた支柱を拾い上げながらぼやいた。
「昨日の事故で、店の道具が半分駄目になっちまった」
「補償の申請は?」
隣の店主が尋ねる。
「出したさ。けど、いつになるか分からねえってよ」
二人は、揃ってため息をついた。
幸い、今回の事故で命を落とした者はいなかった。
だが、だからといって、被害が小さかったわけではない。
魔導設備の異常は、人々の暮らしを確実に揺さぶり始めていた。
◇
「……東区の検査記録が届きました」
魔導騎士団本部の会議室で、アイリス・フェルディアが報告した。
鮮やかな青いショートウルフの髪が、朝の光を受けて揺れる。
ユリウス・フォン・エーデルは、差し出された書類を受け取った。
「ありがとうございます」
机の向こうでは、フィオナ・リュミエールが資料を広げている。
淡い銀金色の髪を肩先で揺らしながら、検査番号の一覧を確認していた。
「……どうですか?」
ユリウスが尋ねる。
フィオナは、少しだけ眉を寄せた。
「……おかしいです」
ガルド・ヴァレンシュタインが顔を上げる。
「何がだ?」
「検査記録の一部が、抜けています」
フィオナは、書類の中央を指さした。
「ここです」
そこには、検査実施日と担当者の署名が記載されていた。
だが、その下にあるはずの測定結果欄が空白になっている。
「……書き忘れじゃねえのか?」
ガルドが尋ねる。
「その可能性もあります」
フィオナは頷いた。
「ですが、検査済みを示す印は押されています」
ユリウスが目を細めた。
「……結果が記載されていないのに、検査済みになっている?」
「はい」
フィオナは、別の記録を並べた。
「しかも、同じ時期に検査された別の設備では、測定結果が残っています」
アイリスが、静かに尋ねた。
「……東区の装置だけ、記録がないのか?」
「今のところは」
フィオナは答えた。
「ただし、原本を確認しないと、最初から空白だったのか、後から消されたのかは分かりません」
ユリウスは、しばらく考え込んだ。
「……原本はどこに?」
「王都設備管理局の保管庫です」
アイリスが答えた。
「写しの提出には応じてもらえましたが、原本の閲覧には別途申請が必要とのことです」
ガルドが腕を組んだ。
「……面倒だな」
「手続きは必要です」
ユリウスは静かに言った。
「特に、事故が発生した設備の記録ですから」
ガルドは、不満そうに鼻を鳴らした。
「……分かってるよ」
◇
同じ頃。
王立総合学園では、俺たちが実験の準備をしていた。
「……今日は、間隔を揃えるんだよね?」
エリオットが尋ねる。
「ああ」
俺は頷いた。
「補助電源を切ってから、一定時間待つ。それから再投入する」
リシアが、記録用紙を確認した。
「待機時間は?」
「最初は短め。その後、少しずつ延ばす」
「……分かったわ」
俺たちは、実験用の小さな星晶石を装置に取り付けた。
測定器の針は、安定している。
「……始めるよ」
エリオットが補助電源を切った。
記録回路の表示が消える。
俺は、直接測定側の針を見つめた。
変化はない。
しばらく待つ。
そして、補助電源を戻す。
針が、わずかに下がった。
「……出た」
リシアが呟いた。
俺は頷いた。
「……記録して」
次の実験。
今度は、待機時間を長くする。
補助電源を切り、時間を置いてから再投入した。
針は、ほとんど動かなかった。
「……あれ?」
エリオットが首を傾げる。
「長く待つと、出ない?」
「……まだ分からない」
俺は答えた。
「偶然かもしれない」
リシアは、記録用紙を見比べた。
「でも、短い間隔のときに変化が出やすいなら……」
「……回路内に残った魔力が関係している可能性がある」
俺は頷いた。
エリオットが、嬉しそうに笑った。
「……やっぱり!」
「まだ、確定じゃない」
リシアがすぐに釘を刺す。
「分かってるって!」
俺は、思わず苦笑した。
ただ。
もし本当に、残った魔力が次の動作に影響するのなら。
停止したはずの設備が、再び反応する仕組みの一部を説明できるかもしれない。
(……でも、それだけじゃ足りない)
俺は、記録用紙を見つめた。
実験室の小さな装置と、王都の公共設備。
規模も構造も違う。
似た変化が出たからといって、同じ原因とは限らない。
それでも、少しずつ手がかりは増えていた。
◇
午後。
魔導騎士団本部へ、王都設備管理局からの返答が届いた。
ユリウスは、その文書を読み終えると、静かに息を吐いた。
「……原本の閲覧は、当面認められないそうです」
ガルドが眉をひそめた。
「……何だと?」
「事故原因の調査が継続中であるため、記録の保全を優先するとのことです」
「……俺たちも事故を調べてるんだぞ?」
「ええ」
ユリウスは頷いた。
「ですが、設備管理局としては、独自の調査を進めたいようです」
ガルドは、机を指で叩いた。
「……面倒なこと言いやがって」
アイリスが、静かに口を開いた。
「……副団長」
「何でしょう?」
「原本を確認できない場合、別の資料から調べることはできませんか?」
ユリウスは、少し考えた。
「……例えば?」
「検査を担当した業者の控えです」
フィオナが、顔を上げた。
「……あ」
アイリスは続けた。
「設備管理局に提出した記録とは別に、業者側で測定結果を保管している可能性があります」
フィオナは、少しだけ目を輝かせた。
「……確かに!」
彼女は、すぐに資料を確認した。
「検査を担当した業者名が分かれば、照会できます」
ユリウスは頷いた。
「……よい考えですね」
アイリスは、少しだけ頭を下げた。
「ありがとうございます」
ガルドが、豪快に笑った。
「おお! それなら早いじゃねえか!」
ユリウスは、静かに微笑んだ。
「ただし、正式な照会が必要です」
「……また手続きか!」
「はい」
ユリウスは、穏やかに答えた。
「団長にも、書類へ署名していただきます」
「……分かったよ!」
◇
夕方。
フィオナは、技術院へ戻る前に資料室へ立ち寄っていた。
机の上には、東区の送水装置に関する古い資料が並んでいる。
「……フィオナさん」
入口から、アイリスが声をかけた。
「はい?」
「まだ調べていたのか?」
「……少しだけ」
フィオナは、困ったように笑った。
「気になることがあって」
アイリスは、机の上を見た。
「……検査業者のことか?」
「はい」
フィオナは頷いた。
「ただ、記録が古くて……」
アイリスは、椅子を引いた。
「……手伝おうか?」
フィオナが、少し驚いたように顔を上げる。
「……いいんですか?」
「ああ」
アイリスは頷いた。
「私にも分かることなら」
フィオナは、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
二人は、並んで資料を確認し始めた。
古い帳簿。
検査報告書。
業者の一覧。
しばらくして、アイリスが一枚の書類を手に取った。
「……フィオナさん」
「はい?」
「この業者名、さっきの一覧と違わないか?」
フィオナが、顔を近づける。
「……あ」
そこには、東区の送水装置の検査を担当した業者名が記載されていた。
だが、別の記録では、違う業者名になっている。
「……本当ですね」
フィオナは、二枚の書類を見比べた。
「検査日も同じです」
アイリスは眉をひそめた。
「……同じ日に、別の業者が検査したことになっている?」
「はい」
フィオナは、少しだけ考え込んだ。
「……ただ、共同で作業した可能性もあります」
「……そうだな」
アイリスは頷いた。
「すぐに不正とは言えない」
「はい」
フィオナは、静かに微笑んだ。
「……アイリスさん、ありがとうございます」
「……また礼か」
アイリスは少し笑った。
「フィオナさんは、本当によく礼を言うな」
「……だって、助かっていますから」
アイリスは、少しだけ視線を逸らした。
「……そうか」
フィオナは、そんな彼女を見て小さく笑った。
◇
夜。
魔導騎士団本部の執務室。
ユリウスは、東区の検査記録を見つめていた。
そこへ、ガルドが入ってくる。
「……まだやってんのか?」
「団長」
ユリウスは顔を上げた。
「もう少しで終わります」
「……それ、昨日も聞いたぞ」
ガルドは、机の上の書類を見た。
「……何か分かったのか?」
「はい」
ユリウスは、一枚の書類を差し出した。
「東区の検査記録に、二つの業者名が記載されています」
「……二つ?」
「同じ検査日、同じ設備です」
ガルドは、書類を覗き込んだ。
「……間違いじゃねえのか?」
「その可能性もあります」
ユリウスは頷いた。
「ですが、確認する必要があります」
ガルドは、しばらく考えた。
「……よし」
そして、椅子を引いた。
「俺もやる」
ユリウスが、少し驚いたように顔を上げる。
「……団長?」
「お前一人に任せてたら、また夜中までやるだろ」
ガルドは、書類を手に取った。
「半分よこせ」
ユリウスは、少しだけ微笑んだ。
「……ありがとうございます」
「……礼はいい」
ガルドは、少し照れくさそうに言った。
「早く終わらせて、飯に行くぞ」
ユリウスは、静かに頷いた。
「……はい」
◇
同じ夜。
王都の一角にある、古い建物の一室。
机の上には、何枚かの検査記録が置かれていた。
そのうち一枚には、東区の送水装置の番号が記されている。
部屋の主は、書類を見つめた。
「……原本は、まだ動かせないか」
低い声が漏れる。
しばらくして、別の書類を取り出した。
そこには、二つの業者名が並んでいた。
「……余計な記録が残っていたな」
人物は、静かに紙を折り畳んだ。
そして、机の引き出しへしまった。
窓の外では、王都の魔導灯が静かに輝いている。
その光を見つめながら、人物は呟いた。
「……次は、少し急ぐ必要がありそうだ」
夜の闇が、ゆっくりと街を包んでいった。




